滅びの光
美空、グラディス、そしてテウルギストたちと別れたジョアンナとララティナは、施設の奥で聞こえてくる銃声を耳にしてに、互いに顔を合わせて訝しむ。
「どうやら、休んでいる場合じゃなさそうね」
「行こう」たどたどしい英語で応じるララティナ。
ジョアンナは腰掛けていたベッドから飛び起きた。膝にかけていた毛布をつい先ほどまで座っていた場所へ器用に投げ飛ばす。そして、懐から拳銃を取り出すと、ララティナの先導で遺跡の奥へ奥へと走っていく。
ジョアンナは周囲の様子を覗う。銃声以外に、建物の様子に変わりはない。
「こっち、近道が」
ララティナが通路の壁面に手をかざすと、エリジウム鋼の形状が変化していき、別の通路が姿を現す。
ふたりは全速力で走りながら、ジョアンナは現在の状況を整理する。テウルギスト、美空、それにグラディスだけが進んだ先の奥地で発せられた銃声。それに呼応してララティナがジョアンナの身柄を確保しないということは、エリクシルの民が事前に諮っていたということはなさそうだ。
だが、状況によってはララティナがジョアンナを拘束して、美空との取引材料にするかもしれない。最悪の事態を想定して、ジョアンナは拳銃をしっかりとした手つきで握り締める。
「……まるで、迷路ね」
「それよりも、一体何が」
「銃声ってことは、きっとグラディスよね? 美空は銃を使わないし。ついに本性を現したのか、あるいはあなたのところの師匠さんが何かやらかしたのか」
「あの、日本人は?」
ララティナの警戒心が強く滲み出た視線を向けられて、ジョアンナは笑いかける。
「あの子はそういう感じじゃないの」
別の通路に出ると、大量の住民が地上を求めて走り抜けていく。濁流のような混雑に、ジョアンナとララティナの足が止まる。そこに、ララティナの名を叫ぶ大男が駆け寄る。そして、大声で何事かを捲し立てると、足早にその場から脱兎の如く駆け出してしまう。
ララティナの顔から血の気が引く。
一体、何があったのかわからないジョアンナは苛立ちも露わに、ララティナの剥き出しの肩を両手で揺さ振って訊ねる。
「ちょっと!? どうしたの? 訳して!」
ララティナは口をぱくぱくと上下に動かすも、うまく言葉が出てこない。
「われらの神、人々、飲み込んで」
「……はぁ?」
まるで要領を得ない。
ジョアンナが次の手を決めかねていると、不意にララティナが腕を取ると、また別の道を走る。ジョアンナはその小さな手に引っ張られるまま、坑道を進む。ジョアンナが訊くよりも前に、ララティナはまるで叫ぶようにして言う。
「今こそ必要、あたしの力」
◆
ウラル山脈の麓。留め置かれたトランスポーターの後部シャッターが開くと、そこからゆっくりと体を起こしたのは“金剛のエスト”だ。
<できれば穏便に事を運びたかったのですが、美空の身に危険が迫っている以上、手段を選んでなどいられません。システム、戦闘モード。現在の周辺環境に最適化し、ただちに美空の身柄を確保します>
ODESSAの言葉に応じて、“金剛のエスト”は自律駆動モードでトランスポーターから降り立つと、背中に保持した“力の剣”の柄にマニュピレータを這わせて、鞘から引き抜く。
<しばらくの辛抱ですよ、美空。だから、それまでの間はどうかご無事で>
言うが早いか、“金剛のエスト”は“力の剣”を山肌に偽装したエリジウム鋼製の扉に突き立てると、強引にこじ開けていく。
◆
昇降機は物凄い速さで地球へ向けて落下していく。
だが、体に感じる負荷はそれほどでもない。それに壁面に映し出される映像は表示速度が制御されているので、視覚情報から乗り物酔いになることもない。だが、桜香はまるで外の景色には興味がないらしく、座席に浅く腰掛け、膝に手を置いている。
「もしも、世界が滅びの道を辿っていたとして、桜香はそれを止めるのかい?」
「質問に質問で返すのは無礼だとは思いますが、逆に創奈はそれを見逃すのですか?」
桜香とは対照的に、創奈は座席に深く腰掛け、背もたれに寄りかかってくつろいでいる。
「いいじゃないか。歴史のある段階で人類が次第に生まれたように、ある段階で人類が次第に消えていっても。そこに善も悪も、正しいも悪いもないだろう」
「それはまぁ、ずいぶんと虚無主義なのですね」
