―3―
洸祈に似た子がいると聞いてから2ヵ月。
今にも家を飛び出そうとする病人をどうにか引き留め、2ヶ月は待って欲しいと頼んだ。もし、こちらが洸祈の居場所を知ったとなると、先回りされて洸祈を軍に連れていかれるかもしれないからだ。
しかし、慎は「洸祈には指一本触れさせない!」と聞かなかったが、晴滋や真奈が力ずくで止めた。
軍に乗り込んだとして、慎の心配はしていない。その後の洸祈や葵を心配して、どうにか彼を落ち着かせた。
彼らには慎が必要だ。
そして今日、私は見た目といい、仕草といい、洸祈であろう子供を引き取りに、保護してくれている舞団のもとへ向かった。
かなり時間がたったと言えど、軍の監視がないか注意は怠れない。私は私服を何度かトイレで替えて、舞団が午後には発つ宿に入った。
「こんにちは」
ロビーの隅で、私は流浪舞団『月華鈴』団長、双蘭という女性に頭を下げた。
「こんにちは。私達は三時に出るので、二時半には下に来ると思います」
電話で何度も会話しているので、私達は恭しい挨拶はせずに、宿の階段から目的の子供が降りてくるのを待つ。しかし、他の団員が続々と降りてくる中、子供は誰一人と降りてこない。
「陽季達は?」
“陽季”は確か洸祈を連れてきた子。
双蘭さんは知らないようだが、多分、本物の洸祈なら、彼を花街から連れてきた子だ。
下楽はここから数キロ離れたところにある花街。
そこに“清”がいた。
洸祈がその清かは本人に聞かなければ分からない。だから、そんな不確かな情報を、体調を崩す慎には伝えていなかった。
「ああ、蘭。俺は知らねえな。洸祈君と離れたくないんじゃないか?」
双蘭さんと面影の似る彼は思いを馳せるように遠い目をする。
洸祈は相当前から、月華鈴が移動するまで団員の一人として手伝いをすると言っていたようだ。団員達は行く宛てがあるか怪しい洸祈に一緒に行こうと言ったが、洸祈は帰る場所があるの一点張り。そんな彼らだからこそ、特に迷子の情報には敏感だったようだ。
私達は陽季君達がいるはずの部屋の前にいた。
鍵はロビーに返してあり、開きっぱなしだから、目の前のドアノブを回せば洸祈かどうか確かめられるのだが…………。
『洸祈。本当にここに残るのか?』
『うん。最初に言ったよ。俺、陽季達が次の場所行くまでって』
間違いない。
洸祈の声だ。
私は背後の双蘭さんに頷いた。彼女も心底嬉しそうに頷く。
『だけど……お前は一体どこに……』
『帰らなきゃ』
『なら、帰るってどこにだよ?』
『帰るのは……家に』
『家ってどこだよ!何県のどこだよ!』
『はる……き』
『お前が心配なんだよ!お前がこれ以上皆に迷惑掛けたくないってんなら、また俺と一緒に……』
陽季君はいい子だ。洸祈の救いになったに違いない。
だけど……―
『陽季と一緒に?どこまでも?餓鬼二人で?……陽季は月華鈴の皆を捨てるの?』
洸祈と一緒は無理なタイプだ。
多分、彼は壊れる。
それが分かるから、洸祈は一緒にいられないんだ。
『な、なんで……そんなこと言うんだよ……俺は…………』
私はドアを開けた。
「洸祈、探した」
つぶらで無垢な瞳が此方を向いた。
ふと思った。
洸祈は私を覚えているかな。
とか。
そして、氷羽のことも。
忘れていたら嬉しいし、悲しい。厳密に言うならば、氷羽のことを忘れていたら嬉しい。私のことを忘れていたら悲しい。けれども、それが叶わぬのならば、全てを忘れてくれていると嬉しかった。
「迎えに来たよ。家に帰ろう?」
洸祈は私を見、瞬きを繰り返す。
そして、
懺悔をし始めた。
「氷羽ぁ…………っ」
細い腕で私に抱き付く。そこに力がこもる。
「氷羽、ごめん。氷羽ぁ氷羽ぁ氷羽ぁ……ごめん。どうしよぉ……ごめん…ごめん…ごめん…」
ただ後悔と懺悔を繰り返す。
私は忘れていたらよいと思った自分の愚かさを感じた。
洸祈は忘れられない。
洸祈は忘れてはいけない。
あの事件は氷羽だけでなく千里もかなりの被害を喰らった。半身を消したようなものだから当然だ。
削ぎ落とされた感情。
失われた言葉。
目を見開き、惨事に出逢ったままの顔。
千里の祖父が洸祈達と今後一切の接触を禁じて彼を連れ帰った時、私も慎も何も言えなかった。
それほどに、器の役割をしていても千里は重症だった。
いつまでもいつまでも泣き止まず、食事もせずに部屋で泣く。慎が無理矢理にでも何かを食べさせて栄養を取らそうとした。そうしたら、直ぐに全て吐き出した。洸祈はいつしか衰弱で泣き止み、医者が付きっきり。葵は葵で鬱に近い状態で無気力。
笑いの絶えない崇弥家に現れた重い気。そんな中、夏蜜柑だけが洸祈や葵の傍にいることを許されているようだった。それでも、彼らは少しずつ平常を取り戻しかけて……
時の流れが彼らを大人にすると…………。
そして、洸祈の失踪。
夏蜜柑にも気付かれずに洸祈は消えた。
あの時は流石に、子供が存在を完全消したため、慎が晴滋や真奈に実力で止められるまで取り乱した。
