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寸説まとめました!

 寸説  《奴隷と主人》

作者: mask

 二作品目、投稿しました!

 今回の時代はw・w・Ⅰ時代の設定にしました。

少女は奴隷だった。

 十歳のときに父親が病で死に、働き手が消えると食い物に困り、母に五万で売られた。

ボロの黒ずんだワンピースを着せられ、首と手に枷を嵌められた。幼い彼女には母との別れを悲しむ余裕があっても、これからの生活を考えることはできなかった。

 石造りの建物に連れていかれると、そこには鉄格子の部屋があり、中には少女のように奴隷へと堕ちた人々が瞳に恐怖を宿して少女を見ていた。奴隷商人は少女を鉄格子の前に押し倒すと、少女は鞭で打たれた。腕に、足に、そして頬に。奴隷商人は少女を鞭で打ち続けた。恐怖で縛りつけて抗おうとする意志を、この世への希望を壊すために。

 飯は固いパンと下水から引き揚げた水だけだった。腹を壊すと地面を這いずり回るほどの痛みに襲われる。その間は痛いことは何もされず、感染症を防ぐために綺麗な――だが冷水で洗われる。だが、痛めつけられた身体が回復しなかったり、感染症の影響で顔を腫らして血を吐いた奴隷たちは、荷馬車に放り込まれて帰ってこなかった。体調が戻ると、今までの倍の数で鞭を打たれた。

 そうして二ヶ月間、瞳が虚ろになるまで奴隷少女は生かされた。

 

 ある日、他の少女奴隷たちと共に大きな屋敷に連れてかれた。そこでは下卑た笑みを浮かべる小奇麗な奴隷商人たちと黒服を着た屈強そうな大男たちがいた。

 少女奴隷たちは大男たちに服を剥かれ、暴れようともがく両手両足を痛むほどの強い力で押さえつけられる。猿轡を噛ませられて、奴隷少女は恐怖で緑色の目に涙をためて震えだす。

 すると、足先から肌が焼けるような暑さを感じた。顔を起こすと、大男の一人が灼熱の炉から赤々と光を放つ鉄の棒を取り出していた。奴隷少女は本能的にそれを拒絶した。

 狂うほどに泣き叫び、四肢に力を込める。だが、痛みが増しただけだった。

 鉄の棒の先にあるのは燃える刻印――奴隷への烙印だ。それを大男は奴隷少女のへその下に押し当てた。

「~~~~!?~~~!?」

 声にならない叫びをあげる奴隷少女から肉が焼ける匂いが広がる。

 たった数秒。だが少女は奴隷烙印を一生背負い続けることとなる。

 奴隷少女は気を失った。


 いろいろな音が混ざり合い少女の耳を刺す。

 起きろ! 頬に痛みが起き、熱を帯び始める。瞳を開くと、そこは市だった――人身売買の。

 無理やり立たされ、枷の鎖がジャラリと鳴る。階段を上ると視界が開ける。そして複数の視線に貫かれた。

「さあ、さあ、見てください! この奴隷の赤く燃えるような髪を」

 大仰に場を仕切りだすと、俯く奴隷少女の髪を引っ張り、衆目にさらけだす。

「弱っちく見えるが良く働くよ。趣味がおありなら妾にも!」

 衆人が、どっと笑いだす。なぜ笑っているのかは奴隷少女には分からなかった。

――分かりたくもなかった。

「さあ、買った、買った。七十万から!」

 競りが始まる。紳士然とした――だが、悪人面の男たちが挙手して値段を挙げていく。

「百二十、百三十、百三十五……どうしました、珍しい赤髪ですよ、はい百四十」

 後半になると紳士たちはお互いの顔を見合わせたり、耳打ちしたりと他の客の様子を探っているらしい。

 競りの声が上がらなくなると、奴隷商人が打ち切った。

「百五十万、そこの紳士が買取だ! では後のことは裏で。次行きますよ!」

 無言の黒服の大男に引きずられて鉄でできた無骨な馬車に放り込まれた。装飾も座るイスさえもなく床にうずくまると、冷たい床が奴隷少女の体温を奪っていく。

 どれくらいそうしていただろうか。外で馬車に繋がれていた馬が嘶きだし、馬車が音を上げて動き出した。

これから何処に連れていかれるのだろうか。奴隷の少女は不安に、だけど何処に連れていかれようが何も変わらないという諦観に苛まれていた。

 舗装されている道のときは揺れが小さかったが、揺れが大きくなり馬車が傾くこともあった。奴隷少女はそれに身体を転げさせた。ひどいときは打ち身で肌を赤くした。

 馬車が止まり、扉が開け放たれる。

「早く出てこい!」

 大男の声に奴隷少女は肩を震わせながら従う。出口から降りようとすると、大男は奴隷少女の首枷の引っ張り、逆らえなかった奴隷少女は地面に顔を打ち付けた。起き上がると、地面に赤い点が出来上がり、鼻をこすると手が血で染まった。大男は心配することも嘲笑うこともなく奴隷少女の鎖を引き、林道を進んだ。

 林道は砂利だらけで裸足の奴隷少女は痛みを何度も味わった――足裏の皮膚が切れているかもしれない。

 着いた先は大きな木造の建物だった。こんな山奥に建てているほどだ。

 よい想像は湧かなかった。

 建物じたいは丈夫そうな造りで立派だったが、なぜか不気味だった。

 静かすぎるためだ。

「やっと来たか」

 建物の中から男が出てきた。無精髭を生やした禿頭の厳つい男だ。禿頭男は奴隷少女をジロジロ見ると厭らしく嗤った。そこで大男とは別れた。

 建物の中に入ると、窓がなく中は闇だった。だが中が暗いわけではない。中には奴隷少女のように連れてこられた少女たちがたくさんいて一人一人の表情が窺えるほど建物内は明るい。少女たちの昏い表情がわかるほどに。

 少女たちは無言で何かを縫っている。

「てめぇは、ここに座れ。お国を守る軍人様たちの服が作れるんだ。有り難く働きな」

 席に座らせられると作業方法が記されている紙束と布、裁縫道具一式が机に置かれて禿頭男は去った。

 奴隷少女は紙を睨みながら横目に両隣の少女たちを見る。彼女たちは奴隷少女に話しかけずに、淡々と作業をこなしていく。奴隷少女もそんな彼女たちに話しかけようとも思わなかった。