「現実主義だと言ってほしいね。この世の全ての価値尺度のなかでもっとも優れているのは、現実だよ。それがあるときは肯定し、またあるときは否定する。でも、それでいいじゃないか。むしろ、そうでないと無理に言い張るから理想と現実が乖離してしまう。そこから生まれる怒り、悲しみ、苦しみがある」
桜香は思った。それもまた、生きにくいこの世界を泳いでいく上では必要な処世術だ。そういう考え方をすることで、安らぐ心があり、助かる人もいる。そうして、回っていく世界もあるだろう。
「それでも、わたしは決めたのです。そういう世界から反逆してみせる、と」
言い終えて、桜香は目を瞑る。
瞼の奥で笑う祖父と父の微笑みを思い浮かべて、桜香は自分の気持ちを強く持つように努めた。
「そういうことなら付き合うよ。まぁ、契約だからね」
創奈は穏やかな横顔で言う。そんな創奈を、桜香は冷たい人間だとは思わない。そういう生き方を包摂してこその多様性だと思っているからだ。
◆
ウラルスタン・ロシア国境地帯、人の営みから遠く離れたウラル山脈の渓谷。
エリジウム鋼が山肌を模して隠匿された地下遺跡、その最深部の祭壇へ案内された美空とグラディスは、テウルギストと対峙していた。
今、テウルギストの長身痩躯にはグラディスの銃撃によっていくつもの穴が穿たれ、そこからは銀色の液体が溢れ出して止まらない。
「……テウルギスト、さん?」
美空の呼びかけに、テウルギストは笑みをもって応えてみせた。そこに苦悶はない。死に行く定めの者が浮かべる弱々しい笑顔、というわけでもなさそうだ。あまりの致命傷に痛覚が麻痺しているのだろうか。
「なるほど、さすがは数々の戦場と権謀術数を潜り抜けてきた女狐グラディス・ギフォーズ。本当に、情け容赦というものがない。わたしも、その非情さと冷徹さは見習わなくてはならないかもしれないね」
その穏やかな金色の瞳がグラディスをしっかりと見据える。その足元は確かで、執拗に加えられた銃撃にもいささか動じなかった。その恐るべき脚力を、美空は不審に思った。このテウルギストは何かがおかしい。
「嘘でしょう。弾は確かに体をとらえ、内部の臓器を確実に破壊して貫通した。それなのに、なぜ動けるというの?」
「多少の知識はあるようだけど、やはり使用者でなければわからないこともあるでしょうね。たとえば、“オリハルコン”の使い方はその身に蒸着するだけではない。そう、たとえば体内に第二・第三の器官を万が一のために作っておくということも可能だ」
さっきまでと変わらぬ落ち着いた声音で語り出すテウルギスト。そのうちに、その身に穿たれた穴がゆっくりと、だが確実に塞がり始めた。それはまるで、手品を見ているような鮮やかさでもあり、悪夢を見ているかのよう。
「まさか、体のなかにエリジウム鋼製の臓器を、それも複数個……」
「ふふっ、そのまさかですよ。美空さん。“オリハルコン”を巡る攻防はかくも熾烈で、そして残酷だったのです。それこそ、元の肉体が朽ちてしまい、使い物にならなくなってしまうほどにね」
美空は思った。これは悪夢だ。仮初の平和の裏に巣くう人ならざる者たちが蠢く、悪夢の世界だ。ただ、戦いが不可視化されていて、傷が隠蔽されて、死が隠匿されて、皆の意識に上がらないだけで。
「現世を彷徨う、半死半生の化物ッ!?」弾倉を取り換えたグラディスが再度照準をテウルギストに向ける。
はたして、テウルギストは目を細めて、腕を掲げる。そこにはめられているのは祭具として用いているコントロールギア・リングだ。
「違いますよ。血肉を捧げたのです、神と民にね」
◆
高度二八〇キロメートル。軌道エレベータに設けられた低軌道プラットフォームでは緊急展開用ヴィークルに搭載された二機のFHDが出撃に備えて待機している。
「TOTALの未来予測演算はまだなの?」
アルヒ社長とのデジタル要旨説明以降、愛機のコックピットで待機状態のベアトリクスが文句を言う。ベアトリクスには経験がある。だから、待つのだって慣れている。彼女が苛立っているのは、TOTALの解析が予想よりもはるかに遅れているからだ。
<……現在、観測された新たな事象がTOTALの分析に割り込まれて入力され、演算結果の算出に予定外の遅延が発生しています>
PMCブラスト社の作戦室の管制官がベアトリクスの質問に答える。
