十七皿目、 ――油断大敵 1
「無駄足にならずに済みました」
俺の背後に立った何者かが言う。
きつく手首を握り締める手の感触。
俺は完全に硬直していた。
ひんやりとした汗が、背中を伝って落ちる。
赤く灯る煙草の火だけが、ゆらゆらと紫煙をくゆらせている。
俺の手首を掴む手は、俺より大きい上にがっちりと力強く、振り解ける自信は無い。
逃げるのは難しいと、流石の俺にも分かった。
「犯人は現場に戻ると言うのは本当のようですね」
くぐもった低い声を聞きながら、俺はゆっくりと振り向いた。
見覚えのある顔がいた。
肩まで伸びた癖毛、無精髭、くたびれたチューリップハット。
「キンダイチ!」
思わず声に出してしまった。キンダイチは訝しげに眉をしかめる。
「私の名前は鹿島ですが?」
「ぁ、いえ、こっちの話です。気にしないでください」
取り繕いながら、うっかり落とした煙草を慌てて踏み消す。
気にするなと言われて気にしないのは無理だろう。
けれど、キンダイチにはそれより大事なことがあった。
「私から盗った物を返してください」
「はて、何のことだか?」
とぼける。
ぎりぎりと俺の手首を掴む手に力が込められる。
いやいや結構真面目に痛いこれ。
「手荒なことはしたくありません。鞄を返してください。
あなたが盗んだことは分かっています」
「何の証拠があって言ってるんだ?」
「あなた、私に“お前は誰だ”と聞きませんね。
私を知っているからですね。どうしてですか?
私は勿論覚えていますよ。あなたは私の鞄を盗んだ人です。
ではあなたは何故?」
盗んだ相手だったからだろう?と言っている。
くそ、迂闊だった。
今更知らん振りとか無理だ。何とかして脱出しなくては。




