大地《ゼムリャ》
ウラル山脈ロシア国境の北部、チェリャビンスクから一五〇キロメートル北西にあるオジョルスク市。地図上では存在しないことになっている閉鎖都市“チェリャビンスク六一”。
西へと沈んでいく夕日を浴びて、街全体が赤く燃えているかのようだ。
それは、銀一色に覆われてまるで鏡のよう。日の光を反射していることが遠目からでもはっきりとわかる。
だが、エリジニアンや“アルティメイタム”にもどこか似通うある種の禍々しい様相はただただ異様だ。
突如現れた自然界を侵食し続ける異質な人工物、といった趣を醸し出している。
<……何あれ>
眼下に広がる景色に、思わずジョアンナは息を飲む。
<まるで要塞ですわ>
<秘密裏に研究、精製されていたエリジウム鋼が暴走し、他のものまで無秩序に取り込んでいるようだな。テウルギストの仕業、にしては妙だな。ずいぶんと守備に労力を割いているようにみえるが。それとも、これもやつなりに何か考えのあってのことか>
“虚ろな男”は冷静に現状を分析してみせる。
<ねぇ、こんな状況で本当に救出作戦を実行するの?>
<確かに、この状態では林青霞が無事だとは到底思えないが……>
エリジウム鋼の暴走は想定していたよりも、ずっとひどい。
周囲のものを無秩序に取り込んで、自身すらも要塞の一部にしている。
山脈のような“アルティメイタム”もまた巨躯であったが、この“チェリャビンスク六一”は街ごとエリジニアンと化してしまったかのようだ。あまりのスケールに皆、圧倒されていた。
<諸君、絶望するのはまだ早いよ。林青霞の生存を示す携帯端末の位置情報はまだ生きている。今、情報をみんなの端末でも確認できるようにする。二〇秒間待ってくれ>
どこか励ますような口調で、ジョエルは言う。
「もちろん、やるよ」
<いい、美空。作戦目標はあくまで林青霞、彼女の救出だけど、同時に美空は自分自身の身の安全も絶対に忘れないで。大目標は南極の“時の門”だということなんだから……>
ジョアンナは美空にだけ聴き取ることができる回線を通じて、音声通信から囁きかけてくる。
<こんなところで負けちゃ絶対にダメよ>
ジョアンナは芝居がかった咳払いをすると改めて、全員に向けて喋り出す。
<それで作戦だけど、林青霞の救出の主力部隊として“虚ろな男”の操る“幽冥のエレボス”が隠密行動で、ギフォーズさんが制動傘の単独潜入で救助を担う。その間の時間を、美空とララティナが陽動作戦で稼ぐ>
<何事にも保険が必要ですけれど、わたくしのほうだけで十分ではなくて? “虚ろな男”は現時点でこちらの最強のカード、いわば切り札のはず。序盤からきっても大丈夫なのかしら>
グラディスは小首を傾げる。
確かに、彼女の指摘した通り、こちらの勢力で随一の実力者である“虚ろな男”に、林青霞救出の任として送り出すことによる総合的な戦力の低下は明らかだ。
<でも、ギフォーズさんがいくら破壊工作に秀でていたとしても、対エリジウム鋼装甲という観点からすると、誰か使用者をあてなくちゃいけない。その点、“虚ろな男”の“幽冥のエレボス”なら誰にも捕捉されずに林青霞のもとへと辿り着けるはず>
<わたしもジョアンナ、きみの意見に賛成だ>
“虚ろな男”はそこでいったん言葉を切ると、改めてジョアンナに問う。
<だが、問題はテウルギストが“アルティメイタム”をこの“チェリャビンスク六一”と融合させようと目論むことだ。そこまで時間稼ぎができるとは到底思えないのだが>
<それは……>