三十分ほど紙束を睨み針に糸を通して縫っていく。手枷が邪魔で困難な作業だった。

「――ッ!?」

 人差し指に針が刺さり鋭い痛みが伝わる。だが、奴隷少女は痛みを声にしない。なぜなら痛いのは当たり前だからだ。

 針を抜くと指の腹から血が赤い玉となり出てくる。奴隷少女はそれを舐めとり、自らが生きていることを実感すると、涙を目端に溜めた。潤んで前が見えなくなった瞳をこすって作業を続けた。

 数時間後、建物の扉が開かれる。

「ガキども! 軍から配給された飯だ。有り難く食え!」

 酔っぱらい男たちが台車に木箱三個と真鍮の大鍋を運び入れ嗤いながら出ていった。扉を閉めると、先程まで黙って作業していた少女たちが我先にへと駆けだした。台車の木箱からパンを奪うかのように取り、大鍋から皿で直接豆のスープを掬う。それで済めばよかったが、少女たちはパンを奪い合い、スープの飛沫が飛び散る。奴隷少女はそれを呆然と見ていた。

「ご、飯」

 少女たちが食べ物を宝のように抱えて自分たちの席で食事を始める。奴隷少女は遅れて台車に近づくが、すでに木箱の中にはパンは無く、鍋にも豆が数個残るだけだった。奴隷少女は床に落ちていたパンの欠片を拾い、それで豆を掬い口に入れた。それが本日の夕食だった。

 夕食が終わり再び数時間作業をこなすと、入ってきた方とは別の扉が開かれる。

「今日の作業は終いだ。自分の部屋に戻れ」

 男の言葉に少女たちはぞろぞろと列をなして扉に消えていく。夕食のときとは違い、男たちがいる前では暴れるようなことはしないらしい。奴隷少女も彼女たちに付いていこうと思ったが、自分の部屋が分からなかった。

「あ、あの――」

「ああ?」

 男は不機嫌そうに答える。奴隷少女は肩を震わせながら訳を話す。すると男に付き添われて廊下を進み、ある扉の前に来る。扉を開くと中の様子が分かる。

 蝋燭に照らされた部屋の広さは二人部屋ほどで調度品は何もない。そこに居たのは九人の少女たちだった。少女たちは理由もわからない恐怖を感じたのか、身体を震わせながらこちらを見ている。

 奴隷少女は部屋に放り込まれ扉が閉じられると真の闇に覆われた。奴隷少女は動けずに、その場で蹲り夜を過ごした。

 ――そんな日々を少女は四年過ごした。


奴隷少女は齢十四になっていた。だが、十分な栄養が取れておらず、姿は十二ほど。顔は逆に老けて見えた。 

 その日も奴隷少女は他の少女と共に軍服を縫っていた。四年前とは違い、裁縫の腕が上がって数日で一着作れるまでになっていた。食事も彼女が年長者になったためか、あぶれることもなく毎食食べられていた。それでも身体は痩せ細っていたが。

「まただ」

 奴隷少女は独り言。

 奴隷少女が四年前に建物へ入ってきた時の扉――そこから奴隷少女と同じ年の少女が男に連れていかれる。今回が初めてではない。新しく少女が連れてこられると、代わりに年長者の少女が建物から消えていた。だから奴隷少女は十四で年長者になっていたのだ。

 外への扉は解放されるように思えたのか、連れ出される少女は嬉しそうに笑っていた。だけど奴隷少女はそれが不気味に思えて目を逸らした。

――そして連れ出された少女は戻ってこなかった。


 ある日、外への扉が開かれて男に連れられて少女が入ってきた。少女は首枷と手枷をされており、表情は昏かった。四年前の奴隷少女のようだった。新しい少女は空いた席に座らせられて作業を始めた。

 その夜、夕食後の作業が終わったときに男――ここに来て最初に会った禿頭男に呼ばれた。少女は男の嗤いに恐れを感じ、ワンピースに裁縫用の針を数本刺して隠した。

 首枷の鎖を引かれながら男に続いて扉を出ると、そこは四年ぶりの外の世界だった。だけど感慨など湧かない。月が分厚い雲に隠されて闇の森からは獣の呻きが聞こえる。そんな世界を喜ぶものなどいるのだろうか。

 数分歩くとランプで照らされた小屋が姿を現す。明かりが点いており、中が騒がしい。扉を開けると騒がしさは一層大きく聞こえる。どうやら部屋で宴でもしているらしい。その部屋には入らずに奥の扉にへと入る。

 照らされた中はベットがあるだけだった。奴隷少女はそこへ押し倒される。

「俺はお前が入った時から目をつけてたんだ。だけどそんな趣味はねえから育つまで待っていたんだ」

 行為には邪魔なのか禿頭男は奴隷少女の手枷を外し、胸をまさぐる。奴隷少女は嫌悪感も捨て、なすがままにされている。だが、禿頭男が服を剥こうとしたときに奴隷少女の心に生理的嫌悪が沸いた。

 四年前にはなかったことだ。

 下卑た笑みを浮かべる禿頭男に気づかれないように隠していた針を抜き、欲で瞳孔が開いた瞳に針を突きさした。

「グオオオォォォォッ!?!?」

 禿頭男は獣のように痛みに吼え、ベットから転げ落ちた。

 奴隷少女は跳ね起き、部屋から出ていく。騒がしい部屋の隣も駆け抜けて小屋の扉に体当たりして開く。

 外へ出て森へと駆ける。だが、森の前で立ち止まってしまった。

 夜闇に包まれた森は月明かりがないせいで一頭の巨大な怪物に見えたのだ。奴隷少女は慄き後ずさる。

「ガキが逃げたぞ!」

 小屋の方から騒ぎとともにランプの灯りが飛び出してくる。

 奴隷少女は躊躇うも、森へと駆けだした。

 裸足で駆けると小枝や石が彼女を傷つけていく。だが、今は気にしていられない。ただただ逃げ続けなければならない。捕まれば何をされるかわからない。

「!?――くッ」

 樹の根に小さい足が躓き、奴隷少女は倒れる。足音が遠くから聞こえ、暗い森を照らすランプが近づいてくる。奴隷少女は膝にできた擦り傷に顔をゆがませながらも駆ける。

 森は駆けても駆けても抜けない。だが小柄な奴隷少女は森の障害物のおかげでランプを徐々に突き放していた。

 そんなときだった。

「あれ?」

 奴隷少女は樹々のない場所に出た。どうやら森の中に奔る道に出たらしい。

「どっちに行けば――!?」

 左か右か迷っていると、森の方から破裂音が轟く、刹那に奴隷少女の左腕が熱を帯びる。

「ちッ、外したか」

 男たちは銃を持ち込んでいた。まともに当たれば死は避けられないだろう。

 奴隷少女は撃たれた左を避けて右へと駆けだす。

 駆けても駆けてもランプの灯りは追ってくる。傷ついた皮膚に夜風が痛みを運んでくる。

 暗い道は徐々に感覚を鈍らせて奴隷少女の心と身体を蝕んだ。


――もう、だめ。

 

