最後通牒《アルティメイタム》
ララティナに導かれるままに、ジョアンナは坑道をただひたすらに走る。壁面全体を覆うエリジウム鋼の様子がおかしい。妖しげな発光を繰り返し、表面の形状を立方体に変化させて、その構造が安定していない。
「われらの石、暴れてる。人、飲み込まれる」
その言葉とは裏腹に、ララティナは鬼気迫る表情だ。背後で、大きな音がする。通路の天井が崩落し、退路がなくなっていく。もはや戻ることなど許されない。今は腕を引くこの少女を信じて進むしかない。
まったく、本当に嫌な巡り合わせね。ジョアンナは心のなかで呟く。
急に、先を駆けていたララティナが立ち止まる。すぐには止まれずに、ジョアンナの体はララティナの背にぶつかる。ララティナが思わず後退って、自然とジョアンナがその肩を受け止める形になる。
ララティナの視線の先には、壁面に半身をめり込ませ、そして今も吸い込まれていくエリクシルの民の姿だ。彼らの言葉で何事かを必死に叫び、まだ無事な手を振って必死にもがいている。
ララティナが反射的に駆け寄ろうとする。だが、ジョアンナは良心に麻酔をかけて、ララティナの両肩に力を込めて、この場に押し留める。振り返るララティナの絶望に沈んだ顔。そこに、ジョアンナは真正面から向き合う。
「だめよ、ララティナ。あの人はもう、助からない……」
「でもっ!?」ジョアンナの腕のなかでララティナが暴れる。
「あたしとあなたはまだ初対面で、どんな人間なのか、いやどんな性格なのかすら全然わかってない。でも、今ここであなたを行かせちゃだめなことくらい、ここでわたしが止めなくちゃならないことくらいは、わかるの!」
ジョアンナは逆に、ララティナに迫る。
「案内して。ここから出る方法を。そして、必要なんでしょう? あなたの力が!」
ジョアンナの叫びに、ララティナは自らに課せられた使命を思い出したようで、また駆け出す。
ジョアンナは一瞬だけ、背後を振り返った。
通路は完全に収縮し切って、そこには誰の姿もいなかった。
◆
鮮やかな青い機体だ。ララティナに導かれるがままに駆け抜けた先、辿り着いた果てにジョアンナを待ち受けていたのは、全長二〇メートルを超える金属製の巨体の姿だった。
その背部は円状のユニットを背負っていて、さながら後光を纏う宗教像のような趣だ。
巫女のララティナのイメージに合致した、力強くもどこか女性的な機体にジョアンナには見えた。
腰や前垂れには“十字のオラクラ”のような空間を自由に飛び交い再び戻って来る装甲貫徹飛翔体を備え、腕部には三枚の刃が連なった熊手型の装甲切断ブレード、指先と掌にはそれぞれ|高エネルギーレーザー砲《HELG》が備え付けられている。
「……これがグラディスの言ってた、英国製の最新鋭FHD」
「“双身のデュアリス”。わたしの力」
取り出したコントロールギア・リングを腕につけると、その体にバトルドレス・ユニフォームを装着する。
機体と同じ青を基調とした戦闘服に身を包んだララティナはコックピットにジョアンナを招き入れると、背部装甲を閉じる。
「よし! これならたとえエリジウムが行く手を阻んでも、強行突破できるわね」
「それは、しない」
「……なぜ?」
「こんな真似、できるの、師匠だけ」
推進器から火が吹いて、機体を軽々と宙へ浮かす。
構造物への破壊を最小限に抑えて無用な崩落を防ぐべく、握り拳で壁面を慎重に押し砕いていく。
「ちょ、ちょちょちょっと! どこ行く気?」
「一番地下、神殿」
「ちゃんと勝算はあるんでしょうね?」
「師匠を、問い質す」
「あのさ、その師匠さんって、話せばわかる人なの? こういう状況まで事態が悪化したときってさ、大抵わかり合えた試しがなくない? 不毛だとは言わないけれど、物別れに終わりそうであんまり期待できないんだけれど」
ジョアンナの問いに、ララティナは黙り込む。
「……それでも、戦う」
その横顔の頑なさに、ジョアンナはわざとらしく溜息をついた。
◆
山間部に隠匿されたエリクシルの民の住む地下空間。その最深部、神を祭る神殿で美空とテウルギストは互いの機体に乗り込む。そして、“金剛のエスト”と“白金のサージスト”はそれぞれ武器を手にして、対峙していた。その姿はまさに神と神の戦いを表す古代の神話のよう。