<“時の門”への到達がわたしたちの最終的な目的になります。それまでの間、“金剛のエスト”が破損もしくは破壊されるような事態は避けたいとODESSAは考えております。ですので、当機の安全が確実に保障できない場合は、躊躇なく“力の剣”の使用に踏み切ってください>
言い淀んだジョアンナの言葉を引き取って、ODESSAが句を継ぐ。
「オデッサ!? でも、いいの?」
<この都市の生命兆候を示す情報は明らかに少なく、環境や他の生命に危害を及ぼす恐れは低く、また前述の目的はあらゆる手段を肯定します。ですので……>
躊躇のない“力の剣”の使用。
それは、横浜港で創奈が用いたやり方だ。世界最強の軍隊を持つ米国海軍の艦艇を、たったの一薙ぎで全て沈没させてみせた。それも、試し斬りの範疇でしかない。
もしも、適性のある美空が全ての力を振り絞って“力の剣”を振るったら、一体どうなってしまうのか。
「……そういう考え方は」
美空は反射的に拒絶しようとして、言葉を濁した。
“アルティメイタム”こそ、“金剛のエスト”と“力の剣”の共鳴現象でどうにかその場をしのぐことができた。
だが、今後もそれが通用し続けるとは限らない。ODESSAの判断は正しい。
楽観論を排して考えれば、むしろ共鳴現象になんらかの対策を施された上での対決になると考えたほうがいい。
だけど、フルパワーの“力の剣”を受けて、はたして敵は生き残ることができるのか。美空は普通の女子高生だ。いくら人助けとはいえ、そのために人を傷付け、命を奪うことなど……。
美晴の死を通じて、美空は奪われることの怒りと悲しみ、そして虚無感を知った。だからこそ、誰かにそれを味わせることに躊躇いを覚える。美空が失ったものを他の誰かから奪うことで、自分が救われるなんて……。
さまざまな思いが脳裏に去来して、ぐちゃぐちゃになっていると、ララティナが小さな声で、だけど明瞭な声音で言う。
<やろう、美空。わたしたちになら、できる>
ララティナの曇りも迷いもない真っ直ぐな言葉に、美空は思わずうんと頷いていた。
◆
南緯〇度二二分、西経一六〇度〇三分。南太平洋ライン諸島ジャーヴィス島。
面積約四・五平方キロメートルのサンゴ礁からなる小さな島。
しかし、このサンゴ礁の無人島は今や、宇宙の玄関口だ。多くの船舶や水上艇、旅客機にヘリコプターがひっきりなしに往来し、もはや海鳥たちが割って入る余地がないほどに開発が進められている。
静止軌道まで約三六〇〇〇キロメートル。地球と宇宙を結ぶ柱、多層カーボンナノチューブ製ケーブルで繋がれた軌道エレベータの発着拠点。
そこに降り立ったのは、ふたりの少女。横浜港で“十字のオラクラ”を米軍から奪った老原翁の孫、桜香と創奈の姿だ。
ふたりは互いに向き合うと、そのまま対峙する。
「……本当に行くのかい?」
それは、創奈が今まで何度も何度も桜香に問うてきた言葉だ。だが、桜香の決意は固い。しっかりと深く頷くと微笑みながら口を開いた。
「ええ。今までお世話になりました、創奈」
「わたしは別にいい。これで契約は終了。わたしはこのまま悠々と南極へ向かって懸案事項をゆっくり潰すだけだから」
山都弥生との“神の骸”の話、そして帰還時の謎の発光現象。そして、何よりも南極の“時の門”をはじめとする遺跡群の存在。
さあ、これからだ。そんな風に思っていた創奈に対し、桜香が提案したのは契約の破棄だ。
米軍が条約に違反して“十字のオラクラ”や“力の剣”を保有していたことを全世界に向かって暴露するという、当初の予定を変更することに決めた。
それは、当初の契約にはなかった事項だ。だから、桜香と創奈の協調関係もここで終わりだ。
「むしろ、悪を名乗って“十字のオラクラ”を奪ったきみが骨を折る必要などないと思うけれど」
