覚醒の予兆
アイラと氷雨は同時に拳を繰り出し、拳同士がぶつかった反動でお互いが吹き飛ばされる。 しかしそれを何事もなかったかのようにアイラが急激に距離を詰めると攻撃を仕掛けた。 小柄な体躯を活かした懐に潜り込んで急所である鳩尾に拳を捩じ込ませる。 しかしアイラが気付いた時には目の前にいたはずの氷雨の姿は氷塊に変わっていた。
「!?」
繰り出した拳は止まらない。 勢い良く氷塊を破壊すると即座にその場から離散する。 砕けた氷塊の破片全てがアイラに向かってきたからだ。 アイラも全力で逃げるがそれを追尾してくる氷の破片。 しばらくの間逃げ回っていたが諦めたのかアイラは意を決したように追尾してくる氷の破片を回し蹴りのひと薙ぎで全て粉砕した。
「周りが疎かよ」
氷雨の声が聞こえた瞬間、アイラの中の全神経が警鐘を鳴らす。この場所から一刻も離れたかったアイラだが氷雨がそうさせなかった。アイラの時空間に干渉し身動きを封じたからだ。
「"合成魔法・氷炎乱舞"」
氷雨が滞空しながら鋭利な先端が炎に包まれた五メートル程もある巨大な氷塊を現出させる。 そしてそれを身動きの取れないアイラに向けて超速で放つ。 途端に轟音と共に地面が爆ぜ、周囲が炎に包まれ熱気が襲う。
合成魔法を放った氷雨は未だ形を保っている巨大な氷塊を一瞥していた。
「もうちょっとやるかと思ったけど、その程度かしら?」
わざと聞こえるようにアイラを煽る氷雨。 これに応えなければそれまでの存在だという氷雨なりのアイラに対するメッセージの一つだった。
(さぁ、もっと可能性を引き出しなさい。 あんたはまだまだそんなもんじゃないはず!)
確信を持ったかのような氷雨の思考に呼応するかのように氷塊に亀裂が走り、音を立てて砕け散ると同時に紅いオーラが氷雨の視界を捉えた。 そして無傷のアイラが姿を現わす。 フードは外れており、あどけない表情が晒される。 視線は一直線に氷雨に向いており真剣そのものだった。
「続き……始めましょう氷雨さん。 氷雨さん程の実力者なら殺す気で行っても問題ありませんよね? 殺す気で行きます」
アイラの挑戦的な発言に氷雨は嗜虐を垣間見せる好戦的な笑みを抑えきれなかった。 全身に走る武者震いを感じながら嬉々とした表情でアイラの発言に応じた。
「殺す気? 上等じゃない。 生への喜びを……瞬間瞬間に感じる生の実感を噛み締めながら私を楽しませなさい!」
その言葉を皮切りにアイラは視認を許さない速度で氷雨に接近し、顔面目掛けて拳を放つが氷雨はそれを間一髪で頭を逸らして躱し、カウンターを合わした。 アイラに直撃するかと思いきやアイラの纏っている闘気に阻まれ不発に終わる。 次の瞬間には顔面への蹴り。 これも氷雨は躱し、無数の氷弾を生成しアイラに放つがそれら全てを躱してみせるアイラ。 反応速度と戦闘速度だけを見れば氷雨とほぼ同等とみて良かった。
(シルヴィアが手こずったのも分かるわね。 体術と反応速度は既に人の域を超えてる。前にやり合った時よりも確実に強くなってるけど、この力もやっぱり表層的なものに過ぎない)
氷雨は戦闘を楽しみながらもアイラの実力を冷静に分析していた。 そしてアイラの持つ潜在能力にも気が付いていた。 殴打の応酬を繰り広げながら可能性を模索する。 そして一撃がアイラの顔面を穿つと続けざまに猛撃を浴びせていく。
「ぐぅっ……!! うあああああ!!」
しかし鼻血を吐き出しながらも負けじとアイラもさらに速度を上げて氷雨に肉薄する。 氷雨も躱し切れないのか何発か貰い、多少顔を歪める。 反撃に転じようと思考した刹那、隙を生んだのかアイラの拳が氷雨の顔面をまともに捉え、吹き飛ばされていく。 地面を何回か転がりながらも態勢を立て直し衝撃を逃していく氷雨。 その表情は多少の苦痛が感じ取れた。 しかしすぐさま嗜虐的な笑みを浮かべると即座に立ち上がり左腕を天に掲げた。
「合格よアイラ……。 体術は申し分無いわ。 さて、『次のステージ』に行きましょうか!! "氷結世界" "過負荷"」
魔法陣が展開され、次の瞬間には氷の世界に支配される。 氷雨に追撃を迫るアイラだが一歩遅かった。 見えざる力に吹き飛ばされ、アイラは受け身も取れずに地面を転げ回る。
「アイラ、あんたの体術は確かに脅威よ。けど、こういう能力持ちに対しては無力に等しい。 こう言った能力持ちに対しての有効策を引っ提げないと厳しいわ。 少し大人しくしてて貰うわよ」
氷雨が指を鳴らすとアイラの視覚と聴覚以外の感覚が全て消え去り、地面にうつ伏せの状態を強いられた。 そして目の前に氷雨が見下ろす形でアイラの前に立つ。