 地面を削る音が奴隷少女の耳に届く。

 正面に目を凝らすと、闇の中からランプが近づいてきていた。

 終わった。男どもに回り込まれたのだ。

 奴隷少女は絶望に足を止めてしまった。森に再び入ればよかったのかもしれないが、逃げ切れる自信がなかった。男たちも背後から迫っているだろう。

 奴隷少女は瞳を閉じ、膝をついた。

 馬の嘶きが聞こえる。

「邪魔だぞ! 退かないか!?」

 男の声に奴隷少女は瞳を開く。目の前には馬の顔がランプで照らされていた。

「どうしたのかね?」

 御者の声に馬車から礼服の上にコートを着た紳士然とした男が出てきた。男は御者からランプを受け取ると、奴隷少女を照らして目を細める。

「君は奴隷だね。ここで何をしているのかね?」

 白髪交じりの紳士の瞳は深い黒色をしていた。その瞳から奴隷少女は優しさを感じ、彼の前に跪き、助けを求めた。

「お願いします。何でもします。ですから助けてください!」

 少女の懇願に顎に整えられた髭を撫でると、大声で笑った。

「ハッハッハ。なんか知らんが、良かろう。ちょうど奴隷が必要だったのでな」

 また奴隷として扱われる。だけど後ろから迫る男たちに捕まるよりましだと思った。

 紳士に勧められて馬車の中に入る。馬車に明かりはなく暗かったが、とても暖かった。

 二頭立ての馬車は動き出す。

「夜はまだ冷えるからね」

 紳士は自らのコートを奴隷少女に着せた。彼女はその温もりに涙を流す。しかし、すぐに涙は枯れる。馬車が止まったのだ。外で御者が誰かと話している。追ってきた男たちが馬車を見つけたのだ。

「旦那様、男たちが女の奴隷を探していると」

 恐怖で震える奴隷少女の肩を抱いて紳士は再び大声で笑う。

「奴隷など見たかね?」

「いいえ、一度も」

「ならばそう伝えてくれ」 

 紳士は不安げに見つめてくる奴隷少女の赤い髪を優しく撫でた。

 男たちは馬車の中を覗くような野暮はしなかったようで再び馬車が動き出した。

「明日の朝には着くはずだ。それまでゆっくり休みなさい」

 紳士の優しげな笑みに安心し、疲れが沸いて奴隷少女は瞳を閉じた。



 馬車の揺れが収まると、奴隷少女は目を覚ました。

 馬車の窓からは朝日が射しており、一緒に寝ていた紳士の顔を照らしている。

 扉がノックされる。

「旦那様、ご到着いたしました」

 紳士は声にゆっくりと瞼を上げる。

「そうか、では降りるとしよう」

 御者によって開けられた扉から降り、紳士は背を伸ばす。

「やはり馬車では身体が固まってしまっていけないな。……さあ、おいで」

 馬車に振り返った微笑む紳士に恐る恐る近づき顔を上げる。

 奴隷少女の瞳に映ったのは大きくて豪華な赤煉瓦の屋敷であった。エントランスに立つと、屋敷の扉が勝手に開く。それに奴隷少女は驚く――実は扉の脇に執事と女中が数人いたのだ。 

 前を向くと赤い絨毯が敷かれていて、その先にはジャケット姿で憮然とした顔の少年が立っていた。

「父上、隣の”モノ”は何ですか?」

 黒目黒髪の少年はみすぼらしい奴隷少女の姿に嫌悪の瞳を向ける。それだけで奴隷少女は射竦められてしまった。そんな彼女の肩を抱き、紳士は少年に笑いかける。

「息子よ、この子は今日からお前の奴隷だ。大事にしなさい」

 奴隷少女にウィンクすると、執事を連れて自らの部屋へと行ってしまった。

 残された奴隷少女は少年の顔を見れずに俯いたまま動けなくなってしまう。それに見かねた少年は奴隷少女の前に立ち、おとがいに触れて顔を上げさせる。

 顔を上げた奴隷少女は少年を恐れて目を逸らしてしまう。それが少年の癪に障ったらしい。

「おい、奴隷! 主人から目を背けるとは教育がなっていないぞ」

 少年の怒りのこもった黒い瞳に恐る恐る自らの瞳を合わせると奴隷少女は涙で潤ませた。

「なんだ、やればできるじゃないか。ほら泣くな。綺麗な緑の瞳が台無しだぞ」

 少年は苦笑交じりにだが満足そうに笑い、奴隷少女の髪を優しく撫でた。それだけで奴隷少女は涙があふれ出してしまった。ほんのちょっとの、しかも傲慢な態度のだが彼女はそれほどまでに優しさに飢えていたのだ。

 溢れる涙を拭い止めようとする奴隷少女の首に主人となった少年は鼻を這わせる。

「――!?」

 奴隷少女は肩を跳ね上げて身体を退かせる。恐怖ではないものに心臓の鼓動が高鳴る。その反応に少年主人は首を傾げる。

「どうした? 具合が悪いのか。……まあ、いい。風呂に入ってこい。臭うものに屋敷を歩かせるわけにはいかないからな。主人である俺の品格も疑われるし」

 少年主人は近くで控えていた女中たちに指示を出すと、女中たちは了承して奴隷少女を風呂場へ”連行”した。

 浴場へ連れてかれるとボロ服を脱がされ、女中三人がかりで頭、上半身、下半身をくまなく泡だらけにされて流し終わると湯船に放り込まれた。

 女中たちが去っていくと浴場はひどく静かだった。大人が十人ほど足を伸ばして入れるぐらい広い湯船は小さい身体の奴隷少女には不釣り合いであった。川で遊んだことがないので広さを利用して泳ごうという考えもわかず、何もせずに頭がくらくらするまで入ってしまった。