無論、創奈にとっては、桜香がどう振る舞おうとどうでもいいことではあった。
他人のやりとりに口出しするつもりは毛頭ない。所詮は契約。お金の払いさえよければそれでいいと創奈は完全に割り切っていた。
傭兵とはそんなものだ。
それが、創奈とのやりとりを通じて、桜香の理想主義的なところが少しでも和らげばいいと思うくらいには仲間意識が芽生えていた。
普段の穏やかで優し気な桜香とは思えない、戦闘時の退き際を弁えている点や冷静な判断には、創奈も一目を置いていた。
正直にいえば、理想のバディだ。
巨額の報酬に、契約通りの履行、戦いの相棒としても申し分ないとあって、だからだろうか、別れがほんの少しだけ寂しい。
「いいえ。ここでロシアの人々を見捨てることは、わたしの最初の目的を穢します」
「悪業背負って悪を絶つ、ね。任侠だねえ」
老原家の連中は、理想主義と現実主義の合間を縫って最初はうまく昇り詰めることができる。
だが、老原翁にしろ、息子の清志にしろ、最終的にはその身を滅ぼしてしまう。
悪を背負って世界を変えようとして、関わりのある人々には惜しまれながらも、それでも世界を変えることができず、志半ばで死に絶えてしまう。
まさに、一族が背負った宿業だ。
彼女もまた、老原家の血の定めにそって、死んでしまうのだろうか。死をも恐れぬ高潔さが彼女の命もまた絶ってしまうのだろうか。
「創奈、お金は万物の尺度ですが、善悪や美、正しさと過ちはお金では測れません。それをお忘れのなきよう」
警告のつもりなのだろうが、桜香の柔和な口調から不思議と嫌な感じはしなかった。
「命あっての物種とも言うしね。だが、金は偉大だよ。ただ人生に豊かさをもたらすだけじゃない。お金とはすなわち労働時間に対する対価であり、それを多く所有することは可処分時間ともいうべきかな、自分の人生を長くすることができる。桜香、きみは長生きできそうにないな」
「そうですね。でも、長く生きることよりも大事なことって、きっとあるとわたしは思います」
微笑みながらも、どこか寂し気な横顔を見て、創奈の心が痛まなかったと言えば嘘になるだろう。
だが、幼い頃から頼れる人もおらず、戦場に身を置き、時に裏切られ、時に蔑まれた過去がここで感情的になることを創奈に許さなかった。
これが今生の別れになるかもしれないというのに、創奈は桜香に言いたいことも言えずに、ただ離れていく背中を見守ることしかできない。
「……そうだ。これでいい。大切なものができたところで、失うときに辛くなるだけだ」
尊敬できる人や戦友と呼ぶことのできるような存在は皆、創奈の手が届かないところへ行ってしまった。どんなに強く願っても、二度と会うことができない、別の世界へ。
だから創奈は自分の気持ちに蓋を閉めて、それ以上は努めて考えないようにする。
今までにない険しい表情を作って、前を見据える。
目指すは南極、“時の門”だ。
◆
ウラル山脈ロシア国境の北部、チェリャビンスクから一五〇キロメートル北西にあるオジョルスク市。地図上では存在を秘匿された閉鎖都市“チェリャビンスク六一”上空二五〇〇〇フィート(七六〇〇メートル)。
すっかり夕日も西の地に沈み、空には夜の気配を感じさせる。
<目標から八マイル(約一三キロ)、降下地点だ。では、諸君。どうにか持ちこたえてくれよ>
<それでは皆さん、ごきげんよう>
“空飛ぶ翼”から“幽冥のエレボス”と、制動傘を背負った強化外骨格のような戦闘服姿のグラディスが機外へ放出される。
“幽冥のエレボス”はすぐさま不可視モードとなり、視界から姿を消す。グラディスの姿もみるみるうちに小さくなり、視認不能になるまで離れていく。