そして、それから約1年半、慎は躍起になって洸祈を探した。それと同時に始まった軍の監視。軍は洸祈を引き渡せと慎に迫り、慎は知らないと答えた。事実、知らなかった。こちらが教えてほしいぐらいだった。
しかし、軍はしつこく、それがあの事件関係で、櫻も崇弥の下につく立場でありながら、ある日、慎を無理矢理連れていこうとした。
晴滋や真奈は力で向かう軍に力で立ち向かうと、かなりマズイ展開になったが、久し振りに本気で怒った二人の足下に軍人の死体が転がる前に慎が二人を抑えた。そして、大人しく連行された。
その時、私は慎に自分の代わりに洸祈を探すよう頼まれ、
千里の父、柚里さんの死の真相を教えられた。
慎に何かあっても千里に事実を教える人間がいるように。
千里には到底言いたくないことを教えられた。
何故、そんな重大なことを晴滋でも真奈でもなく私に教えたのか後日慎に訊けば、彼は一言。
『子供達と一番親しいのはお前だから』
らしい。
まぁ、千里は小さい頃からかなりの制限下で生き、櫻本家では貴重な実験体、親戚からは煙たがられていた。きっと、双子に会うまでは同年代の子と話したことはなかったのだろう。
洸祈と葵は一応、幼稚園に行っていたが、はっきり言って、人付き合いが下手だった。洸祈は年より幼くてうろちょろし、葵は洸祈以外には興味無し。
三人が親友になり、慎が崇弥家主の力を使って親友の柚里さんの願い通りに千里は外出を許可されて、彼はよく崇弥家で遊ぶようになった。しかし、三人は互いに興味と関心があってもそれ以外には全く目を向けなかった。親友になった経緯からすると、双子が千里を引き入れたことになる。
それは双子本来の行動の例外。
違う。
洸祈本来の行動の例外。
洸祈が千里に興味を示し、葵が洸祈が興味を示した千里に興味を示した。
もしかしたら…………氷羽かもしれないと思うのは考え過ぎかもしれない。
そんなこんなで三人だけの親友の中で、三人の弄り相手(自身では認めたくないが)の私は、三人に一番親しかったのかもしれない。私は子供の戯れと見ていたが、彼らは年上を苛めて楽しんでいたようだ。恐ろしい。
「氷羽……ごめん…ごめん…ごめんなさい…」
洸祈はガタガタと震え、陽季君が団長に止められながら悔しそうに自分の唇を噛んでいる。
「洸祈、千里はもう大丈夫だよ」
「………ちぃ…………」
ピタリと止む振動。
洸祈はやっと平常に戻ったようだ。やはり、千里のことも気に病んでいたのだろう。
「千里は今は風邪引いちゃって実家で寝てるけど。葵も待ってる。帰ろう、洸祈」
「ちぃは……ちぃは俺を…………」
「いや、ぽけっとしてたよ。電話くれて、熱が下がったら絶対に会いに行くから、お菓子沢山用意して欲しいって」
「…………………お菓子だけ?」
歩みを見せるような窺うような、友達に意地悪をしてしまい、謝りたくても謝り方が分からない子供みたいだった。
「あと、葵と洸祈に伝言もあったかな」
「………………」
怯える洸祈。
だけど、違うんだ。
「今度は三人で花火大会行こうねって」
千里の記憶は花火大会の前日で終わっていた。その後はあやふやで曖昧なものばかり。
氷羽の気遣いか、千里の生存本能か。
『千里様、お部屋に。
煩い…なぁ。電話中は…静かに……って聞かない?
しかし、お体に障ります。お戻り下さい。
煩い!…って言ってるだろ。お前が…部屋に戻れ!
……………。
……璃央、ごめん』
『大丈夫か?』
『うん。……酷いよね…2分しかない自由時間…邪魔してさ…』
『2分か。手短にしなきゃな』
『じゃあさ、洸に…謝っといて。花火大会、僕行けなくなっちゃって…』
『花火大会?あ…ああ。謝っとくよ』
『あと、あおにね、花札覚えたから後でやろうって』
『ああ、伝えとくよ』
『あと…あとね……』
続く暫くの無言。
『僕達…親友だから。……親友だよね…』
『お前達は親友だよ』
『花火大会、今度は三人で…行こうね。……あ、璃央も来る?』
『双子が良ければね』
『千里様、お時間です。
っ…………バイバイ』
『ん。バイバイ』
「花火大会をホントに楽しみにしてるよ」
「ちぃ…っ」
うるうると瞳に涙を沢山浮かべて私のシャツにシミを作る。
「洸祈、だから家に帰ろう?」
「だけど…俺は……皆を傷付けた」
洸祈は勘違いばかりしている。
傷付けた?
確かに皆傷付いた。
心も身体も。
でも、
“傷付けた”じゃない。
洸祈に悪いところがなかったとは言わない。だけど、洸祈は誰も傷付けていない。
皆、洸祈の為に“傷付いた”だけだ。
大切な洸祈の為に自分達の意思で。
「なら、尚更逃げているのは駄目だ。皆お前を待っている。お前が無事に帰ってくることを願っている。お前が帰ってこないことの方が皆を傷付けるんだ」
「俺が……傷付けて…………」
「帰ろう、洸祈」
「璃央…………………うん」
小さな小さな手がまた私の手を昔のように握った。
そして、両足で私の隣に立った。
「陽季、バイバイ」
車の窓から顔を出す陽季に手を振る洸祈。
「またな」
陽季は手を振らずに洸祈に笑い掛ける。
「またね」
洸祈もまた手を止めて、陽季に笑い掛けた。
「璃央、帰ろう?」
「うん。帰ろうか」