【第2項】自警団の孤軍奮闘と圧倒的な敗北:英雄バルカスの決死の覚悟と、街を守るために散った右腕の代償
一人は、シークフリート・グレイ。
元騎士団所属の猛者であり、現在は副団長として指揮を執る男。
そしてもう一人は、アッシュバーデンの生ける伝説。
『岩砕き』の異名を持つ、バルカス・ガストンだ。
「野郎ども! ビビってんじゃねえぞ!」
街の外縁部に築かれた急造のバリケード前で、バルカスの怒号が響いた。
白髪交じりの髪を無造作に束ね、全身に古傷の残る筋骨隆々の巨体。右目は眼帯で覆われ、背中には身の丈を超える巨大な戦斧を背負っている。
彼はすでに引退し、隠居生活を送っていた身だ。だが、街の危機に際し、老体に鞭打って団長として復帰したのだ。
「王国が助けてくれねえなら、俺たちがやるしかねえ! 俺たちの街は俺たちで守る! そうだろ!?」
「おおおおおっ!!」
スカベンジャーたちが雄叫びを上げる。
バルカスの存在は、それだけで彼らに勇気を与えた。
だが、現実は残酷だった。
彼らの装備はあまりにも貧弱だった。
上層から降ってきた金属片を研いだだけの槍、壊れたボイラーの蓋を加工した盾、そしてツギハギだらけの革鎧。
対して、目の前に迫るのは、鋼鉄の皮膚を持つ巨大猪や、酸を吐く狼たちだ。
ズズズズズ……!
地面を揺らす地響きと共に、灰色の霧の中から姿を現したのは、体長三メートルを超える『アイアン・ボア』だった。
その鼻息は蒸気機関車のように荒く、充血した瞳は血走っている。全身を覆う剛毛は針金のように硬く、生半可な刃物など通さない。
「ブモオオオオオオオッ!!」
咆哮と共に、ボアが突進を開始した。
その速度は巨体に似合わず速い。積み上げられた廃材のバリケードなど、まるで紙細工のように粉砕される。
「怯むな! ここで止めないと居住区まで入られる!」
「槍隊、構え! 側面から狙え!」
副団長のグレイが叫び、巨大なウォーハンマーを振りかざす。
元騎士である彼の的確な指揮で、自警団はどうにか防衛線を維持していた。彼のハンマーが一閃されるたびに、小型の魔物が宙を舞う。
だが、戦況は圧倒的に不利だった。
魔物は次から次へと湧いてくる。倒しても倒しても、霧の奥から新たな影が現れるのだ。
まるで、森そのものが人間を拒絶し、吐き出そうとしているかのようだった。
「グレイ! 右翼が崩れそうだ! エレオノーラを回せ!」
「了解です、団長!」
バルカスは大斧を風車のように振り回し、迫りくる魔物を次々となぎ倒していた。
その強さは健在だった。
だが、彼もまた人間だ。無尽蔵に湧き出る魔物の群れに対し、徐々に疲労の色が見え始めていた。
その時だった。
霧の奥から、一際巨大な影が現れた。
『キング・アイアン・ボア』。
通常のボアの二倍はある巨体。その牙は槍のように長く、鋭い。
それは、一直線に自警団の本陣――つまり、手薄になっている負傷者の収容テントを目指して突進してきた。
「しまっ……! あそこにはまだ逃げ遅れた連中が!」
グレイが気づいた時には、もう遅かった。
距離がありすぎて、援護が間に合わない。
「させんわぁぁぁぁっ!!」
咆哮と共に、一人の男がボアの進路に飛び込んだ。
バルカスだった。
彼は全速力で駆け込み、その身一つで巨大な猪の突進を受け止めたのだ。
ドゴォォォォォン!!
凄まじい衝撃音が響き渡った。
バルカスの足が地面を削り、土煙が舞う。
「ぬ、ぐ……おおおおおおっ!!」
バルカスは歯を食いしばり、大斧の柄をボアの牙に押し当てて踏ん張った。
血管が切れそうなほどの力み。
だが、ボアの力は圧倒的だった。
ミシミシと音がする。
斧の柄ではない。バルカスの体からだ。
「団長!!」
グレイが叫びながら駆け寄ろうとするが、雑魚魔物に阻まれて近づけない。
「い、行けぇ! 今のうちに……若いのを逃がせぇ!」
バルカスは血を吐きながら叫んだ。
次の瞬間。
バキィッ!!
