17 朝ごはんを食べよう
硬くて寝心地の悪いベッドの上で目が覚めた。
寝起きで固くなった身体を揉みほぐしながら起き上がると、眩しいばかりの陽光がカーテンの隙間から漏れていた。
腹の空き具合から考えても、たぶん時刻は昼を過ぎているのだろう。
昨夜は夜遅くまで作業していたのだが、どうやら寝過ごしてしまったようだ。
まぁ、どうせ店には客が来ないので早く起きても意味はないのだが。
ミリィであれば「そんなんだから店が流行んないのよ」と口喧しく注意してくるだろう。
長年の付き合いで心配の裏返しだと分かっているが、あんな感じで嫁の貰い手はあるのだろうか?
――そんなことを考えながら、ベッドの上でしばらくボーッと時間を過ごす。
昔からどうにも朝が弱いのが俺の欠点である。
起き抜けだと頭が働かず、無理に動くと色々とやらかしてしまう。
実を言えば魔導付与師を目指した理由も、ある程度時間に自由が利く職業だったからだ。
「……ふぁ~」
何度か込み上げてきた欠伸を噛み殺し、観念して起床。
寝る前に適当に放り出したらしい衣服に着替える。
これが少し前なら着替えもせずに自室から出たところだが、最近は滅多にそんなことはしない。
なにしろ異性の同居人がいるのだからな。
イツキがまだ鎧武者姿だった頃にやらかしてしまい、叫び声をあげられたりもしたけど……あれは俺のせいではない。
「……冷たっ」
着替え終えて自室から洗面所に向かう。
自作の魔導具から水をコップに注いで一杯飲む。
続けて顔を洗うとだいぶ思考がはっきりしてきた。
以前幼馴染みの少女に商売について相談した際は、こういった魔導具を量産出来れば売れるんじゃないかと言われた。
生活に役立つ系の魔導具にはあまり興味のなかった俺なので、その提案には目から鱗が落ちる思いだった。
しかし世の中そう上手くはいかないものである。
この魔導具を創るのに必要な素材は結構希少で当然お値段も相応。
商業ギルドから仕入れると、製品の値段は庶民には中々キツイものになる。
かといって自分で素材を手に入れようとするとリスクが高く、おまけに数が十分とは言えなくなる。
「……あー、楽して稼ぎたい」
労働という尊い行いに喧嘩を売るようなボヤキを零しながら食堂に向かう。
……現在進行形で借金持ちの俺ではあるが、自宅は分不相応に広かったりする。
理由は単純で、工房と店を含めるつもりで物件を探したからだ。
予算も大してない俺がこの家を買えたのは……いわゆる事故物件だったからである。
住もうとした人間が尽くノイローゼになって出ていくという曰くありな物件だったので、相場よりもかなり安く買えたのだ。
結果こうして一人で住むには少々寂しい広い家を手に入れたわけだが……いや、一人ではないか。
なにしろイツキを除いたとしても、うちにはもう一人住人がいるのだから。
そのうち彼女にも紹介しなければと思いながら歩く。
放っておいて悪夢に魘されても困るしな。
「おはよー、ご飯は今から作るから勘弁なー」
食堂の扉を開き挨拶した。食事は基本的に俺が作ることになっている。
なんとなくイツキに任せるとベタな失敗をしそうな気がしたので、今まではそれとなく牽制してきたのだ。
だから今日のように遅く起きた日の食堂では、腹を空かしたイツキが死にそうになっている姿が日常茶飯事だったのだが――
「……ってあれ、いない? おーい、イツキー! 出掛けてんのかー?」
出掛けていれば返事など返ってこないよなー、と思いつつ同居人を呼んでみる。
しかし返事はない。少し前までの静寂に満ちた我が家のようだ。
「お腹が空き過ぎて外食を決行……道に迷って行き倒れ。……やべっ、普通にありそうだ」
イツキに聞かれれば全力で否定されそうだが割と本気である。
とはいえ今回は思い違いだったようだが。
「ん? これは……書き置きか? えーと、なになに……『サキ、ニギ……ルドイッ、テ……マス』?」
うん、読みづらい。なにしろアーランディアで使われている文字ではなく、イツキの故郷ミズホで使われている文字だ。
しかも急いでいたのか乱暴な書きなぐりである。
ついでに言えば書き置きの隣にはイツキが作ったと思しき料理が置いてあった。
見たところ予想していたような失敗作ではなく、普通に食べられそうだ。
……期待はずれな。
彼女のことだから暗黒物質でも作ったりするものかと思っていたのだが。
「『ア、サゴハ、ン……ツク、リ……マシタ、ヨ……ケレ、バド、ウ……ゾ』……か」
どうにか解読成功。
一応ミズホの文字も勉強していたのだが、頭の奥で埃を被っていたので引っ張り出すのに苦労した。
探索者ギルドまでの道は何度も歩いたので、さすがに迷子にはなっていないと信じたい。
朝ご飯のほうは有り難くいただくとしよう。特におかしなところもないようだし。
「……ん?」
あれ?
