大人の事情
桜が散り始め、道路に絨毯を作り始めた頃、竹山香はカーテンを閉めていた。
仕事帰りでお風呂に入ったばかりであり、タオルで髪を拭く。
すると手が伸びてきて、タオルを奪い取られる。
香が振り返ろうとすると、片手は腰に、もう片方は髪の毛に触れてくる。
「一緒に入ればよかったか」
ぼそりと呟いた1言に、香は頬を赤らめながら、腰に回された手に、自分の手を重ねる。
「駄ー目。仕事で疲れているんだから、その、セックスは後」
「そうなの? 今、襲ってもよさそうな気がするんだけど」
けろりと言ったのは同居人の小野孝であり、髪を優しく拭いてくれる。
今日は少し肌寒いので、エアコンが効いていた。
お陰で晴れた日の太陽の陽気のように、暖かい部屋となっていた。
香は照れながら、孝の腕を叩く。
「全く。我慢、我慢」
「えー。今すぐやりたいのに」
身体をひょいと持ち上げられ、香は「きゃ」と悲鳴を上げる。
2人とも20代で若さがあり、力が有り余っているが、香は足をばたつかせ、文句を言う。
「降ろして!! その、私、重たいから」
「そんなことはないよ。もっと食べないと」
孝は不満そうな顔をすると、香を床へおろす。
ほっとしたのは香で、孝の手からタオルを取ると、首に巻く。
それから振り向いて孝を見、目で訴える。
ー何で身体の関係、そんなにしたいかな? 求められるのは嬉しいけれど、女にとっては、負担が大きいのよね。
香は耳をかくと、孝の頭を撫でる。
「今はこれで駄目?」
「ぶー。抱きたい」
「しょうがないな、もう」
香は爪先立ちになると、孝の唇にキスする。
蝶が花に触れるように、軽いものだったが、孝は嬉しかったようで、頬を綻ばせる。
「香!! やっぱり、俺…!!」
「ち、ちょっと待った。もう少し待とう。ね? 軽いスキンシップならいいんだけど」
「えー。俺、興奮してきたんだけど」
抱きしめられると、確かに孝の身体は反応しており、香のほうが恥ずかしくなる。
「その、私、胸が小さいよ?」
「大きさは関係ないの。大きければいい女っていうわけでないし」
首を噛まれ、香の身体が怯む。
「嫌だ?」
「嫌だ。今は嫌だ」
はっきり断ると、孝は面白くなさそうに、香の身体に触れてくる。
「あ、こら!! やめてってば!!」
「いいじゃん、減るものでもないし」
身体はすでに乾いており、なめらかな肌となっていた。
孝は背中に触れたり、尻に触れたり、まるで病気を確認する医者なような動きだった。
「あの!! その、くすぐったいというか…」
「我慢。…いい尻をしているんだよな」
何度も触られ、香は身体が熱くなっていくのを感じ、両手で孝を押す。
「駄目、駄目、駄目。今は絶対に駄目」
「いつならいいの?」
「いつって…。それは、その」
恥ずかしさからもじもじすると、孝は顎を掴まえてくる。
そのまま唇を指で撫でられ、ぞくりとする。
「ー俺、好きなんだけど?」
真摯に言われ、香は胸が騒がしいくらい慌てていた。
ーどうしよう。私も、その、身体が反応しているんだけど、お風呂に入ったばかりだし。
求められるのは嬉しいが、このまま流されるのは嫌だった。
お互いが気持ちを良くしないと、行為に及んでもつまらないというか、辛くて悲しいものになると思っていた。
ー両想いだからいいけど…でも、私もまだ妊娠したくないし。
香は事務職についており、毎日、充実していた。
もちろん陰で何と言われているのか知らないが、嫌な奴が2、3人いるのはしょうがないと割り切っていた。
「…香? 香ってば」
「え…?」
目の前で指をぱちんと弾かれ、香は目が覚める。
すると孝がキスしてきて、すぐに深いものとなる。
「う!! う!!」
孝の背中を軽く叩くが、許してくれそうもなかった。
叩く手を封じられ、2人の身体が重なる。
「…どう?」
ようやく唇が放され、孝は紅潮しながら聞いてくる。
香はそれどころではなく、力を失くし、その場にずるずると座り込もうとする。
ーあ、タオル…。
肩にかけたタオルが先に床へつく。
黄色いそれは目立ち、まるでタンポポのように、穏やかに映って見える。
手を伸ばそうとすればいいのだが、孝にがっしりと押さえられていて、できなかった。
「どう? 俺のキス」
「…もう。ずるい!!」
香が頬を膨らませて抗議すると、孝は喉でくっくと笑う。
意地悪な王子様なんだからと思いつつ、身体を放そうとするが、無理だった。
「孝」
「何? どうしたの?」
「どうしたって…。その、早く放して」
「何で? 恋人なんだからいいじゃん」
「それは…そうだけど。その」
香はしどろもどろになり、ますます孝が嬉しそうに、抱きしめてくる。
ーもう、悔しい!!
どうしても孝のペースに持ち込まれ、香は孝の頬をつねる。
「もう、そんなに私がいいの?」
「いいに決まっているじゃん。だからスキンシップしているのに、香は馬鹿だな」
「馬鹿!? …全く」
顔を横に向けようとしたが許されず、また孝を見つめることになる。
孝のブラウンの瞳には、香しか映っておらず、嬉しいような、悔しいような、複雑な感情がわいてくる。
「さて、お姫様、どうする?」
「…」
香の反応を楽しんでいるようで、彼を睨みつける。
人が一生懸命、考えているのに、聞いてくるのは卑怯だと、胸を叩くことで訴える。
しかし、こんなにも自分を求めてくれるのも孝のみなので、香は迷い始める。
ーその、キスは嫌いじゃないし。
彼の唇はキャンディーなように甘く、グミのように柔らかかった。
孝が額と額を合わせてきて、顔を近づけてきたので、香は観念する。
「その…私でいいの?」
「何を言っているんだ。怒るよ、俺」
真剣な表情に香は負け、身体を預ける。
「孝がその…好きにしていいよ」
「よっしゃ!! そうこないと!!」
香は身体を持ち上げられると、短い悲鳴を上げる。
そのまま肩に乗せられ、運ばれていく。
「俺の言うことを素直に聞かなかったから、手加減なしね」
「え…」
意味深に笑う孝に、香は戸惑い、頬をひきつらせる。
2人は寝室へと向かうと、パタンとドアが静かに閉められるのだった。