鈍く、嫌な音が戦場に響いた。
ボアが首を振り上げ、その強烈な負荷に耐えきれず、バルカスの右腕があらぬ方向へ曲がったのだ。
骨が砕ける音。
大斧が手から離れ、宙を舞う。
「ぐあああああああっ!!」
バルカスの絶叫。
それでも彼は退かなかった。
残った左手でボアの鼻先に拳を叩き込み、一瞬の隙を作る。
「今だ! 全員撤退しろぉ!!」
その命令が、彼の団長としての最後の言葉となった。
グレイが血路を開き、エレオノーラが援護射撃を行い、瀕死のバルカスを担いで撤退した。
それは、敗走だった。
完全なる敗北だった。
***
夜。
雨はまだ降り続いている。
自警団の詰め所となった倉庫の中は、重苦しい空気に包まれていた。
呻き声と、包帯を巻く音だけが響く。
その奥にある個室で、三人の男女が向かい合っていた。
ベッドに横たわるのは、バルカス・ガストン。
彼の右腕は分厚い包帯で固定されていたが、その下にある腕がもう使い物にならないことは、誰の目にも明らかだった。
粉砕骨折。神経まで断裂しており、二度と剣を握ることはできない。
「……すまねぇな」
バルカスが、掠れた声で言った。
その顔色は土気色で、かつての覇気はない。
「団長……」
ベッドの脇に立つグレイは、言葉を詰まらせた。
彼の左腕も吊られており、満身創痍だ。
その隣で、エレオノーラが涙をこらえて俯いている。
「俺のワガママで……みんなを危険な目に遭わせちまった。挙句、このザマだ」
バルカスは自嘲気味に笑った。
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ……とはよく言ったもんだ」
「そんなこと言わないでください! あなたは俺たちの英雄です!」
グレイが叫ぶ。
「あなたがいたから、俺たちはここまで戦えたんです! あのボアを止めたのも、あなたじゃなければ……!」
「だが、負けた」
バルカスは静かに遮った。
「結果が全てだ、シークフリート。……俺はもう、戦えん」
彼は残った左手で、グレイの手を掴んだ。
「今日から、お前が団長だ」
「……ッ!」
「シークフリート・グレイ。……お前は真面目すぎるのが玉に瑕だが、その責任感は誰よりも強い。……この街を、頼んだぞ」
そして、エレオノーラにも視線を向ける。
「エレオノーラ。……こいつを支えてやってくれ。副団長はお前しかいねぇ」
それは、事実上の引退宣言であり、遺言にも似た託宣だった。
アッシュバーデンの「最強の盾」が砕かれた瞬間だった。
「……承知いたしました」
グレイは男泣きしながら、深く頭を下げた。
「あなたの意志は、俺が引き継ぎます。……必ず、この街を守ってみせます」
バルカスは満足げに目を閉じ、深い眠りについた。
部屋を出たグレイとエレオノーラは、重い足取りで廊下を歩いた。
外に出ると、冷たい雨が頬を打つ。
グレイは空を見上げた。
絶望的な状況だ。
戦力は半減。精神的支柱を喪失。魔物の勢いは増すばかり。
次の襲撃があれば、今度こそ全滅するだろう。
「力」では勝てない。
それは、バルカスの犠牲が証明してしまった。
「……ねえ、シークフリート」
エレオノーラがポツリと言った。
「これから、どうするの? ……もう、戦える人は残っていないわ」
グレイは拳を握りしめた。
爪が食い込み、血が滲む。
何か方法はないか。
剣でも、槍でもない。
まったく別の「力」。
この理不尽な状況を覆す、常識外れの一手。
その時、彼の脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。
街外れのガラクタ城に住む、変わり者の錬金術師。
ドブ川を清流に変え、ゴミを宝に変えた男。
戦闘力など皆無の、ただの「道具屋」。
だが、彼なら。
あの規格外の発想力を持つ彼なら、自分たちが見落としている「何か」を見つけてくれるかもしれない。
「……エレオノーラ」
グレイは決意を込めて言った。
「プライドを捨てるぞ」
「え?」
「俺たちは戦士としての誇りに拘りすぎていたのかもしれない。……力で勝てないなら、知恵を借りるしかない」
彼は視線を街外れに向けた。
闇夜の中で、一際異彩を放つ七色の煙が見える。
「『ハウス・デ・アッシュ』へ行く」
「あの、錬金術師のところへ?」
「ああ。……アルス・ロウェルに、頭を下げるんだ」
それは、騎士としての敗北宣言であり、指導者としての覚悟の選択だった。
傷ついた新団長と副団長は、最後の希望を求めて雨の中を歩き出した。
アッシュバーデンの運命が、大きく動き出そうとしていた。




