13 師匠を訪ねよう
なんとなく空を見上げてみると、俺の今の心情を写し取ったかのような暗い曇天だった。
朝方は見事なまでの快晴だったというのにこの天気の崩れ具合、雨でも降るのだろうか?
いや、降らないかな、降ってほしいな、降ったらいいな。
そうしたら天気を理由に自宅に帰れるものを。
「は~……」
「随分と重い溜息だが……そんなに師匠とやらに会いたくないのか?」
「もちろん会いたくないな」
即答する。会いたくないし関わりたくない。
質問してきたイツキのほうは、『キリキリ丸』の修復の可能性に足が軽いようだが。
「むぅ……そんなに厳しい人なのか?」
「あー、厳しいと言えば厳しいけど、そこは正当な厳しさだから別に良いかな」
ぶっちゃけ優しいだけの人間とかは、教師としては逆に信頼できないと思う。
弟子のやる気を磨り潰さず、それでいて締めるべき部分はきっちり絞める。
それが優秀な師の条件というものだ。
ひたすらに甘やかすだけの師とかは、単に自分が嫌われたくないとか悪役になりたくないとか、そんな教師としては論外なことを考えているに違いない。
そういう意味では俺の鍛冶の師匠は信頼に値する人物だ。
「ならば……性格が悪いのだろうか?」
「それもないな。頑固者ではあるけど、陰湿な悪意とかとは縁遠い人だし」
短気ですぐに鉄拳とか飛んでくるが、それも単に元の気性が荒いというだけだ。
別に相手を蔑んで悦に入るような腐った性根はしていない。
「むぅ……わからんな。私には特に問題があるようには思えないのだが……どうしてそこまで会うのを嫌がるのだ?」
「あー、そうだな……。一言で言うと趣味が合わないからかなぁ。鍛冶の技術は尊敬してるし、人格も好ましいんだけど……こればっかりはな」
「……趣味?」
首を傾げて怪訝そうな顔をするイツキ。
すぐにわかるよ、すぐに……な。
「種族は〈岩鉱人〉で、若い頃はあちこち旅してたそうだから、たぶんカタナに関しても知ってるだろ。――ただし偏屈なところもあるから機嫌を損ねないように気をつけろよ?」
「もちろんだ。なにしろ『キリキリ丸』の命がかかっているからな!」
……命?
いや、やめておこう。ツッコむだけ野暮である。
イツキと話しながら歩き続けると、少しずつ人の気配が薄れていく。
師匠の工房は中央区からは外れた人気の少ない場所にあるから当然だが。
◇ ◇ ◇
「男なら……ハンマーじゃ!」
鍛冶屋の扉を潜った俺たちを出迎えたのは、老年の域に差し掛かった一人の〈岩鉱人〉。
すでに隠居同然の身で趣味に没頭するアーランディアでも有数の腕利き鍛冶師。
筋骨隆々の体躯に白い立派な髭を蓄えた彼は、陽に焼けた逞しい両腕を組み開口一番言いきった。
「……」
そんな頼りない目で見られても俺にはどうしようもない。
此処に来たがったのはイツキなのだから、自分で何とかしてもらうしかないのだ。
なんとはなしに部屋の壁に視線を向けると……まず目に入るのはハンマー。次に目に入るのもハンマー。更にハンマー。駄目押しでハンマー。これでもかとハンマー。
素材も形状も大きさも多種多様なハンマーがところ狭しと立て掛けてある。
……うん、〈岩鉱人〉の老人――ギムル師匠はまるで変わりないようで凄く残念だ。
「わ、私はこれでも女なのだが……!」
「ぬぅ……」
イツキのか細い返答に師匠はしばし沈黙。
固く目を瞑って思案げに唸る。
どう見ても女の子だから安心していい。
「女でも……ハンマーじゃ!」
「……」
悪びれせずに言い直しやがった。
恥じ入ることなど何一つとしてない実に堂々とした態度である。
そしてイツキ、そんなすがるような目を向けられても頑張れとしか言えないぞ?
「……あ、あのぉ。……お、お茶をどうぞぉ」
「あ、ああ、どうも。――いただきます」
いつの間にかすぐ傍に小柄な人影が寄って来ていた。
存在感をまるで感じず、声をかけられるまで気がつかなかった。
お盆にお茶を乗せて話しかけてきたのは……ええと、誰だっけ?
昔から師匠の身の回りの世話をしてる〈森人〉の女性なんだが、名前が霧にかかったように思い出せん。
「ギムルさんたちもぉ、どうぞぉ」
「……ど、どうも?」
「ぬっ、なんじゃこのお茶は? 温すぎるわい」
「あうぅ、ごめんなさぁい~」
どうやらイツキも彼女の存在には気づいていなかったらしい。
動揺と疑問の感情が声に出ていた。
師匠のほうは平然とお茶の温度に文句を言ってる。
火傷するような熱さのシブーイお茶が好みだからな。
「いまぁ、入れ直してきますねぇ~」
うーん、パッチリした目の幼げな美人さん。
種族的特徴としてスレンダーな〈森人〉には珍しい、小柄で巨乳な甘ったるい声の持ち主。
かなり特徴的で目立つ筈なのだが、不思議と影が薄くて記憶に残らないんだよな。
傍にいる師匠が暑苦しいせいだろうか?
それともあれか? 胸か? あの体型に似合わない豊満すぎる果実のインパクトが強すぎるからか?
