鋼鉄時代《アイロン・エイジ》
ギリシャ神話によると黄金時代、人は神々とともに生きていた。
世界は調和と平和に満ち溢れ、争いも犯罪もなかった。
あらゆる産物が自動的に生み出され、労働なんて必要ない。
人は不老長寿で、みな安らかに死んでいく。
しかし、ゼウスがクロノスに取って代わると黄金時代は終焉してしまう。
それから白銀時代、青銅時代、英雄時代へと時は移り変わっていく。
時代の変遷とともに人間は堕落し、世の中には争いが絶えなくなった。
それこそ、世界で最後の、そして最も悪い時代を生きる「鋼鉄時代」の人間のさだめなのだろう。
◆
爆発ボルトが弾け飛び、ふたつの細長いSRB――固体燃料補助ロケットが切り離される。
SRBはゆっくりと、だが確実に地球の重力に引かれていく。青い星に吸い込まれるようにして遠ざかって、ついには見えなくなった。
打上げから二分後、高度約一五万フィート(約四六キロメートル)へ到達した全長約四〇メートルの真っ白いスペースシャトルはつんと尖った機首を上げて、順調に高度を上げていく。
母なる星が生み出す重力の呪縛から逃れようと、白い機影は時速四八〇〇キロメートルで滑らかに進む。
地球から離れれば離れるほど、重さ三八キロの装備でキツい完全与圧服の重量感が和らぐ。
地上の一〇〇万分の一の微小重力のせいで正真正銘の無重力にはならないが、体感的には無重力と評して差し支えない。
「さあ、みんな。二〇一一年五月一六日のスペースシャトル・エンデバー号が行った最終飛行ミッションSTS一三五以来となる、記念すべきSTS――スペース・トランスポーテーション・システムだ」
後部座席のミッション・スペシャリストのひとりが謳い上げるようにして言う。
歓声、口笛、それに手袋越しの拍手が上がる。
些細なことでは動じない乗組員たちも、このときばかりは内から沸き起こる激しい感情を露わにしていた。
狭い船内に興奮と感動が伝播し、彼らをヒューストンの飛行管制センターから見守る管制官たちにも伝わっていくのがデジタルディスプレイ越しにわかる。
「このSTSフライトナンバー一三六は宇宙開拓史にとっても重要で、かつ大変意義深いミッションになる。それを、他でもないこの六人で遂行できることを非常に嬉しく、また名誉なことだと思う」
軌道船の船長は力強い口調で発する。
隣に座る操縦士と四名のミッションスペシャリストたちもそれぞれ顔を合わせ、頷く。
彼らの道のりは長く、険しいものだった。
連邦航空宇宙局は年々削られる予算を火星の有人探査ミッションに集中投下すべく、ISS――国際宇宙ステーションの運用は二〇二四年までにする方針を明らかにしていた。
ISSのロシア側モジュール群はすでに切り離され、中国も独自のステーションを運営している今、ISSはカナダ、日本、それにヨーロッパの一九カ国で構成された欧州宇宙機関が少ない予算をどうにか切り盛りし、追加モジュールを送り込んでなんとか稼働させている。
「開拓者精神もいいが、アメリカの宇宙飛行士精神が途絶えてしまうのは辛い。だが、その断絶も今日で終わりだ。われわれが過去と未来を今、繋いだ」
「いまどき軌道エレベータがあるっていうのに、わざわざ全世界の支援者たちが四億七〇〇〇万ドルもの大金をつぎ込むという決断をしてくれたことに、心から感謝を評するよ」
「おい、よせよ。再使用が前提のシャトルがこれ限りになったら、おまえの発言のせいにするからな」
「馬鹿、皮肉じゃない。れっきとした感謝の言葉だ」
お調子者のミッション・スペシャリストの紛らわしい言動に、後部座席の他の連中たちが他愛もない応酬を繰り広げている。
船長が渋い表情を浮かべながら、首を左右に振る。
後部座席で繰り広げられるやりとりを見て、右舷側の席に座ったまだ若い操縦士がどこか挑発的で大胆不敵な笑みを浮かべる。
「あと一回飛べば、自分はコマンダーに昇進できます。少なくとも、それまでの間はシャトルが飛んでくれなきゃ困りますね」
操縦士の本心なのか冗談なのかわからない発言に、左舷側に収まった船長が声を出して噴き出す。
