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金剛時代  作者: 金椎響
第二章 ウラルに吹く風
8/20

古の遺跡

 眼下に広がっているのは、眩しいくらい青々とした星の半球。

 高度二八〇キロメートル。

 地球低軌道(LEO)国際宇宙ステーション(ISS)や気象観測や偵察用の人工衛星、それに無数の宇宙ゴミ(スペースデブリ)が飛び交い、賑わっている。

 そのなかで、一際目を引くのは地球からすっと伸びた一本の柱。

 自己修復性カーボンナノチューブ(CNT)で形成された幹から枝のようにはえているのは、軌道エレベータに設けられた低軌道プラットフォームだ。

 地球観測用光学機器、データ送信用アンテナモジュール、緊急用脱出艇を射出するスペースポートから成り立ち、半円状の傘が幾重にも連なった、独特な外観を形作っていた。

 そのプラットフォーム内部に設けられた、秘密の居住区画。外部カメラが捉えるリアルタイムの宇宙と地球の姿を床や壁面、そして天井に表示し投影していた。

 その部屋に入ると、まるで生身で宇宙空間に飛び出すような、そんな錯覚すら覚える。

 そこに、ふたりの少女が入ってきた。

 紙のように薄いディスプレイが張り付けられた壁面を器用に爪先で蹴り、少女たちの華奢な身体は水中を泳ぐようにして漂う。

 ちょうど部屋の中心辺りでふたりは身体を起こし、その時に生まれた反動を利用して止まる。その動きは泳ぎにも似ていたが、水の流れがない分難易度は格段に高い。

 その大きな瞳に、青い宝玉のような地球の姿が映り込む。


「PMCブラスト社第一三企画部付特別作戦執行部ユニットX“スピアヘッド”所属、ベアトリクス・バトン」


 灰色の吊り目、まるで血が通っているかのような真っ赤な毛の少女が緊張した面持ちで名乗り出る。


「同じく、水書瑞姫みずがきみずき」薄桃色の髪の少女が気怠そうに呟く。

「出頭致しました」


 ベアトリクスが敬礼すると、ふたりの視力矯正ではなく情報投影用のコンタクトレンズにデジタル画像が映し出される。

 ネームプレートや勲章をじゃらじゃらとつけて着飾っているように見える第一種軍装。髪はところどころ白くなり、目元と口元には小さい皺が刻まれている。それでも、目の前の男からは年を重ねた者にのみ出すことのできる威厳が滲み出て、衰えは欠片もない。


<いや、急に呼び出してしまってすまないね>


 部屋に設置されたスピーカーから壮年の男の声がする。


<できれば、わたしもこの場で立ち合いたかったんだが、生憎急用があってね。今国連は大騒ぎだ。国連安全保障理事会の反テロリズム委員会での議論がだいぶ過熱していてね、まるで収拾がつかんよ>

「それで、ご用命は?」瑞姫が話を断ち切るようにして訊く。


 レンズに投影された男が苦笑すると、ベアトリクスは隣に立つ瑞姫に向かって控え目な蹴りを入れる。


「申し訳ございません、ヴォーゼン中将」かわってベアトリクスが謝る。

<いいや。別にいいんだ。こちらこそ、前置きがちょっと長かったね。最初に、スペースシャトルの件では本当にご苦労だった。世界中が注目していたから、救出ミッションが成功して本当に何よりだ。本来ならば、休暇を与えるべきところなんだが……生憎急ぎの要件なんだ。以下、詳しい概要をアルヒ社長から直接聞いてもらいたい>