「私の過負荷は全ての事象と概念にマイナスの効果を付与出来る。 今はあんたの感覚に干渉して感覚を奪った。 つまり、私の匙加減でどうとでもなるって訳よ。 あんたの自由を奪って不自由を与える事も出来る。 もちろんアイラだけじゃないわ。 アイラ、あんたの弱点は敵の有利に働く能力に対して全くの無力だという事」
淡々と告げられる事実。 しかし視覚と聴覚以外を失っている今のアイラに取れるリアクションは無かった。 氷雨は嘆息を吐くと指を鳴らす。 すると少しずつだがアイラに感覚が戻ってきた。
「さて、いい加減分かったかしら? 今この状態じゃあんたは何よりも劣った存在よ。 タツヒコの時間停止すら破れない。 けどこの状態を覆せるだけの潜在能力があんたには存在する。 今からその片鱗を私に見せなさい。 さも無いと、私はあんたを殺すわ」
溢れ出る氷雨の殺気。 そして本気で殺しに来る氷雨は今までとは明らかに違った。 戦闘の一切を楽しまず、淡々とどこかつまらなさそうに力を振るう氷雨。 自分に有利に働くように概念や事象を操作し、あらゆる不利をアイラに押し付ける。 否、どのような行動を取っても不利にしかならないように操作した。
(この絶望的状況を覆してみせなさいアイラ)
氷雨は一縷の望みに賭けながらアイラを一瞥する。 アイラに襲い掛かるは今までと比べ物にならない絶望だった。 力の一切を封じられ、身動きも取れず頭上から迫る巨大な岩石。 五感全てを奪われたアイラに無情にも岩石は直撃し、岩石は粉々に砕け散った。
途端に戻るアイラの五感。
「がはっ!!」
全身から流血し喀血するアイラ。 さらにいきなり感覚が戻った事による混乱で事態を上手く整理できないでいた。
「まだこれからよ? 昼寝タイムには早過ぎるわ」
そこに氷雨の強烈な蹴りがアイラの鳩尾にクリーンヒット。 後方に吹き飛ばされ、さらに勢いそのままに側頭部を足で地面に叩きつけられる。
「うぎっ!! がああああ!!」
アイラの絶叫が響き渡るが氷雨の表情は眉一つ動かなかった。 氷雨から零れ出たのは落胆だった。
「もう打つ手無しかしら? 正直もっと楽しめるかと思ってたんだけど、どうやらここまでのようね」
冷酷な言葉と共に氷雨の殺意をアイラは明確に感じ取った。その瞬間アイラに初めて死の恐怖が襲いかかった。
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!! まだ、まだ死にたくない! )
そうした未知なる恐怖はアイラを大きく突き動かした。 氷雨の押さえ付けている足首を全力で殴りつけ、その状態から無理矢理脱出すると氷雨から距離を取る。 拘束を解かれたというのに氷雨は微かに冷笑を浮かべると呆れたように肩を竦めた。
「人間ってのは弱いわね。 死の恐怖に怯え、生に貪欲になる。 それで初めて生の実感を知る。 しかしそれも時が経つと忘れ去る。 それの繰り返しね。 さてアイラ……あんたはどうかしら?」
氷雨の試すような口調、何かを期待するような感情が見え隠れしていた。 アイラは氷雨の言葉を重く受け止めていた。 そして、氷雨の言葉を自身に当てはめていった。
(そうだ……私は弱い。 初めて感じる死の恐怖と生の実感。 私は生きる事に貪欲だったんだと気付かされた。 なら……何よりも誰よりも貪欲でありたい! 生き残る為に、抗う為に貪欲でありたい! )
その考えに至った瞬間、アイラの中で何かが弾けた。 そしてアイラを起点とした爆発的な光が周囲を満たし、轟音を響かせ粉塵が舞う。
「氷雨さん……気付かせてくれてありがとうございます。 私は私の弱さを認めましょう。 そして、私は誰よりも何よりも貪欲でありたいという自身の貪欲さにも気付きました」
粉塵の中から聞こえるアイラの声音はどこか達観したものがあった。 そして、ゆっくりとアイラがその姿を現した。
「だから私はその貪欲さ故に全てを欲しましょう。 皆を守りたい、敵に勝ちたい、力を得たい……私は何よりも誰よりも貪欲だから!!」
アイラの両手には二つの太刀が握られていた。 右手には穢れ一つ無い純白の柄で構成された太刀。 左手には純白の太刀と対の黒を基調とした柄で構成された太刀。 その二刀が醸し出す存在感は別格のそれだった。
(ようやく顕現したわね。 さて、これでもまだ一部。 まぁ一部だとしても私の目的はこれで達成されたけど、アイラが納得しないでしょうね。 あそこまで追い詰められて力が覚醒してはい終わり……なんてのは本人からしたら腹わたが煮えくり返る思いね)
