25 同居人と話そう
――……イ、ケ。
光の差し込む余地のない闇の中から響く声が聞こえる。
――……イケ。
それは酷く冷たく生気を感じさせない空虚な声。
――……テ、イケ。
少しずつ、そっと這いよるように己に近づいてくる。
――デ・デ・イ・ケ……!
「うわぁあああああっ!?」
貸し与えられた部屋のベッドで少女は絶叫をあげながら跳ね起きた。
顔色は蒼白で寝間着は汗でぐっしょりと湿っている。
幾度か深く息を吸い呼吸を整え、ほつれた黒髪を後ろに軽く流した少女は膝に手を置いて立ち上がった。
そのままフラフラと不確かな足取りでドアを開き洗面所へと向かう。
「……ふぅ」
冷たい水で顔を洗い喉を潤してほっと息をつく。
しかし先程の夢が思い返され冬でもないのにブルリと身を震わす。
ここ数日の間、ずっと悪夢が続いている。
心配事はとりあえず解決したというのにどうしてこんな夢を見続けているのか、彼女には原因がさっぱり分からない。
むしろ日を追うごとに悪夢の形が実態を伴っているようにさえ感じる。
(エルトに相談するべきか? ……いや、夢が怖くて眠れないなんて子供じゃあるまいし)
悩みながらも備え付けのタオルで濡れた肌を拭い目の前の鏡へと目を向け――
「――――」
そこに――いた。
鏡に映る己の背後。
輪郭のぼやけた黄金色の人影が。
(~~~~~~~~~ッ!?)
声にならない叫びをあげた少女は全速力で部屋に戻ると、ベッドの中で毛布にくるまる。
そして震えながら眠れぬ夜を明かすのだった。
◇ ◇ ◇
本日はちゃんとしたお客さんは未だなし。
メイドさん目当ての客が冷やかしに来たくらいだ。
――商品を買え、そして金を落とせ。
そんな祈りと呪いの言葉を内心で呟いていると奇妙なことに気がついた。
「(言うべきか。……いやでも気のせいという可能性も。というか気のせいに決まっているだろう……!)」
そもそも気づかないわけがなかった。
眼前にてうろうろと店内を熊のように歩き回るメイド服の従業員。
なにをしているんだろう、この娘は?
どうも言いにくい事をどう切り出したものかと、躊躇しているような感じだが。
「ていっ」
「あだっ!? こ、これは……砂糖菓子か? エルト、いきなりなにをするんだ?」
なんとなく常備してある砂糖菓子を一つ摘まんで放ってみると、見事に直撃した。
前方不注意よくない。
「それをあげるから少し落ち着けよ。目の前でうろうろされるとこっちまで落ち着かないぞ」
「砂糖菓子で落ち着けって……私は子供か?」
などと文句を言いつつ砂糖菓子を口に含んで笑顔になるのだから、精神的には立派な子供だと思う。
「――で? いったい何をそんなに気にしてるんだ? ひょっとしてまだスカートが落ち着かないとか?」
「いや、そういうわけではないのだが……もちろんスカートが落ち着かないのも確かだけど……」
きまり悪げに指をつつきながら未だに逡巡する様子を見せるイツキ。
なんだというのだいったい。
「……その、だな。この店に住んでるのは私たち二人だけ、だよな?」
「まぁ、そうだな」
住んでいるのは俺とイツキだけだ。
間違ってはいない。
「そ、そうだよな。だ、だったらアレはやっぱり気のせいだよな!」
「アレって言われても何のことかわからないな。何を気にしてるのかはっきり言ってくれないか?」
「うっ……その、な。偶に部屋にいると視線を感じる気がするのだ……」
ほほう。
「それに、な。……最近夢見も悪くてな。なんだか『でてい~け~』とか『ち~か~づ~く~な~』と女の子の幻聴が聞こえるような気もするんだが……もちろん気のせいだよな!?」
「……」
あー、それはアレですね。
なるほど、どうやら波長がだいぶ合ってきたようだ。
これは良い機会だから一度説明したほうが良いだろうな。
「イツキ……これを受け取ってくれるかな?」
「ん? 突然なんだ、これは……ゆ、指輪!? い、いきなり何を考えているんだ、エルト! こ、こういうことはもっと段階を踏んでだな――ッ」
「お前はいったい何を言ってるんだ? それよりも論より証拠、それをはめたらイツキが知りたいことがわかるからはめてみろよ」
「……へ?」
カウンターの奥から取り出した年代物の指輪をイツキに渡すと、あたふたと慌てだし意味不明なことを言い出した。
こっちは真面目にやってるんだから話を逸らさないでほしいんだが。
「はめろと言われても……これは小さすぎないか? まるで子供用だ」
「実際子供用だからな。別にちゃんとはめる必要はないんだ。小指の先にでも通しさえすればいいからさ」
「むぅ……こうか?」
俺の指示に怪訝そうな顔をしたまま頷いたイツキが、言われるがままに指輪を小指に通す。
自分で指示しておいてなんなんだが。
――本当にはめてしまったのか?
