27 街に出よう
三人称視点です。
棚に置かれた魔導具に気をつけながら埃を拭き取る。
それが終われば箒を取り出し床の掃き掃除。
初めのうちは経験のない作業に戸惑うばかりであったが、今となっては手慣れたものだ。
汚れが十分に落ちたのを確認し、満足げな笑みを零しながらグッと拳を握りしめる。
今日は《迷宮》探索ではなく営業の予定なので念入りに――
『――ねぇ』
「キャアアアアッ!?」
突然壁から生えた少女の生首――もとい壁抜けして現れた幽霊少女アンナの姿にイツキは思わず悲鳴をあげた。
『もうっ、一々大声出さないでよ! いい加減慣れたっていいでしょ!』
「そ、そうは言っても簡単に慣れるものではないのだっ!」
腰に両手を当て口を尖らせるアンナにイツキは涙目で言い返す。
せめて壁や床から突然現れるのはやめてほしいと心から思う。
「も、もう少しでいいから自然に声をかけてくれないか? 壁抜けしてきたり、背後から気配を消して声をかけられるのは心臓に悪すぎる……」
『アンナは幽霊なのよ? こういう登場のほうが普通でしょ』
「そ、それはそうかもしれないが……!」
アンナの展開した奇妙な理屈に逆に説得されてしまいそうなイツキ。
言い返したいのだが、彼女を相手にするとどうしても強気に出られない。
『それよりもお兄ちゃんから伝言だよ。ちょっと食料品を買って来てほしいって。カウンターにメモとお金が置いてあるからよろしくって言ってたよ』
ちなみに先程のイツキの悲鳴は工房で作業するエルトの耳にも届いていたのだが、よくあることなので流されていた。
イツキとアンナが顔合わせした日からは珍しい事でもない。
「メモメモっと……これか」
イツキがアンナから受けた伝言通りにカウンター席に回ると、机の上に買い物メモとお金が置かれていた。
内容を確認してそれらを懐にしまい、ドアから店の外へと出ようとし――
「むっ? ……どうか、したのか?」
アンナがじっと自分を見つめていることに気がついた。
『……』
(……?)
今まで何度かアンナから視線を向けられたことはある。
それらの視線は揶揄いを含んだり、不満そうであったり、攻撃的であったりした。
しかし今彼女から向けられる視線は、それらとは別種の感情を宿しているようにイツキには感じられた。
あえて言うのであれば――羨望、だろうか。
「その、どうだろうか……一緒に買い物に行かないか?」
特に何かを考えてその言葉を口にしたわけではない。
同居人と仲良くなる切っ掛けになればと思い、とっさに口をついた一言だった。
だが、それによって齎された変化は劇的だった。
アンナは一瞬泣きそうに表情を歪めると、次の瞬間まるで氷のような無表情へと転じイツキを見つめる。
(――ッ!)
無機質で伽藍洞な瞳。
空虚で底のない硝子玉のように透き通った碧眼。
ぞっと背筋が凍りついた。
今までは彼女を幽霊だと認識し、反射的に怖がっていた。だが、これは違う。
この時になって初めて、イツキは本当の意味でアンナという少女と向き合っていた。
『――そんなの無理だよ。だってアンナはこの家に憑りついてるんだもの……外になんか出られない』
「……えっ?」
感情を感じさせない平坦な声音にイツキは虚を突かれた。
冷静に考えてみれば、幽霊の性質上確かにそうしたこともあり得るだろう。
だが今まで彼女が見てきたアンナはいつも元気で自由だった。
だからその言葉は、彼女にとって想像しもしないものだったのだ。
「な、なにか方法はないのか? エルトならなんとかできるのでは……」
己の裡にあった恐怖も忘れ、身を乗り出して尋ねる。
一つの家に囚われて出られない少女。
それはイツキにとって受け入れがたい現実だった。
相手が幽霊であることは関係ない。
『――ならアンナの指輪をはめてくれる? そしたらアンナも外に出られるから』
そんなイツキをじっと見据えたアンナは、表情を変えないままそう言った。
カウンターの引き出しが音もなく開き、奥に納められていた指輪が宙に浮く。