<美空さんとわたし、ともに同じ道を歩めないのは残念でなりませんが、それでもわたしはあなたに感謝を申し上げたい。なぜならば、あなたがここに来なければ、決して“時の門”は開かなかったでしょう。そういう意味では、運命を感じます。こうなる定めだったのだと>
テウルギストはどこか嬉しそうに言う。
その余裕綽々な態度が何よりも美空は気に入らない。
「オデッサ、あの人を止めよう」
<いいえ、その必要はありません>やる気満々の美空の出鼻を挫くODESSAの言葉。
「……えっ? どうして?」
<南極大陸にある“時の門”の封印を解くために、どうしてもこの場にわたしとあなたがいる必要があったのです。本目的が果たされた以上、もはやこの場所に用はありません>
この場所にもう用はない、だって。美空は目をぱちくりさせた。今、美空はテウルギストを前に、一戦交えようとしているさなかなのに。それなのに、戦う必要がないと言うODESSAの言葉が信じられなかった。
「でも、テウルギストさんは、何か企んでるんだよ?」
<美空、わたしには希望があると、以前お話ししましたね。そう、何を隠そうわたしの最終的な目的は南極大陸にある“時の門”、そこにあるのです。それゆえ、ここで無用な戦闘を行って、自機または美空に致命的かつ決定的な損壊を受け、本来の目的を果たせなくなる恐れを避けたいと考えています>
感情を排した合成音声に、美空の苛立ちが募る。
「戦わない、っていうのッ!?」
美空が激しい感情を露わにしたまさにその時、祭壇の壁が突き破られる。
一機のFHD――“双身のデュアリス”が美空とテウルギストの間に割り込むと、そのままテウルギストの操る“白金のサージスト”へ物凄い勢いで突っ込んでくる。
堪らず、“白金のサージスト”は装甲貫徹電磁ランスを盾がわりにして、どうにか押し留める。“クラスト”部隊を撃退したという話はおそらく事実だ。ララティナも、そしてこのテウルギストも相当な使い手に違いない。
<師匠様、これは一体? なぜ“オリハルコン”が民を飲み込んでいるのですか!>
「“オリハルコン”が、人を飲み込むッ!?」
翻訳されたララティナの母語に、美空は思わず絶句する。
<誰もが皆傷つけられずに笑顔で、そして幸せでいるためですよ。ララティナ>
テウルギストの諭すような言葉に、ララティナは息を飲み、押し黙る。
<……そんなのッ! 間違ってるッ!!>
ララティナは激しい感情の乗った叫びとともに、FHDによる強烈なタックルをお見舞いする。いくら広い地下空間と言えど全長二〇メートルを超えるFHDが二機も戦い合えば、その振動と衝撃で神殿はダメージを負う。
「オデッサ、あの子に加勢しなきゃ!!」
<いけません、美空。いたずらにこちらから戦闘を仕掛けるような選択は避けるべきです。テウルギストの野望は確かに、あなたと当機に危害を加える恐れがありますが、こちらにも相応の被害が出ます>
「でも! だからって、こんな……っ」
<何やってるの、美空!? 今なら二対一、数的優位な状況で有利に戦える>ジョアンナの言葉が通信で入る。
“白金のサージスト”は巧みにランスを使って、“双身のデュアリス”の装甲切断ブレードの猛攻を防ぐ。
そして、形勢逆転の転機を――つけいる隙を虎視眈々と窺っている。
ララティナの“双身のデュアリス”もまた近接格闘用装甲貫徹ランスの一突きを警戒して、懐へ飛び込めない。
「オデッサ!」
<……しかし>ODESSAの声音に困惑にも似た色が混じる。
美空はそれでも懇願せねばならなかった。
ODESSAは正しい。それに、美空とてODESSAの希望を叶えてやりたい。その気持ちに嘘偽りはない。
だけど、このままララティナとジョアンナの窮地に手出ししないだなんて考えられない。それに、テウルギストを止めねばならない。あの人をこのまま放っておけば、とんでもない事態に陥ることは明白だ。
「お願いだよ、わたしを助けて」
焦りと不安のせいで、言葉にならない。だから、美空は今の自分の心境をそのまま語りかけた。ぽつりと呟かれた言葉に、ODESSAは意味深な沈黙をしてから、美空に向けて穏やかに語りかけてくる。
<……仕方ありませんね。美空がわたしを助けたように、わたしが美空をお助け致します。わたしたちはふたりでひとつなのですから>
“金剛のエスト”の発光体が眩い緑に輝く。
