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金剛時代  作者: 金椎響
第二章 ウラルに吹く風
6/20

殉教旅団

 日本語で書かれたノートを掲げるいかにも怪しげな男。

 ジョアンナはコートの下に隠し持っている拳銃の銃把(グリップ)に手を伸ばす。

 美空もいつでもエリジウムを蒸着できるよう、コントロールギア・リングに触れて意識を集中させていた。

 男と対峙する間、ひりひりとした緊迫感がその場を支配する。膠着状態かと思ったとき、車のほうから声が上がった。


「ご安心を。わたくしたちは敵対者などではございませんわ」


 大型四輪駆動車の後部座席側のパワーウィンドウが降りていく。黒いフィルムが貼られたサイドガラスが下がり終える。

 すると、車内から若くて美しい女性が顔を出し、すっかり固い表情の美空とジョアンナに向けて笑いかけてくる。


「ようこそ、ウラルスタンへ。朝食後の紅茶はいかがでしょう?」



 四駆車は路面の荒い幹線道路をひた走る。

 早朝という時間帯もあって、道行く人々の姿は疎らだ。

 すれ違うホンダのスーパーカブを見て、美晴が遺してくれた愛車のことが脳裏に浮かぶ。日本に戻れないのであれば、玲花が上手く管理してくれるといいのだが。やはり、どうにかして玲花と連絡を取りたい。

 ジョアンナは助手席へ、そして美空は後部座席の正体が未だ不明の金髪碧眼の女性の隣に座っている。

 シックな装いのワンピースはあつらえたように似合っていたが、いささか場違いな印象も与えていた。


「……で、あなたは?」


 美空がすっかり訊きそびれてしまった問いを、かわりにジョアンナがする。

 はたして、美空の隣に座る女性は優雅な手つきで自らの胸元に手を置くと頭を下げてみせた。


「申し遅れました。わたくしの名前はグラディス。グラディス・ギフォーズです。イギリス人で、世界中で“商い”を営んでおります。美空さん、それにジュールさん。どうぞ、お見知りおきを」


 金髪碧眼と来れば真っ先に米国の手先かと思い、美空はひやひやした。

 けれど、この女性は先ほどから頬に微笑を浮かべていて、美空はどう打って出ればいいのかわからない。

 ただ、美空は“虚ろなホロウマン”と入れ替わる形でウラルスタンへやって来た。そうなると、どうしてこの女性は美空のことを把握できたのか。そう考えるとただものではないだろう。

 とはいえ、問答無用で銃撃される風でもない以上、危機の次元はそれほど高くはないのかもしれない。もっとも、楽観し過ぎな感は否めないけれど。美空は判断しかねて、考えるのをやめた。


「ギフォーズさん、少々問題が……」


 運転手の男が後部座席を窺うように振り返る。


「どうしました?」

「四〇〇メートル先で銃撃戦のようです。くそっ、現地人が車を捨てて逃げてきます。路上は放置された車だらけだ」


 ばばばっ、ばばっと銃声が木霊すると、男たちの野太い叫び声とともに遠くのほうでマズルフラッシュが起こる。

 手榴弾(グレネード)や携帯式対戦車擲弾発射器《RPG》の爆発音が太鼓のように発せられ、不思議なリズムを刻んでいた。

 グラディスは凛々しい横顔に戻る。


聖戦主義者(ジハーディスト)のテロリスト集団、ムスリム聖戦殉教旅団ですわね。この国もまた、テロとの戦いで忙しないんですの」

「司令部から即応部隊(QRF)による支援要請を行いましょうか?」

「そうしたいのはやまやまですけれど、生憎わたくしたちは書類上はこの国に存在しないことになってますからね。いろいろと面倒ですわ。QRFと言ってもただの民間軍事請負会社(PMSCs)契約者(コントラクター)ですから、事態が悪化でもしたら国際問題に発展しかねません」