 フラフラの身体を風呂から何とかしてあげると、待っていましたというように女中たちが奴隷少女を捕まえて身体を拭っていく。下着を身に着けられ、彼女の身体の大きさに合わせられた女中服を着せられて最後に腰まで届く赤い髪を櫛で丁寧に梳かされると解放された。

 まるで台風に襲われたような時間を過ごすと、女中の一人に付き添われて二階へと上がる。女中が扉をノックすると中から返事が返ってくる。

 案内された部屋に入ると、そこは壁まで埋め尽くす本棚に囲まれたていて数えきれないほどの本が収められている。窓はないので小さな電球が部屋を照らしている。そんな中で少年主人が机に向かって何かを書いていた。

「そこで突っ立っていないで座ったらどうだ」

 少年主人は奴隷少女を一瞥することもなく書類を書き続ける。彼女は言われるがままに一人掛けのソファに座った

 それから四時間が経った。――扉がノックされる。

「ん? もう昼か。入っていいぞ」

 許可を得た女中は部屋に食事を運んでいく。少年主人は書類をどかして食事に口をつけようとした。

「……そこで何しているんだ?」

 少年主人の目線の先にはソファの上で黙って蹲っている奴隷少女がいた。

「座っています」

「何もせずに何時間もか?」

 奴隷少女は頷く。それに少年主人は呆れて息を吐く。

「ここは書斎で書類以外にもたくさん本があるんだ。それを読んでいればいいだろう?」

 奴隷少女は首を振る。

「文字が読めません」

 その言葉に少年主人は信じられないモノを見たような顔をした。

「奴隷、お前いくつだよ?」

「た、たぶん十四……です」

 少年主人は唖然とした後に、何かを考えるかのように腕を組む。

 考え込んでいる自身の主人を奴隷少女はジッと見ていた。この時の彼女は彼をどう思っていたのだろうか。奴隷の境遇を知らない不自由のない生活をしてきた少年主人を妬んでいたのだろうか? それとも――

「よし、決めた!」

 少年主人は立ち上がると奴隷少女に不敵に笑った。

「暇な時間に俺が教えてやるよ。奴隷の教育は主人の務めだからな」

 その日から午前は女中として屋敷の務めを果たし、午後は学校から帰ってきた少年主人に読み書きを教えてもらえるようになった。

 女中の仕事は初めてのことばかりで失敗だらけ。女中たちの仕事を増やしてしまったし、女中長には毎回ガミガミと叱られた。皿を割った時には小一時間、正座というものをさせられた。

 午後は午前に叱られた心情のまま少年主人の授業を受けると頭を本で叩かれて怒られる。だから気持ちを切り替えて、ひたすら勉学に励んだ。

 一日の大半は褒められるより、女中長と少年主人に怒られてばっかり。だが、誰も奴隷である彼女を口汚く罵倒したり、家畜のように鞭を打ったり、飯を抜くことはなかった。屋敷の人々は奴隷少女を家族のように見守り、育てたのだった。奴隷少女はそれだけで幸せを感じていた。そして屋敷の皆に恩を返そうと頑張り続けた。

 だが――

「行ってきます」

 屋敷の門の前で少年主人が父親である旦那様と母親である奥様、最後に女中長と握手をして別れを告げる。少年主人はコートの襟を立てて微笑む。

「泣くなよ奴隷。俺は他の奴らと違って後ろで帳簿を確認するだけなんだから」

「でも、ご長男であるあなた様が行く必要はないはずです!」

 赤髪の奴隷少女は少年主人のコートに縋り付き、涙を流す。少年主人は困ったように笑い、彼女の赤い髪を優しく手で梳く。

「今の国には戦地に物資を問題なく届けるための人材が必要なんだよ。俺は実業家の息子として国から選ばれたんだ。喜んで見送ってくれよ」

「でも、でも」

 少年主人のコートが奴隷少女の涙で濡れていく。

「坊ちゃま、荷物を載せ終わりました」

 後ろから執事に声を掛けられて少年主人は短く返事をする。そして奴隷少女を強く抱きしめた。最後の温もりを忘れないように。

「行ってくる。皆を頼む」

「私も……一緒に」

 少年主人は強く言い放つ。

「ダメだ! 女は連れていけない!」

「私は、あなたの奴隷です! 女でも、ましてや人でもありません!!」

「!?」

 奴隷少女の言葉に少年主人は目を見開いて押し黙り、逡巡する。

 そして――

「ならば、人として生きてくれ」

 放心してしまった奴隷少女を少年主人は突き放し、背を向けた。

 尻餅をついた奴隷少女は手を伸ばし、少年主人のコートを掴もうとするが空振りに終わる。

 少年主人は奴隷少女に振り返ることなく馬車に乗り込む。そして馬車は走り去ってしまった。これが彼と彼女の別れ。

 少年主人十八歳、奴隷少女十六歳のことだった。



――二年後、戦争終結。

 奴隷少女は主の消えた屋敷の庭を箒で掃いていた。

 敗戦した国は財閥のほとんどを解体されて財産の一部が没収、戦勝国への賠償金へと当てられた。この屋敷も明日には売りに出されることになっていた。住んでいた人々は別の屋敷へと移っている。