「あのふたり、大丈夫かな?」
<“虚ろな男”もギフォーズさんも一筋縄ではいかないベテランだから、美空が心配しなくても大丈夫よ。むしろ、問題は美空とララティナ、この戦力の最小単位の二人一組、バディ・システムが機能するのかどうか……>
<わたしは大丈夫、問題ない>
<そう? それならいいけど>
そこで“空飛ぶ翼”に乗り込んでいたジョエルがわざとらしく咳払いをしてみせる。
<諸君、くれぐれもナチュラルにね>
<“双身のデュアリス”、着陸地点へ到達。これより“双身のデュアリス”を機外へ放出する。発艦タイミングを“双身のデュアリス”へ譲渡する>
<“空飛ぶ翼”、こちら“双身のデュアリス”。了解。発艦タイミングはこちらに。三、二、一、〇、リリース。ララティナ・レクス、“双身のデュアリス”、発艦>
カウント・ゼロと同時に、懸架されていた“双身のデュアリス”の機体が放り出される。すぐに推進器と補助推力器が火を噴いて遠ざかり、斥候の役割を果たす。
<さあ、美空。最後はあなたよ>
<“金剛のエスト”、LZへ到達しました。以後の発艦のタイミングを“金剛のエスト”へ譲渡します>
<了解! 榛木美空、“金剛のエスト”、出るよッ!!>
ODESSAが指し示すマーキングの通りに、コンソールを操作する。最後にリリースボタンを押し込むと“金剛のエスト”は“空飛ぶ翼”の開放された腹のうちから飛び出す。
“金剛のエスト”は強風を受けてまるで鳶のように高い空をなめらかに飛んでいく。
◆
ウラル山脈ロシア国境の北部、チェリャビンスクからは一五〇キロメートル北西にあるオジョルスク市。
地図の上ではその存在を抹消された閉鎖都市“チェリャビンスク六一”は日も沈み、すっかり夜になった。
長く艶やかな、まだ他の色に染めたことのない黒髪を丁寧に束ねて後頭部でまとめたシニヨン。
神経質なのか、手垢ひとつなく綺麗に磨かれたレンズに黒い縁の眼鏡をかけている。
大きくて丸い瞳は綺麗な鳶色をしている。
細い体つきでしゅっとした印象の、愛らしい少女――林青霞は右手にしっかりと握り締めた携帯端末の情報を頼りに、巧妙に秘匿された研究施設を進む。
“チェリャビンスク六一”で研究用に貯蔵されていたエリジウム鋼が突如として暴走を始め、エリジニアンが出現してからそろそろ半日。施設に配置されていた対エリジウム鋼装甲兵器戦のエキスパートたちの奮戦もむなしく、閉鎖都市はロシア人の管理下から逃れようとしていた。
青霞は他の職員たちとはぐれたふりをして、施設の深部へと向かっていた。
彼女は優秀な科学者としての側面と、米軍諜報軍特別検索群“クロームクラウン”第一一九特殊作戦部隊の協力者――“資産”というふたつの側面を持っていた。
青霞は背中のバックパックから特殊な器具を取り出すと、天井から吊り下げられた空調用の大型ダクトのフィルターを丁寧な手つきで取り外す。
小柄な青霞にとって、脚立なしで大型ダクトへ飛び移るという芸当はかなりの難易度だ。
だが、ここで周りの椅子や箱を積み上げて、痕跡を残すことは是が非でも避けたい。
今、青霞をはじめとする生き残りは皆、小型の――と言っても約一・二トン、一五〇〇ccクラスの自動車とほぼ同じ重さのエリジニアンに追われる身だ。
バトルドレスを纏った使用者でなければ戦いにもならない。一方的に蹂躙されるのがおちだ。
青霞は背中のバックパックから先端に超強力な電磁石のついたロープを取り出すと、ひゅんひゅんと音を立てて回し始めた。
狙いを慎重に定めて、ダクトのなかに放り込む。
ロープの端に設けられたボタンを押して、先端の電磁石が鋼鉄製のダクトに張り付く。
