22 朝ごはんを作ろう
三人称視点です。
朝方特有の冷やりとした空気を肌で感じ、自然と目が覚めた。
ベッドから身を起こし周囲を見渡せば、見慣れた自室ではなく最低限度の物だけが置かれた部屋。
起きたばかりで不活性気味な頭を働かせ、ようやく思い出す。
ここはフォーン魔導具店の一室。
故郷たるミズホの地より遠く離れた異国アーランディアにて、自分が寝起きしている場所である。
眠りが浅かったらしく、体には少しばかり疲労感が残っていた。
昨夜は言われた通りベッドに潜ったものの、なかなか眠りにつくことが出来なかったのだ。
「――んっ」
状況を理解したイツキは店主から貸してもらっているベッドの上で大きく背筋を伸ばした。
寝間着の下で健康的に育った二つの果実と、ほつれた濡れ羽色の長髪が軽く揺れる。
温かい毛布に潜り込みたい衝動をどうにか堪え、持ち込んだ部屋着に着替えることにした。
服に袖を通しつつ、なんとなく先程まで眠りこけていたベッドに目を向ける。
決して高級品とは言えない。故郷で寝起きしていた寝床に比べれば雲泥の差だと言えるだろう。
しかし道中で何度か行った野宿とは比較にならないし……なにより店主のベッドよりも上等な品である。
世話ばかりかけては申し訳ないと、家の掃除を請け負った際に確認したので間違いはない。
偶に口の悪いところのある店主ではあるが、こういったさりげない部分で優しさを見せるところがある。
いや、そもそもお人好しの類でなければ見知らぬ赤の他人の世話を焼くことはあるまい。
「ふぅ……」
それほど時間をかけることなく着替えを終えた。
少しまで前はここから更に『ダイナゴン』を装着していたので随分と楽だ。
……半ば強引に脱がされたこととその後のことで思うところはあるが――
(~~~~~っ!!)
耳まで顔を赤くし、頭をブンブンと振って過去の黒歴史を叩き出す。
そのまま少し乱暴な手つきで部屋に据え置いてあった小物入れから櫛と手鏡を取り出すと、一度深く息を吸い、その艶やかな漆黒の髪を丁寧に梳き始めた。
この櫛と手鏡は故郷から持ってきた物で、髪の手入れは欠かさず行うようにしている。
身だしなみがどうのこうのという話ではなく……単純に怖いのだ。
(……っ。だ、大丈夫だ。ここはアーランディアであってミズホではないのだから)
髪の手入れを言いつけた鬼婆はこの地にはいないのだ。恐れる必要など全くない。
それでも髪の手入れを怠らないのは既に習慣になってしまっていることと、精神的安定を得るためである。
やっておかないとどうしても落ち着かない。
いつ雷が落ちてくるかと冷や冷やしてしまう。
故郷ではないと頭では理解しておきながらこれなのだから、もはや洗脳か調教のレベルだ。
(……思えば随分と無茶をしたものだ)
髪を整えながら連鎖的に今までの出来事を思い出す。
半ば家で同然で実家を飛び出し旅に出た。泣いて喚いて止めようとした父を蹴り飛ばし『キリキリ丸』と『ダイナゴン』をかっぱらい。
確か家宝の品だった気もするのだが、いずれは自分が受け継ぐはずだったのだから問題はあるまい。
そもそも武具を使わずに後生大事に仕舞い込んでおくのが間違っている。
家を離れてからの日々は戸惑いと驚きの連続だった。
見知らぬ景色、異なる慣習、初めて出会う人々。それら全てがイツキの成長の糧となった。
自分がどれほど狭い世界の中で生きてきたのかを自然と実感したものだ。
とはいえ苦難と感じることはあまりなかった。
何があっても『キリキリ丸』で切り開き、『ダイナゴン』で防ぎきる。それで問題なく解決できていたからだ。
――当人には自覚はないが、不気味な鬼面が不埒な人物を遠ざけていたこともある。
しかし旅の途中で噂を聞いて訪れたアーランディア。この地で未だ自分は未熟者だと突き付けられた。
路銀が尽きて空腹で行き倒れたのを皮切りに、不注意で少年の持っていた高級な壺を壊してしまった。
その時は親切な金貸しが金を貸してくれたから良かったものの、借金を返すのはなかなか難しかった。
挙句の果てに拠り所だった『キリキリ丸』と『ダイナゴン』は、自分の管理不備が原因で使用不可。もはや笑いすら込み上げてくる。
『キリキリ丸』と『ダイナゴン』に関しては、イツキというよりも彼女の実家であるカンナギ家にも保管責任があると言えなくもない。
しかし責任感の強い彼女は自分の落ち度であると感じていた。
(エルトには世話になりっぱなしだな……)
食事を奢られ、寝床を提供され、借金に関して話をつけてもらい、《迷宮》では危ないところを助けられ、そして『キリキリ丸』の修理まで行ってもらってしまった。
ここまで恩を受けてはどう返していいものか、まるで見当がつかない。
しかし必ず返してみせるとイツキは決意を新たにした。
(これで……その、び、美人だとか言ってこなければ……!)