「それは変だね。ちょっと詳しい説明をお願いするよ」
<第二予測地点、南極にあるアムンゼン・スコット基地に程近い南極点、くわえて第三予測地点、ウラルスタン・ロシア国境地帯周辺で、過去に例を見ない非常に強力な電磁波と地震動、それに発光・発雷現象が観測されています>
<これは自然災害ではない。人為的な力で発生していると考えられるが、放射性降下物は検出されておらず、また観測機ではその他の異常を検知できていない。原因は不明、目下調査中だ>回線にアルヒ社長が割り込みをかける。
操縦席に深く腰掛けてくつろいでいる瑞姫がわざとらしく溜息をつく。
「『調査中』ってほんと便利な言葉だよねぇ……」
<第二予測地点、南極アムンゼン・スコット基地との衛星を経由した通信が途絶。南極大陸上空に巨大な磁気嵐の発生を確認。オーロラの発光現象を補足。ただし、基地の一部の計器が機械的に破損した恐れも>
作戦室の管制官たちの報告に業を煮やした瑞姫が言う。
「で、本題だけどさ。うちらはどうするの? 幸い、こっちには二機あるんだから、それぞれ一機ずつ地球に降下させるって手もあるけど」
<却下だ。いたずらに戦力を分散させることはできない。二機は戦力の最小単位だ。これ以上の分割はできない。それに、大気圏突入可能な緊急展開用ヴィークルは現状では一機しか用意できなかった。戦力の分散的投入はできない>
「でも、今の状況って軍事学的な定石で対応可能な事態なわけ?」
瑞姫の正論にアルヒが思わず押し黙る。
<第三予測地点に米軍所属機と思われる航空無人機が多数集結。その数、さらに増大。偵察衛星の画像分析より、空対地攻撃能力を有するタイプです。大規模な作戦の恐れあり>
管制官の言葉に、ベアトリクスが息を飲み、そして瑞姫が小さな声で言う。
「降下地点は第三予測地点、ウラルスタン・ロシア国境だ」
「ちょっと、何か根拠があるのっ!?」
「“金剛のエスト”を追ってるのはあたしたちだけじゃない。米軍がなんらかの根拠をもってそこに集結し、くわえてそこで異常な状況が観測されている。祭りがあるならこっちでしょ、常識的に考えて」
<米軍に潜入している資産から緊急入電。米軍諜報軍特別検索群“クロームクラウン”第一一九特殊作戦部隊がウラルスタン領空をステルス輸送機で侵犯、ウラル山脈ロシア国境地帯へ向けて侵攻中>
その報告に、アルヒの表情が変わる。
<間違いない。米国は榛木美空の所在をとうとう突き止め、手を打ったようだな>
「米国が独断でですかっ!? エリジウム鋼に関する全ての事案はわれわれの専権事項のはず、なぜこんな暴挙が許されるんですか? これはれっきとした国際条約違反です」
ベアトリクスが声を荒げる。
<老原桜香と榛木美空が奪い取ったFHD自体が条約違反なのだ。いまさら、条約を遵守してもどうにもならないことくらい、彼らだって承知だろう>
「こうなっちゃうと、もう時間との戦いだ。キャンプファイヤーの後始末は御免だよ」
<低軌道プラットフォームから緊急展開用ヴィークルを最大出力で射出し、最短経路で進めば七分で作戦区域に展開可能だ。問題は米国との国際関係だが、それはこちらでなんとかしよう。世界唯一の超大国とはいえ、ここでわれらが身を引けば……>
「あたしたちに存在意義なんてない」
<もはや一刻の猶予もない。きみたちふたりは発進に備えていてくれ。機体の最終点検とヴィークルの射出シークエンスは最短で行う。間に合いませんでした、では洒落にもならん>
アルヒの言葉に、瑞姫は破顔しながら答えた。
「まぁ、そのあたりは任せてよ。こちとら時間厳守が売りなんでね」
◆
高高度展開用のステルス外装が投棄される。
すると、細かな黒い破片となった外装のなかから現れたのは全長二〇メートルを超える巨人の姿。人型機動兵器、人型規格だ。
FH黎明期の機体を無人機化した米軍所属の部隊は推進器を巧みに使って着地の衝撃を和らげると、フォーメーションを組んでエリクシルの民が暮らす谷へと進軍を開始する。
そして、空には両翼の武装懸架点に対戦車ミサイルや空対地ミサイルなど、それぞれの攻撃目標に応じた武装を吊り下げた無人航空機が、獲物の死肉を食らうハゲタカのように、狙いをすませている。
