金剛のエスト
<面白い。やってごらん>
“黄金のグロリア”は“力の剣”の切っ先を“幽冥のエレボス”へ向ける。
美空は息を飲んだ。
好機と見るや、手心を加えようという意図は微塵もない。
純粋な殺意を肌で感じ取り、その恐怖に震えなかったといえば嘘になるだろう。いくら決意と覚悟があるからといって、そう易々と行動に移せるわけではない。これは、すでに一線を踏み越えてしまった者への恐れと不安だ。選んだ結果としての残虐な行為への慄きだった。
<“力の剣”の初手に耐えられるかどうか、わたしも興味があるからな>
“力の剣”が振るわれると、空気中の微細な塵が炎上する。
橙色の火炎とともに斬撃が、凄まじい破壊力を帯びた衝撃波となって襲いかかった。
“幽冥のエレボス”は無防備な美空を庇う形で肘部のブレードを掲げる。
機体を激しい衝撃が襲う。
エリジウム鋼で作られた装甲はびくともしないが、美空の視界が涙で滲み、そして霞んでいく。 空気中の酸素が急激に燃やされたことで、酸欠状態に陥っていた。いくら体力には自信がある美空といえど、無酸素状態で平然としていられるわけではない。
指先の感覚がじょじょになくなっていく。角ばりながらも角自体は削り落とされた装甲から、手が離れてしまう。一瞬の力の緩みが、美空の身体を虚空へ誘う。
意外と呆気なく、宙に投げ出される。
刹那の間、重力を感じなくなって、数秒後には頬で――そして体全体で風を感じた。
<……美空っ!?>
“幽冥のエレボス”が必死に美空へ追い縋ろうとするも、“黄金のグロリア”の追撃から逃れようとして次の一手を封じられてしまう。
名乗らぬ男が美空の名を叫び続けたが、美空にはどこか遠くの出来事のように感じた。
美晴を喪ってから、自分の心の奥底で死を恐れている自分の他に、死を受け入れている自分がいたと思う。
死の恐怖に苛まれながらも、それから決して逃れることはできないという確信にも似た何かがあった。
今が、そのときなのだろうか。
吸い込まれそうになる夕焼けの空に包まれながら、美空は思う。
一方で、守ると決めた一年前のあのときの心を裏切っているような、胸を焦がす罪悪感があった。
結局、自分は何もできなかったのではないかという無力感、表現しがたい絶望感が心の奥底から顔を出す。
助けたかったし、助けられたかった。
潤んだ瞳から涙が零れ出すと、もう止まらない。不思議と、恐怖感はない。むしろ、この気持ちに終止符を打てるのならばと思うと、安堵感すら覚えたくらいだ。
そのとき、黒煙を吹き出し海面を漂流中のラニーミード級汎用揚陸艇のなかの一隻から人影と呼ぶには大きすぎる純白の巨体が姿を現す。第二の太陽のような強烈な光を発しながら矢のように、天へ向けて昇っていく。
それは、まるでこの世のものではない、幻想的な光景だった。
場違いな美しい姿に、美空は一瞬だけ自分の危機的な状況を忘れて、光の巨人の翼のはためきに見惚れていた。優し気で繊細な動作で掌を掲げる。投げ捨てられた美空の体をそっと受け止めた。
<――わたしがあなたを助けましょう>
少年とも少女とも聞こえる電子的に合成された音声が美空に語りかけてくる。
<ですので、美空。どうか、わたしに手を貸してください。わたしを、助けてください>
◆
夕日を背負い、純白の機体が大きな翼をはためかす。
突如として艦船から飛び出してきたFHDの存在に、名乗らぬ男も桜香も創奈も驚きを隠せず、咄嗟の反応が遅れる。
その隙に、正体不明のFHDは白い機体を、白い二対四枚の羽根をひらめかせて、みるみるうちに高度を上げていく。
「……まったく。無粋なやつめ」
創奈は操縦席のなかで顔を歪ませる。
敵味方識別信号では敵性判定。米軍所属機だとわかるが、妙なのはこのタイミングでの乱入だ。