「えーと、ギムル師匠? 今日は師匠に頼みたいことがあって来たんですけど」
「なんじゃい馬鹿弟子、藪から棒に」
柔らかそうなお尻を振りつつ部屋の奥に消えたエルフ少女から目を逸らし、二人の会話に口を挟んでみる。
どうたらイツキに任せていても埒があかないようだ。
ギロリと眼光鋭く睨まれるが、別に師匠は機嫌が悪い訳じゃない。
これが彼の平常運転なのだ。
「実は彼女――イツキが持っているカタナが破損しまして。その修復のために師匠の力を貸してもらえたらなー、と……」
「……ふむ」
駄目元で頼み事を口にしてみると、師匠はじっと黙り込んだ。
そしておもむろに立ち上がると、壁に立て掛けてあったハンマーの一本を手に取る。
「お主は少しは儂のことを理解しておると思っておったんじゃがのぉ……」
調子を確かめるかのように数回素振りを行う。
剛腕によって生じるブォンブォンと頬を裂く風切り音。
「よもやこのようなことになろうとは……実に残念じゃ」
地獄の底から漂うような怨嗟の響き。狂気を宿し爛々と輝く双眸。
……なにか激烈に嫌な予感がするんだが。
「……この愚か者がぁアアアアアッ!!」
「ぬわぁあああああっ!?」
ズドンッと凄まじい地響きを立てながら老〈岩鉱人〉の一撃が炸裂した。
先程までに俺が立っていた場所に見事に減り込んでいる。
咄嗟にその場から飛び退かなければ、今頃潰れたトマトみたいになっていたのは想像に難くない。
「いきなり何しやがる、クソ師匠ッ!?」
「黙れ馬鹿弟子め! この儂にハンマー以外の武器を扱わせるなど命がいらんのだろう!?」
この爺に会いたくなかった理由がこれだ。
ついでに俺のメイン武器がハンマーな原因もこれだ。
高い技術を持っているくせにそれが活かされることは決してない。
若い頃はそうでもなかったらしいが、今では無類のハンマー狂い。
ハンマー以外の武器を作らない・売らない・使わないという頑固を越えた偏屈ぶり。
ついでに短気で喧嘩っ早いときてる。
「違うわ、早とちりすんな! イツキのカタナは思い入れのある品だから頼んでみただけだ!」
「……思い入れじゃと?」
俺の言葉に振り上げたハンマーをピタリと止めるクソ爺。
……危なかった。ビジネスライクな交渉より義理人情に訴えたほうが効果的な師匠である。
「……ふぅむ。確かに中々年季の入ったカタナじゃのう。おう、嬢ちゃん。一度そいつを壊してハンマーとして打ち直すのでは駄目かのう?」
軽く『キリキリ丸』を一瞥した後、とち狂った発言をする我が師匠。
どれだけハンマー推しなのか。
「そ、それは駄目だ! 『キリキリ丸』はカタナのままで直してほしいのだ! なんとかお願い……できないだろうか?」
「俺からも頼めないかな。師匠なら知識や技術も持ってるだろう?」
「これは魔導具じゃろう。……むしろお主の専門ではないのか?」
「確かにそうだけど……そのあたりの技術に関してはまだ習っていませんので」
「そうじゃったかのう……?」
白い髭をさすりながらギムル師匠が呟いた。
相変わらず興味のないことに関しては適当な人だ。
「ふむ、それならば改めて鍛冶技術を仕込んでやるとしようかの」
「……え゛?」
何かあってはならないことを言われたような気が……?
「お主の技術も上がり、儂もハンマー以外の武器を扱わずに済む。更にはそこの娘のカタナも直る。一石二鳥どころか三鳥というやつじゃの」
「……」
いかん。これは拙い流れだ。
「いやいやギムル師匠ここは是非とも師匠の腕前を見せて下さいそもそも俺のような未熟者がそのような業物に触れるなど恐れ多くてとてもとてもイツキも師匠に『キリキリ丸』を預けたほうが安心できるでしょうしここはどう考えても――オゴッ!?」
「ゴチャゴチャと煩いわい」
ぬぉおおおおおっ!? 鳩尾にもろの一撃がぁあああっ!?
全力かつ早口の拒絶だったのだが、問答無用で黙らされてしまった。
暴力反対! いや、ハンマーでないだけましなのか……?
「そういうわけで嬢ちゃん、この馬鹿を三日ほど預からせてもらって構わんかの?」
「……え? ええっと、それはその……」
イツキさーん! ヘルプヘルプ! 助けてくれ、死ぬより辛い目にあわされる!!
……ってこら!? 片手を振ってお別れの挨拶なんぞしてるんじゃねえ!!
「み、店のほうは私が見ているから安心してくれ!」
「うむ、それじゃあ早速始めるとしようかのう」
「い、いぃやぁだぁああああああああっ!!」
拒絶の訴えが届くことはなく、俺はズルズルと師匠によって魔窟へと連れ去られるのだった。
おのれ、覚えていろ。このままでは終わらんぞ。
アイル! ビー! バァアアアアック!!
ギムル
やってしまったゲストキャラ。反省していないし後悔もしていない。
同一人物ではなく別世界の同一存在。
意味のわからない方は短編『ワシのハンマーは最強なんじゃあ!!』を参照のこと。
エルフ娘
同上。
特徴的なのに印象に残らない……そんな娘さん。
きっと「気配遮断」や「認識阻害」スキルとか持っている。
名前はまだない。