それぞれの想い
雲ひとつない快晴。 気候も過ごしやすく初夏の訪れを感じる季節となってきた。そんな中、サイレンが鳴るのを耳にした氷雨は魔物退治に勤しんでいた。
下半身が黒い表皮、上半身が赤い表皮に覆われ腕が異様に長い人ならざる魔物。 赤目が不気味に光り、ただの人間なら一振りで絶命するであろう一撃を氷雨に繰り出した。
「ちっ……しつこいわね。 うじゃうじゃとキリがない」
氷雨はその一撃を軽く躱した後、その腕を斬りとばす。 魔物の群れに囲まれながらも奮闘する。 幸い、魔物の動きが鈍重な為氷雨には掠りもしないが如何せん数が多かった。
その時、後方で爆発音が鳴り響いた。 氷雨は堪らず後ろに振り返り、その爆発を起こした張本人を目撃する。 それは氷雨ですら予想だにしなかった人物だった。 赤髪のポニーテールの少女、灯だった。
「橘……灯!? な……何やってんのよ!! 一般人が核シェルターから出て……」
目を丸くしながらも何故一般人である橘 灯がここに居るのか状況が追い付かない氷雨だったがとにかく灯を離れさせようと速度を上げた。
灯は灯で可愛らしく舌を出しながら氷雨に笑いかけた。
「お兄ちゃんには内緒ですよ? 私はこの世界で唯一の魔法使いなんです。 だから私も戦えます!」
そう言って灯は手のひらから膨大な光の奔流を繰り出すと瞬く間に光に飲まれた魔物が消滅していった。 それを見た氷雨は唖然とし、言葉が出なかったが魔物はきちんと処理をする。
「何で、あんたが魔法を……」
「ふふふ、私にも良く分かりませんが、使えたんです」
やはり舌を出しながら微笑みかける灯に氷雨は困惑気味に眉を顰めた。
「ふん……魔法に頼らずどこまでやれるか試してたけどもういい……凍てつけ!」
氷雨が灯に感化されたのか、魔法を使って魔物を蹂躙する。 数多の氷が魔物の身体を貫き、刺突し、全身を凍りつかせた。 それを見た灯は感心したかのように氷雨に拍手を送る。
「流石氷雨さん! 凄いですね!」
「大したこと無いわよ……それより、粗方倒したはずなんだけど、まだサイレンが鳴らないわね」
灯の屈託のない笑みに少々照れながらもそれを隠すように話を逸らす。 灯も確かに、と言うように空を見上げる。 空間のヒビが日に日に大きくなっていってるのが分かる。
今ではヒビを通り越して穴が空いているようにまでなっている。 空間の一角を占めるその穴は黒く、闇が溢れ出しそうな禍々しさが漂っているが氷雨には何とも言えない胸騒ぎがしていた。
突如その穴から膨大な闇の柱が出現し、住宅の一部を飲み込んだ。
「なっ!?」
突然の事態に氷雨と灯は立ち尽くす事しか出来なかったが氷雨の眼前に黒い何かが横切ると、氷雨は糸が切れたかのようにその場に倒れる。 氷雨が倒れたというのに灯は氷雨を見ようともせず、はるか前方に佇む人影を視界に入れていた。
華奢な身体つきの黒いローブを羽織った少女。 フードを被っておりその顔は見えなかったが、その存在の危なさは灯でも容易に想像出来た。
「……またとんでもない力の持ち主で」
灯は半笑いを浮かべながらその人影を見据える。 刹那には灯の目の前へ移動しており既に攻撃モーションへ移っていた。 灯はそれを易々と躱すと手を翳す。
「少し遊んであげましょう」
その言葉が放たれたと同時に黒いローブの少女は後方まで吹っ飛び、民家に激突する。 灯は触ってもいないのに電柱を遠隔操作のように操り、それを少女が突っ込んだ民家にぶち込む。 轟音が鳴り響き、多少の地鳴りすら起こるが灯はふと上を見上げると、黒ローブの少女が既に空中に移動していた。
「流石にこれじゃあ……倒れませんか」
灯は淡々と呟くと上空から飛来する黒い魔弾を一瞥する。 黒い魔弾全てが灯に当たる手前で掻き消される。 黒いローブの少女は自分ごと飲み込む極太のレーザーを射出するがそれも灯の手前で全てが消え去る。
「無駄ですよ」
黒ローブの少女の真後ろに移動していた灯が少女の背中を軽く押すと、通常では考えられない速さで地面に衝突し、クレーターを形成する。 黒ローブの少女が被っていたフードが取れ、その素顔が露わになるが灯は眉を上げると面白そうに口を開いた。
「分身体……。 中々聡明じゃない」
黒ローブの少女の素顔はまるで影のようなシルエットで黒に塗り潰されていた。 否、誰がどう見てもそれは影だった。
灯はもう充分楽しんだと言うように手を振るとその黒ローブの少女の分身体が跡形も無く消滅した。 灯が指を鳴らすと何事も無かったかのように街が元どおりになり、氷雨がゆっくりと起き上がる。 氷雨は頭を摩りながら辺りを見回した。
「痛……橘 灯? あんた何して……」
氷雨が痛む頭を押さえながら灯を見る。 灯は氷雨の意識が回復した事に気が付くと途端に笑顔になって氷雨の腰に手を回す。
「無理しないでください氷雨さん……急に倒れたんですよ?」
「……? そうだったかしら? 魔物達との戦闘で疲れが溜まってたのかしら……ありがとう。 礼を言うわ橘 灯」
氷雨は灯に感謝の意を示すと灯と共に橘家へと足を運んだ。 その道中、灯がポツリと兄の光について話はじめた。