無防備な少女の生命の危機だと判断し、理性的な判断をかなぐり捨てて飛び出したのか、それとも絶好の好機と見てやってきたのか。
<ライブラリ照合。機種特定。これは……>
ディスプレイ越しに映し出された桜香は顔を曇らせる。
<FHDW〇〇一Z……“金剛のエスト”>
驚愕の色を隠さない桜香の言葉に、創奈は改めて目の前の機体――“金剛のエスト”を正面から見据える。空力特性に考慮し曲面を多用した有機的なデザインは兵器の武骨さにはない洗練された印象を与えた。
繋ぎ目が目立たない外部装甲は加工技術の高さを物語っている。肘や膝、それに一部の関節部は鮮やかな緑色に発光している。“幽冥のエレボス”が禍々しい姿であると形容するならば、この“金剛のエスト”にはある種の神々しさが漂う。まさに、少女を救う神の御手だ。
機体のかもしだす雰囲気は創奈の愛機である“黄金のグロリア”に引けを取らない。
「ダブルオーナンバー、だと? そんなものが現存するのか?」
<まさか稼働可能な状況で、それも米軍が保有しているなんて、信じられません。それに、尋常ではない飛翔の速さ、とても旧式機とは思えません。創奈、くれぐれも油断のなきよう>
大袈裟な反応をする桜香の態度に、創奈は鼻で笑い飛ばす。
「ふんっ。あんな陳腐化した骨董品のような存在に、この最新鋭機のグロリアが遅れなどとるものか」
“黄金のグロリア”は保持した“力の剣”を振るおうとする。
しかし、突然現れた純白のFHDは機体の背部から眩い閃光を放つ。周囲を白塗りの世界へと一変させる、強烈な光に創奈も桜香も直視できない。
次の瞬間、機体が小刻みに揺さ振られる。横殴りの衝撃に、何が起きたのか咄嗟の判断ができない。
「馬鹿なっ!? これは……っ!?」
操縦桿やペダルを倒すも、機体は反応しない。ただ、自律操縦システムからの入力によってふたつの機体はただ虚空に浮かぶだけだ。
創奈は反射的に操縦桿のスイッチやボタンを同時に長押しして、システムの強制的なシャットダウンを行う。
「一体、何が起きている……?」
<……もしかして、共鳴現象?>
<ありえんっ!! “力の剣”以外に、それもFHD単体での共鳴だとでも言うのかっ!!>
中空で制止する米軍所属機を前に、“黄金のグロリア”は“力の剣”を振り上げたまま、身動きが取れない。
いわば、眼前の敵に無防備な状態を晒していた。これは絶体絶命の窮地だった。
いくつもの戦いをくぐり抜けてきた歴戦の戦士である創奈とはいえ、さすがに額に冷や汗をかく。今までの戦闘経験において、創奈がここまで追い詰められたことなどない。
「……攻撃してこない?」
<一体、何を考えているんでしょう?>
静止状態の“黄金のグロリア”と“十字のオラクラ”を前に、しかし米軍所属機は攻撃を仕掛けるわけでもなく、ただいたずらに高度を上げて飛翔しているだけに見えた。
「ちっ、こちらを愚弄しているのか? ふざけたやつめ」
創奈は憎々し気に吐き捨てた。
◆
「……あれっ?」
美空が恐る恐る目を開くと、大きな白い掌に包まれている。
<詳しい事情をお話しする前に、空気が薄くなって大変危険ですので、操縦席へ移動してください>
言うが早いか、背面装甲が跳ね上がると巨大な手は美空の体をそこへ向かって放り込むように動く。
金属製の手を前に、美空はされるがまま転がるようにして座席へ収まる。
「誰も、いない」
てっきり先客がいるものとばかり思っていたが、機体はどうやら無人のようだ。座席に本来いるはずの操縦手の姿はない。
“赤のアテナ”の狭苦しいそれと比べるとこのサバイバルセル内部はかなり広い。視界前方は巨大な曲面ディスプレイに外の風景が表示され、意外な解放感がある。こんな状況でなければ綺麗な夕焼けを前に、感傷に浸れたのかもしれない。
