2 熊さんと遊ぼう
『アーランディア』というのが俺が店を構えている都市の名前だ。
同時に国の名前でもある。
国の形態としては特におかしなところはない。
王様がいて大臣がいて貴族がいて騎士がいて兵士がいる。
割りと開放的な国風で、国民の生活を圧迫したりもしないので普段は国の上層部を意識することはあまりない。
偶に街の酒場で大臣が酔っぱらっている姿を見かけたりするくらいだ。
この都市が有する他の都市にはない特徴として、《迷宮》への"扉"の存在があげられる。
扉の数は全部で八つ。それぞれの扉が別々の異空間に繋がっている。
この扉の存在理由や理屈に関してはさっぱり分からない。
建国以前の頃から存在しているらしいので、今では国民の誰もがそういうものだと受け入れている。
酔狂な魔術師が研究したりもしているそうだが、特に成果はあがっていないらしい。
アーランディアを治める王族の優れていたところは、この"扉"を探索者ギルドのもとで管理はしても独占はしなかったことだろう。
ある程度の手続きを踏みさえすれば、基本的に誰であっても《迷宮》へと足を踏み入れることが出来る。
《迷宮》内部には本来特殊な地域にしか生息していない魔獣や希少な鉱石などが存在し、それらを持ち帰れば探索者ギルドが買い取ってくれる。
さらに買い取られた素材は商業ギルドに流れ、アーランディア全体へと流通する。
そうして《迷宮》から得られる利益は広く国家に還元されているのだ。
《迷宮》には一獲千金を夢見る探索者が集まり、都市には素材目当ての鍛冶師や魔術師が集う。
歴史上幾度か《迷宮》を狙って他国が侵攻してきたことがあったが、《迷宮》を独占されて困るのはアーランディアだけではない。
《迷宮》目当ての探索者たちや、素材目当ての鍛冶師や魔術師たちもそうである。
ゆえに戦争の際には彼らも積極的に参戦し、見事侵略者たちを撃退してきたそうだ。
最近では争うよりも仲良くしたほうが利益が大きい、といった程度には隣国と友好的な関係を保っている。
そんな《迷宮》の一つ。《森林迷宮》と呼ばれる場所に赴いた俺は――
「ガァアアアアアッ!!」
「なぁあんでぇだぁあああああっ!?」
現在、森の中で耳がでかくて長い大きな熊さんと熱烈な鬼ごっこの真っ最中である。
――何故だ! どうしてこうなった!?
今回の俺の探索目的は〈突撃兎〉を10匹。
少し面倒だが危険の少ない仕事のはずだった。
にもかかわらず、探索を始めて早々に〈耳長熊〉にエンカウント――現在の状況に至るというわけだ。
お前なんでこんな浅い場所にいるんだよ!?
普段はもっと森の奥を縄張りとしてるはずだろ!
というか俺はお前を狙ってるわけじゃないんだ。
だからここは文明人として穏便に話し合いで解決――
「ゴァアアアアアッ!!」
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、死ぬうっ!?」
振り返れば涎をダラダラ垂らして食う気満々の獣の姿。話し合いとか無理っぽいわ。
くそったれめ、人と獣との相互理解への道はまだまだ遠いということかっ!
――ってふざけてる場合じゃねえ。
師匠たちの地獄の扱きのおかげで足腰には自信があるが、どうにかしないとマジで死ぬ。
食われて死ぬ。
師匠の一人の教えは「危なくなったら逃げろ。出来れば危なくなる前に逃げろ」という大変ためになるものだった。
俺もこれは出来るだけ守るつもりだったのだが、今回はそもそも逃げ切れそうにない。
あんな体力自慢の野獣相手に張り合うとか馬鹿げている。
とはいえ腕っぷしには全く自信がない。
鍛冶の技術を学ぶ上で一通りの武器は嗜み程度に扱えるが、あくまでも扱えるだけだ。
あんな野生の塊と真っ向から殺り合う気は毛頭ない。
くそっ、他の探索者の姿でもあれば全力ダッシュで突っ込むものを……!
〈耳長熊〉を押し付けるわけではない。
あくまでも偶発的遭遇から協力をお願いするだけだ。
「何かないか、何かないか、何かないか……っ!?」
走りながら『旅の鞄』の中身を漁る。
この鞄は魔導具の一種で、内部の空間は外見よりも遥かに広く大量の物品を収納することが可能だ。
その利便性ゆえに欲しがる人も多いが、素材が希少で創ることも難しく数は極めて少ない。
ちなみに俺のは自作なんだぜ?(ドヤァ)
これでも最年少魔導付与師の名は伊達ではないのだ。
「ガアウッ!」
「ぬわッ!?」
危なあっ!?
少しスピードを緩めたら背中をかする豪爪の感触。
俺の大事な一張羅がッ!?