「お掃除は終わりましたか? 旦那様がお呼びです。私は先に行きますね」

「はい、ただいま」

 隣の庭から女中長が声をかける。

 そう。

 屋敷の人々は隣の屋敷に移っただけだった。

 新しい屋敷は前の半分ほどの敷地だが皆は普通に暮らしている。

 ならば、なぜ彼女が売られる庭の掃除をしているかというと、新しい主を迎えるためだった。

 奴隷少女は自分の首に未だある首枷に触れて、少年主人に想いを馳せた。

「帰って……来ませんでした」

 終戦後、奴隷少女は自分の主が帰ってくることを信じて旦那様に頼んで屋敷を売る最後の日まで待っていた。だが、彼からは連絡すら無かった。

「すいません。この屋敷の人ですか」

 奴隷少女が振り返ると柵の向こうの道路に男が立っていた。

 男はヨレヨレのコートを着込み、ハット帽は目深にかぶっていて表情が見えない。

 奴隷少女は男を警戒して箒を強く握りしめて声を出す。

「はい、どちら様でしょうか?」

「この屋敷に住む予定の者です」

 男はハット帽を脱ぐと奴隷少女に微笑んだ。

「あ、う、嘘」

 奴隷少女は男の顔を見ると心の底から湧き上がる嗚咽を両手で抑えた。だが溢れ出る涙は止まることはなかった。

 奴隷少女は箒を投げ捨て、門を体当たりせんばかりに開き、男の許に走った。

 息を切らし、呼吸を整えて男を見つめる。

「ああ、ご主人様!」

 奴隷少女は黒目黒髪の男――少年主人を力の限り抱きしめた。

 抱きしめられた少年主人。いや、今では青年となった主人は苦しげに微笑む。だが、昔のように彼女の赤い髪を優しく梳くことは忘れていない。

「お帰りなさい、ご主人様!」

 奴隷少女は子供のように青年主人の胸に頭をこすりつけて甘える。――そして気づく。

「ご主人様、これは!?」

 不安に押しつぶされそうになる奴隷少女の声に青年主人は快活そうに笑う。

「ハハハ、戦地でへマをしてな。取られちまった」

 青年主人は通すものがなくなった左袖を右手で振る。

「なんで、笑ってんですか!?」

 庭には主人と奴隷の声が響き渡った。


 その後、青年主人は両親と女中たちと再会して語らい、一夜を過ごした。

 翌日、青年主人は屋敷を買い取り、正式な主となった。戦争では負けたが彼自身は結構な額を稼いだらしい。さすが国にも認められた実業家の息子だ。

 屋敷が二つになってしまったので青年主人の両親の屋敷には女中たちがそのまま働き、彼の屋敷には奴隷少女だけが女中として働くことになった。明らかに偏っているが男の一人暮らしなので使わない数えきれない部屋はたまに掃除すればいいらしい。

 ある日、旦那様の屋敷に呼ばれた青年主人に話が持ち掛けられる。

「縁談ですか?」

 青年主人の言葉に旦那様は微笑みながら頷く。

「そうだ。お前も二十歳。立派な大人だ。結婚を考えてもよいだろう」

「写真も届いているのよ」

 奥方がウキウキと写真を青年主人に手渡す。

 青年主人は写真を一瞥すると微笑む。

「確かに美しく、聡明そうな方ですね」

 白黒の写真に写っているのはドレスで着飾った長髪の髪をまとめた少女だった。彼女は青年主人と同じく元財閥の娘で年齢は十八歳。つまりは政略結婚だ。戦後に力を保った青年主人と失った家で仲良くしようということだ。青年主人もそれが分かっていて仕方なく了承する。

「そうか、そうか。ならば明日にでも見合いをしよう」

「はあ!?」

 気の抜けた声を上げた青年主人を置き去りにして旦那様は相手の家へと馬車を奔らせた。


「どうなされたんですか?」

 肩を落としながら帰宅した青年主人に心配そうに声をかける奴隷少女。彼はそれに苦笑を返す。

「実は……見合いをすることになった」

「見合い? ご結婚なされるんですか!?」

 驚きに目を見開く奴隷少女。青年主人はソファに身体を預け、天井を仰ぐ。

「……」

「…………あの」

 両目を閉じきって黙り込んでしまった青年主人に声を掛けようと言葉を探すが上手い言葉が見つからない。目が泳ぎ、指を何度も組ませるが、落ち着かずに出た言葉は簡単なものだった。

「おめでとう、ございます」

 奴隷少女は笑った。それしか彼女にはできなかった。こころに何年もかけて溜まった想いを口にする勇気は彼女にはなかったのだ。

「お疲れですよね。今、お茶をお持ちします」

 奴隷少女は背を向けて部屋を出ていく。

 扉が閉じる音が聞こえると、青年主人はゆっくりと瞼を上げる。

「俺だけか――」

 

 翌日の昼、見合い相手を迎えるために青年主人の屋敷のエントランスで奴隷少女が待っていると、庭の道から馬車が一台向かってきて彼女の前で止まった。御者台から男が降りて足場を作り馬車の扉を開く。そこから少女が降りてきた。

 奴隷少女は彼女に目を奪われた。

 彼女と同じ年齢の少女は金糸のような短い髪に白磁器の肌、幼さが残る青く円らな瞳、紅をさした小さな唇。フリルの白い服は、まるでウェディングドレスのようだった。そんな彼女に微笑まれた奴隷少女は恥ずかしげに顔を伏せた。

「こんにちは、案内してくれませんか?」

「あ、はい――!?」

 奴隷少女が顔を上げると、相手の少女は”嗤っていた”。

「あなたが例の奴隷ですか。なんと汚らわしい」

 少女は奴隷少女の赤い髪を一房掴むと笑みを深める。

「異民族の赤い髪、頬の癒えない傷。フフフ、身体には穢れの烙印があるのではなくて?」

 恐怖に心身ともに固まってしまった奴隷少女の耳元でささやく。

「わたしに相応しくない」

 少女は自ら扉を開けて屋敷の中へ消えた。


 見合いでは相手の少女は明るく気さくに青年主人と談話していた。姿も所作も美しく青年主人と少しずつ距離を縮めていた。その日が終わっても次の日も、その次の日も屋敷に来ては陽が沈むまで青年主人と楽しげに過ごしていた。奴隷少女はそんな二人を部屋の隅で見つめることしかできなかった。正体不明の胸の痛みに耐えることしかできなかった。

 そして、青年主人と少女は結婚した。

「……ご主人様。ううん。今は旦那様」

 脱衣所で先日行われた式の光景が頭によぎる。

昔から街にある教会で出席したのはお互いの親族だけという小さなものだったが、それでも結婚式だ。静かで厳かだが華やかで美しかった。その主役である青年主人と少女――今では少女夫人は奴隷少女には、とても眩しかった。

「……」

 奴隷少女は服を脱ぎ、姿見に裸体をさらけだす。十八歳少女の裸だ。男が見たなら垂涎だろう。だが奴隷少女はそうならないと分かっている。

 奴隷少女は自らの身体を掻き抱きうずくまる。鞭で裂かれた背中を、たばこを押し当てられた腕を。そして、へその下で肌をひきつらせながら存在を誇示する奴隷の烙印を。


「あら、あなたまだ居たの?」

 女中の衣服を着直して時計を見ると三時になっていた。小腹を空かしているだろう主に紅茶とケーキを届けようと思い、給仕場の盆にのせて廊下を歩くと主の一人である少女夫人と会った。その第一声がこれだ。