<申し遅れました。わたしは作戦情報幇助先進支援分析《オペレーション・データ・エンパワーメント・スマート・サポート・アナリシス》――ODESSAです。“金剛のエスト”の各種システム群を統制する統合支援コンピュータであり、探知した脅威の内容を判断し、最も適切な方法で対処します>
ぴこりんと気の抜けた電子音がなって、頭身をデフォルメされた“金剛のエスト”のアイコンが飛び出す。
「ああ、うん。オデッサね、よろしく」
<はい。ODESSAは戦場における適切かつ最適な作戦行動を支援するために美空、あなたを精一杯お助け致します>
各種スイッチ類がごてごてついたスロットルレバーと操縦桿、それにサイドスティックはなんだか懐かしい。美空は正面と手元を交互に見ながら、率直な疑問を口にする。
「ってことは、今までオートパイロットか何かだったの?」
<はい。現在の“金剛のエスト”は自律駆動モードです。ですが、適合者の着座を確認しましたので、システムを戦闘モードへ移行します。武器管制システムを最適化します>
デジタル表示のサブディスプレイの数値や情報表示ウィンドウの色が黄色から緑色へ変化する。だが、灰色のウィンドウやハイフンばかり並んだ項目も多い。もっとも、特殊な知識のない美空にとっては、それが何を示しているのかよくわからない。
<使用者はコントロール・ギアリングを装備し、端末制御服を着用することで、人型規格端末《フォーミュラ・ヒューマンタイプ・デヴァイス》を活性化できます>
「うん、わかった」
美空はコンソールの左側に固定されたコントロール・ギアリングを取り上げると、手にはめ込む。
美空の手首に合わせて径が調節され、深溝から凝縮されていた発泡金属が展開すると美空の体を包み込む。
「……あれ、これはひょっとして……あーっ!! 痛っ!?」
剥き出しの神経を撫でられたかのような、激痛に美空は女の子としてはあまりに致命的な声を上げた。
美空の体を金属が伝っていき、事前にプログラミングされた形状へ姿を変える。
筋肉を覆い圧力を加えることで筋力を増強するライディング・スーツと、その上から四肢や胸部、首元とそれに頭部を守る厚手のボディアーマー。目元も金属のパーツが覆うと、急にガラスのような透明度に変わる。約一年ぶりの蒸着だ。
<バトルドレス・ユニフォームの形成を確認。“金剛のエスト”の統合戦闘システムと同期します……>
前方のメインディスプレイと三基の多機能ディスプレイ《MFD》には機体が取得したあらゆる情報の数値が更新される。先ほどまで灰色の文字で表示されていた項目にも数字が並ぶ。どうやら操縦手に関する数字らしい。
「早速だけど、あのふたりを止めなきゃ! オデッサ、どうしよう?」
美空は画面前方に映し出されて対峙する“十字のオラクラ”と“黄金のグロリア”に力強い視線を向ける。
美空としては、“赤のアテナ”で馴染みのある双剣が希望だった。剣ならば、美空にも扱えるという強い確信がある。
<“金剛のエスト”の現在の状態は基本システム確認用のため、そして試運転時の危険性を考慮して一切の武装を施されていません>
ODESSAの発した言葉を、美空はうんうんと頷く。
その意味を悟ってつい真顔になる。
「……えっ? それって……」
嫌な予感がする。
<端的に言えば、非武装なのです>
嫌な予感が、的中した。
「……嘘ぉっ!?」
<丸腰なのです>
彼女を思って噛み砕いた表現をするODESSAのアイコンを、美空は恨めしそうに睨んだ。
◆
<創奈、今のを見ましたか?>
「ああ、間違いない。あれはさっきまで無人だった」
創奈はいくつかのスイッチを切ってり、システムを再起動を試みる。
自己診断システムによれば、“黄金のグロリア”側のシステムエラーではない。だが、緊急時のマニュアル通りに対応する。ウィンドウに表示された文字列から、トラブルの種類を推測しようとする。
「別次元の共鳴現象と、システムのシャットダウン。今までに前例のない、異常事態だ」