「承知致しました、中将」


 ベアトリクスの生真面目な応答に満足すると、ヴォーゼンの姿が消えた。

 かわりに、大男の姿が虚空に浮かび上がる。

 二メートルにも迫る巨体はまるで熊で、森で出会ったら卒倒しそうな野性味に溢れている。

 手入れの行き届いた口髭と顎髭で、先ほどのヴォーゼンが順調に年を重ねているとすると、このアルヒはその流れに逆行しようとしているように見える。


<世辞や前置きは不要だ。それでは、これより状況を説明する>


 アルヒの周囲にいくつかの(ウィンドウ)が浮かび上がり、ヘリやドローンが空撮した動画や写真、衛星写真の画像データ、公式に公開されている地図情報、リアルタイムで更新され続けている報告書の概要が、続々と表示されていく。


<先日、日本は横浜の墓所に小型エリジニアンと大型エリジニアン二体がそれぞれ出現した。日本政府がこの事態を察知し介入するよりも早く、突如姿を現したFHD“幽冥のエレボス”がこれを排除し鎮圧した>


 AIがアルヒの言葉に反応して、関連動画を再生する。どれも画質が悪く、その詳細を窺うことができない。ただ、日本の警察の現場検証の映像や当時の民放のニュース報道がどんな被害をもたらしたのか、明らかにしていた。


「“幽冥のエレボス”、どこの組織にも所属しない正体不明の“虚ろな男(ホロウマン)”が操るっていう、あれのこと?」


 瑞姫が相変わらずの無気力な声で言う。アルヒは肯定の意味を込めて頷いてみせる。


<同刻、横浜ノース・ドック在日アメリカ陸・海軍関連施設を『老原桜香』と名乗る人物が襲撃し、米軍が秘密裏に輸送していた“十字のオラクラ”という名称で呼ばれるFHDを強奪した。事件の首謀者は施設と艦艇を圧倒的な力で薙ぎ払い、その後逃亡した>


 興味がなさそうな瑞姫に対して、隣のベアトリクスは至極真剣な面持ちでアルヒの話に聞き入っている。


「老原……というと、旧AEO代表を務めたあの老原(おう)の縁者ですか?」

<詳細は現在、確認中だ。そして、この“十字のオラクラ”奪取事件に関しては、一年前に老原動乱を見事鎮圧に導いた功労者、榛木美空も関与しているとみられるが詳細は不明、目下調査中だ。榛木美空は“金剛のエスト”と新兵器“力の剣”とともにその所在は明らかになっていない>

「ちょい待ち。なんかこの報告、さっきから詳細は不明だとか調査中とか確認中だとか、ちゃんとやる気あるの?」


 瑞姫の率直すぎる――だが一方で真っ当な突っ込みに、思わずアルヒが苦笑いにも似た表情を浮かべる。


<すまない。だが、なにぶん手がかりが不足しているんだ。当事国の日本や米国からも調査協力が現時点では得られておらず、われわれとしてもその対応に苦慮している。しかしながら、少なくとも米英の諜報機関群インテリジェンス・コミュニティはこの情報を土台に活動を行っている>

「UNAEAはなんと?」

<UNAEA――国連宇宙研究機関《ユナイテッド・ネイションズ・エアロスペース・エクスプロレイション・エージェンシー》はただちに、緊急の理事会を招集し、最悪の事態を想定して“幽冥のエレボス”、“十字のオラクラ”とその僚機(りょうき)、“金剛のエスト”の使用者(シンカー)の身柄の確保、および機体の奪還を決定した。ただし、もしもそれができなければ完全かつ不可逆的な破壊を試みる>


 アルヒの言葉に、ふたりは頷く。


「ふーん、壊すのはともかく、殺しちゃっていいの、使用者(シンカー)?」


 婉曲表現を抜きに、直球で訊いてくる瑞姫。そんな彼女に、アルヒは少しだけ言葉を濁す。


<あくまで作戦オーダーで想定された、最悪の事態に対する緊急回避的な対処だ。われわれは軍隊でも警察でもない。よって、可能であるならば、なるべく穏便に事を済ませたいと思っている>