先ほどまでの機体の重さがまるで嘘のようだった。体が軽い。まるで自分の手足のように易々と動かせる。これならば、“白金のサージスト”に自信をもって立ち向かっていける。
<ですが、わたしは必ず“時の門”へと向かわなければなりません。美空、それにはあなたの協力が必要不可欠です。それをどうか、お忘れなく。そして何よりも頼りにしています>
“金剛のエスト”が“力の剣”を構えて、“白金のサージスト”に向かって走る。
対するテウルギストも即座に反応し、ララティナの操る“双身のデュアリス”を壁際に追い詰めて、二機から間合いを取る。
<ほう、それがあなたの下した答えですか。美空さん。残念です。残念ですよ、あなたとわたしには戦う理由なんてないのに。むしろ、同じ方向を向いて、ともに歩むべき同志とすら感じていたのに>
「じゃあ、なんで自分と同じ民族の人を“オリハルコン”を使って取り込んだの!」
美空の追及に、テウルギストは鼻で笑う。
<一年前の老原動乱の際、わたしは悟ったのです。こんなことを繰り返していてはいつか必ず人類は滅んでしまう、とね。それも、神や信仰ではなく、戦いのあり方を変えるという、軍事的な利益を享受するためだけに>
テウルギストはランスを振るい、ララティナのFHDに襲い掛かる。
ララティナの“双身のデュアリス”は誘いには乗らずに、壁をつたって攻撃をいなす。
<わたしは人々を救済し、そして世界に変革を迫る。人を超えて神に至る>
そのとき、神殿に安置されていた“クラスト”とエリジニアンの残骸が機体形状を慌ただしく変化させていく。
その唐突な動きに、美空は何か罠でも張られていたかと身を強張らせた。
<さあ、魂の宿らぬ“オリハルコン”よ、集え。われのもとへ>
テウルギストの言葉を合図に、エリジウム鋼が集合合体を繰り返して、その姿を肥大化させていく。そのあまりの量に神殿の設けられた巨大な空間が削り取られ、そして壊されていく。
エリジウム鋼を抜きにした地下構造が自重に耐えられずに崩落していく。砂埃が天井から舞い降りてくる。
「そんな、破片と残骸、それに遺跡が組み上がって……ひとつになっていく」
「テウルギスト。あなた一体、何を企んでいるの?」“白金のサージスト”を睨みながらグラディスが問う。
<そんなもの、逐一説明などしなくても一目瞭然、そこで見ていればわかりますよ>
テウルギストの言葉通りだった。
それは、口の裂けた恐ろしい怪物の姿。触れるのを思わず躊躇ってしまう刺々しい外観と金切り声。
あまりのスケールに遠近感が狂う図体の割には、鋭角的で筋肉質でそして俊敏そうなフォルム。そう、これはまるで――。
<まさか、これって>目の前の壮絶な光景にジョアンナが絶句する。
「……エリジニアン」
<そう、これが戦略級超質量大型エリジニアン集合体“アルティメイタム”。思考する金属“オリハルコン”が行う未来予測演算で統御され、最強の矛と最強の盾を兼ねるエリジウム鋼の装甲外殻で覆われた、最高にして最強の存在。力の臨界点にして唯一の頂点>
テウルギストが謳い上げるようにして宣言すると、“アルティメイタム”は独特の金切り声を上げて、自身の誕生をそして、その存在を声高に叫んだ。
<……嘘、でしょ?>
「ああ、なんてこと。悪い夢でも見ているかのよう」
「……これはまるで、怪獣」
天井を削り取っていた巨躯と背びれ、そして尾がついに、下から押し上げる形で地下施設を穿つ。もはや、この巨獣を抑え込むことなどかなわない。“アルティメイタム”の体がエリジウム鋼を剥ぎ取られて崩れゆく遺跡をその内側から壊す。
<まずはここから出ましょうか。“アルティメイタム”>
テウルギストの呼びかけに応じて、“アルティメイタム”は口を大きく開ける。
そして、青白い光の奔流を頭上に向けて吐き出した。
エリジウム鋼が剥がれた天井は易々と砕かれ、一瞬で隅へ押しやられ、いとも簡単に砕かれて崩落し、有り余った力の奔流は威力もそのままに、天まであっという間に駆けていく。
その頭上を飛行していた米軍所属の無人航空機が青い光に絡めとられると、接触部分が一瞬で溶解し、機体はそのまま呆気なく空中分解してしまう。それはまるで玩具のように儚く、脆かった。