「そろそろ新しい給仕を雇おうと思っているのよね。薄汚いネズミじゃなくて人間を」

 少女夫人はカールした金色の短髪を指で弄りながら笑う。

 奴隷少女は視線を逸らす。

「私は旦那様の――」

「奴隷だと?」

 奴隷少女は肩を跳ね上げた。それを見た少女夫人は笑みを深める。

「あなたとあの方の関係は主従なのよね? でも聞いたわよ。”奴隷は捨てたって”」

「捨てた……?」

 二年前、別れのときに青年主人に言われた言葉を思い出す。

『ならば、人として生きてくれ』

 あのとき、奴隷ならば喜ぶべき言葉を彼女は絶望に感じた。だが、青年主人が帰ってきたことで救われた気がしていた。前のように接してくれたことが嬉しくて毎日、信じもしない神様に感謝した。

――だけど、あの日から奴隷と呼ばれていない。私が普通の人になってしまったら、旦那様にとって私は。

「これは私が持っていきますわね。あなたは暇を与えられるまで頑張りなさい」

 少女夫人は盆を奪うと笑い声をあげながら去って行った。


 ある日、少女夫人は給仕場で紙袋を見つけた。中にある白い粉を取り出してそれを水に溶かし、銀の皿を濡らす。すると銀の皿が黒ずんでいく。

「フフフ。注文通りね」

 少女夫人は液体に触れないように皿を洗う。振り返ると奴隷少女が扉の前に立っていた。少女夫人が気づくと目線を逸らす。

「奥様、それは?」

「これ? ああ、あなたが受け取ってくれたのね。これは薬よ。わたし、ちょっと持病があるの」

紙袋を抱えて給仕場を出ていく少女夫人から意識を外すと、奴隷少女はテーブルの上にこぼれていた白い粉を見つめた。


その夜、書斎で仕事をしていた青年主人の許に食事が届けられた。

「なんだ、今日は君なのか?」

「はい、せっかくの新婚夫婦。あなたに私の料理を食べてもらいたいと思いまして」

 部屋にワゴンを運び入れ、少女の笑みで白磁の食器に料理を盛り付け、テーブルに並べる。

 そして最後に青年主人の頬に口づけする。

「温かいうちに召し上がってくださいね」

「ああ、ありがとう」

 一礼して部屋を出ると少女夫人は嗤った。

「これで死ねば彼の財産は私の物ね」

 腹の底から湧き上がる喜びを面から隠していた少女夫人が暗い廊下を歩いていくと蝋燭の灯りを認める。それが徐々に近づくと蝋燭に照らされて互いの顔が窺えるようになる。

「お休みですか、奥様?」

 暗がりの中、照らされる赤い髪とガラス玉のような瞳に少女夫人は恐怖を感じたが不敵に笑って見せた。

「ええ、これはあの方に?」

 奴隷少女が運んでいる盆には食事が載せられていて、それを少女夫人は顎で示す。

「はい、奥様」

「なら必要ないわ。私が届けたから」

「はい」

 素直に引き下がる奴隷少女に眉をひそめるも自らがネズミと蔑んでいる彼女と関わりたくはなかったので問いたださずに自室へと向かった。


 翌朝、少女夫人は引きつった笑みのまま食堂で朝食を摂っていた――青年主人と。

「身体のお加減はどうですか?」

「ん? 別に問題ないが、どうした?」

「いえ、昨夜の料理が身体に合わなかったらと」

怪訝そうな表情だった青年主人は思い出したように口を開く。

「そういえば、少ししょっぱかったな。塩の入れ過ぎかもな」

 愉快そうに笑い、気にするなと励ます青年主人に恥ずかしげに微笑みながらも視線は彼の後ろで控えている奴隷少女に注がれていた。少女夫人には確信めいたものがあったのだ。毒殺を妨害したのは彼女であると。

――何をしたの、あの女!?

 少女夫人の視線に気づいた奴隷少女は口元に深く笑みを刻んだ。


「お呼びでしょうか、奥様?」

 昼頃に自らの主人に呼び出されて奴隷少女は少女夫人の自室へと来ていた。同室である青年主人は仕事で今は屋敷に居なかった。それを見計らったような呼び出しに警戒を表情から滲ませる。

「あなたね、すり替えたのは?」

 奴隷少女の足元に紙袋が投げ捨てられる。中からは白い粉がこぼれた。

 その白粉を一瞥すると奴隷少女は冷たく睨んだ。

「また薬ですか? 腹黒いですね。今度は小麦粉に変えましょうか?」

 こちらを睥睨する自らの所有物に少女夫人は頬を引き攣らせる。そして逡巡していたことを結論させる。

――この女を殺さなくては。

 本来は毒薬を用いて病死に診せる。もし、殺人事件としてあげられたとしても奴隷少女に罪を負わせて家を乗っ取るはずであった。だが、理由は解らないが考えが看破されていた。このことを夫である青年主人にバラされてしまっては自らの身が危ういと考えた少女夫人は先程、給仕場から包丁を盗んでいた。

「何か御用ですか?」

「ええ、死になさい!」

 笑みを深めた少女夫人は奴隷少女に体当たりする。

「!? くッ!」

 突然のことで警戒していたにもかかわらず、体当たりを避けることができずに押し倒されて馬乗りになられてしまう。そして少女夫人が逆手で包丁を掲げる。そして奴隷少女の首を刺した。