「思ってる。なるほど、実に都合のいい言葉だ。そうすれば、良心は痛まないし、正義の味方の側でいられる……」

「ちょっと、ミズキ」ベアトリクスが条件反射的に(たしな)める。

「……なんだよ、ホントのこと言っただけじゃん。怒んなよ。だけど、実際に戦地に赴くのも、戦うのも、そして殺したり殺されたりするのはうちらなんだから、ここでお説教されるのは納得いかないよ。哲学ディベートで問題が論理的に全部解決するなら、うちら必要ないじゃん」


 瑞姫の言葉にアルヒは黙り込み、その場の空気がしんと凍る。これではお話にならない。この場の雰囲気を見かねて、ベアトリクスが先を促す。


「それで、作戦オーダーの詳細は?」

<国連安全保障理事会の常任理事国側から情報の提供はなく、諜報(インテリジェンス)としての収集は期待できない。そこで、われらが持つ|戦術支援手段群分析回線《タクティカル・オペレート・ツールズ・アナリシス・ライン》――TOTALの未来予測演算に基づく作戦名(オペレーション)“光の柱(ジェイコブズ・ラダー)”が立案された。今後、奪取されたFHDが用いられて騒乱が起こると予想される地点は三ヶ所>


 アルヒの腕の動きに合わせて、瑞姫とベアトリクスの間に地球のアニメーションが浮かび上がり、そのなかで三ヶ所が光点となって表示される。


<ひとつはロシアの閉鎖都市(ZATO)チェリャビンスク六一、ここでは旧ソ連時代、エリジウム鋼が“オリハルコン”という通称で呼ばれていた時代から応用研究・兵器転用に関する研究所や軍事工廠が集中する、地図にない街だ>

「いくら襲撃の恐れがあるからってロシアの、それも閉鎖都市で作戦を実施しても大丈夫なんですか? 政治的なリスクについては?」

<本作戦の政治的なリスクについては、全てPMCブラスト社がUNAEAに委任された範囲内でその責務を全うする。きみたちは、きみたちが期待されていることをただ実行してくれればいい。われわれは期待されているんだよ>


 アルヒの言葉に、表情をいくぶんか和らげるベアトリクス。


<次に予想されるのは、南極にある米国が管理するアムンゼン・スコット基地。氷河や気象、それに天文学的研究などエリジウム鋼とは直接関係のない観測施設なので、優先順位(プライオリティ)はロシアよりも下だ>

「そだねー。これはあんまり関係なさそう」

<だが、先日直下に過去作られた人工的な遺物が発見されており、調査が進行中だ。その詳細のいかんによっては優先順位が繰り上がることも大いにありうる>

「はい、それは承知しております」

<そして、最後にウラル山脈南部、ロシア・オレンブルク州東部オルスク周辺。険しい山岳地帯で、古代の集落跡や墓所などの考古学遺跡が多い地域で、エリジウム鋼や一連の強奪事件とは一番関連性が低いと思われる>


 三ヶ所の写真を見た瑞姫が場違いな笑みを浮かべる。その姿に、思わず隣のベアトリクスが顔を手で覆う。


「へぇ、逆に好都合じゃん。絞れて三ヶ所。作戦に投入可能な戦力は現時点では二機しかなくて、しかも全機軌道エレベータで整備中。これだったら実質詰みだったけど……ロシアにヤマを張ればワンチャンあるよ」

<だが、TOTALの未来予測演算の精度はきみたちが一番身に染みて実感しているはずだ。確かに、論理的に考えればロシアの閉鎖都市の恐れが一番高い。だが、これは博打ではない。よって、TOTALの未来予測演算の最終分析が出るまでの間はベアーティの“深紅のアレルイア”と瑞姫の“赤紫のクレド”は即応可能な状態で待機する>

「どこで事案が発生しても対応可能な状態、ねぇ。でも、そんなにうまくいく?」


 アルヒの言葉に、瑞姫はいかにも面白くなさそうな態度を露わにする。ベアトリクスがわざとらしく咳払いをして、何事も保険(ヘッジ)は大事ですから、とつけ加えた。


<二機のFHDの運搬には緊急展開用のステルス・ヴィークルを使用する。ヴィークルには単独地球帰還の能力があり、その外殻は機体形状にステルス性がある。ただし、落下点によっては膨大な熱源反応と爆音、それに目視可能な光を発する>

