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【第4節】【第1項】意外な原因と地下の交渉:善意の浄化が生んだ生態系の危機と、特濃ヘドロエキスが結ぶドワーフとの新たな契約

 『霧の樹海』の深淵部へと続く獣道。

 アルスはドワーフのガンドル親方に案内され、地下へと続く洞窟の入り口に立っていた。

 そこは、巨大な木の根が絡み合い、自然のアーチを作っている場所だった。

 湿った土の匂いと、微かな硫黄の香りが漂ってくる。


「……ここが俺たちの住処だ」

 ガンドル親方が誇らしげに言った。

 彼は身長一メートルほどの小柄な種族だが、その筋肉は岩のように隆起し、手には自分の背丈ほどもあるツルハシを持っていた。

 髭は地面に届くほど長く、所々に宝石の欠片が編み込まれている。


「へぇ、立派なもんだね」

 アルスは感心したように洞窟を見上げた。

 入り口には魔法陣のような紋様が刻まれ、侵入者を拒む結界が張られているのがわかる。

 だが、ガンドル親方が手をかざすと、結界はすんなりと解除された。


「入れ。……客人を招くのは久しぶりだ」

 ガンドル親方が手招きする。

 アルスは一瞬躊躇したが、すぐに笑顔で頷いた。

 ドワーフは気難しい種族だが、一度心を開けば義理堅いと聞いている。

 何より、彼らとの協力関係がなければ、この森の問題は解決しない。


 洞窟の中は意外なほど明るかった。

 壁や天井に埋め込まれた発光苔が、淡い青色の光を放っている。

 さらに奥へ進むと、開けた広場に出た。

 そこには、ドワーフたちの集落が広がっていた。

 岩を削って作られた住居、鍛冶場の炉から上がる赤い炎、そして何よりも目を引くのは、中央に積まれた巨大な酒樽の山だ。


「……随分と賑やかだね」

 アルスが言うと、ガンドル親方は苦笑した。

「見かけだけさ。……本当は火の車だ」


 広場には数十人のドワーフたちがいたが、彼らの表情は暗かった。

 痩せこけた子供たちが、母親に縋り付いて泣いている。

 大人たちも力なく座り込み、虚ろな目で宙を見つめていた。

 活気があるのは鍛冶場だけで、そこでも槌を振るう腕にいつもの力強さはない。


「……食料難か」

 アルスが察すると、ガンドル親方は重く頷いた。


「ああ。……ここ最近、森の恵みがめっきり減っちまった」

 ガンドル親方は溜息をついた。

「俺たちは地下のキノコや根菜を主食にしてるんだが、そいつらが育たなくなっちまったんだ。……まるで土が死んだみたいにな」


 アルスは胸が痛んだ。

 原因はわかっている。

 自分がドブ川を浄化したからだ。

 ドブ川の汚染水は地下水脈を通じてこの森の地下深くまで浸透し、独特の生態系を支えていた。

 それが急に綺麗な水に変わったことで、環境に適応していた植物たちが枯れてしまったのだ。


「……すまない」

 アルスは頭を下げた。

「え?」

「君たちが困っているのは、僕のせいかもしれない」


 アルスは正直に事情を話した。

 自分がアッシュバーデンの錬金術師であること。

 ドブ川を浄化したこと。

 その結果、魔物たちが飢え、ドワーフたちの食料も尽きかけていること。


 話を聞き終えたガンドル親方は、しばらく黙っていた。

 周囲のドワーフたちも、驚きと怒りの混じった目でアルスを見ていた。

「なんだと……! お前のせいだったのか!」

「俺たちの畑を枯らしたのはお前か!」

 若いドワーフの一人が掴みかかろうとする。


「待て!」

 ガンドル親方が一喝した。

 その声は洞窟中に響き渡り、全員を黙らせた。


「……話は最後まで聞け。この人間は、ただ謝りに来たわけじゃねえはずだ」

 ガンドル親方は鋭い視線をアルスに向けた。

「そうだろ? 錬金術師さんよ」


「ああ」

 アルスは頷き、リュックを下ろした。

 中から取り出したのは、先ほども魔物たちに配った『特濃ヘドロエキス』の瓶だ。

 蓋を開ける。

 強烈な腐敗臭が広場に充満した。


「ウッ……!」

 ドワーフたちが鼻をつまむ。

 だが、ガンドル親方だけは違った。

 彼は鼻をひくつかせ、その臭いを深く吸い込んだ。

 そして、目を見開いた。


「……こいつは」

 ガンドル親方は震える手で瓶を受け取った。