「私のお兄ちゃんは私が魔力持ちという事を知りません。 だからこの事は喋らないようにお願いしますね。 お兄ちゃん……心配性だから。 あとは小さい頃から守られてきたので今度は私が守りたいんです」
灯がポツポツと喋り始める。 光との思い出などが大半を占めていたが、そのほとんどが光ばかりを褒めている内容だった。
氷雨はただ頷いているだけだったがこの橘 灯という少女が橘 光という兄をどれだけ想っているか、大切な存在というのは痛いほど伝わった。
「橘 灯……大切にしなさいよ……お兄ちゃんを」
優しい声色でそう呟いたのを最後に二人は一言も喋らずに家に着いた。
*
一階のリビングでソファに座りながら光は小説を読んでいた。が、内容は殆ど頭に入っていなかった。
「灯……あいつどこに行きやがった? まだ二度目のサイレンなってねぇだろうに……」
そう。 灯の事で頭が一杯で他に手が付かなかったのだ。 魔物が居ない時ならどこへ行こうと多少の事は目を瞑るが、このご時世、いつ魔物が襲ってくるかも分かったものでもない。 街中に核シェルターがあるとは言え、それが配備されていない地域もある。
「光さん……?」
「おお、アイラか。 どうした?」
声の主、アイラが光の横に座る。 ちょこんと座るその姿は小動物を連想させる。 身体つきも細く、少しでも強く抱きしめれば折れてしまいそうな華奢さだが、その外見とは裏腹にとんでもない怪力の持ち主で、逆にこちらの全身の骨を砕くような力を持っている少女だ。
光は何故アイラが自分の横に座るのか少々疑問を抱いたがあくまで自然を装う。
「アイラ、どうした? 腹減ったのか?」
「灯ちゃんの事で悩んでますね? 光さん……」
「……っ!」
当てられるとは思ってなかった光は心臓がビクつく。 目を丸くしてアイラを見やるが、アイラの表情は真剣そのものだった。 そして優しさが溢れ出るような表情を作ると優しく光に微笑んだ。
「光さん、確かに不安かも知れません。 ですが自分が思ってるよりも妹ってのはしっかりしてるんですよ? 私にも兄がいたんです。 それはもう……今の光さんみたいな性格でしたね」
アイラはそこで一旦言葉を切ると息を吸う。
「妹が兄を想う気持ち……兄が妹を想う気持ちってのは表裏一体です。 少なくとも私はそうでしたね。 兄は私を凄く可愛がってくれて、嬉しかった。 だから努力もしてきた。 今度は私が守ろうと思ったから……。 今の灯ちゃんもそうだと思いますよ? 大切な存在だからこそ守りたい……。 光さんも灯ちゃんもその一心ですよね?」
アイラの言葉が心に深く突き刺さる。 光は頷くと大きく息を吐いた。 今までの悩みが何処かへ吹き飛んだような感覚だった。 確かにアイラの言う通り、光は灯を守りたい一心で色々やってきた。 灯も灯で自分を守ろうと変わってきている。
お互いが大切な存在だから、命に代えても守る……こんなご時世だからこそ、かも知れない。 光は読みかけの小説を閉じると立ち上がりアイラを見る。
「俺がうだうだ言ってもしょうがないのかもな。 灯が帰ってくるのを俺は信じて待って見るよ」
そうアイラに告げた時、街中にサイレンが鳴り響く。 二度目のサイレン、魔物が殲滅された証拠。 そしてそのサイレンが鳴り止むのと玄関の扉が開かれたのはほぼ同時だった。
そして扉を開けて入ってきたのは氷雨と灯だった。
「氷雨……灯……」
「ただいま、お兄ちゃん」
灯は氷雨をソファに投げると光と抱き合う。
乱暴に扱われた氷雨は怒ったが灯の耳には入っておらず、安心しきった灯と光の顔が視界に映ると鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「氷雨さん……お疲れ様です」
「あらアイラ、ありがとう」
アイラが気を利かせて氷雨の苦労を労うと下からシルヴィア達が光のゲーム機片手に降りてきて氷雨の苦労を労う。
ゲーム機をやりながらの態度に切れた氷雨は青筋を浮かべながらゲーム機を取り上げると片手でそれを握り潰す。 ゲーム機を握り潰された事に気付いた光が悲痛な声をあげ、ゲーム機を握り潰された事に腹を立てたシルヴィアは一気に機嫌が悪くなると氷雨と一触即発の空気になる。
「殺す!!」
「やってみなさいよこの馬鹿!」
殺気を滲み出すと同時に街中にサイレンが鳴り響く。 それを合図にシルヴィアと氷雨は橘家から姿を消し、壮大なバトルを繰り広げ始めたのだった。
*
「……ボクの影を物ともせずに圧倒……一体何者だ? 」
黒ローブの少女が眉をひそめながら呟く。少女の本来の実力には劣るものの、かなりの実力を持った影を送ったはずだ。 一人は問題無く倒せたが一緒にいた赤髪のポニーテールの少女だけは倒せなかった。
「……まさか、神クラスの実力者か?」
黒ローブの少女の脳裏にある人物の姿がよぎったが姿形があまりにもかけ離れていた。
「どちらにせよ、警戒は怠らない方が良いな。 赤髪のポニーテール……覚えたよ。 もし次があるならボク直々に相手をしてやる」
少女は歯軋りをして悔しさを噛み殺すと、禍々しい闇を纏ってその力を増大させる。怒りと悔しさを力に変えて。