氷雨はアイラの持っている二刀の太刀に目が行く。 今の氷雨から見ても危険と判る充分な武器。 氷雨は太刀から目を離すとアイラの瞳を見た。 アイラの瞳からは強い意志が感じられた。 それを確認すると目を瞑り、息を吐く。
「来なさいアイラ……。 それで私を倒してみせなさい。 何よりも貪欲であると自覚したあんたなら私程の強者をみすみす放っておける筈も無いでしょう?」
「ええ、そうですね。 だからあなたを倒します。氷雨さん」
「っ!?」
判断が遅れた……そう思った時にはもう遅かった。 氷雨の腹部が抉られたと錯覚する程の激痛と出血。 全ての事象と概念を氷雨の有利に働くように操作しているのにも関わらず、だ。 これは予想外の出来事だったのかさしもの氷雨も多少の動揺が走る。
(ちっ、嘘でしょう!? 今の私が認識出来ないなんて……)
氷雨の動揺を他所に刺突攻撃を繰り出して行くアイラ。 それらを寸前の所で躱していく氷雨。 先程のアイラとはまるで違う、これまでに無い攻撃と気迫が氷雨を痛い程刺激していた。
「氷雨さん、私の『天下五剣』の内の二振りを初見でここまで捌くなんて……」
「っ、あんたも初めて使う武器でここまでやれるなんて充分化け物よ!」
氷雨も武器を顕現して応戦し能力もフルに使う。 が、今のアイラに対して有効打を与えられずにいた。
(この二振りの能力が分からない。 私の直感で感じたこのアイラの能力は……っ!?)
思考に割って入るように氷雨の肌を肉薄するアイラの鋭い突き。 アイラは動揺を隠せずにいる氷雨を観察するかのように攻撃の手を一旦止める。
「私の能力が分からないでしょう? ヒントは私の先程の発言にありますよ」
「……っ!! 舐めるんじゃないわよ!! その余裕ぶっこいた態度、死ぬ程後悔させてあげるわ!! "拒絶世界・煉獄"」
氷雨が展開するは氷雨の最大にして最強の技、拒絶世界。 世界が強制的に塗り替えられ、万物を拒絶する炎が天地を覆い尽くす。
氷雨の望む事象以外が全て概念ごと消滅し、氷雨の認めた者以外根本から消滅する力の奔流がアイラを認識する。
今回氷雨が拒絶したのはアイラの太刀の能力の拒絶と太刀そのものの存在の拒絶。しかし、その拒絶の力を受けてもアイラの太刀は消滅しなかった。
「〜〜〜〜っっ!! その力、どこまで規格外なのよ!」
「……貪欲だと言ったはずです。 氷雨さんのおかげでこの力に目覚める事が出来ました。
私は私の力で氷雨さんを倒す!!」
アイラの二振りの太刀が拒絶の炎で守られた氷雨を穿つ。 が、氷雨の炎の方が質が上なのか炎に遮られてしまう。
「まさか、あんたにここまで力を使わせられるとはね。 正直驚いたわ。 だけど私が勝つ! 」
因果律を拒絶した先制必中の攻撃を放つ氷雨。
「がっ!!」
これは防げなかったのか、アイラの身体から血が噴き出す。それと同時に炎がアイラの身体に燃え移り、全身を激痛が支配する。
「うあああああああ!!! ぐうううううっ!!」
のたうち回り、炎という炎に包まれていく。
さらに氷雨は世界操作を行使し、無限の世界を創造しさらに可能性を分散させていく。
そしてそれら全てを手のひら程まで圧縮し、握り潰す。 未だのたうち回っているアイラの顔面を的確に殴り付けると同時にあらゆる可能性をアイラに叩き付ける。
「あっ……」
その言葉を最後にアイラは意識を失った。
「……」
念には念をと氷雨は数発の蹴りを叩き込む。 そして完全に意識を失ったと確認したら拒絶世界を解いた。
「こんなに手こずったのは初めてよ。 予想以上の潜在能力だったわね……こいつ」
気を失ったアイラをお姫様抱っこで抱えると傷だらけのアイラに回復魔法を掛けてやり、そっと地面に置いた。 長い激闘の疲れを癒すかのように息を吐くと伸びをする氷雨。
「氷雨……アイラちゃんはどうだった?」
「ん? ああシルヴィア。 そりゃバケモンよ。 あれはかなり強くなるわよ……あんたも抜かされないように気を付けなさい」
声を掛けてきたシルヴィアの肩に手を置くとメイルとブラストの側に行く。
「疲れたから何か出しなさい。 フカフカのソファーと冷たい水をお願いするわ」
とジト目で訴えるとメイルが引き笑いを浮かべながら指を鳴らすと氷雨の所望するフカフカのソファーと冷たい水が出現した。 それらを目にした氷雨は早速ソファーに座って水を豪快にラッパ飲みをし喉を鳴らす。
「っあぁぁぁ〜!! やっぱこれよね〜。 生き返ったわ!」
水を全部飲み干した氷雨が開口一番に叫ぶ。 それを見たシルヴィア達は苦笑いを浮かべる事以外出来なかった。