<戦闘モードの一部に原因不明の不具合が出ています。創奈、不要不急の戦闘は最低限度に抑えましょう。ここは、攻め急ぐべきではありません>
「しかしな。これは電子戦によるトラブルじゃない。それならば形勢が逆転しない限り、安易に退くべきではない」
<ですが、状況は不可測です。引き際をしっかり弁えるべきです>
「慎重さと臆病はまったくの別物だ」
創奈は一部の操作をマニュアルに変更して、機体を巧みに操る。
多くの操作が自動化されているとはいえ、一部の入力を手動にしたところで腕が落ちる創奈ではない。
座席の左右から伸びる操縦桿のボタンやレバー、それにコントロールホイールをいじって機体を巧みに操縦した。
「陳腐化した旧式機め。高みの見物に洒落込むというのであれば……こちらから仕掛ける!」
変則的な動きを加えて、予想困難な軌道で“黄金のグロリア”は米軍所属機との間合いを詰めてそのまま近接格闘戦へ移行する。
一撃必殺の一閃をしかし、米軍所属機は紙一重のところで避けてみせた。
「くっ、こいつ!」
返す刀で俊敏な一撃を繰り出すも、相手はまるで創奈の心を読んでいたかのように絶妙なタイミングで回避行動に移る。
こちらの動きに注視し、神経を尖らせているからこその芸当だ。
創奈は唇を噛む。
決して、自身の力を過信していたわけではないが、予想外の展開に創奈の頭に血が昇る。
「……なんだ、この動きは」
創奈はディスプレイ越しに飛翔する“金剛のエスト”を厳しい視線で睨みつけた。
◆
<現在、情報資源を集中させて、未来予測を演算中……。今は相手の動作をよく見て、回避に集中してください>
「ううっ」
“黄金のグロリア”が繰り出す一撃を、美空は辛くも避ける。
美空の技術力というよりは、むしろ機体性能の高さでどうにかしのいだ。われながら危機一髪だった。かつての美空の乗機“赤のアテナ”であったら避け切れなかったかもしれない。背中に嫌な感じの汗が流れる。
それでも、美空は弱る自分の心を必死に励ます。敵の剣の動き――特に長い切っ先に神経を尖らせて、一年前の感覚を頼りに操縦する。
「でも、武器がない以上、仕方ないか……」
決して経験豊富とはいえない美空だが、相手が只者ではないことは一瞥しただけで容易に理解できた。
かつて敵として対峙した旧クラストの赤津義正や山都竜人と同等、あるいはそれ以上の技量を持っている。
所作に無駄が一切なく、技のひとつひとつが一撃必殺という感じだ。攻撃されると致命的なサバイバルセルを内包する胴への攻撃にも躊躇いはない。美空の生死などどうでもいいといわんばかりの割り切りだ。
「くっ。でも、だからって諦めたりしないんだからっ!」
“黄金のグロリア”の斬撃を回避すると、機体を前進させた。
そのとき、偶然“力の剣”の柄に“金剛のエスト”の指先が触れる。その瞬間、美空の頭には殴られたような衝撃が走った。それはわずか数秒間の短い出来事ではあったが、美空の息が詰まり、何も考えられなくなっていた。
一体、自分の身に何が起きているのか、美空にはわからない。
だが、わからないなりにもこれが危険な状態であるということはなんとなくわかった。恐らく、その衝撃は創奈のほうにもあったのだろう、“黄金のグロリア”の動きが唐突に止まる。傍目から見ても、好機の到来だ。美空は声の限り叫ぶ。
「今だっ!!」
美空は気を取り戻し、推進器の推力を上げた。推力偏向パドルが稼働して、噴流の向きが変わって機体が持ち上がる。急激な挙動に、美空の体が座席に強く押しつけられた。機体にも相当の負荷がかかっていることが振動からもわかる。
加圧呼吸装置と耐Gスーツの役割も果たすバトルドレスの効果で、“金剛のエスト”は長時間9Gに耐える能力を持つ。とはいえ、この9Gの荷重は従来機ではわずか数秒しか耐えられない、人体と機体が耐えられる限界ラインだ。
