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第3節「臭いから」と追放された宮廷錬金術師ですが、王都のトイレが全部逆流しているそうです。 〜僕は最下層でヘドロを美味しいシチューに変えてスローライフを満喫中〜

第3節「臭いから」と追放された宮廷錬金術師ですが、王都のトイレが全部逆流しているそうです。 〜僕は最下層でヘドロを美味しいシチューに変えてスローライフを満喫中〜


「ただいま、我が家」


 ギィィィ……と重い扉を開ける。

 中は埃っぽかったが、懐かしい匂いが充満していた。

 薬品の焦げた匂い、干した薬草の香り、そして実験失敗時の爆発の残り香。

 棚には怪しげな標本や、半分溶けたフラスコが並び、床には書きかけの魔法陣が散乱している。


 上層の宮廷研究所は、最新鋭の設備が整っていた。

 純白の壁、無菌室、最高級の器具。

 でも、そこでは息が詰まった。

 ここでは、何でもありだ。

 失敗しても怒られない。爆発しても笑い話で済む。

 好きなだけドブを煮込み、好きなだけ変な薬を作れる。


「ふふっ……」


 私は自然と笑みがこぼれた。

 ポケットから、あのフラスコを取り出す。

 『50年熟成のヘドロポーション』。

 奇跡的に割れていなかった。

 これさえあれば、再出発できる。


「さてと、まずは掃除だな。それから、この店を再開させよう」


 私は腕まくりをした。

 王都を追放された?

 名誉を剥奪された?

 そんなことはどうでもいい。

 私は今、世界で一番落ち着く場所にいるのだから。


 窓の外を見ると、上層からの排水が、薄暗いアッシュバーデンの街を濡らしている。

 その雫が、街灯の灯りを反射して、キラキラと輝いていた。


「綺麗だな……」


 上層の宝石よりも、私にはこの汚れた水滴の方が、ずっと美しく見えた。

 ここから、また始めよう。

 泥の中から、最高の輝きを見つけ出すために。


 私の「ドブ錬金術師」としての第二の人生が、今、ここから幕を開ける。


 アッシュバーデンに戻って数日後。

 私は早速、ボロボロだった生家『ハウス・デ・アッシュ』を改装し、店を開くことにした。


 店の名前は、「ゴミ屑の蒸留所 底辺の虹(ダスト・ディスティラリー ボトムレインボー)」。

 このふざけたネーミングは、私のセンスだ。

 上層の連中が聞いたら卒倒するだろうが、ここじゃ一番の洒落た名前だと言われている。


「いらっしゃい! 今日は特製の『ヘドロ・シチュー』だよ!」


 私がカウンター越しに大声で叫ぶと、店の前に集まっていたスカベンジャーたちが歓声を上げた。


「待ってました! アルスの飯!」

「今日は何が入ってるんだ? 上層の貴族が残したフォアグラか?」


 彼らは手に手に空き缶や割れた皿を持ち、列を作っている。

 上層から降ってきたガラクタを拾い集め、それを再利用して作った即席の食器だ。


「いいや、違うね。今日のメインは……これだ!」


 私がドンッ!と大鍋の蓋を開けると、中から七色の湯気が立ち上った。

 その瞬間、店内に漂う香りは、もはや言葉では表現できないほど芳醇だった。

 焼きたてのパンのような香ばしさ、完熟フルーツのような甘さ、そして極上のブイヨンスープのような濃厚なコク。

 それらが複雑に絡み合い、鼻腔をくすぐる。


「うおおおっ! なんだこの匂いは!?」

「腹が減ってたまらねえ!」


 スカベンジャーたちの目が輝く。


「これはな、ドブ川の底に溜まっていた『ヘドロ』を濾過して、不純物を取り除き、さらに発酵させてアミノ酸を極限まで凝縮したものだ。そこに、上層から流れてきた野菜くずの皮と、魚の骨を粉末にして加えた」