『でも、それをはめたらアンナが精気を吸い尽くして死んじゃうかもね』
――出来るわけがない。
そうアンナは思っていた。今までこの家に住み着いた誰もが彼女に怯えた。
例外はエルトだけだ。彼だけがアンナをただの少女として扱ってくれた。
まして出会ってからずっとアンナに怯えていたイツキであれば尚の事だ。
しかし――この店の居候件従業員は、彼女が思っていた以上に考えなしだった。
「よぉしッ! それじゃあ出かけよう!」
まるで躊躇うことなくアンナの指輪を小指にはめると、イツキは勢いよくドアを開く。
そんな彼女に目を丸くしたアンナは、戸惑いつつもその後を追った。
◇ ◇ ◇
『あれっ! あれはなに!?』
「あれは露天商だな。異国の商品を並べているようだが……見て行ってみるか?」
『いくいくっ!!』
エルトに頼まれた買い物を終えたイツキは、荷物を抱えながら表通りを歩いていた。
今日もアーランディアの街並みは賑やかで喧噪に溢れている。
そしてイツキのはめた指輪の効果によって外へと出られたアンナは、目を輝かせてその光景に見入っていた。
『わっ! わわっ! すごいっ、すごいっ!!』
何が凄いのか自分でもわからぬままに「すごい」を繰り返すアンナ。
そのはしゃぎようにイツキの顔も自然とほころぶ。
百年――言葉にすれば短く時間にすれば長い期間。
その年月を家に閉じこもりきりで過ごしてきたアンナにとって、目に映る全てのものが新鮮だ。
好奇心を抑えることは叶わず、またその必要もなかった。
生前、叶うことのなかった夢が死んだ後に叶うとはなんとも皮肉なことではある。
だが、それでもアンナは楽しかった。
――しかし無粋な輩というものは何処にでもいるものだ。
「ようよう、メイドさん。よかったら俺らと遊ばねえか?」
ふらりとイツキの歩く先を遮る人影。
「――生憎と仕事中だ。他をあたってくれ」
イツキに話しかけてきたのは顔を赤らめた男三人。どうやら昼間だというのに酔っぱらっているらしい。
いや、探索者ギルドには何時もそんな連中がいた気もするが、ここまで露骨に絡んでくる者はいなかった。
不愉快気に顔を顰めたイツキは、さっさと男の脇をすり抜けようとする。
「おおっと、姉ちゃん。そりゃあつれねぇんじゃねえの?」
イツキは知らない。
探索者ギルドにてサントスの腕を叩き折ることで周囲に与えた印象。
また、日頃から傍にいるエルトやミリィの存在が一種の防波堤になっていたことを。
そしてメイド服に身を包む今の彼女は、知らなければただの可憐な少女にしか見えないことを。
「そーそー、ちょおっと付き合ってお酌でもしてくれればそれでいいからよぉ」
実を言えば男たちにも明確な悪意があるわけではなかった。
街で可愛い娘を見つけたので声をかけた、酒の勢いもあって気が大きくなっていた。
そういった点が確かにあった。褒められた行為では決してないが、傷つけようなどという意図は微塵もなかったのだ。
(――潰すか?)
しかし彼らが声をかけた相手はそういった機微に疎く、しかも物事を力押しで解決しがちな人格の持ち主であった。つまりは脳筋の類である。
そしてなによりも――
『もーっ! せっかくアンナが楽しく街を見て回ってるのに! 許さないからね! 【精気吸収】ッ!!』
「「「のわぁああアアアッ!?」」」
イツキ以上に空気が読めず、遠慮もしない幽霊の存在に気づかなかったのが彼らの最大の失敗であった。
――見えない幽霊に気づけというのも無理な話ではあるが。
◇ ◇ ◇
工房にて作業を終えて店番する事しばらく。
イツキは俺が頼んだ通りに買い物に行ってくれたらしく店内に姿はない。
アンナも姿が見えないが、あの娘は普段から家の中をフラフラしてるので気にすることもないだろう――そう思っていた。
「どういうことだっ、エルトッ!!」
なのにどうして帰ってきたイツキに俺は詰め寄られているのだろうか?
……んん? 彼女が小指にはめているのはもしかして――?