その時、警告音が船内に鳴り響く。
今まで歓喜に沸き立っていた操縦室は急に冷や水を浴びせられたようにして静まり返る。
船長は少しも動じることなく手順通りにDPS――データ処理システムを確認する。
「報告しろ」
「一体、何が――」
その瞬間、激しい衝撃がシャトルを襲う。
皆がぐっと歯を噛み締め、右へ左へ強引に身体を揺さ振る振動にされるがままとなった。
誰も言葉を発せられなくなる。
ロケットが生み出す振動の類ではない。
金属と金属が擦れ合った時に生じる甲高い擦過音が機体を伝わり、シャトル内の空気を震わせて乗組員たちの鼓膜を震わせた。
軌道船自体は軽量化のために、基本的には航空機と同じようにアルミニウム製だ。
スペースデブリ対策に“ケブラー”の商標で知られる芳香族ポリアミド系樹脂を内部に張り付けられているとはいえ、外部の衝撃に脆弱なのは火を見るよりも明らかだ。
「総員、衝撃に備えろ!」
操縦桿を握り締める船長の手に自然と力がこもる。
前座に座った船長と操縦士たちはともかく、後部座席に収まったミッション・スペシャリストたちは成す術もない。
ただ、薄いクッションで覆われた固い座席に押さえつけられて、悪態をつくくらいだ。
操縦室を明るく照らす白色発光ダイオードも、グラスコックピットのフルカラーの液晶表示板に表示された色とりどりのデジタル計器の画面表示も一瞬にして消えてしまい、真っ暗になる。
予定された航路と高度を維持するため、操縦士は自分の席に設けられた姿勢制御ロケットを管制するリアクション・コントロール・システム――反動制御システム《RCS》やオービタル・マニューバリング・システム――軌道制御システム《OMS》などのシステムに目を通す。
一部のシステムが辛うじて動作しているだけで、ほとんどは何も表示されていない。
ハイフンやドット、スラッシュ、それにゼロなどではなく、ディスプレイ自体に通電していなかった。
「主エンジン・システム《MPS》、それに電力システム《EPS》シャットダウン! 補助電源装置起動……」
「ヒューストン、こちらアヴェンジャー。問題発生、機体に強く激しい衝撃。計器の表示が突然落ちた」
船長がすぐさま再起動の手順を踏むが、ディスプレイはブラックアウトしたままだ。
レーダーや複合センサー群、貨物室やロボットアームなど各所にとりつけられたビデオカメラの映像などを確認しようにも、ディスプレイに何も映らないのではどうしようもない。
「MECO――主エンジン停止。当初の予定よりも六・五秒も早い」
操縦士の顔から血の気が引いていく。
「ミッション・コントロール、こちらアヴェンジャー。一部のシステムがブラックアウトしたまま、再起動できない。遠隔測定情報を送ってくれ」
船長は口元のマイクに向かって言い募るが、飛行管制センターで乗組員と交信を受け持つ通信管制官からの返答はない。
ホワイトノイズすら帰ってこない深刻な通信状況に、操縦士は顔面蒼白になり、血色が悪くなった唇を強く噛む。
たとえ、打ち上げ直後に飛行管制センターとの通信が完全に途絶したとしても、乗組員はシャトルを軌道に乗せ、無事に地球へ帰還できるだけの十分な技術がある。こういった事態もすでに想定済みで、訓練プログラムにも組み込まれている。
ここにいる全員が適性をしっかりと見定められ、十二分に訓練を受けてきた。全ては不測の事態のために。
だが、操縦室には微妙な雰囲気が漂い始めていた。曖昧模糊とした不安と懸念は今、輪郭を帯びつつあった。
みながかすかに感じ取っている疑念が次第に現実のものとなり、得体の知れない不気味な気配が乗員の背筋へすっと這い上がって来るようだった。
「ヒューストン、こちらアヴェンジャー、問題発生」
「まだ高度約一五万フィート(約四六キロメートル)だ」
「……おい、大丈夫なのか?」
「ミッション・コントロールから飛行に関する数値を更新してもらったほうが……」
「いや、大丈夫だ。この高度ならまだ予定の軌道に入れる」