米軍空軍基地の統合指令センターでは無数の軍人たちがモニターに向かい、その推移を見守っていた。
<司令部、こちらミネソタ・ワン。オルスク周辺を偵察中。一九三〇時、偵察四時間目。標的の影なし。非戦闘員、接近中。非戦闘員、二名>
<新目標地点、方位一八〇、北四キロに敵性エリジニアン。センサー、新座標へ回転>
<新標的を視認。減速>
<岩肌の陰に敵性エリジニアンが待ち伏せしている。複数で、正確な数は不明>
米軍各地の基地の遠隔操作ステーションで操縦を担当している兵士たちの通信が続々と統合指令センターに寄せられる。
米国が“対テロ戦争”のお題目で編成した無人式人型機動兵器と航空無人機からなる部隊だ。
それゆえ、兵士が一切搭乗することがない。操作する彼ら彼女らは米国全土の空軍基地などの野外に設置されたコンテナ式の遠隔操縦モジュール室から衛星通信を介して行っている。
「ミネソタ・ワン、こちら司令部。了解、これより対エリジウム鋼兵装の最終確認を行え。主兵装および副兵装を通常弾頭から専用弾頭へ交換せよ」
それを一段高い場所で見守っていた将官と高位の軍人が互いに身を寄せ合う。
「これで連中も終わりだ。敵性エリジニアンだろうが、老原動乱の英雄だろうが、エリジウム鋼製弾丸・弾頭を使用する我らの敵ではない」
一年前、老原動乱を不本意にも蚊帳の外で過ごした米国にとってみれば、今日というこの日はまさに雪辱を果たす、重要な一日だ。
相手に最強の盾があるならば、こちらは最強の矛をもって戦う。それだけのことだ。あとは、米軍の流儀に則って進めればいい。
<司令部、こちらフロリダ・ワン。遠隔操縦に顕著な遅滞が見られる。……ダム・イット《クソッ》、リンクが。自動操縦、無人機は自律駆動モードへ切り替わった>
「フロリダ・ワン。こちら司令部。UAVは空中待機経路、八字旋回。リンクの再取得を」
<やってる。……よし、リンクが戻った。司令部、こちらフロリダ・ワン。リンクの再取得に成功した。任務を続行する>
「CIA共同戦術センターより入電。衛星回線の一部に問題が発生、米国各地の遠隔操縦ステーションとの同期にいくつか軽微な異常が起きています」
「戦術支援AI・TOTAL、作戦中止を進言。敵性エリジニアンと敵性FHDの脅威判定が上がり、未来演算で戦況を覆せる状況ではないとの分析結果が……」
部下たちの報告に、軍人のひとりが応じる。彼らを束ねる統合指令センターの司令官だ。
「構わん。相手はあの横浜港で暴れ回った連中なのだ。多少の損耗があっても、ここでは勝利が優先される。やってくれ」
「司令、全てのユニットが戦闘配置につきました」
「よろしい。オペレーション・フューリーロード、作戦開始だ。これより武器の使用および発砲を許可する。繰り返す、OPフューリーロード、作戦開始。武器の無制限の使用を許可する」
<司令部、こちらミネソタ・ワン。了解、攻撃する。発射準備。マスターアーム、オン。レーザー照射、三、二、一、〇……発射。ミサイル、飛翔時間一〇秒>
投下されたミサイルのロケット式推進器が点火して、ディスプレイの画面右下に表示されているカウントが見る見るうちに減っていく。
ミサイルの飛翔時間を表す数字だ。
極めて信頼性の高い対戦車用空対地ミサイル。それをもとに対エリジウム鋼装甲を採用した兵器を倒すべく、レーザー発信部とミサイル発射母機を分けてエリジウム鋼製弾頭部を採用した特別仕様だ。
<ミサイル到達予定時間、三、二、一、〇……弾着>
<一掃した>
レーダーでその存在を捕捉されていた無数のエリジニアンを示す光点が続々と消滅していく。
通常兵器ではなす術もなく、手も足も出ない史上最強の防御力を誇るあのエリジニアンを相手に一方的な戦闘を繰り広げ、そして撃破していく。
「ようし、どうなった?」
「現在、各攻撃機とCIAが攻撃成果評価中。少々お待ちください」
「第一波空対地攻撃、全弾命中。作戦区域に潜伏・配置されていた敵性エリジニアンの約八割の排除・無力化に成功。残りの約二割に関しては、現在も攻撃成果評価が進行中です」
「敵戦力、さらに減少。敵性勢力の残存数は九機」
一段上のブースにいる高級将校たちが息を飲み、肩の荷を下ろし出す。
「あのエリジニアンが作戦開始から三分で、ここまで倒せるとはな」