「チッ!?」

 だが奴隷少女の首には頑丈な枷が嵌められている。包丁なんて通さない。少女夫人は今度は恐怖で激しく上下する胸を狙う。

 凍り付いた奴隷少女は四年前に男に犯されそうになった記憶がよみがえり、そして当時と同じように女中服に忍ばせていた縫い針で少女夫人の右眼を貫いた。

「うがああああッ!!」

 少女とは思えない断末魔をあげる。

 少女夫人が怯んだところに張り手を喰らわせて馬乗りから抜け出す。そこで振り返ると少女夫人が左目を恐怖で染めて腰の抜けた身体をずるずると退いて壁に背をつけた。

 冷笑を浮かべた奴隷少女は、そのまま少女夫人を放置することにした。

 扉のノブに手をかける。

「待ちなさいよ、化け物!」

 背後からの荒げた声に奴隷少女は振り返る。そして――

「馬鹿ね。自分を殺そうとしている相手に背中を向けるなんて」

 くつくつと笑う少女夫人は奴隷少女の身体から離れる。その手には血に染まった包丁。

 急に腹が熱くなった奴隷少女は痛みに顔をしかめながら両手で刺された場所を必死に押さえて出血を止めようとする。だが、彼女の血は彼女の意思に反して女中服の白いエプロンを彼女の両手を赤く染め上げる。

「……」

 そして自らの身体が冷えていくのを感じると奴隷少女は膝から崩れ落ち、うつぶせに倒れてしまった。

 その様子を見ていた少女夫人は奴隷少女の腹を蹴り、仰向けにさせる。

 奴隷少女の緑の瞳はすでに濁り始めて少女夫人のことは映していない。呼吸も辛そうに、しかし空気を取り込もうとする意志が弱まっていた。

 少女夫人は奴隷少女に死が迫っているのに自らを急かすように彼女の横に跪き、包丁を掲げた。とどめを刺すために。しかし、少し考えてやめた。

「あらあら、私としたことが。これでは過剰防衛ですね」

 少女夫人は包丁を放り捨てると、奴隷少女に顔を寄せる。

「汚れたネズミの分際で主人に恋慕するからよ」

 少女夫人の言葉に奴隷少女の瞳に一瞬だけ光が戻る。

――ああ、私は旦那様に想いを伝えられずに死んじゃうのか。

 でも、

 それで良いと思った。彼を想いつづけて死ねるなら。

 最後に見たのは少女夫人の悪魔のような笑みだった。


 十数分後、帰宅した青年主人により気絶した少女夫人と死亡した奴隷少女が発見される。少女夫人は病院へと搬送され、意識を取り戻した後に警察に聴取された。

 内容は襲ってきた女中と揉み合ううちに刺してしまったということ。青年主人は奴隷少女を信じて警察に詰め寄ったが彼らは少女夫人の言葉を信じて、たいした捜査を行わなかった。

 数日後、無念に思った青年主人と隣の家に住んでいる彼の両親と召使たちだけの小さな葬式が行われて奴隷少女は墓石の下に眠った。

 この事件により、青年主人と少女夫人は不仲になる。

 屋敷にいることに耐えられなくなった青年主人は隣町に仕事場を設けて、そこで寝食をするようになった。

 居を変えて二週間後、青年主人は強盗に襲われて亡くなった。

 天国で青年主人と奴隷少女は会えただろうか。

 来世で二人が幸せになれることを祈るばかりである。



《奴隷と主人》 THE END















 少年は読み終わった本を置くと、不機嫌そうに鼻を鳴らす。どうやら話の結末が気に入らなかったらしい。

 メモ帳を取り出すと何かを書き殴り、本のあるページへと挿んで本棚へと戻した。そこでもう一度鼻を鳴らすと図書室を出ていった。

 少年と入れ違うように少女二人が図書室へとやってきた。

「おすすめの本って、どんなお話なの?」

「奴隷と主人の悲しい話なのさ」

「ほんと、マニアックなのが好きだよね」

 二人で談笑しながら本棚を回ると、目当ての物を見つける。

「また、違う区分にあったよ。うちの図書委員は仕事しろっつうの」

 この場に居ない人に小言と苦笑を交えさせながらも二人そろって席に着く。

「わあ、少女夫人の性格の悪さすごいね」

「この時代は不安定だからね。こういうこともあるのだよ」

ふたりで読み進めていくと……あるページでめくる手が止まる。

「「なんだこれ?」」

 二人が首を傾げてつまんだのは一枚のメモだった。筆跡は汚いが『危ない!』と読める。

 何が? と突っ込みたいが誰かがメモをしおり代わりにして忘れてしまっただけだろうと推測して気にせずに戻した。

「続き、読もうか?」

「そうだね」

 二人は物語に意識を戻した。

 

「お呼びでしょうか、奥様?」

 昼頃に自らの主人に呼び出されて奴隷少女は少女夫人の自室へと来ていた。同室である青年主人は仕事で今は屋敷に居なかった。それを見計らったような呼び出しに警戒を表情から滲ませる。

「あなたね、すり替えたのは?」

 奴隷少女の足元に紙袋が投げ捨てられる。中からは白い粉がこぼれた。

 その白粉を一瞥すると奴隷少女は冷たく睨んだ。

「また薬ですか? 腹黒いですね。今度は小麦粉に変えましょうか?」

 こちらを睥睨する自らの所有物に少女夫人は頬を引き攣らせる。そして逡巡していたことを結論させる。

――この女を殺さなくては。

 本来は毒薬を用いて病死に診せる。もし、殺人事件としてあげられたとしても奴隷少女に罪を負わせて家を乗っ取るはずであった。だが、理由は解らないが考えが看破されていた。このことを夫である青年主人にバラされてしまっては自らの身が危ういと考えた少女夫人は先程、給仕場から包丁を盗んでいた。

「何か御用ですか?」

「ええ、死になさい!」

 笑みを深めた少女夫人は奴隷少女に体当たりする。

「!? くッ!」

 突然のことで警戒していたにもかかわらず、体当たりを避けることができずに押し倒されて馬乗りになられてしまう。そして少女夫人が逆手で包丁を掲げる。そして奴隷少女の首を刺した。