後部座席に収まったミッション・スペシャリストたちが少しばかり困惑しながら言う。
シャトルが軌道上に留まるには、六四キロでも低すぎる。
時間が経過するにつれて、小さな違和感が大きな確信へと変わっていく。嫌な予感は決して気のせいなのではない。
「狼狽えるな。何が起きようとも、対応は訓練通りに行う」
船長はハードウェア・スイッチにソフトウェア・スイッチ、姿勢制御装置や回路遮断器など一〇〇〇を超えるスイッチを躊躇いなく、オンあるいはオフに切り替えていく。
ロケットダイン社製の三基のメイン・エンジンを管理する統合型制御装置プロセッサ、それに推力二七〇〇キロのエンジン二基からなるOMS――軌道制御システムのステータスを再度確認する。
「OMSがシャットダウンしています」
「再起動だ」
「……できません」
メイン・エンジンは離陸し地球を離れるために、OMSは高度・傾斜角といったシャトルの軌道を変えるための速度を変更するために使われる。
「どうやら汎用コンピューターが点火指令を受け付けないようだな」
「そんな。とにもかくにも、主エンジンを再点火させねば……」
GPCは四台の汎用コンピューターに設定された発射手順制御装置と呼ばれるプログラムを介して点火手順を実行していた。
上昇中に異常事態が発生した際の緊急対応手順の通りに、船長は的確に基盤を操作している。
だが、無情にも動きはない。
まるで、眠り込んでしまったように沈黙したまま、一向に立ち上がる気配がなかった。
船長と操縦士はその後も、考えられるあらゆる原因を捻り出し、改善策を片っ端から試していくも、現状を打開することができずにいる。
船内を包み込む不穏な雰囲気はいつしか、困惑と焦りの色が滲み出す。
後部座席で事態を見守るミッション・スペシャリストたちもいつしか無駄口を叩く余裕すらなくなり、張り詰めた空気に飲み込まれてしまっていた。
「……軌道飛行中止、いや、大西洋横断中止ですか?」
「際どいところだが、TALは危険すぎる」
一〇〇トンのグライダーを縁もゆかりもない空港に着陸させるだなんて、狂気の沙汰だ。船長の言葉から真意を読み取った操縦士は小さく頷く。
「中央エンジンをどうにか焚き付けて予定の軌道に投入するぞ」
「了解致しました」
そこで船長は操縦士に意味深な視線を送る。
「だが、万が一の際は仕方ない。反動制御システムでこの軌道から離脱し、TALに移る。その際はおまえの操縦が頼りだ」
RCSは操縦士が回転用ハンドコントローラー《RHC》で操る。
RCSが制御する四基のロケットでシャトルを減速させて、現在の軌道から離れて大気圏に再突入する。
だが、万が一RCSも起動しなければ――特に機首部のRCSスタスタ群のロケットを点火できなければ、肝心の軌道から離脱することもままならない。
はたして、操縦士の奮闘もむなしく機体は微動だにしない。
「システム未だ沈黙」
「メイン・エンジン点火ならず」
後部座席から嘆きの声が上がる。
「くぅ、主飛行電子ソフトウェアシステム《PASS》が四台とも使えん」
「この状態は明らかに異常です。バックアップ飛行システム《BFS》に切り替わるはずでは?」
BFSは五台のコンピュータのなかで独立し、四台のメインシステムが故障した際に稼働することになっている。
後部座席の面々が息を飲んだ。実際にBFSが操縦を引き継ぐような緊急事態が発生したことは今まで一度もないからだ。
「……それが、使えん」
船長は自動操縦を解除し、操縦桿を握り締め続けて必死に現在の速度と高度を維持し続けようとする。
しかし、主エンジンが作動しないシャトルは重力に引かれて次第に速度を落としていく。
「一体、機体に何が?」
「統合型制御装置プロセッサのシステムAが故障した場合、自動的にシステムBに切り替わるはずだ」
「つまり、システムBも故障した、と?」
「ああ、システムBも故障した際、エンジンは停止される。その恐れが高い」
一体なんのための冗長性だと嘆きたくなる。