「無人兵器とエリジウム鋼製兵器を併用すれば、対テロ戦争の戦術がエリジニアンやエリジウム鋼製FHDにも十分に――いや十二分に通用するということが、これで実証されましたな」
「ああ。変わるぞ、戦争が」
「これでもう、究極の決戦兵器などは不要だ」
司令官が上機嫌で命じる。
「そのまま攻撃を続行せよ。老原動乱の英雄様をその穴倉から突き出せ」
◆
ウラルスタン・ロシア国境付近、エリクシルの民が住まう洞窟型居住区の最深部。彼ら彼女らの信仰する神が祭られている神殿。その奥に祭り上げられていた異形の神にも似たFHDのラインセンサーが妖しく光る。
「さあ、起動せよ。“白金のサージスト”!」
使用者たるテウルギストの言葉に反応して、“白金のサージスト”はその巨体を起こす。
邪魔な祭壇や周囲の残骸を手にしたランスで乱暴に薙ぎ払い、そして主の下へとゆっくりとした足取りで迫る。
「美空さん、今ならばまだ間に合う。わたしとともに、この世界を変えてはくれませんか? あなたにはその資格がある。その権利が、力がある」
“白金のサージスト”を従えて、テウルギストは美空に優しく――だが有無を言わさぬ強い口調で迫る。
「脅したって、だめです」
「ならば、“金剛のエスト”を出しなさい。そして、わたしを止めなさい。そうでなければ、あなたにはその存在価値がない」
戦うしか、ないのか。美空は一瞬だけ逡巡した。
だが、今ここで美空は戦わずして敗れることはできない。グラディスも、ジョアンナもいる。
それに“金剛のエスト”と“力の剣”を絶対に奪われてはいけない。オデッサには目的があり、そして美空には戦う理由がある。
「……オデッサ!」
<その言葉を待っておりました、美空>
エリジウム鋼で覆われた強固な神殿の壁面が今、容易く砕け散る。
そして、一機のFHDが大剣を掲げてながら、重機のような圧倒的な力を発揮して、阻むものを容赦なくまるで重量など関係がないと言わんばかりに蹴飛ばしていく。
「わたしは、戦うよ」
「このときを待っていました。われらが神、そして神託を告げる“オリハルコン”の導きのままに。“神の骸”より作られし“金剛のエスト”がこの神聖なる領域に足を踏み入れ、“力の剣”でその力を極限まで高めたとき、われらに伝わりし“神の杯”が鍵となりて、開く……」
テウルギストの呟きに、グラディスが目を見開く。
「開く? 何がです?」
「“時の門”が。全ての終わりと始まりを司る、神々のための門が」
◆
軌道エレベータ。約三六〇〇〇キロメートルもあるバラスト・スペース・ステーションから地上のアース・ポートへ向けて降下していく昇降機の内部。そこで、ふたりの少女が互いに顔を寄せ合っている。桜香と創奈の姿だ。高額な料金が必要な客車には彼女たちの他に乗客はいない。
「わたくしたちの当面の目的は――」
「六一年前、老原翁が南極大陸で偶然発見したという“神の骸”、それが発見された遺跡、それに何よりも“時の門”だが……」
そこで、創奈が目を剥く。
「おい、桜香。外を……」
創奈が指差した先、壁面に張られた極薄の歪曲ディスプレイに表示されているのは、妖しい光の柱。
それはまるで光の塔。雷雲を無理やりこじ開けて屹立する不気味なその姿に、桜香もまた言葉を失い、視線が釘付けになる。
「あの光はオーロラ? いえ、違う」
「“金剛のエスト”の“共鳴現象”にも驚かされたが、どうやらこれはオカルトだ非科学的だだなんて言っていられる状況ではなさそうだ」
桜香はシートベルトを外すと座席から立ち上がる。
「創奈、終着点まで乗らず、途中下車して南極へ行きましょう」
「言いたいことはわかるけれども、FHDを寒冷地仕様に合わせ込む必要性がある。細かなセッティングを詰めて最適化を図ることを考えれば、その判断は賢明じゃないよ。桜香、少し冷静になるべきだ」
「しかしっ!?」
「早く着いたところでどうにかなるものでもないだろう。“神の骸”を内包する“金剛のエスト”、その要素が揃うまでの時間的猶予があるはずだ。ここは焦らず、じっくり行こう。それに」
珍しく取り乱した風な桜香を創奈はどこか宥めるような口調で諭しながら、ちらりと横目で南極上空をたなびく妖しげな光に視線を移す。
「あれがもしも滅びの光というのならば、来世に思いを馳せていたほうがまだ建設的だ」