 その言葉とは裏腹に、グラディスに焦りや困惑の色はない。堂々とした佇まいで厄介さは微塵にも感じさせない。


「……ちょっと、どうするのよ?」ジョアンナも首を捻って不満を露わにする。

「まあまあ、そう言いなさらずに。こういうシンプルな話、わたくしは好きよ」


 グラディスは車両後部から横長のアタッシュケースを取り出す。

 ストッパーを外して、なかを開けるとそこに収められていたのは短銃身(ショートバレル)のアサルトカービンだ。

 グラディスは分割されたそれを、迷いのない手つきで組み立てていく。

 光学照準器やフラッシュライト、レーザーサイト、減音器(サプレッサー)などのモジュール化された各種アクセサリーを小気味よく装着する。

 防弾チョッキや予備弾倉が収められたポーチがついたコンバット・タクティカル・ベストをさっと身につけると、アサルトカービンに繋がれた吊り紐(スリング)を肩にかける。


「お茶の前に、準備運動を。皆さんはここで事の顛末を眺めていて、すぐに戻りますわ」


 箱型弾倉(ボックスマガジン)を叩き込むと、コッキングレバーを引いて弾丸を薬室に送る。

 にこりと笑うと、ドアを開けるグラディス。そのまま彼女の姿は車内から消えてしまう。


「……ちょっと、あの人。正気なの?」ジョアンナは露骨に引いている。


 美空もまた車両を飛び出す。

 あのグラディスの横顔を見ていたら、なんだか恐ろしくなった。彼女は自らの進路を阻む者たちを銃でもって排除しようとしていた。

 その無慈悲さ、残酷さに背筋が凍る。自分の目の前でそんなことをされたくないという、嫌悪感が美空の心の奥底であった。あの人に、引き金(トリガー)を引かせちゃだめだ。

 コマンドワードを唱える。すると、コントロールギア・リングから圧縮されていた発泡金属が解放されて、次の瞬間には美空の体を包み込む。

“赤のアテナ”のときよりも、筋力増強(マッスルアシスト)も蓄えられたエネルギー量も桁違いだ。

 美空は掛け声とともに、体育の陸上の高跳びの要領で助走をつけて大きく右足を踏み抜く。

 体は易々と宙を駆け、あっという間に臨戦態勢のグラディスの背中を飛び越えていく。

 そして、銃撃戦の真っただ中に降り立つ。

 まだ少年と言って差し支えない若い男がピックアップトラックの運転席から飛び出してきて、美空の脇を通って逃げ出す。

 武装勢力と武器を持たない民間人が入り乱れ、混戦の様相を呈していた。

 ロシア語とウラル語の怒号と悲鳴が飛び交う。

 跳弾による派手な火花がそこここで爆ぜ、手榴弾(グレネード)の炸裂音と巻き上げられた粉塵が周囲にもうもうと漂い立ち込める。

 随分と視界が悪い。

 美空は周囲の男たちの姿を改めて確認する。


聖戦主義者(ジハーディスト)のテロリスト集団、ムスリム聖戦殉教旅団は首元に漆黒のアフガンストールを巻いています。交戦勢力は地元の運送業者とみられる一団です。両陣営を識別するマーカーをコンバット・グラスに投影します>


 ODESSAの戦闘支援システムによって、美空が身につけた複合センサー群が走査した情報がまとめられて表示される。

 まるで後ろに目がついているかのように感じられ、また多くの死角もカバーされていた。

 何より、砂埃が立ち込めて多くの人々の姿が入り混じる混沌とした戦場で、相手の輪郭から増幅された赤外線映像が役に立つ。戦場の霧フォッグ・オブ・ウォーに悩まされずに済む。