「回復薬……怪我してない! ナイフ……あんなの相手に役に立たん! 付け髭に禿かつら……誰だッ!? こんな物を入れたのは!?」
"扉"周辺で弱い魔獣を狩るつもりだったから正直ろくな物がない。
あれと遭遇すると分かっていたらもっと入念に準備しておいたのに。
「――おしっ! これがあったか!」
金目の物の大半は売り払ってしまったので、この状況で役に立ちそうな道具があるか不安だった。
しかしなんとか昔創って鞄に入れっぱなしだった魔導具を引っ張り出すことに成功する。
「ええと、確かこれは――」
そう! 『五色悪戯球』だ!
赤・青・緑・白・黒の五色の球がそれぞれ違った効果を持つ魔導具である。
これを上手く使えば、この窮地もどうにかなるかもしれない。
「――というわけで喰らえっ! 赤球!」
掛け声一発、五色の球の中から赤色を掴み取り、背後の熊野郎に投げつける。
「ガウッ! …………? ギャウッ!?」
走りながら器用に赤球を口で受け止める〈耳長熊〉。
口をモゴモゴさせと動きを止めて、全身を悶えさせ苦しみだした。
馬鹿め! 予想通り食いつきおったわ!
赤球の効果は激辛味。食べれば灼熱の地獄巡りを体感できるだろう。
「ふふん、所詮は獣。人間様の知恵の前には無力だな。ハーハッハッハ……ハ?」
「……グルッ、ギャウッ。……グルルルル!」
えーと……なんか睨まれてる?
「ガァアアアアアアアアッ!!」
「って、馬鹿は俺かぁああああああっ!?」
考えてみれば『五色悪戯球』は非殺傷の魔導具。
特に赤球は辛いだけ。これでは単に怒らせただけではないか。
再び始まる命懸けの鬼ごっこ。藪を突き破り、木々を掻い潜り大地を駆け抜ける。
「よ、よし! これなら……! 喰らえ――青球!」
次に投げるは青い球。
当然〈耳長熊〉も今回は警戒して口を閉じているが……甘いぜ! 俺の狙いは足元だ!
「ゴアッ!?」
〈耳長熊〉に足元で弾ける青球。
その効果により地面が一瞬で凍り付く。
〈耳長熊〉は氷上で足を滑らせ、そのまま盛大に大木に激突した。
よしっ、チャンスだ!
「続けて喰らえ――緑球!」
追撃の機会を逃さず放つは緑球。濃い緑の煙が〈耳長熊〉を包み込む。
「……!? ガアァアアァアア!?」
発するは気を失いかねない程の臭気。
苦しげに吠える〈耳長熊〉。
嗅覚の鋭い獣なら尚のこと辛かろうっ!
うぐっ!? こ、こっちにまで臭いが……。
「き、君に決めた――白球!」
「ガッ? グゴォオオオォオッ!?」
臭気に悶え苦しむ〈耳長熊〉に炸裂した次の球が効果を発現させた。
すなわち――鋼のような毛が抜け落ち、ツルツルに肌が露出したのだ。
白球の効果は一定レベル以下の装備解除。
……以前実験でミリィに使った際は服が破れて下着姿になったんだよな。
お仕置きで窓から逆さ釣りにされたのも良い思い出……ではないが、良いものを見れたのだからイーブンか。
「これでとどめだ、熊野郎――黒球!」
「ゴァア!? ……ゴァ、ガゥゥ……ッ?」
全身から力が抜け落ち崩れる〈耳長熊〉。
ふふふ、動けまい。黒球の効果は麻痺。
肌に直接当てなきゃ意味がない上に効果時間も短いが、足止めにはこれで十分。
後は最後の仕上げだけだ。
「ガ、ガゥ……ッ?」
「――文句はないよな?」
弱々しくこちらを見上げてくる〈耳長熊〉に二ヤリと笑いかける。
なんか悪役っぽい気もするが断じて気のせいだ。正義は我にあり。
こちらを喰おうとしてきた相手への慈悲などないだけである。
俺は『旅の鞄』から取り出した物を両手で握りしめ――勢いよく振り下ろした。
その恐るべき凶器――すなわちハンマーを。
鈍くて重い打撃音が森の中に響いた。
うーん、修行で何度もやったことだから慣れはしてるが、この生理的嫌悪感はどうしようもないな。
この独特の感触とか匂いとかは好きにはなれん。
俺ってばやっぱり頭脳派だよな、うん。
まあ、予期せぬ遭遇ではあったが結果オーライだ。これで飢え死にしないですむ。
さらば強敵よ、我が飯の種となるがよい。君のことは夕飯までは忘れない。
ちなみに今は『死体』という『物』に変わった〈耳長熊〉を『旅の鞄』に納めて帰還中。
これで今日の夜は久々にまともな食事が出来そうだ。
……ハンマー? はっはっは、ナニヲイッテルノカ、ゼンゼンワカンナイナー!
耳長熊
熊の強靭さと兎の聴覚を併せ持った魔獣。
普段は《森林迷宮》の奥、一つの縄張りに一匹のみ生息。
新人探索者にとっての鬼門。肉は美味しい。
五色悪戯球
エルトの創った使い捨て魔導具。
名前の通り悪戯目的の魔導具だが効果は割と高い。
使い方次第では魔獣相手でも十分使える。非売品。