ガシガシと髪を梳く櫛の動きが若干荒くなる。
手鏡に移るイツキの頬は照れでうっすらと朱に染まってた。
友人であるミリィからは「偶に頭の悪いセクハラをするけど無視するか張り飛ばすのが吉。どうせノリと勢いで面白さを優先させてるだけだから」という有り難い忠告をもらっていた。
彼女に言わせれば、考えていないようで実は深く考えている……と見せかけてやっぱり考えていない事が多々あるらしい。
深く考えないのが有効な対処法だと、実感の伴った溜息と共にぼやいていた。
「――んっ、よし」
手鏡を覗き込み満足げに息をついたイツキは部屋から出て、そのまま店の奥にある工房に向かう。
開店時間には早いので、エルトがいるとすれば彼の自室か工房だろう。
「――失礼する」
一言断りを入れて工房へと足を踏み入れる。
独特の匂いが鼻を刺激し、ムズムズとくしゃみが出そうになった。
――とても奇妙な部屋だった。
鍛冶師が使うような道具が並んでいるかと思えば、裁縫道具や調合器具、あるいは魔術関連の書籍なども置いてある。
なかにはイツキでは何の用途に使うのかわからない道具もあった。
一応それぞれ距離を置いて独立した場所に置かれてはいるものの、これらを見て持ち主の職業を推測するのは難しいだろう。
そんな混沌とした工房の一角。頑丈そうな机に突っ伏して眠りこける主の姿があった。
「……エルト?」
イツキがそっと呼びかけるも、灰色の髪が呼吸に合わせて揺れるだけで反応はない。
どうやらよほど深い眠りに落ちているらしい。
そして机の上には鞘に納められた見慣れた愛刀の姿があった。
目を瞠った彼女は思わず手を伸ばし――
(――いや)
指先が届く寸前に動きを止めた。
それから自室から毛布を持ってくると、そっとエルトの背中にかけ工房を後にする。
本音を言えば今すぐにでも愛刀の状態を確かめたいのだが、それはあまりにも筋が通らない。
彼が目を覚ましてから受け取ろうと思った。
(そうだな、せっかく早く起きたのだから――)
美味しい朝食を作ってエルトが起きてくるのを持っていよう。
料理には自信がある。実家でも「もう教えることはなにもないから、絶対に台所には立たないでね」と、母からもお墨付きをもらったのだ。
――機嫌良く鼻歌を口ずさみながら台所に向かうイツキは知らない。
この後、見事なまでに無味無臭という魔導付与師であるエルトをも別の意味で唸らせてしまう料理を再び作ってしまうことを。
料理を口にしたエルトの目から光が消え、淡々と己の料理の欠点について懇切丁寧に説明されることを。
彼女は料理においても自分はまだまだ未熟だと思い知らされることになるのだった。