 美空は微かに口元を緩めた。そして、次の瞬間には飛び出す。

 銃口から吐き出される七・六二ミリのライフル弾の一発一発をリアルに感じ取る。

 知覚が延長されて、弾幕を張られてもあまり怖くなかった。

 当たらずに済む抜け道が見えていた。人間離れした今の美空の身のこなしでは、当たりにでも行かない限り、到底とらえられないだろう。


「えい」


 とりあえず、自動小銃(AK)を乱射する男の横っ腹に、握り拳を叩き込んでみた。

 美空なりに加減したつもりだったが、男はぼうっという不可解な音を出しながら旧式の古びたピックアップトラックの側面に叩きつけられて、その車体に体をめり込ませた。

 そのあまりにシュールな姿に、美空は目を瞬かせた。


「……ヤバッ。やりすぎちゃったかな?」

<腹部側面の一点に内出血をしているものの、内臓などは破裂していません。低殺傷による武力行使がお望みですか?>

「うん。怪我させない程度で」

<では、スタントンファーはいかがでしょう? トンファーからエネルギーを高圧電流という形で発して、相手の交戦能力を一時的に奪います>

「よし、じゃあそれで!」


 発泡金属が形状を変えて、美空の腕よりも長い棒を形成する。

 普通のトンファーのような握り(グリップ)はないが、“幽冥のエレボス”のような一八〇度展開する特殊なギミックになっている。ぱちんと棍棒部分が展開し、長い部分が延長された。

 美空はそれを棍棒のように振るう。

 内部に蓄えられた力が解放されたことで、襲撃者を両手でしっかり保持した銃ごと薙ぎ払う。とんととんと、踵でリズムをとるかのように後退し、大きく飛び退く。

 大型トラックのコンテナの天井を走って間合いを詰めると、襲撃者の背後を取る。

 その首筋に、ちょんとトンファーの先端を当てて高圧電流を三秒間だけ流す。それだけで、自動小銃(AK)を持った男は痙攣を起こして、その場に沈む。

 ODESSAのマーキングで、武器を持った人物の位置情報が視界に投影されていく。

 すると、山刀(マチェット)を持った男が美空の死角から襲い掛かった。

 刃そのものの切れ味というよりもむしろ、その刀身の重さで対象を切り落とす物騒な代物だ。だが、美空は左腕のトンファーを指先から肘を覆うようにして構え、空手の要領で相手の攻撃をしっかりと受け止める。

 その隙に、右のトンファーをそのまま腕を突き出すようにして攻撃する。

 素早い身のこなしと、エリジウムがもたらす怪力の発露。男の体が容易く宙を舞い、綺麗な放物線を描いてトラックの屋根に強かに打ちつけられる。弱々しい悲鳴とともに異国の言葉で何やら罵倒されているようだ。

 手首を返すかわりに、ギミックを作動させて瞬時に長い部分と短い部分を反転させる。

 即席の近接格闘術で、我流もいいところだった。とはいえ、ここにいる襲撃者の誰もが美空の体をとらえることができない。


「ねぇ、オデッサ。このトンファーで(たま)(はじ)ける?」

<もちろんですが、タイミングを誤ると被弾してしまいます。ライフル弾程度ではこのエリジウム鋼装甲に傷をつけることも構いませんが、顔の一部の露出した部分は当然、その対象外です>

