三十五皿目、 ――舞台袖或いは物語のB面 8
深く呼吸、たっぷりと息を吸い込む。
狐目はたった一言、
「喝っ!」
怒鳴る。
鹿島の前に、幅一メートルばかりの炎が噴き上がった。
が、一瞬前に飛び退って逃れた鹿島は、炎に包まれることもなく、
肌を焼くような熱気を迂回して、狐目へと迫る。
“魔術”。
そう呼ばれるそれらが、“あちら側”の技術であると鹿島は知っていた。
つまり、狐目もまた“あちら側”に触れた存在であり、それ故に針が反応したものとも思われた。
「公園内は火気厳禁だ。非常識な奴め」
握った左右の拳を、小気味良いリズムで狐目目掛けて繰り出す。
突き出す動作と引き戻す動作、その速度、全てが堂に入っている。
一朝一夕の素人ではない。
対して、狐目の方はそれらの全てをすんでのところで避けきった。
身のこなしからは、格闘技やその類を習ったようには見られない。
恐らくは驚異的な動体視力の賜物なのだろう。
押され気味の狐目が、鹿島の攻勢の隙間をぬって、一発殴りかかってくる。
それは、ただ殴るとしか言いようの無いような、ボクシングなどの“人を殴るため”の技術とはまるで無縁の喧嘩パンチ。
当然のように、鹿島はその攻撃を“受ける”選択をした。
どこであろうと、当たれば一瞬動きが止まる。
その隙に反撃を見舞うつもりで、ガードを固めた両腕に狐目の拳を受けた――のだが。
(重い……!)
痛みより先に、腕がじんと痺れた。
ガードごと持っていかれそうな衝撃に、辛うじて後ろ足で踏ん張る。
見た目からは信じられないような打撃力だ。
打ち合いは不利だと、鹿島は一瞬で判じた。
狐目は、確かに格闘の素人だ。
それは間違いない。勢いを失った後の拳を引き戻す速度が、決定的に遅い。
鹿島の経験が、刹那で決断した。
狐目の伸びきった肘を、鹿島の両腕が絡め取る。
そのまま、体重を利用して相手の上半身を引き倒す。
重心が崩れてしまえば、後は軸足を払えばいい。
転倒する狐目の腕を背中に固めて、鹿島はその背に膝を乗せて押さえ込んだ。