青霞はゆっくりとロープを手繰り寄せていく。
そして、渾身の力を両腕に込めた。
白衣の下の私服のなかに着込んだ特殊部隊員が着用する筋力増強用のスマートスキンが、青霞の筋肉を適度に圧迫して、非力な少女の腕力を増幅してみせた。
体重が軽いのが幸いした。
青霞の体は遅くとも確実にダクトのなかに入っていく。
青霞は大きく息をついた。諜報軍の“資産”として特殊な訓練を“農場”と呼ばれる施設で一通り受けて来た。
だが、青霞とてまだ一五歳になったばかりの少女だ。適性は明らかに研究にあって、こういった工作活動にはからっきし向いていない。だが、適性がなかったからこそ、逆に抜擢されてロシアに派遣されたともいえる。
それでも青霞は心のなかでかつての自分の決断を呪ったりはしない。
あの男――ジョエル・ジョンストンに出会ってそれは確信へと変わった。全てが手遅れになる前に、自身の務めを果たすつもりだ。
<グレー・ブレイン、こちらはイェーガー・ワン。“買い物”は順調かい?>
ジョエルからの秘匿通信だ。
青霞は食らいつくようにして、携帯端末に向けて早口で言い放つ。
「イェーガー・ワン、こちらはグレー・ブレイン。“買い物”は難航中です。品物の場所はわかっていますが、ショッピングモールは“警備員”だらけです。他の買い物客は皆捕まったか、退却しています」
<では、こちらも退却の検討を?>
「それはできない相談です」
<いい気迫だ、グレー・ブレイン。それに、こちらには今、強力な助っ人が来ている。彼ら彼女らには“警備員”を倒す力がある。好機は今しかない。ぼくたちの祖国のために、ここはひとつ自らの務めを果たしてほしい>
「もちろんです。ですが……」
<テウルギストの狙いが万一、エリジウム鋼ではなくぼくたちの“欲しい物リスト”の一番上だった場合、これは合衆国だけでなく、全世界にとっての脅威となる。頼む、グレー・ブレイン――いや 青霞。世界のために、どうか役目を全うしてほしい>
場違いにも聞こえるジョエルの優しい囁きだが、それに心揺さぶられる青霞ではない。
もしも、テウルギストの狙いがエリジウム鋼ではなかった場合。
もしも、テウルギストの狙いが自分たちと同じだった場合。
それは、最悪の事態だ。それだけは、絶対に防がなくてはならないことは頭ではわかっている。だが、問題は、その務めを青霞が果たせるのか、ということだ。
<大丈夫だ、青霞。きみなら……きみにしかできない>
ジョエルはまるで恋人に囁くようにして言う。
わたしにしかできない。
そんなこと、この男に言われずともわかっている。
自然と心臓の音が大きくなった。青霞は埃っぽいダクトのなかを懸命に匍匐前進で向かっていく。
◆
“虚ろな男”やグラディス、青霞が隠密行動を強いられるなか、唯一テウルギストだけは自身の存在を秘匿せず、堂々と“チェリャビンスク六一”を突き進むことができた。
それは、背後にまるで銀色の山脈のような“アルティメイタム”を従えているということもある。おかげで、ジョアンナたちに存在と位置を暴露してしまうが、そのかわりに進軍速度は誰よりも早い。
<愚かな。使用者の限界操縦量を超えるエリジウム鋼を貯め込むからこういう目に遭う>
テウルギストは“白金のサージスト”を駆りながら、全周囲モニターを確認する。
テウルギストに“白金のサージスト”を提供した協力的な英国側のエージェントから、ロシアが旧ソ連時代からここで極秘裏に管理する“遺物”の存在をテウルギストは知らされていた。
“モノリス・ゼロ”。