「わかった。じゃあ、気をつけるね」


 美空はODESSAがマーキングしてわかりやすくなった銃弾の弾道をしっかりと見据えて、リズミカルにトンファーを振るう。

 銃弾を横に薙ぎ、火線を重ねて形成されたキルゾーンを無理やりこじ開けていく。

 襲撃者たちの反応が明らかに凍る。

 突如現れた闖入者(ちんにゅうしゃ)に、最初は怒り、怒鳴り声を上げて威嚇し、そして執拗な攻撃を加えてきた。

 だが、じょじょに雲行きが怪しくなると、じりじりと後退していく。


<ムスリム聖戦殉教旅団の目的は、積み荷の略奪にあるようですね>

「何それ、強盗ってこと?」

<はい>

「……もう、最低」


 回転させて打つように、攻撃する寸前に長短を反転させて攻撃する。

 まとめて三人を横薙ぎにした。

 髭面の男がフルオートのマシンピストルを一斉射撃してくる。

 美空は思わずボクサーのような態勢で、攻撃を待っ正面から受け止めた。九ミリの弾丸がトンファーの棒の部分に激しく衝突して、周囲に跳弾していく。

 しかし、銃撃の威力は正反対のモーメントで相殺されて、美空の体は一ミリたりとも後退しない。目立った被害もなく、そのまま平然と構えの姿勢を維持していた。

 髭面の男がその異様な様相に恐れ戦く。


<六秒後に、相手の残弾は(ゼロ)になります。間髪を入れずに、攻撃態勢に移行して対象を無力化してください>

「オッケー」


 なんだか、ゲームみたい。美空はそんなことを思いながら、心のなかで数字を数える。

 ODESSAの言う通り、弾切れに陥った男の反応が鈍る。

 弾倉(マガジン)を交換するか、その場から離脱するかで逡巡したのだろう。だが、その一瞬を見逃さず、美空は一歩二歩とずいずい進み出ると、トンファーを振るう。

 打ち据えた瞬間、腕を瞬時に引くようにすると力の加減ができることがわかった。

 よし、こうすれば重症化せずに相手を倒せるぞ、と美空は学習する。

 美空は半回転させて瞬時にトンファーの長短を切り替え、さらに回転させて勢いをつけつつ相手を殴りつけたりして、ひとりまたひとりと戦闘員を戦闘不能にしていく。

 参ったな、最初のひとりふたりは確実に骨折させちゃったなごめん、などと心のなかで詫びながら、倒す。


「美空さん、ちょっとひとりで張り切り過ぎね。わたくしの分もちゃんと残しておいてほしいわ」


 遮蔽物で身を隠しながら、グラディスは笑顔で恐ろしいことを言う。

 美空が「張り切って」いるのは、グラディスの銃撃で犠牲者になるのを防ぐためだというのに。どうやら、グラディスにはそういう風には見えていないらしい。

 美空の意図が正しく彼女に伝わっていなくて、ちょっと悲しい。

 大男が手榴弾(グレネード)のピンを引き抜いて、タイミングを図って放擲しようとする。


「うわっ、あれ……」

<危険です。カウントに合わせて跳躍してください。(スリー)(ツー)(ワン)(マーク)……。ボムズ・アウェイ>


 美空は歯を食いしばり、両足で地面を叩いた。

 ぐんと重力を体で感じ、その刹那、世界がミニチュアの模型のように小さくなった。

 縮尺がおかしい。だが、それは美空があまりにも早く動いて、体感に認知が追いついていないのだった。


<体重を移動させて、着地地点を調整します。タイミングに合わせて、右足を前に突き出してください>

「こ、こう……?」


 音声ガイドに合わせて美空は足を出す。

 自由落下していき、先ほど手榴弾(グレネード)を投げた男の肩に美空の踵がめり込む。

 鈍い音がした。絶対痛い。

 大男の顎が下がって、ぐええと変な声が零れる。そのまま白目を剥いて、その場にひっくり返った。


「わわっ、ごめん。めっちゃ痛かったよね……?」


 なんだか悪いことしちゃったな、なんて思っていると、何台かの車両がその場から逃げ出す。

 どうやら撤収するらしい。これで戦闘が終わりかと思いきや、そんな風に思った美空を窘めるように、グラディスが言う。


「美空さん、奥から戦闘車両(テクニカル)が出てきますわ。荷台に一二・七ミリ口径の重機関銃を積んでます。くれぐれもお気をつけて」


 離脱支援のためにかけつけたピックアップトラックは、側面を美空たちに向けると荷台の男たちは銃機関銃の銃口を美空たちに向ける。

 ぶううんというスズメバチの羽音のような音がして、遮蔽物となったトラックを文字通り蜂の巣にしていく。

 今までの自動小銃(AK)とは桁違いの破壊力だ。装甲が施されていない自動車の側面に容易く穴を空けてぼろぼろの鉄屑にしてしまう。まるで銃口から火を噴いているかのよう。

