幕間 ある記憶
ちょっとシリアスっぽいかもしれませんが、次回からは今まで通りです。
――過去を見ている。
今も己を蝕み続ける忌まわしい悪夢。
だがそれでいい――自身の愚かしさを忘れぬために、誓いを決して色褪せないために。
忘れることなど許されない、あの日の記憶。
『逃げろッ■■■! ■■■■を連れていけッ、こいつはアタシが食い止めるッ!!』
"彼女"が叫んでいる。
自分の迂闊な行動のせいで片腕を奪われ、血の気の失せた顔に壮絶な笑みを浮かべながら彼女は自分たちに背を向けた。
彼女は何時もそうだった。窮地に陥った時ほどに笑みを作る。心配する必要などないのだと安心させるかのように。
『離してッ! 離して■■■ッ!!』
耳障りな声が聞こえる。身の程を弁えずに失敗した愚かな小娘。
彼に担がれて運ばれることしか出来なかったくせに、いったい何を言っているのか。
……あの時なにかが違えば結果は変わっていたのだろうか?
もしも自分がもっと強かったら、もしも自分にもう少し慎重さがあったならば。
もしも、もしも、もしも――幾度となく繰り返した自問。だがこれはすでに過ぎ去った過去だ。それは無意味な妄想に過ぎない。
『ちゃんと無事に帰れよ、帰ったら食堂で一杯やるからね! ……アタシも後から必ず行くからさッ!』
嘘つきめ。
初めからそんな気などなかったくせに。
『嫌だぁアアアアッ!!』
ここから先の記憶はない。
後から聞いた話だが、暴れる自分の意識を無理やり"彼"が落としたらしい。
あまりに情けなくて吐き気がする。
◇ ◇ ◇
――目が覚めた。
最近寝起きしている宿のベッドの上。値段のわりに部屋の状態は良く、食事も美味しい。
以前この国に滞在していた折に利用していた宿だったが、今も変わらず店主の夫婦は良心的だった。
「……酷い顔」
荷物の中から手鏡を取り出し確認してみると、とてもではないが人には見せられない姿が写っていた。
短めに切りそろえた栗毛は寝癖でボサボサ。赤く腫れあがった目元は容易に泣きはらした事を想像させる。
いつものことだ。
あの日から一年。あの悪夢を見るたびに繰り返す自分の醜態。
見慣れてしまった鏡の中の己から目を離し、手早く身支度を整える。特に顔のほうは念入りに。
探索者であっても女の子なんだから身だしなみを意識する――彼女に言われたことだ。
あの頃は子ども扱いされているようで反発してしまったが、今は必ず守ることにしている。
しかし着替えには少し手間取ってしまった。
原因は無駄に大きく育ってしまった二つの膨らみのせいだ。
"彼女"は男を誘惑するのに使えるなどと笑っていたが、正直言って全く嬉しくない。
どちらかと言えば"彼女"のようなスレンダーで引き締まった姿態が羨ましかった。
一通り身支度を整え終わったら階下の食堂に向かう。
野暮天の旦那さんはともかく、気配り上手な奥さんは自分の状態に気づいたのだろう。しかし彼女は何も言わずにいつも通り朝食を出してくれた。
その細やかな心遣いには感謝の念しかない。
奥さん手製の食事を口に運ぶ。決して贅沢な食材が使われているわけではないが、心を込めて作られた料理はとても美味しい。
自分一人だけがこれを口にしていることに罪悪感を感じもするが、これは仕方のない事でもある。
相棒の彼は戒律によって宿に泊まることも、調理した食材を口にすることも許されていないのだ。
なのでせめて自分だけでも味わって食べることにする。
――運動しないと太るぞ、などと言われたのは何時だっただろうか。
食事を終えると部屋へと戻り準備を整える。
夫婦の見送りの声を背に宿を出て、ゆっくりと街並みを歩く。
まだ朝早い時刻ゆえに人気は少ない。朝食の準備をしているらしい物音や、開店の準備をする店の従業員の姿などが偶に見れるくらいだ。
空気は冷たく湿り気を帯びている。しかしこの冷たさが意識を研ぎ澄ましてくれる。
元々自分は寒さにはめっぽう強い。よってこの程度であれば涼しくてちょうど良いくらいだ。魔術を使えば更に快適に過ごせるだろう。
しかし逆に暑さには弱いので《熱砂迷宮》などは鬼門以外の何物でもない。だからといって行かないわけにはいかないのだが。
――いた。
そろそろかと思い視線を上げると、その先にはこちらに気づき手を振る相棒の姿があった。
数日前に再開した相棒――いや、同士か。
およそ一年ぶりの再会だったが、互いにそんな空白など気にもせずに近況を話し合った。
――そうしなければ崩れ落ちてしまいそうだった。
"彼女"がいない。そんなわかりきった現実を意識せざるを得なくて。
彼もきっとそうだったのだろう。
一年という時間は決して無意味なものではなかった。
自分は魔術師としての階梯を登り実力を上げた。
彼は修業を重ね更に人の容姿から外れていた。きっと力量も上がったのだろう、感じられる存在感が違った。
朝の挨拶を交わし連れだって歩く。
稀にすれ違う人々がギョッとしたような視線を彼に向けるが無理もない。
彼の容姿は早々お目にかかれるものではないのだから。
それでも騒ぎ出す気配がないのは、開放的で亜人種も多いアーランディアの国民性ゆえか。
足を進めるたびに近づいてくる場所――"扉"を有する探索者ギルド。
意識せずとも動悸が激しくなり、呼吸が乱れ、足取りが早まる。
「――ッ!?」
唐突に肩に手を置かれ振り向くと、彼が落ち着いた眼差しで自分を見ていた。
そしてゆっくりと首を左右に振る。
――そうだ。いったい自分は何を焦っていたのか。
こんな状態では誓いを果たすどころではない。
彼女にも何度か言われたではないか――平常心を失えば先に待つのは死神だ、と。
彼に頷きを返し、深く息を吸いゆっくりと吐き出す。
幾度かその動作を繰り返し、心に落ち着きを取り戻すことに成功する。
さぁ、行こう。
あの日の誓いを果たし、覚めぬ悪夢を終わらせるために。