「……んん?」
おかしいな、もう一口……。
「……ええっ?」
うん、おかしな味はしなかった。
辛くもないし甘くもないし苦くもないし酸っぱくもない。
……というか味が全くしない。どーなってんだこれ?
食感はあるのに味を微塵も感じない。紙でも食べたほうがまだ味を感じるぞ。
不思議だ、凄く不思議だ。
一製作者として作成の過程に興味を抱かずにはいられない。
如何なる工程を踏めば、ただの食材をこうまで意味不明な味に仕上げられるのだろうか?
「……って違うだろ、おい」
思わず一人ツッコミしてしまう。それぐらいに衝撃的な味だった。正に新感覚だ。
問題なのはその新感覚な味(?)の料理がまだまだ残っていることだ。
空腹を抱えて飢え死にしかけた身としては、お残しは断固として許さない俺である。
「――ってことは俺が食うのか……これ?」
朝からとんだサプライズな試練だ。
正直まだ不味いとか普通の感想が言える食事のほうがマシである。
これは先日の〈肥毒蜂〉に対しての遠回しな復讐ではなかろうか?
◇ ◇ ◇
とにかく口に詰め込み、咀嚼を行い水で流し込む――そんな食事なんだか苦行なんだかわからない作業を終えた俺は探索者ギルドに足を向けた。
今日も今日とて建物内は賑わっている。
いや、仕事しない連中が賑やかしてるのは正直どうかとも思うが。
「おはようさん、ミリィ。なんか連絡事項とかある?」
「『おそよう』でしょうが。もう昼よ? いい加減、生活態度改めなさいよ」
「やだよ。そういうのが嫌だから魔導付与師になったんだし」
「……そのうち後ろの連中の仲間入りするわよ」
「先進誠意努力します!」
直立不動で敬礼した。流石にそれは勘弁だ。
会話を聞き取ったのか、"後ろの連中"からはブーイングと勧誘の声が響くが無視だ、無視。
断じて奴らの同類に転げ落ちるつもりはない。
駄目人間でもいい。でも別ベクトルの駄目人間でいたい。
「まったくもう。……連絡事項だったわね。確か《森林迷宮》で〈特殊個体〉が出たそうだから気をつけなさい。今日は探索を控えるか、他の《迷宮》に潜ったほうがいいわ」
「へぇ、〈特殊個体〉が。それで何人か姿が見えない連中がいるわけだ」
危険だからこそ実入りも大きい――そんな判断で行動する探索者もいるというわけである。
「……そういえばイツキが先に来なかったか? 朝から姿が見えなかったんだけど」
「来たわよ。朝早くから張り切ってたわね」
どうやら迷子にはならなかったらしい。良いことだけど心配して損したな。
……あれ? そういえば――
「なあ、イツキにも〈特殊個体〉のことは教えたのか?」
「ええ、もちろん教えたわよ。……ただ注意はしたんだけど、通いなれてるからって結局《森林迷宮》に行ったみたいなのよね。念のため集落の周辺から離れないようには言っておいたんだけど……」
自分で言っておいて納得しきれなかったのか、ミリィの口調は歯切れが悪い。
彼女もイツキの性格を理解できてきたと見える。
ああ、なんか凄く嫌な予感がするんだが……外れているといいなぁ。