 発射速度も弾丸で形成される弾幕も、想像を超える迫力だ。

 美空は攻めあぐねる。ODESSAが瞬時に重機関銃と三脚の細かな形状を走査して、いくつかの戦闘プランを提示してくる。


「一二・七ミリ弾を音速の三倍の速度で発射しますの。まったく、野蛮な人たちね」


 グラディスは微笑みかけながら、引き金(トリガー)を引く。

 熟練した指づかいで点射された弾丸は、重機関銃に給弾していた男のひとりを確実に捉えていた。

 悲鳴とともに、男の体が荷台から転がり落ちる。


「ギフォーズさんっ!? あの人たちの相手はわたしがやりますからっ!!」


 美空は顔面蒼白になって怒鳴る。

 グラディスはそんな美空の反応をどこか嬉しそうに味わっているようだった。


「まあまあ、そんなに怒鳴らないで。どちらが先に敵を倒すか、競争しましょ?」


 その微笑を見て、美空は悟る。グラディスは確信犯だ。

 彼女は人殺しを躊躇わない。そして、不殺傷を貫こうとする美空の意志の強さを試している。


「オデッサ、最短経路をマーキングして」

<ですが、美空。最短経路は相手の射手にこちらの意図を暴露してしまいます。非常に危険です。戦闘プランの再考を願います>

「いや、これでお願い」

<……了解しました。最短経路を算出、その経路をコンバット・グラス上に表示します>


 九ヤード(約八メートル)の給弾ベルトを全て打ち尽すかのような猛烈な火線、銃撃の嵐に美空は飛び込む。

 今までの自動小銃とは比べものにならないくらいの鉛玉の嵐だが、美空は果敢にも激走した。

 ひゅんという音とともに、頬を弾丸が掠る。

 だが、確実に距離を縮めていき、美空はトンファーをタイミングよく展開して、横に一薙ぎ。

 力が爆ぜて、重機関銃を三脚ごと吹き飛ばす。

 射手の鳩尾にトンファーの短い部分を押し込んで黙らせる。

 戦闘車両(テクニカル)が脱兎の如く、タイヤを空転させながら走り出す。

 車両の脇で腕を押さえた給弾手の肩を掴むと、荷台に向けて放り投げた。


「あら、残念。殺すつもりで撃ったのに」


 本当に口惜しそうに言うグラディス。しかし、どこか楽しげで美空は薄気味悪い気分になっていた。


「美空、なんか『アイアンマン』みたいね」


 戦闘の一部始終を助手席で縮み込まりながら見守っていたジョアンナが言う。若干引き気味だった。



 ムスリム聖戦殉教旅団の襲撃を退けた一行は、郊外にある邸宅に到着する。

 防弾ベストにジーンズ姿というラフな格好だが、各々アサルトライフルや小銃(カービン)で武装した男たち。

 グラディスの姿を認めると、裏門の鋼鉄製の扉が開く。

 細かい所作が先ほどの旅団とは違うような気がした。プロフェッショナルが一般人に扮装しているのかもしれない。彼らがグラディスの言う民間軍事請負会社(PMSCs)契約者(コントラクター)だろうか。

 扉の向こうに広がっているのは、英国風庭園イングリッシュ・ガーデンだ。左右対称の配置に、色鮮やかな薔薇が咲き誇っている。先ほどまでの閑散とした街道とは大違いの景色に、ジョアンナは息を飲む。


「ふふっ、驚いたでしょう? 自慢の庭なの」


 場違いの白亜の宮殿に、美空もジョアンナも絶句する。ゲストハウスはコロニアル様式の二階建てになっている。今までの道中で見てきた建物のなかで、一番優美な建物かもしれない。

 車が正面玄関に止められると、グラディスが先陣を切って降車する。黒服のスーツ姿の男たちにグラディスは何やら指示すると、ふたりに振り返って手を掲げる。


「さあ、どうぞ。この時期は外でお茶をするのは肌寒いから、早くお入りになって」


 高級ホテルのようにやたら豪勢な装飾が施された廊下を歩くと、吹き抜け部分に中庭が現れる。本当に、豪華絢爛な建築物だ。驚き過ぎて、驚くのに疲れてきた。数分間歩き続けると、ようやく客間に到着する。