急激な速度変化に、美空は歯を食いしばってひたすらに堪える。
スーツがぎゅっと締め付けられて、美空の下半身全体をきつく圧迫した。今まで味わったこのない独特な感触だったので、美空は条件反射的に声を上げてしまう。
プラスGによって血液が下肢に移動し、脳に十分な酸素供給ができなくなって貧血のように失神する状態――“ブラックアウト”を軽減するためだ。
下半身だけの圧迫では不十分と判断したシステムが、ベストとヘッドギアを通じて上半身や頭部も加圧する。
「……なんか、胸と額が苦しい」
<“コンバットエッジ”を使用しています。耐G能力を向上させるための処置です。しばらくの間だけですので、どうか耐えてください。なお、不快感の軽減には上半身の筋肉増強や心肺機能の強化が有効です>
「トレーニングは嫌いじゃないよ」
“金剛のエスト”は宙で大きく弧を描くと膝蹴りを繰り出す。一年間の空白期間があったとは思えない、見事な攻撃だった。その攻撃で“黄金のグロリア”は態勢を大きく崩して、その手から“力の剣”が離れる。
「いただき!」
美空がしっかりと“力の剣”を握ると、機体を振動が襲う。
先ほどまでの揺れとは明らかに違う。まるで地震のような震えに美空は目を丸くする。
◆
“黄金のグロリア”の手から“力の剣”を奪った“金剛のエスト”。その腕の先にある“力の剣”は今、まるで太陽のごとく眩い光を放ちながら、機体に振動を発生させていた。度重なる衝撃に桜香も創奈も呻き声を上げてこれを耐える。
<こ、これは……?>
「……これが本当の、共鳴現象」
創奈の技量は確かに高かった。だが、“力の剣”に適性があるのは、明らかにあの少女だ。“十字のオラクラ”を襲う激しい揺れが、それを証明しているかのよう。
基幹システムにはなんら問題はない。だが、機体との同調率が下降傾向にあった。体力や集中力の低下もあるが、あの共振現象が原因と考えたほうがいいだろう。
桜香はふうと息を吐き出す。
<くそっ、すぐに取り戻してやるっ!?>
「お待ちください、創奈。これ以上ここにいてはわれわれに不利です。事前の予定通り、この戦域を離脱します」
<しかし、目的だった“力の剣”が……>
「ここで“力の剣”が手に入らずとも、また別の機会があるでしょう。欲張ってはいけません。ここは“十字のオラクラ”だけで満足しましょう。所定の目的はすでに達しています」
そうと決まれば、もはやこの場に長居は無用だ。
不満げな創奈を尻目に、桜香は機体を転進させる。無防備な背中を晒さないよう、慎重に機体の位置を確認した。桜香の意思の固さを読み取ったのか、それとも彼女なりに何か考えがあったのか“黄金のグロリア”も反転して、“十字のオラクラ”に追随する。
<……確かにな。欲に目が眩んで、無鉄砲な行動を取るのはよくない。システムエラーと格闘しながらの戦闘だなんて、考えてみれば正気の沙汰じゃない。桜香、きみの判断に従う>
創奈は冷静さを取り戻し、落ち着いた声音で語る。語気こそ強く、それゆえ好戦的にも見えるが、長年の経験と勘を持った創奈は勝負所をしっかり弁えていた。それを知っている桜香は何も言わずに、ただ頷いた。
それでも、創奈は名残惜しそうに視線を“金剛のエスト”に向けるので、桜香はそんな彼女を気遣うようにして言う。
「気落ちは不要ですよ、創奈。あの機体とはこれっきりということはないと思いますよ」
◆
メインディスプレイに映し出された二機のFHDの姿がじょじょに小さくなり、やがて画面から完全に見えなくなる。
美空はそれを緊張の面持ちで眺め続けていた。
体を駆け巡る血がまるで沸騰でもしたのかというように熱くなっているような、そんな気がする。まだ興奮状態から冷めない。顔の筋肉も強張っているようだった。その額には薄らと汗をかいている。