 私が説明すると、一瞬だけ場が静まり返った。


「へ、ヘドロ……?」

「野菜くずと魚の骨……?」


 彼らは顔を見合わせた。

 普段なら絶対に口にしないようなゲテモノだ。

 だが、その香りだけは本物だった。


「騙されたと思って食ってみな。栄養価は満点、味は保証するよ」


 私はボブの空き缶に、ドロリとした茶色の液体を注いだ。

 見た目は確かに悪い。まるで泥水だ。

 だが、ボブは意を決して、一口啜った。


「ズズッ……」


 その瞬間。

 ボブの目がカッと見開かれた。


「!!?」


「どうだ?」


「う、うめええええええっ!!」


 ボブは絶叫した。

 義手で空き缶を握りしめ、震える声で叫ぶ。


「なんだこりゃ!? 口の中でとろけるような甘み! 濃厚な旨味! まるで高級レストランのスープじゃねえか! いや、それ以上だ!」


「マジかよ!?」

「俺にもくれ!」


 他の連中も次々とスープを啜り、口々に称賛の声を上げる。


「うめえ! なんだこれ、体がポカポカする!」

「疲れが吹き飛ぶようだぜ!」

「野菜の皮ってこんなに美味いのか!?」


 大鍋はあっという間に空になった。

 彼らは空っぽになった缶を舐め回し、満足げなため息をついている。


「ふふん、錬金術の基本さ。『等価交換』なんて嘘っぱちだ。ゴミだって、磨けばダイヤになる」


 私は得意げに笑った。

 私の錬金術は、単に物質を変化させるだけではない。

 その物質が持つ潜在能力を極限まで引き出し、不要な部分を取り除き、必要な部分だけを凝縮する。

 ドブ川のヘドロには、数百年分の有機物が蓄積されている。

 それは見方を変えれば、最高の肥料であり、発酵食品の素なのだ。

 上層の貴族たちが捨てている野菜の皮や魚の骨には、身よりも多くの栄養が含まれている。

 それらを錬金術で分解・再構築し、毒素を無害化すれば、これ以上ない「完全食」が出来上がるわけだ。


「アルス、あんた天才だよ!」

「一生ついていくぜ!」


 スカベンジャーたちは涙を流して感謝した。

 彼らにとって、食事とはただ腹を満たすだけの行為だった。

 腐ったパンやカビの生えたチーズをかじるだけの毎日。

 それが、こんなに美味しくて、栄養があって、しかもタダ同然で手に入るなんて。


「店だけじゃないぞ。この辺りの環境も改善していくからな」


 私は店の外に出た。

 そこには、私が設置した巨大な浄化装置が稼働していた。

 上層から降ってくる排水を受け止め、フィルターで濾過し、さらに錬金術で有害物質を分解して、綺麗な水に変える装置だ。

 その水は、アッシュバーデンの各地に張り巡らされたパイプを通って、スカベンジャーたちの住居へ配水されている。


「見ろよ、この水! 透き通ってるぜ!」

「飲んでも腹を壊さない!」

「体洗っても痒くならない!」


 子供たちが蛇口から出る水にはしゃぎ、女性たちが洗濯をしている。

 かつては悪臭漂う汚水溜まりだった場所が、今では清らかな水場となり、人々の憩いの場になっていた。

 地面のぬかるみも、私が開発した『凝固剤入り腐葉土』のおかげで、ふかふかで歩きやすい遊歩道に変わっている。


 アッシュバーデンは、急速に変わりつつあった。

 ゴミと汚泥にまみれた最下層が、アルスの手によって、清潔で、豊かで、笑顔の絶えない楽園へと進化していたのだ。


 一方その頃。

 遥か頭上の、王都ホワイト・セレスティアでは。


 とんでもない事態が進行していた。


「く、臭い……! なんだこの悪臭は!?」


 王城の廊下を歩いていたヴォルフ団長が、ハンカチで鼻を押さえた。

 ここ数日、城内全体に、微かだが不快な臭いが漂い始めていたのだ。

 下水のような、腐った卵のような、鼻の奥にツンとくる刺激臭。


「誰だ! 掃除をサボっているのは!」


 ヴォルフは侍女たちを怒鳴りつけた。

 しかし、侍女たちは青ざめた顔で首を振る。


「め、滅相もございません! 毎日徹底的に磨き上げております! ですが、どこからともなく臭いが……」