「作戦空域への突入時に危険性がもっとも高まり、対応策も限られる、ということですね」

<そういうことだ、ベアーティ。“幽冥のエレボス”、“十字のオラクラ”、“金剛のエスト”はエリジウム鋼製人型機動兵器との戦闘を想定して製造された機体であることを考慮して、本作戦で使用する弾丸や弾頭、装甲切断ブレードは全てエリジウム鋼製だ。武器使用時には随時認証を受ける必要があり、特に火器に関しては威嚇射撃や遮蔽物の破壊などには用いることができない>


 アルヒの説明をふたりは熱心に聞く。


「……対人戦は、一年ぶりね」


 肩に力の入ったベアトリクスに対して、瑞姫はにやにやと心から楽しそうに破顔してみせる。


「いやぁ、血が騒ぐね」

<ミズキ。敵性FHDの無力化ができれば、必ずしも敵性使用者(シンカー)を強制的に排除する必要はない。無駄な流血沙汰は避けるんだ>

「そういうことは今まで一度たりともなかったから、そういう変な期待はしないでよ」


 彼らしくもなくむっとするアルヒに、瑞姫は芝居がかった態度を止めて真顔で向き直る。


「うちらの行く先は戦場(いくさば)だし、敵の行く先は墓場(はかば)だよ」



 場所はウラルスタン・ロシア国境地帯。ウラル山脈の山深い谷、車道の終わりで佇む美空とジョアンナ、それにグラディスは三者三様の形で顔を上げた。険しい斜面、その上から何者かが美空たちを見下ろしている。

 絹のように美しい髪に褐色の肌、腕や肩に銀色の刺青(いれずみ)を施している。着衣は色鮮やかで、どこの国にも似ていない独特な衣装のように美空には見えた。

 彼ら彼女らが、グラディスの言う「本国と手を組んだ部族」なのだろうか。


「……あれが“クラスト”を撃退した人たち」

「北アジアの先住民、ウラルの民族? それともテュルクの民かしら? にしては変ね。それになんて言うか、現地の少数派民族って感じにしか見えないんだけど」


 ジョアンナが見たままの感想を端的に述べる。

 確かに、その通りだ。美空たちと戦った“クラスト”は手強い相手だった。辺境の地に住む、原始的な生活を営む人々にそう簡単に破れたりはしないはずだ。


<美空、彼らの警戒範囲が次第に狭まっていきます。武装はボルトアクション方式ライフルや長剣、槍、それに弓矢です。ですが、皆保持しているだけで、狙いを定めているわけではありません。また、携帯対戦車擲弾発射器や対FHミサイル《AFHM》など破壊力の高い兵装は皆無です>

「なんだか、妙だね」

「そうでしょうね。でも、内部を見ればそんな印象も変わりますわ」


 そう言ってグラディスは山肌をそっとなぞる。

 すると、グラディスが触れた箇所にそって、にわかに発光し出す。そして、その形状を目まぐるしく変化させていく。それはまるで生き物のようで、どこか気味が悪い。金属と金属が擦れ合う際に生じる、独特な甲高い音。その音に、美空は聞き覚えがあった。


「……まさか!?」

「そう、この山肌自体がエリジウム鋼なのですわ。まさに、最強の玄関口というわけですわね」


 グラディスの見据える先には、長い通路がずっと伸びている。

 天井の明かりの光もまた、おそらくはエリジウムの発光現象を利用しているのだろう。美空は手首のコントロールギア・リングをそっと撫でる。


<承知しておりますよ、美空。万が一というときは、ただちに駆けつける所存です。ですが、美空。くれぐれもお気をつけて。決して油断や慢心をなさらずに>

「うん、わかってるよ。オデッサ」


 美空が一歩を踏み出すと、恐る恐るといった感じでジョアンナもその後を追う。三人が坑道に入ると、山肌が形状を変えていき、退路を塞いだ。ガシャンという音が、後戻りができないことを告げている。