「……信じられん。……失われた『大地の味』がする」


「大地の味?」

 アルスが聞き返すと、ガンドル親方は興奮気味に言った。

「俺たちが食ってたキノコや根菜は、この臭い……いや、この『香り』を吸って育ってたんだ! これさえあれば、また畑が蘇るかもしれん!」


 周囲のドワーフたちもざわめき始めた。

「本当か、親方!?」

「あの味が戻ってくるのか!?」


 アルスはニッコリと笑った。

「それだけじゃないよ。……これを直接、肥料として使えば、収穫量は以前の倍になるはずだ。僕が保証する」


 アルスは自信満々だった。

 このエキスは、ドブ川の成分を凝縮し、さらに錬金術で発酵・熟成させたものだ。

 植物の成長に必要な栄養素が、これでもかというほど詰まっている。

 いわば、超高性能な液体肥料だ。


「……倍だと?」

 ガンドル親方はゴクリと喉を鳴らした。

 食料不足に喘ぐ彼らにとって、それは夢のような話だ。


「取引をしよう、ガンドル親方」

 アルスは切り出した。

「僕はこれを、君たちに無償で提供する。……必要なだけ、いくらでも」


「……タダでか?」

 ガンドル親方は疑わしげに見た。

「人間にしちゃあ、話が美味すぎるな。……裏があるんだろ?」


「裏というほどじゃないけど、条件が一つある」

 アルスは指を一本立てた。

「このエキスを、森の魔物たちにも分けてやってほしいんだ」


「魔物に?」

「ああ。……彼らも飢えている。君たちが畑に撒くついでに、森のあちこちにある『給餌ポイント』に置いてきてくれればいい」

「……それだけか?」

「それだけさ」


 ガンドル親方は腕を組んで考え込んだ。

 魔物は危険だ。

 だが、彼らドワーフにとっても、魔物が暴れるのは迷惑な話だ。

 もし餌を与えることで彼らが大人しくなるなら、森の平和も守れる。

 そして何より、自分たちの食料問題も解決する。

 損な取引ではない。

 いや、むしろ破格の条件だ。


「……わかった。乗ったぜ」

 ガンドル親方はニカっと笑い、アルスの手を握りしめた。

「あんた、面白い人間だな。……『ドブの魔術師』なんて呼ばれてるらしいが、俺たちにとっちゃ『救世主』だ」


「よしてくれよ。……ただの錬金術師さ」

 アルスは照れ臭そうに頭を掻いた。


 交渉成立だ。

 広場は一転して、歓喜の渦に包まれた。

 ドワーフたちはアルスを胴上げしようとしたが、彼はそれを丁重に断り、代わりに宴会に参加することになった。

 彼らが秘蔵していた酒(これもまた強烈な発酵臭がする)が振る舞われ、アルスも一杯だけ付き合った。

 味は……正直、人間の舌には刺激が強すぎたが、彼らの笑顔を見れば悪い気はしなかった。


「……さて、と」

 宴もたけなわになった頃、アルスはガンドル親方に声をかけた。

「僕はそろそろ行くよ。……まだ用事が残ってるからね」


「おう、そうだったな」

 ガンドル親方は酔っ払った顔を引き締めた。

「『あの方』に会いに行くんだろ? ……気をつけてな」

「ああ」

「もし何かあったら、俺たちを呼べ。……地下通路を使えば、すぐに駆けつける」


「頼りにしてるよ」

 アルスは手を振り、洞窟を後にした。


 外に出ると、雨は小降りになっていた。

 空気も少し澄んでいるように感じる。

 森の気配が変わったのだ。

 殺気立っていた魔物たちの気配が消え、代わりに穏やかな空気が流れている。

 ドワーフたちが早速、ヘドロエキスを森に撒き始めたのだろう。


「……仕事が早いな」

 アルスは感心した。

 これで、アッシュバーデンへの襲撃も止まるはずだ。

 自警団の面々も、これで少しは休めるだろう。


 だが、アルスの本当の目的はここからだ。

 彼は地図を取り出し、最終目的地を確認した。

 『深淵部』。

 森の最奥、最も魔素が濃い場所。

 そこに、彼が会いたくてたまらない「友人」がいる。


 アルスは歩き出した。

 足取りは軽い。

 数年ぶりの再会に、胸が高鳴っていた。


 「待ってろよ、マリモ」

 彼は小さく呟いた。

 アッシュバーデンの夜明けは近い。

 しかし、その光が差す前に、彼らは「霧の樹海」の真実と向き合うことになるのだった。

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