「……やったの?」
<“十字のオラクラ”と“黄金のグロリア”の位置情報を消失しました。こちらの探知能力を上回る電子的な欺瞞に加え、センサーを欺瞞するなんらかの手段を講じたものと推察します>
ODESSAの言葉に、美空はつい大きな息を吐き出すと座席の背もたれに体を預けた。
肩に力が入り過ぎて、微かに痛い。頭を左右に振るとごきごきと変な音がする。極度の緊張に、変なところに力が入っていたようだ。
「死ぬかと思った……」
美空は大きな溜息をつく。
サブディスプレイのひとつ、小さく折りたたまれていた情報ウィンドウが大きな表示に切り替わる。すると、前方の大型ディスプレイには“金剛のエスト”に並ぶようにして、“幽冥のエレボス”の機体が迫っている姿が映し出されていた。
<美空。初めて乗る機体での善戦、見事だった>
“幽冥のエレボス”の操縦手のバストアップが画面に表示されるものの、その表情は言葉とは裏腹ににこりともしていない。
「えっ、はい。どうも……」
とはいえ、予想だにしない褒め言葉に、美空はつい身構えてしまう。
てっきり、怒鳴られて叱られるものとばかり思っていたからだ。
<いろいろと話したいところはやまやまだが、生憎今は時間がない。これから送付する地図情報に、座標を書き込んでおく。きみはそこへ急げ>
唐突な言葉に、美空は目を丸くする。
「えっ、なんで?」
<事実はどうあれ、きみは今米軍の艦船からFHDを不当に略取し、占有していると見なされるからだ。このまま地上に降り立ったならば最後、米兵に引き摺り降ろされるだろうし、きみは日本人だ。当事国として、日本国政府も事態に介入せざるをえなくなる>
名乗らぬ男の言葉に、美空は心外だと声を上げたかった。
だが、ODESSAの言葉に邪魔されて、美空の不満はその捌け口を失う。
<“幽冥のエレボス”の操縦手の意見に賛同します、美空。当機の所属は、形式的には米軍の管理下にありました。ですが、それはわたしの本意ではありません。日米行政府の政治的な妥協には強く反対する立場です>
「えっ、そうなの!?」
ODESSAの本意ってなんだろう。美空はそう訊きたかった。
けれど、名乗らぬ男が口を開いて美空に話す暇を与えない。
<そこに行き、ジョアンナ・ジュールという人間に会え。そいつにわたしのことを話し、『貸した借りを返せ』と言え。きっときみを助けてくれるだろう>
「……ジョアンナ?」
<年もきみと近い。会えばきっと、力になってくれるはずだ>
自分のいいたいことだけ一方的に言い終わると、“幽冥のエレボス”は周囲の景色に自機を溶け込ませる不可視モードに移行して、通信も途絶してしまう。美空の疑問や問いには答えるつもりはその態度から見ると、どうやらないらしい。
また、とんでもない事態に巻き込まれてしまった。
美空は取得した位置情報をもとに、ODESSAの案内に従って、“金剛のエスト”を飛ばす。といっても、“赤のアテナ”とは違い、所定の高度にさえ達すれば、自動飛行システムが操作を代行してくれるので美空が操作する必要はない。
「まぁ、仕方ないか。やらなくちゃって、思っちゃったんだもん。やり抜くしかないよね」
「やるべきだ、こうすべきだ」って、ほんのちょっとでも思っちまったら、首を突っ込め。
諦めて絶対に突き進め。
それがどんなに辛い道でも。
母の言葉を思い出すと、どうしても辛くなってしまうけれど。美空は自然な手つきで目元を拭う。
日はいつの間にか沈み、空はマジック・アワーの複雑な色彩を帯びていた。その幻想的な瞬間に、美空は視線を奪われて食い入るように見つめる。赤と青、それに青紫や紫といった色が層を形成し、空を塗り潰していた。
“金剛のエスト”の白い姿は美しい空に溶け込むようにして小さくなって、水平線の彼方へ一体化するようにして消えていく。