 まだその相貌に幼さが残るメイドがやって来ると、紅茶と茶菓子を配って歩く。普段だったら大はしゃぎする美空だったが、隣のジョアンナの警戒心を放つ態度に飲まれて、黙って席に座る。


「まさか、ウラルスタンで紅茶を飲むことになるとは思わなかったわ」


 ジョアンナは言う。まだ彼女は警戒を解いていない。


「それで、あなたは一体何者なの? わたしたちになんの用?」

「わたくし自身はどこか特定の国の利益を代表しているわけじゃありませんわ。もっとも、レゴランド――“英国秘密情報部(SIS)”の安全器(カット・アウト)として働いたりもしますけどね」

「……カット・アウト?」美空は小首を傾げる。

「米国や英国だとか、国家が表立って諜報活動を実施できない際に利用する要員のことよ。万が一、作戦(オペレーション)に失敗してその詳細が露見したとしても、当局の関与を一切否定できるようにね。いわば、トカゲの尻尾切りよ」


 間髪入れずにジョアンナが解説してくれる。


「それは人聞きの悪い、ちょっとお下品な言い方ね。もちろん、今のあなたたちに本国やアメリカのお友達たちが並々ならぬ関心を抱いていることは事実だし、入手した情報は最優先で送ってほしいとも言われていますわ。でも、これはわたくし個人の、極めてプライヴェートな関心事なの」


 ジョアンナの簡明直截(かんめいちょくせつ)すぎる表現に、グラディスは妖艶な笑顔を作る。


「暗号名ホロウマンの動向を追っていたチェルトナムの英国政府通信本部(GCHQ)米国国家安全保障局(NSA)と合同で日本国内での衛星通信回線の情報収集と暗号解読作業を通して、ウラルスタンに姿を現す兆候を以前から察知していました」


 グラディスはカップに口をつけた。一口含むと、警戒の色を滲ませたふたりに向けて肩を竦めてみせる。


「ただ、ホロウマンはもともとはCIAが活性化させた資産(アセット)だったから、内部にモグラ(スパイ)がいたんでしょうね。ホロウマンは米英諜報網になかなか引っかからなかった。それで、わたくしにお鉢が回ってきたところに来たのが、あなた方というわけ」


 グラディスの言葉に、ジョアンナは腕を組む。


「どうやら、わたしの商売仲間に口の軽い連中がいたみたいね。で、あなたはこれからわたしたちをどうするつもり? お友達のアメリカ人に差し出すの? それとも、さっきの銃で撃って殺す?」

「まさか。わたくしたちは、アメリカ人の小間使いではありません。本当に、心外ですわ。わたくしは確かに、時に英国のために働きますけれど、別に英国の利益を最優先に行動する工作員(エージェント)ではありません。わたくしにも、わたくしなりの利益の追求の仕方があり、わたくしなりの思惑というものがありますわ」


 グラディスはころころとおかしそうに笑う。

 よく笑う人だと美空は思った。ただ、それに騙されちゃいけない。この人は美空が想像している以上に、情け容赦のない人間でもある。美空は出された紅茶に手をつけず、話の推移を見守る。


「ただ、人生における好機というやつはなかなかありませんもの。せっかくの機会、これも何かのご縁だと思ったから、こうしておもてなしているわけです。これで、誤解は解けたかしら?」

「敵ではない、という理解でいいのかしら?」ジョアンナは凄い目つきでグラディスを睨む。

「ええ。むしろ、わたくしとあなた方の利害は一致するかもしれない。違いますか?」

「えっ、どういうこと?」


 美空は身を乗り出す。

 グラディスは勿体ぶって、視線をカップの紅茶に落とす。

 小さな容器から砂糖をすくい上げると、まだ湯気が出ている紅茶のなかにそっと入れていく。自分のスプーンに持ち替えて砂糖を溶かしながら、ゆったりとした口調で言う。


「本国は、米国の国際社会に対する挑戦的なエリジウム開発政策に、ずっと不満を抱いてきましたわ。足並みを揃えた管理政策を乱し、時に裏をかいて秘密裡に開発を進めていた米国を、時に苦々しく思いながら追従しておりましたの。そんななかで、昨日の日本で起きた米軍所属機の奪取事件。首謀者はなんでも、老原(おう)の孫だとか」