だが、GPCはエンジンと燃焼プロセスの制御、それに自身を監視している。全てのセンサーとアクチュエーターが制御装置だけに直接接続されていた。
それゆえ、エンジンとシャトル間の配線が大幅に簡略化され、結果的に信頼性が向上したとも言われている。
そのシステムがふたつとも故障するなんて、にわかに信じ難い。
「やむを得ない。危険のない軌道に乗ることが叶わないならば、一周中止しかない」
「……ここまで来て、地球をたった一周するだけか」
後部から悲鳴のような声が上がる。
「ですが、打ち上げ窓が閉じる前に、最低でも二基の主エンジンか、あるいは機首部RCSロケットを再点火する必要があります」
「でなければ、この軌道から離れることもできん」
その時、機体のすぐ目の前を青白い閃光が駆け抜けた。
シャトルの操縦室の前面に設けられた六枚の窓、そして機首の目と鼻の先を掠めるようにして飛んでいく。
乗組員の不意をつくように突然生じた鮮烈な輝きを前に、前部座席に座ったふたりの背筋が凍る。
一体、何が起きたのか、すぐにはわからなかった。
あの光は、少なくとも機体から発せられたものではない。
そうなれば当然、今の青い閃光は機外から生じたことになる。
「おいっ!? 今のは一体なんだっ!?」
後部座席の連中がにわかに騒ぎ出す。操縦士は思わず身体を仰け反らせて、体をシートに押し付けていた。
「……おしっ、計器が復旧した!」
船長はにわかに動き出したシステムのステータスをすぐさま確認する。
ディスプレイに灯った数値に従いボタンを押し込み、スイッチをオンオフすることで操作していく。
機体が細かい振動を始め、エンジンが燃料を燃焼する際に生じる地鳴りのような凄まじい振動と爆音がフレームを通じて操縦室に伝って来る。
動作確認用のLEDランプが灯り出し、液晶表示板にデジタル計器が次々と表示される。
統合型制御装置プロセッサや汎用コンピュータ《GPU》が何事もなかったかのように再起動し、プログラムが様々な作業を粛々と処理していく。
「やった、SSMEの点火を確認! 点火を確認!」
歓喜する操縦士が目を瞬かせた。
メインエンジンが生じさせる振動と騒音が機体を伝って響き渡ると、速度がぐんと上がり、高度がみるみるうちに上昇していく。
先程までの無反応が嘘みたいに、シャトルは宇宙へ逃れるように進んでいく。
「……当機に照射されたレーザー反応を確認!?」
喜びも束の間、操縦士が悲鳴のような声を上げた。
「馬鹿なっ!?」
「……何が、起こってるんだ?」
「一体どこのどいつだ!?」
「そもそも、周辺宙域に当機以外の機体があるのか?」
後部座席の連中が頭を左右に振って喚くなか、船長は外部の状況をモニターしているディスプレイを確認する。
確かに、複合センサー群が軌道船に向けて発せられたレーザーを目ざとく捉えていた。操縦士も事態を察して声を張り上げた。
「間違いありません、この反応はロックオン用のレーザー測距照射です! 空軍時代に経験が……」
「一体、何がどうなってるんだ」
「おいおい、嘘だろ……。おれらを撃墜するつもりかっ!?」
ミッション・スペシャリストたちが息を飲み、船長がぐっと歯を食いしばった。
◆
「ちょっとあんた! 何外してんの! 信じらんないっ!!」
「……外したとは心外だなぁ。今のは威嚇射撃だよ」
「シャトルは装甲が施されてないんだから気を付けなさいよ、もうっ!」
耳元の通信機器からきんきんと甲高い音声がして、少女はうっかり舌打ちしそうになる。
座席の前方を覆うようにして配置された半球状ディスプレイの片隅には灰色の吊り目に赤髪の少女のウィンドウが表示されて、その小さな窓枠のなかで吠えていた。
「わかってるって。もう、うるさいなぁ……」
狙撃用のガンコントローラを小さな掌でしっかりと保持しながら、地毛を桃色に染め上げた少女はだるそうに呟く。
気を取り直して少女はヴァイザーに投影される照準レイヤー越しに、ディスプレイを見つめる。
戦士らしからぬ緊張感に欠けた態度だが、琥珀色の瞳のなかで静かに燃える闘志だけは炯々と輝いていた。