巨躯が辛うじて残っていた地下居住区に最後の一押しを加えて、潰しながら這い上がる。あんなに深くまでもぐってきたというのに、この“アルティメイタム”はあまりの巨体に、すぐに地上へと姿を現してみせる。
<圧倒的な力の顕現。もはや全長二〇メートルを超えるFHDですらアリですね>
“アルティメイタム”は自身の全高にも匹敵する尾で薙ぐ。すると、作戦区域に展開していた米軍の人型機動兵器を容易く蹴飛ばす。腕を振るう、肩からぶつかる、脚で払う。たったそれだけの動作で、いとも簡単に米軍機が蹴散らされていく。
当然、米軍機だって黙っていない。
彼らはこの作戦のために特別に用意されたエリジウム鋼製弾丸・弾頭で必死に応戦し、この“アルティメイタム”を押し留めようとする。しかし、“アルティメイタム”のその圧倒的なスケールの大きさと強固な外殻に阻まれて、有効なダメージを与えられていない。
「ねぇ、オデッサ。“力の剣”ならあんなにデカくても切れるんだよね!?」
<はい。ですが、あの“アルティメイタム”は全身にエリジウム鋼製の武装を張り巡らせています。接近戦となると、こちらも機体を損傷させる恐れがあり、大変危険です。何よりもあの巨躯、エリジウムの未来予測演算能力がこちらをはるかに凌駕している恐れがあります。策なく安易に接近するのは、自殺行為です>
ODESSAの反応は芳しくない。
「なんとかならないの?」
<現在、現状に最適なミッションプランを立案中。あと一二〇秒お待ちください>
<来ませんか。ならば、こちらから打って出ますよ。さあ、“アルティメイタム”よ、薙ぎ払え!>
“アルティメイタム”の背中の剣山と化した廃熱フィンから真っ白い蒸気が噴き出て、あまりの熱に陽炎が立ち上る。
そして、その顎がゆっくりと開くと、口の奥から青白い光の奔流が放出される。
敵対空砲火を警戒して高高度を飛翔していた無数の航空無人機が片っ端からとらえられていき、焼き払われていく。その光線は背後にそびえるウラル山脈を掠めると稜線をこともなげに削り取ってしまう。
<ふふっ、試し打ちでこの威力。ですが、“アルティメイタム”の力、こんなものではないですよ>
背中から生える無数の剣のような物体が凄まじい速度で打ち出され、残存する航空無人機を蜂の巣にしていく。もはや、この空に逃げ場はない。どこを飛んでも、“アルティメイタム”の攻撃の餌食だ。狩人は獲物に成り下がった。そして、この狩人は無慈悲だ。
「このままではいけません。美空さん!」
「……もうちょっい待って」
<じゃあ、こっちが! ねぇ、ララティナ>ジョアンナがララティナの肩を叩く。
<うん>
ララティナの“双身のデュアリス”が“アルティメイタム”が今し方開けた穴から飛び出す。
腰や脚のつけ根にマウントされた飛翔体を射出する。
ロケット推進器で存分に加速するエリジウム鋼でできた飛翔体は、“アルティメイタム”の体に続々と突き刺さっていく。
<だめ、きいてない>
<じゃあ、他の攻撃を!>
「でも、師匠もいる。隙、見せたくない」
“双身のデュアリス”には他にも多数の武装がある。しかし、テウルギストの操る“白金のサージスト”の存在も踏まえれば、迂闊に攻撃できないということだろう。ララティナの冷静な対応に、しかしジョアンナは悔しそうに唇を噛んだ。
<ちょっと、何か弱点はないの?>
<無駄ですよ。その全長は四〇〇メートルを超え、もはやちょっとした山のサイズ。その程度の威力の兵装では足止めすることすらかないません。さあ、“アルティメイタム”!>
テウルギストの命令に、“アルティメイタム”は短距離プラズマトーチ攻撃で応じる。凄まじい高熱と強烈な衝撃波を伴いながら、地上部隊を大地ごと焼き払っていく。当然、その光にとらえられた機体はあるものは両断され、またあるものは溶解される。発せられる熱があまりに高いので、空を漂う微細な物質すら容易く燃やしてしまう。
「なんということ、人類対人類という暗黙の了解で開発された兵器ではもはや対応ができない」
「ねぇ、オデッサ! なんとかならないの!」
<現時点での唯一の対抗手段は“力の剣”です。しかしながら、あの巨躯を相手に近接格闘を行えば必ず反撃され、その際に損傷は必至です。現在、被害をもっとも軽微な形で攻撃可能な進撃経路を計算しています>
「そんな、見てるだけだなんて……」
燃える大地を前にして、美空は歯噛みした。