アフリカ・タンザニア北部ンゴロンゴロ保護区にある谷幅数百メートル、全長四〇キロメートルにも及ぶ巨大なオルドヴァイ峡谷――この峡谷では多くの化石人骨や石器などが見つかっている――で発見された石柱だ。
独立後に大統領となったジュリウス・ニエレレは自身が提唱した「アフリカ社会主義」の失敗の果てに、旧ソ連からの秘密裏に支援と引き換えにこの“モノリス・ゼロ”――“進化の柱”を譲渡した。
硬質で、どんな物質で構成されているのかは解析できず、現在でも不明だ。
外見は非常に滑らかで傷ひとつなく、人類の技術では物理的に破壊できない。透き通っているが光をほとんど反射しない。まれに光を強く反射する。非常に強い磁性を持ち、周囲は磁気異常に陥る。
<“モノリス・ゼロ”。人とエリジウムが思考を通じて相互に作用できるきっかけとなった石柱さえあれば、わたしも美空さんのように自由自在にエリジウム鋼を操れるでしょう>
口元を歪めるテウルギストであったが、不意に“白金のサージスト”に向けて杭状のエリジウム鋼が射出される。
無論、易々と貫かれて果てるテウルギストではなかったが、驚かなかったと言えば嘘になる。
<馬鹿な。これは一体>
テウルギストは顔を顰めた。
<わたしの支配下にも、“アルティメイタム”の制御下にもないとでもいうのか?>
<その通りだよ、テウルギスト・タリスマン>
“白金のサージスト”の機体のなかに木霊する、少女の声。
毛先が軽くウェーブしたショートボブカットの、栗色の髪に黄緑色の瞳の少女だ。年の頃は青霞と同じくらいに見えるが、あまり幼い印象は受けない。過去の怒りと悲しみで自然と大人びてしまったような趣を感じる。
<“チェリャビンスク六一”はこのリータ、リータ・ロース=マリー・ローゼンクウィストの支配下にある。もちろん、あんたが欲しくて欲しくてたまらない“モノリス・ゼロ”もね>
<……なん、だと?>
目を見開くテウルギスト。このまだ幼さを残す少女が今まで隠され続けてきた“モノリス・ゼロ”の存在を知っているとは。テウルギストは反射的に舌打ちしそうになり、かわりに歯を食いしばって耐えた。
<まさか、旧“クラスト”派残党が>
<そのまさかだよ。今、このチェリャビンスク六一のエリジウム鋼はあたしによって統御され、さしずめ、自己増殖機動要塞エリジニアン・ベースと化した>
<自己増殖、機動要塞……エリジニアン・ベース>
リータの言葉に、テウルギストは暫しの間圧倒されていた。テウルギストの行動に呼応して、先手を打つような真似をするとは。未来予測演算にはなかった事態に、テウルギストは驚きを隠せなかったが、すぐに余裕を取り戻す。
<エリジニアン・ベースですか。しかし、恐れるに足らず。わたしには“アルティメイタム”がある。いかに都市規模のエリジウム鋼とはいえ、所詮エリジニアン・ベースは“アルティメイタム”の養分。このまま融合し、絞り尽くしてみせましょう>
<直接蒸着していない“アルティメイタム”こそ、エリジニアン・ベースの餌でしかないことを教えてあげる>
<直接的な蒸着は直感的な操作性に優れていますが、対エリジウム鋼装甲を主眼に置いたFHD“白金のサージスト”を前にして、よくもまあそんな大胆なことが言えますね。旧“クラスト”派が束になってかかっても倒せなかったこのわたしを前にね>
“白金のサージスト”の周りのエリジウム鋼が姿を変えていく。それはまるで首長竜だ。だが、その胴は恐ろしく長くて大きい。それが無数に出現していく。テュルク系民族の伝承に登場する、複数の首を持つ竜ズメイを彷彿とさせる多頭の竜の姿だ。
<あたしの“ゼムリャ”は、あんたの自慢の“アルティメイタム”に負けはしないよ>