「さあ、行こう」

「ここで驚いているようでは、これから先は度肝を抜かれますわよ」


 はたして、グラディスの言葉通り、美空とジョアンナは思わず息を飲み、そこに広がる光景をただ見つめた。長い長い通路を抜けた先に、三人を待っていたのは、開けた空間。そこはまるで銀世界。天井も柱も壁も床も、全てが銀色の金属に覆われた場所だ。


「もしかして、これも……」

「ええ、エリジウム鋼ですわ。しかも、“ヘファイストス”抜きで作られた遺跡ですね」

「えっ!? でも、“ヘファイストス”がないとオリハルコンを加工できないんじゃ……?」

「その通り、よくご存じですね。さすがは老原動乱を終結に導いた立役者、榛木美空さんだ」


 中性的な声音に、三人が振り返る。

 すると、そこには白と水色、それに金の装飾で着飾った若くて美しい人が立っていた。織物のように美しい長髪を腰まで伸ばし、その相貌(そうぼう)はまるで彫刻のように誰かが明確な意図をもって作ったかのように整っている。

 ただ、先ほど山の斜面で見下ろしていた人たちのような、褐色の肌ではない。白、というよりもむしろ白みがかった灰色のようで、どこか死人を思わせた。

 長身でこのなかでは一番背の高いグラディスよりも高いが、痩躯(そうく)だ。


「しかし、“オリハルコン”――あなた方がエリジウム鋼と呼ぶこの金属は、思考する金属とも呼ばれる。そして、適性のある使用者(シンカー)はこうして自在に“オリハルコン”の形状を変化させることができるのです。“ヘファイストス”がなくとも、ね」

「適性のある、使用者(シンカー)?」


 長身の人物はゆっくりとした歩みで三人のもとへと近付くと、胸元で両手を合わせた。


「申し遅れました。わたしの名前はテウルギスト。テウルギスト・タリスマンと申します。エリクシルの民の祭祀(さいし)を担う神官です。そして、われらエリクシルの民は適性の高い使用者(シンカー)が多いのです」


 すると、テウルギストの脇に控えていたショートヘアの少女が前に進み出る。

 大粒の水色の瞳など全体的にまだ幼さの残っているが、その佇まいや横顔が大変凛々しい。すっと伸びた細くて長い眉に、どこか物憂げな表情が年齢以上に大人びた印象を美空に与えた。

 褐色の肌、その右肩と右腕には銀色の刺青が施され、どこか異国情緒にも似た雰囲気をその身に纏っている。毛先が緩くウェーブしたアイスブルーの髪が揺れて、ほのかに優しい香りが周囲に漂う。


「どうやらお連れ様は長旅で、少しお疲れのようですね。それに、これから先話すことは今後の人生を左右する重要なもの。さぁ、ララティナ。この方を休むことができる場所へ」

「はい。さぁ、どうぞ」


 それとなく離席を求められたジョアンナは表情を曇らせたがそれも一瞬、口だけで美空に「気をつけてね」と伝えて、ララティナと呼ばれる少女とともに、別の行路を進んでいった。


「ご安心を。決して人質を取ろうとなどとは思っておりません。それに、あの少女――ララティナは高潔な巫女ですので、たとえわたしがそう命じたとしても、客人をそのようには扱いません。そういう娘なのです」


 テウルギストは朗らかに笑う。つられて美空も微笑んだ。


「さあ、こちらへ。美空さん、是非ともあなたに見てもらいたいものがあるのです」


 言うが早いか、テウルギストは通路の先を自ら進んでいく。残された美空とグラディスは互いに頷き合って、テウルギストの後を追っていく。足腰には自信のある美空だが、それでもずいぶんと長い距離を歩いたと思う。