軌道船が辛うじて視認できるぎりぎりの距離に、二機の機影があった。
全長二〇メートルを超える赤い戦闘機型の機体。
その後部に取り付けられた、外付け拡張スラスターの推進部から蛇の舌のように揺らめく怪しい炎を吐き出させて、どうにかシャトルの姿に追い縋ろうとしていた。
そして、外付け拡張ユニットの上で急場しのぎに無理やり固定された赤紫色のFH――人型規格が中腰の姿勢で座り込んでいた。
その姿は、戦車や戦闘機のデザインを流用して人の姿をした機械仕掛けの巨人を作り出したかのようだ。
赤紫色の巨体は、シャトルに向かって巨大なライフルの形をした「対物狙撃モジュール」を突きつけた状態で、武器管制システムが再度砲撃態勢になるのを今か今かと待つ。
その標的は、シャトルに張り付いた鈍色に輝く巨体。
腕や足、肩や太腿、肘や膝など身体の要所に鎧状の外殻を持っている。頭部の存在感が希薄なのは、肩や太腿が異様に大きいだけだ。
少女が乗り込んだFHは現代兵器という風体だが、この傍迷惑な巨人は古の巨人像か、辛うじて人型に見える巨大怪獣といった感じだ。
少女の威嚇射撃を受けて、鈍色の巨人はその鋭く光る双眸を少女たちに向けていた。
そのせいなのか、シャトルのメインエンジンは急に息を吹き返し、太陽のように眩しい光を放っていた。
爬虫類のように、噛みつくことに特化してそうな口が開き、そこから赤い光が零れ出す。
恫喝のつもりなのか、それともこちらを“砲撃”でもするつもりなのか。
どちらにせよ、歓迎されているわけではないだろう。
鈍色の巨人目がけて、少女の操る機械仕掛けの巨神は向き直り、自身の全長にも匹敵する銃身の先にある大きな銃口を向ける。
ただでさえ、狙撃は細心の注意を払わなくてはいけない。
シャトルの進行方向と相対速度を把握しながらとなれば、その難易度は格段に跳ね上がる。
だが幸いなことに、シャトルとの相対速度はほぼゼロの範囲に収まっていた。
真っ白のシャトルに跨る鈍色の人影を、紛れもなく射手の眼差しで少女は捉えていた。
「あいつ、レーザー測距を欺瞞してるかも」
先程の自らの狙撃の瞬間と実際に銃口から吐き出された軌跡を思い返し、桃色の髪の少女はぽつりと呟いた。
「ねぇ、TOTAL、さっきのデータで差分を検証してポイントしてよ」
<了解しました。修正値をヴァイザーに投影します>
少女の問いかけに戦術支援AIの若い男性を模した電子音声が応じる。
細かく刻まれた目盛りに、矢印状の指示が表示された。
TOTALが瞬時に少女の指示に従って欺瞞された分の距離を割り引き、鈍色の巨人の本当にいると推測される位置を示す。シャトルの形状や自機の向きなどあらゆる想定から、最適な狙いを選び出す。
「捕まえた」
ふうっと軽く息を吐き出し、手振れや身体の些細な動きを止める。
自分の感覚を右手の人差し指に集中させ、それ以外の無駄な動作と思考を頭の外に叩き出す。
「あんたねぇ、さっさとエリジニアンを仕留めなさいよっ!! 早くしないとシャトルが……」
赤毛の少女の大きな声が響き渡る。
そのせいで、引き金を引こうとする人差し指が反射的に引っ込んだ。
我に返った桃色の髪の少女は嫌悪感を剥き出しにする。
今し方握りしめていたガンコントローラの伸縮性銃床に自らの小さな拳を叩きつけた。
「あーっ、もうっ!? ほんっとっ、うるさいなぁ!! ちょっとは黙ってろっつーの!!」
そして、力の限りに怒鳴り声を上げた。
赤紫色の巨人の手が桁外れに大きい狙撃銃のハンドガードから離れると、マニュピレータが拳を作り、すぐ下にある外付け拡張スラスターの接続部を乱暴に叩いて揺さ振った。
「ちょっとお、何すんのよっ!」
すぐさま悲鳴と抗議の声が上がるも、さらに五本の指が握り締められて、拡張スラスターに振り降ろされる。
それと繋がった赤い機体にも振動と轟音が伝わり、少女のきゃああという耳障りな悲鳴が上がる。
「――あんたっ、二度も殴ったあ!?」
「放っておいてよ。自分がやってることくらいわかってる《アイ・ノウ・ワット・アイム・ドゥーイング》」