「チッ!?」

 だが奴隷少女の首には頑丈な枷が嵌められている。包丁なんて通さない。少女夫人は今度は恐怖で激しく上下する胸を狙う。

 凍り付いた奴隷少女は四年前に男に犯されそうになった記憶がよみがえり、そして当時と同じように女中服に忍ばせていた縫い針で少女夫人の右眼を貫いた。

「うがああああッ!!」

 少女とは思えない断末魔をあげる。

 少女夫人が怯んだところに張り手を喰らわせて馬乗りから抜け出す。そこで振り返ると少女夫人が左目を恐怖で染めて腰の抜けた身体をずるずると退いて壁に背をつけた。

 冷笑を浮かべた奴隷少女は、そのまま少女夫人を放置することにした。扉のノブに手をかけ――

『危ない!』

 奴隷少女の頭に声が響く。

 今のは何だろう。

 幻聴の正体を考えようとした矢先に背中がゾクリとした。

「!?」

 反射的に横に飛び退くと、彼女が居た空間が包丁で貫かれた。

「チッ! 避けられた」

 勢いのあまりに扉に激突した少女夫人は立ち上がり、獣のような形相で襲い掛かってきた。

 ドレスであるのに機敏に動く少女夫人の刃を避けきれずに腕を切り裂かれてしまう。しかし、扉まで走り、廊下へと逃げ出す。

「待ちなさいよ、化け物!」

 後ろから獣となった少女夫人が吼え、追いかけてくる。

 奴隷少女は振り返らずに走り続けて階段にたどり着く。

――逃げないと。

 階段を駆け下りる。

「!?」

 中程で足をひねってしまう。

 奴隷少女の身体はゴロゴロと階段を転がり、一階についたときには全身を打撲してしまう。

「に、げない、と」

 身体中に奔る激痛にこらえながら這って玄関へ進もうと手を伸ばす。

「あらあら、ネズミが伸びていますね」

 階段に辿り着いた少女夫人が奴隷少女を見下ろして、嗤う。

「ちょこまかと逃げて、私の目を貫いて……ゆるさない!」

 右眼から血の涙を流す少女夫人が一歩、また一歩と呪詛めいた言葉を吐きながら階段を下る。そして奴隷少女の許に辿り着くと呻く彼女の脇腹を蹴りあげて仰向けにする。

「これで終わりよ」

 跪き、包丁を掲げた。それを奴隷少女はひどく暗い瞳で見つめた。

「汚れたネズミの分際で主人に恋慕するからよ」

 少女夫人の言葉に奴隷少女の瞳に一瞬だけ光が戻る。

――ああ、私は旦那様に想いを伝えられずに死んじゃうのか。でも、

 それで良いと思った。彼を想いつづけて死ねるなら。

 最後に見たのは少女夫人の悪魔のような笑みだっ――

「?……!?」

 外から聞こえる馬蹄の音に少女夫人は凍りついた。

 馬蹄が止むと玄関の扉が開かれる。

「帰った……ぞ?」

 青年主人が見たのは右頬を血で赤く染めてこちらをギョッとした左目で見てくる少女夫人と彼女に跨れて涙を流しながら微笑む奴隷少女であった。


 その後どうなったかというと奴隷少女が与えたケガの治療費と離婚を条件に殺人未遂の不問を提示すると、少女夫人は愚痴りながらも条件を飲み、『もう一生来るもんですか!!』と眼帯姿のまま悪人のように捨て台詞を吐いて実家へと帰って行った。

 縁談を勧めてくれた両親たちには申し訳なく、事情を話して謝罪をすると彼らは何故かニヤニヤと笑っていた。その理由を青年主人と奴隷少女は気づかなかった。

 翌日、青年主人の屋敷に女中長が訪ねてきた。用を尋ねると奴隷少女と二人きりで話がしたいということだったので奴隷少女は自らがあてがわれた部屋へと案内して茶請けを用意すると小さな円卓についた。

「自らが仕える主人に恋していますね?」

 女中長の言葉に奴隷少女はびくりと肩を跳ね上げる。そのあからさまな反応に女中長は深く嘆息した。

「気づかれていないとでも思っていたのですか?」

 再び深く嘆息する。

「申し訳ありません」

 頭を深く下げて自らの罪に詫びを入れる。

 彼女の行動に三度の嘆息。それを取り戻すように深く時間をかけて息を吸うと頭を下げ続ける愛らしい部下に問いかける。

「あなたは、あの方と恋仲に。ひいては妻として傍に居たいと願うのですか?」

「両親の正体が不明で卑しい身分出身の私には願うことなど」

 この国では親のいない人では結婚は難しい。相手が名家ならば恋を実らせることすら不可能と言っても過言ではない。

「はあああああああああ~」

 四度の嘆息。

「ストレートに訊きます。好きなんですよね?」

 奴隷少女はひどく躊躇ったが答えた。

「……はい、私は旦那様を心よりお慕いしております」

 奴隷少女の瞳は辛そうに潤んでいるが真直ぐで表情は柔らかかった。

 部下の気持ちを知ると瞼を閉じて、満足そうに微笑む。それを不思議そうに見つめてくる奴隷少女に気づくと一つ咳払いをする。

「だ、そうですよ。旦那様?」

「バ、バレていたか」

 苦笑して部屋に入ってきたのは今まさに話題に上がっていた青年主人だった。

「だ、だ、旦那様!?」

 驚きで慌てふためく奴隷少女を女中長が一喝する。

「まったく、両想いなのに。お互い諦める心はあるのに、告白する覚悟がないとは」

 五度の嘆息。

 ……え?

 奴隷少女は青年主人を見つめる。すると、視線が合った青年主人は頬を赤らめて目を逸らす。

 お互いに恥ずかしげに俯く奴隷と主人。その間に割って入るように女中長が一つ咳払いをする。

「これで結婚できますね」

 微笑みながら女中長が取り出したのは彼女と奴隷少女の養子縁組を許可する一枚の紙だった。


 後日、青年主人の両親に許しも得て二人は結婚した。裕福な身分の主人と奴隷として生きてきた女中の結婚は街に、そして国にまで衝撃を与えた。このことがきっかけで人々の自由と平等への思いが強くなり、民主主義国家の先駆けとなった。

 それを起こした二人はというと彼らには大きすぎる屋敷を改築して国一番の学校の校長と主任教師として暮らしたのだった。



《奴隷と主人》 THE HAPPYEND




「……終わったね」

「う、うん。う~~ん?」

「どうしたの?」

「いや、なんか。ハッピーエンドだったな~と」

「そういえば、そうだね。ちょっと悲恋ぽかったけど。最後は結婚したし」

 二人は少し悩んでいたが机から立ち上がり、笑い合う。

「読書感想文、これ借りるね」

「うん。もともと、これを勧めたくて来たんだから」

 二人は本を借りると図書室を後にした。

 数分後、先程少女たちより前に来ていた少年が図書室に戻ってきた。

「さて、そろそろ話が変わったかな」

 少年は本棚の前に立つ。

「……本がない」



《奴隷と主人》 THE TRUEEND



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