「……んん?」
指輪をはめても特になにも起こらないことを不審に思ったらしく、イツキが俺に視線を向ける。
そして戸惑ったように首を傾げた。
「……(こしこし)」
俺の頭の上を見上げながら何度か瞬き、そして幾度か目をこする。
もう一度確かめるかのようにマジマジで見つめる。
「……なぁ、エルト?」
「なんだねイツキ」
なんでも訊いてくれ。今日は素直に答えようではないか。
「お前の頭の上に、十歳くらいのワンピースを着た金髪の女の子が仁王立ちしている気がするんだが……私の気のせい、だよな?」
「いや? 気のせいではないな」
なにしろさっきから俺の両肩に足を乗せてずっといたからな。
たぶん見上げればワンピースの中身が丸見えだと思う。
俺は幼女趣味ではないので全く興味はないし嬉しくもないが。
「……な、なんだが若干透き通って背後の壁が見えている気がするんだが……幻覚、だよな?」
「実体じゃあないけど幻覚でもないな。……安心していい、イツキは間違いなく正気だぞ」
ついでに言えば彼女に渡した指輪は魔導具ではあるが、幻覚を見せるようなものではない。
「……ま、まさかとは思うんだが……ゆ、幽霊だったりしない、よな?」
「大正解、そのまさかだ。この娘は住んでいるのではなく、我が家に憑りついている幽霊――名前はアンナだ」
パチパチパチと両手で軽く拍手を送ってやる。
何故だか返答するたびにイツキの顔色が蒼白になっていくのは気のせいだと思いたい。
そして詳しく説明しようとした次の瞬間――頭の上のアンナが跳んだ。
『お兄ちゃんとアンナの愛の巣に入り込んだ毒婦めっ! せいばーいッ!!』
幽霊特有の浮遊体質を活かした華麗なドロップキック。
勢いよくイツキめがけてすっ飛んでいく金髪幽霊少女。
ってお前それは……。
――スカッ。
『あれ?』
引き攣った笑みで固まっていたイツキにアンナの一撃が炸裂する。
しかし当然ながら幽体のアンナがイツキに触れるわけもなく、あっさりと通り抜けてしまった。
『あれれ? ねぇ、お兄ちゃーん! アンナ触れないんだけどー?』
「精気が足りないんだろ。暴れないで大人しくしてろよ」
『いや! お兄ちゃんを誑かすビッチに正義の鉄槌を下すのっ!』
「……お前はどこでそんな言葉覚えてくるんだ? どのみちそれは俺にはどうしようもないぞ。『アンナの指輪』をはめてるのはイツキだからな」
『むーっ』
頬を膨らましてぶーたれる一見愛らしい金髪碧眼、色白で華奢な少女。
名をアンナ・エリス。我が家に憑りついた御年百年を超える筋金入りの地縛霊である。
その証拠にピンクのワンピース姿の彼女は半透明に透けて、足裏は地につかずフワフワと浮いている。
ちなみに本人曰く"永遠の十歳"らしい。精神年齢的にはそんな感じなので特に異論はない。
言うまでもないことだが、俺が買ったこの家が長らく事故物件であった原因でもある。
歴代の持ち主に地道に嫌がらせを繰り返し、頑張って追い出し続けてきたのだ。
当然入居当時は俺もその対象となったのだが、色々あって現在は懐かれる立場である。
ただし見ての通り同居人であるイツキは追い出す気満々らしい。
『ちょっと居候! アンナに精気をよこしなさいよっ。そしたら"スーパーアンナアーツ"で成敗してあげるわ!』
自分を成敗すると宣言してる相手に精気を与えるお人好しはいないと思うけどな。
というか"スーパーアンナアーツ"ってなんぞ?
『もうっ、黙ってないで返事しなさいよ! ――あれれ?』
イツキの正面に回り込んだアンナが両手を腰につき、メイドの顔を覗き込み首を傾げた。
はて? どうしたのだろうか?
『お兄ちゃーん……この無駄飯食らい、気を失ってるみたいだよ?』
……マジで?
傍に近寄り顔の前で片手をふりふり……反応なし。
道理でリアクションがないはずである。イツキは立ったまま意識を失っていたのだった。
アンナの指輪(呪われている☆)
アンナ・エリスが生前身に付けていた子供用の指輪。エルトが魔改造した結果、立派な魔導具と化した。
ある程度波長の合った人間が身に付けるとアンナを視認できるようになる。
装備し続けると精気を吸われるが、代わりにアンナに可能な行為が増える。
……これを売るなんてとんでもない!