 グラディスの意味深な視線に、美空はたじろぐ。

 昨日の今日で、なぜ彼女がそこまでの事情を知っているのか。

 いや、きっと米国側からのなんらかの情報提供があったのだろう。あるいは、米軍側から情報を抜き取る、情報源(ソース)を握っているに違いない。

 グラディスはこの場の主導権を握るべく、あえて自分の得た情報を開示している。美空たちに、自分のできる力を誇っているようだ。


「ギフォーズさん、あなたの狙いは?」

「そうですわね。本国も、米国も、日本も、あなた方もわたくしも、誰もが損をしない幕引き、といったところでしょうか。まぁ、別にわたくしは世界がどういう方向に転ぼうと、痛くも痒くもありませんが、それでも今日よりも明日がいい日になることを願っていますの。心の底からね」


 グラディスは先ほどとはまた違った、意味深な笑みを称える。


「それは一年前、老原動乱を見事戦い抜いた美空さん、あなたならば痛いほどよくわかる心情でなくって? 現に、老原動乱をダシにいい汁を吸おうと魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)したからこそ、現在の大変面倒で一触即発の危うい状態になった」


 その言葉が心に刺さり、美空は動揺する。


「ギフォーズさん、ちょっと美空とふたりだけで話したい。席を外すわ」


 有無を言わさず、ジョアンナは席を立つ。

 グラディスは微笑したまま、頷く。


「それは構いませんけれど、でも外は寒いわ」

「大丈夫よ。ほら、美空も」

「う、うん……」


 ジョアンナと美空はドアから庭に降りる。


「美空、誠実なのはいいことだけれど、あんまり相手のペースに飲み込まれちゃだめ」

「うっ、ごめん」


 すっかりグラディスのペースで話が進んでいたことを思い至って、美空は頭を掻いた。

 そして、ジョアンナが自分の側に立って話を進めてくれたことに感激する。


「あの人、イギリス側のスパイってこと?」

「まぁ、そういう(たぐい)の人でしょうね。“虚ろなホロウマン”の捕縛作戦に選出されたってことは、それなりのキャリアがあると思う。そして、米国側の事情にも通じてる。わたしたちをあっさり米国側に引き渡さない辺り、それなりの自由裁量が認められていて、自国だけでなく世界全体の利益を慮る余裕もある……」


 我ながら、危ない綱渡りだった。もしも、グラディスが米国側の言いなりになってふたりの身柄を確保しようと思っていたら、かなり面倒な事態に陥っていたはずだ。


「で、どうしよう」

「まぁ、どちらにせよ、ここは彼女と協力する素振りをしたほうが無難ね。話が(こじ)れると厄介だし」

「オデッサの話だと、なんか目的があるみたい。まだその辺りの話はできてないんだけど」

「そう。彼女の口振りだと、米国側の一方的な独断専行にどうにか歯止めをかけようと思ってるようね。それは美空も納得できる現実的な妥協点だとわたしは思うんだけど、どう?」

「うん、それは同じかな。やっぱり、オリハルコンを巡って血が流れるのは嫌だよ」


 美空は本心を明らかにした。ジョアンナはうんうんと頷く。


「じゃあ、とりあえずは協調しておきましょう。だけど、米国とのパイプも太いとなれば、あんまり期待ばかりもしてられない。彼女がどれだけ外圧を跳ね除けられるか、わからないし。短期的な関係になることも覚悟して、ここは妥協点を探りましょう」


 ジョアンナは大きな声を出して叫ぶ。


「話がまとまったわ!」


 窓辺にたったグラディスが手招きしてみせる。


「さあ、ここからが正念場よ。美空も、気を引き締めて」

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