すぐに遠距離狙撃用ガンコントローラを構え直し、ヴァイザーに投影された照準に向き合う。
今自分が抱いている怒りや苛立ちを一旦身体の奥底に押しやって、全神経を標的に集中させる。
己を銃と同化させていく。
自分の指先の延長線に、巨大な砲門があると思い込む。
心と銃との間にある凹凸、それが今重なりあって心のなかでかちりとはまる音がした。
次の瞬間には、迷わず引き金を絞る。
その砲門から吐き出されたエリジウム鋼製の砲弾が黒塗りの宇宙を切り裂くようにして駆け抜ける。
それはシャトルに馬乗りになる二〇メートルを超える巨人の胸元を正確に捉えていた。
硬質な金属に覆われ、人類が行使する武力のほとんどを弾き返す魔法の鎧のような胸板を、しかしやすやすと打ち抜く。
毒を以て毒を制す、とはおそらくこのことだろう。
今し方、穿たれた丸い傷口から水銀のような内用液が周囲に飛び散る。
ぐらりとその巨体が揺れ、穴を起点にして身体にひびが走った。
自重にその巨体が耐えられない。とうとう四肢が折れて、ついに巨体がシャトルから脱落する。
地球に向かって落下していくが、大気圏に突入するにはまだ猶予がある。だが、あれが人類に牙を剥くには、あまりにも非力だろう。
どちらにせよ、喫緊の脅威が去った今、少女の仕事はここで終わりだ。
「……ふんっ、あたしにかかればこんなもんさ」
<強力な電磁干渉は解除されました。どうやら、敵性エリジニアンの欺瞞だったようですね>
少女は遠距離狙撃用ガンコントローラを高らかに掲げてみせた。
前面の球状ディスプレイに表示された外部の映像からは、メインエンジンを点火させて、必死に軌道目がけて飛ぶシャトルの像が映し出される。
所定の軌道に達したのだろう、外部燃料タンクが外される。
<シャトルの電子装備も無事、再起動できたようですね>
戦術支援AIのTOTALの言葉に、少女は険しい表情を解く。
ようやく彼女の年相応の素顔が垣間見える。
「電磁パルスかな?」
<現時点では原因は不明です。ですが、見たところ、まるで電子的なクラッキングのようでした。追跡・データ中継衛星の通信回線などのチャネルが狙われたのだと推論しますが、断定はできません>
「まぁ、その手の込み入った話はあたしの範疇じゃないから、別にいいや」
遠距離狙撃用ガンコントローラをコックピットの上部に押し込んで収納する。
「もう、ちょっと! なんなのよっ、あんた!?」
抗議の声が上がるとともに、赤紫色の機体が激しい揺れに襲われる。
下の戦闘機型FHがスラスターをでたらめに吹かして上下左右が目まぐるしく反転し、ディスプレイの情報を見ていると目が回りそうになる。
「はい、はい、はい。いつもやってるじゃん、何度も繰り返さないでよ《アイム・ドゥーイング・オール・ザ・タイム・ユー・ドォント・ハヴ・トゥ・リマインド・エヴリィ・セカンド》」
「反省しなさいよっ、反省ーっ!? 謝罪の言葉を貰うまで、絶っ対に許さないんだからっ!!」
視界に入って来る天地が行き交い、混ざり合う。
最悪だ、酔ってヘルメットのなかでうっかり戻してしまったら最後、自分の吐き出した物と臭いにやられて、胃のなかにあるものを全て吐瀉し続ける羽目になる。
そう思いながらも、少女は絶対に謝らずに、その代わりとばかりに拳で戦闘機に変形した赤い機体の外装をがんがんと派手に叩いた。
あらすじにもあるとおり、この作品はルトさんの『デイブレイク/アウタースペース』(http://ncode.syosetu.com/n5781bh/)のスピンオフ作品です。
一年前の2014年12月11日にTwitter上でルトさんとのやりとりをしていた際、お互いに自作の設定を交換して小説を執筆しようという言葉をきっかけに書いたものです。
これを機会に、ぜひ本家の『デイブレイク/アウタースペース』をどうぞよろしく、またわたしの書いた『さよなら栄光の賛歌』(http://ncode.syosetu.com/n3037bl/)もどうぞよろしくお願いいたします!