「ええい、言い訳など聞きたくない! 陛下がお目覚めになったらどうするつもりだ!」


 あの日、『天使の美薬』を飲んで植物状態(表向きは「美の極致による静止」)になった国王は、未だに目覚めていない。

 その美しい彫像のような姿は、王室の寝室に安置されているが、最近その寝室にも異臭が侵入しつつあった。


 原因は明白だった。

 王都の地下深くに広がる、巨大な下水処理機構。

 それが、機能不全を起こし始めていたのだ。


 この機構は、古代の遺物を利用して作られた超複雑な魔導装置だ。

 王都全域から集まる膨大な汚水を一手に引き受け、浄化し、魔力へと変換して都市の動力源にするという、いわば王都の心臓部。

 だが、そのシステムはあまりにも複雑怪奇で、維持管理には高度な錬金術の知識と、現場での泥臭い微調整が必要不可欠だった。


 それを一人で担っていたのが、他ならぬアルスだったのだ。


 彼は毎日、誰も行きたがらない地下深くの処理場へ潜り、悪臭と汚泥にまみれながら、配管の詰まりを直し、魔力回路の暴走を抑え、微生物のバランスを調整していた。

 「ドブの魔術師」と呼ばれ、嘲笑われながらも、彼はこの国のライフラインをたった一人で支えていたのだ。


 その彼を、追放してしまった。

 代わりになる者など、この国にはいない。


「クラウス様! 大変です! 下水処理場の計器が異常値を示しています!」


 地下管理室の職員が、筆頭錬金術師クラウスの元へ駆け込んだ。


「うるさいな。少し数値がズレたくらいで騒ぐな」

 クラウスは優雅に紅茶を飲みながら、顔をしかめた。

「私は今、陛下の美しさを維持するための研究で忙しいんだ。汚い話は聞きたくない」


「し、しかし! 逆流が始まっています! このままだと、下水管が破裂して、王都中に汚物が溢れ出します!」


「なんだと? ……チッ、使えない奴らだ。いいだろう、私が見てきてやる」


 クラウスは仕方なく立ち上がった。

 だが、彼は現場に行く気など毛頭なかった。

 あんな臭くて汚い場所に、自分の美しいローブを汚しに行くなんてありえない。


「遠隔操作で魔力を流し込んで、強制的に浄化すればいいだけのことだ」


 クラウスは執務室から、適当に浄化魔法を放った。

 キラキラした光が地下へ飛んでいく。


 それが、最悪の一手だった。


 アルスが繊細に調整していた微生物のバランスが、強力すぎる浄化魔法によって完全に崩壊したのだ。

 有用な分解菌まで死滅し、代わりに腐敗菌が爆発的に増殖した。

 さらに、詰まっていた配管に無理やり魔力を流し込んだことで、パイプに亀裂が入り、そこから高濃度の汚染ガスが漏れ出した。


 シューーーーーッ!!

 ゴボゴボゴボッ!!


 地下で不気味な音が響く。

 そして。


「お、おい! トイレの水が流れないぞ!」

「浴槽から泥水が逆流してきた!」

「噴水から変な色の水が出てる!」


 王都中でパニックが起きた。

 貴族の屋敷の豪華なトイレが詰まり、溢れ出した汚物がペルシャ絨毯を汚す。

 街中の美しい噴水が、ドブ水色に染まり、悪臭を撒き散らす。

 道路のマンホールから茶色い水が噴き出し、白亜の街並みを汚していく。


「きゃああああ!」

「私のドレスが!」

「臭い! 死ぬ!」


 貴族たちは逃げ惑うが、どこへ行っても臭いからは逃れられない。

 彼らが今まで見ないふりをしてきた「汚れ」が、一気に押し寄せてきたのだ。


「ど、どうなっているんだ! クラウス! なんとかしろ!」

 ヴォルフが怒鳴り込むが、クラウスも青ざめていた。


「わ、わかりません! 私の完璧な魔法が効かないなんて……! 一体どういう理屈で動いているんだ、あの施設は!?」


 彼には理解できなかった。

 アルスの錬金術は、教科書通りの綺麗な魔法ではない。

 泥と汗と経験に基づいた、現場の知恵の結晶だったからだ。


 王都は、かつてない危機に瀕していた。

 美しさだけで塗り固められた虚飾の塔が、足元から崩れ去ろうとしている。

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