「そういえば」テウルギストは何気ない風で訊く。

「美空さんは、清志さんにはお会いしたことはありますか? 彼もまた、かつてここを訪れたことがあるんですよ。もうずいぶんと前の話になりますが」

「いえ、わたしは。彼の話は聞いてはいるんですけど、直接会ったことはなくて……」

「そうでしたか。いや、本当に惜しい人を亡くしたなと思いましてね。確か、彼には娘さんがいて、ちょうど今の美空さんくらいのお年頃だと思ったら、つい……」


 テウルギストと話していると、まるで旧知の仲のような、そんな錯覚にも似た親近感を覚えた。美空に向ける穏やかな微笑、温かみのある声音。そして、テウルギストにもまたあったであろう出会いと別れ。


「老原(おう)も、一年前に。本当に、悲しいことだ。“オリハルコン”は太古より争いの種になり、数多の血と魂が失われてきましたが特に老原動乱は他に類を見ません。多くの人の生を変えて、この世界の行く末まで変化してしまった」

「……そう、ですね。本当に」


 美空の横顔を見て、テウルギストは口を紡ぐ。


「わかります。わかりますよ、美空さん。あなたもまた、大切な人を失ったのですね」


 そう言うと、テウルギストは歩くのを止めて、懐から小さな鉱石を取り出す。エリジウム鋼、その原石だ。テウルギストはそれを摘むと自身の額につける。すると、エリジウム鋼の原石は眩い光を放つ。

 そこで、美空は見た。美晴の満面の笑みを。ここは異国の地で、その笑顔は一年前に失われたはずのものだった。だが、美空は見た。確かに、見た。確信にも似た強い感情が心の奥底から湧き上がって、足元が覚束なくなる。

 最後尾に位置したグラディスがそれを見かねて、思わず美空の腕を取る。


「美空さん、お気を確かに」

「……あっ。あ、すいません。でも、今のは……」


 ただ驚くばかりで、ろくに何も考えられない美空はついおろおろとしてしまう。そんな彼女を前に、テウルギストは優しく微笑みかける。エリジウム鋼の原石を懐にしまうと、優しい手つきで美空の手を取る。


「あなたに心の安らぎをと思ったのですが、どうやら驚かせてしまったようですね。申し訳ございません。ときに人々の心を支え、道標(みちしるべ)となる神官が勝手な真似をしました」


 テウルギストはすっと(こうべ)を垂れる。そして、顔を上げると美空に笑いかける。繋いだ手の温もりがほのかに美空に伝わってくる。悪気があったわけではない、この人は美空の力になりたかったのだとわかる、そんな感触だった。


「ただ、これから美空さんに見てもらう前に、心をしっかりと保ってほしかったのです。きっと、少なからず衝撃を受けると思いましたので」


 手を放すと、またふたりを先導するテウルギスト。その後を追う美空とグラディス。美空が両手を握り、テウルギストと繋いだ手の感触を確かめていると、不意にグラディスが体を屈めて口元を美空の耳の高さにする。


「美空。純粋なこと、素直なこと、人を信じること、それらは全て社会では美徳ですわ」


 グラディスはふうと息を吐いて、そして美空に笑いかけてくる。


「でも、ここは血が流れていなくとも、死体が転がっていなくても、すでに戦場に違いないのですわ。だから、安易に心を開いてはいけません。なぜなら、それは悪につけいられる隙になる。決して、惑わされないで」


 グラディスは古の女神のような横顔で言うのだった。


「あなたがなすべきこと、やるべきこと、絶対に突き進みたい道……。決して見失ってはだめよ」


「やるべきだ、こうすべきだ」って、ほんのちょっとでも思っちまったら、首を突っ込め。諦めて絶対に突き進め。それがどんなに辛い道でも。


 その姿が、その声が、母に似ていたのは、はたして美空の気のせいだっただろうか。思い過ごしだったのだろうか。今の美空にはわからなかった。

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