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【第3項】飢えた魔物との対話で判明した真実:善意の浄化が生態系を狂わせた「過ち」と、ドブ川の「汚染」こそが彼らの命綱だったこと

 現在。

 森の奥深く。

 アルスの回想は、強烈な殺気によって中断された。


 ガサッ……!


 茂みが揺れ、巨大な影が飛び出してきた。

 『アイアン・ボア』だ。

 鋼鉄の剛毛に覆われた巨体。充血した瞳が、アルスを敵と認識し、ロックオンしている。


「ブモオオオオオッ!!」

 咆哮と共に、ボアが突進してきた。

 地面が揺れる。

 木々が薙ぎ倒される。

 圧倒的な質量と速度。

 人間なら一撃でミンチにされる威力だ。


「……おっと、危ない」

 アルスは冷静だった。

 慌てず騒がず、リュックから小さな瓶を取り出す。

 そして、タイミングを見計らって、ボアの鼻先へと放り投げた。


 パリンッ!

 瓶が割れ、中から薄いピンク色の液体が飛び散った。

 それは瞬時に気化し、甘い香りを放つ煙となってボアを包み込んだ。


「ブモ……?」

 ボアの足が止まった。

 鼻をヒクつかせ、きょろきょろと周囲を見回す。

 その瞳から、先ほどの殺気が消えていた。

 代わりに浮かんでいるのは、どこかトロンとした、陶酔したような色だ。


「よし、効いたな」

 アルスはニヤリとした。

 彼が投げたのは、『夢見る香炉スリーピング・アロマ』の改良版だ。

 強力な鎮静剤と、幻覚作用のある成分を配合してある。

 これを吸い込んだ魔物は、一時的に戦意を喪失し、幸せな夢を見ることになる。


「ブ……ブゥ……」

 ボアはその場にへたり込み、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。

 まるで子猫のように。

 巨大な鋼鉄の怪物が、地面に寝転がって甘えている姿は、シュール極まりなかった。


「さて、と」

 アルスはボアに近づき、その鼻先を撫でた。

 剛毛は硬いが、体温は温かい。

「君たち、どうしてそんなに怒ってるんだい?」


 アルスはもう一つのアイテムを取り出した。

 『翻訳のトランスレーション・スモーク』だ。

 紫色の煙を焚き、ボアの鼻元へ漂わせる。


「……腹……減った……」

 ボアの思考が、途切れ途切れの言葉となって聞こえてきた。

「……飯……ない……。ここ……何も……ない……」


「何もない?」

 アルスは首を傾げた。

 この森は豊かなはずだ。

 植物も動物も豊富にいる。

 なぜ、こんな巨体を維持するほどの食料がないというのか?


「……水……」

 ボアが呻いた。

「……水が……不味い……。力……出ない……」


「水?」

 アルスはハッとした。

 そういえば、ここに来る途中、川を見た。

 ドブ川の下流だ。

 かつてはヘドロで濁っていたその川は、今では透き通るような清流に変わっていた。

 アルスが設置した浄化装置のおかげだ。


「……まさか」

 嫌な予感がした。

 アルスはボアに問いかけた。

「君たち、何を食べて生きていたんだ?」


「……ドロドロ……。甘い……苦い……。力……湧く……」

 ボアは夢うつつに答えた。

「……あれが……一番……美味い……」


 アルスは天を仰いだ。

 謎が解けた。

 そして同時に、自分の犯した「過ち」に気づいた。


 魔物たちが求めていたのは、清らかな水でも、新鮮な肉でもなかった。

 彼らの主食は、「汚染物質」だったのだ。


 王都から流れてくる、高カロリーな魔法薬の残りカス。

 希少な魔獣の内臓。

 工場廃液に含まれる化学物質。

 それらがドブ川で混ざり合い、発酵し、熟成され、この森に流れ着く頃には、魔物にとって極上の「エナジードリンク」になっていたのだ。

 いわば、超高濃度の栄養スープだ。


 それを、アルスは浄化してしまった。

 「綺麗にする」という善意で。

 結果、彼らの重要なエネルギー源を断ってしまったのだ。


「……なんてことだ」

 アルスは頭を抱えた。

 良かれと思ってやったことが、逆に生態系を破壊していたなんて。

 魔物たちが怒り狂い、人里を襲ったのも無理はない。

 彼らは飢えていたのだ。

 生きるために必死だったのだ。


「ごめんよ」

 アルスはボアの頭を撫でた。

「僕のせいだったんだね。……君たちの食事を奪ってしまった」


 ボアは気持ちよさそうに目を細めている。

 まだ夢の中だ。

 だが、その体は痩せ細り、骨が浮き出ていた。

 本来のツヤのある剛毛も、今はパサパサに乾いている。


「責任を取らなきゃな」

 アルスは決意した。

 ただ謝るだけでは済まされない。

 彼らに代わりの食事を提供し、この森のバランスを取り戻さなければならない。


 しかし、どうやって?

 元の汚染された川に戻すわけにはいかない。

 それではアッシュバーデンの住民が困る。

 彼らにとって、綺麗な水は命綱なのだ。


(……待てよ)

 アルスは思考を巡らせた。

 川を汚すのではなく、彼らが欲しがっている「成分」だけを与えればいいのではないか?


 工房には、浄化装置から取り除いた「汚泥スラッジ」が大量に保管されている。

 あれは産業廃棄物として処理に困っていたものだが、成分的には魔物が求めているものそのものだ。

 むしろ、濃縮されている分、栄養価は高いはずだ。


「……いける」

 アルスは指を鳴らした。

 『特濃ヘドロエキス』。

 それを加工し、固形燃料のようにして森に撒けばいい。

 そうすれば、川は綺麗なまま、魔物たちにも十分な栄養が行き渡る。


「よし、方針は決まった」

 アルスは立ち上がった。

 ボアはまだ眠っている。

 彼はリュックから、非常食として持ってきた『濃縮栄養ブロック』を取り出した。

 これは彼が自分用に作ったものだが、成分はヘドロに近い。

 それをボアの口元に置いた。


「起きたら食べな。……これからは、もっと美味しいのを持ってきてやるから」


 アルスは再び歩き出した。

 目指すは森の最奥、『深淵部』。

 そこにいるはずの「王」に、この提案を持ちかけるために。

 そして、謝罪するために。


 アルスは歩き出した。

 足取りは軽い。

 数年ぶりの再会に、胸が高鳴っていた。


 「待ってろよ、マリモ」

 彼は小さく呟いた。

 森の奥へ進むにつれ、魔物の数が増えてきた。

 『アシッド・ウルフ』の群れ、『ポイズン・バット』の編隊。

 彼らもまた、飢えた目でアルスを見つめていた。

 だが、襲ってくる者は少なかった。

 アルスが焚く『翻訳の煙』と、時折ばら撒く『栄養ブロック』の効果だ。


「……意外と話がわかるじゃないか」

 アルスは苦笑した。

 言葉は通じなくても、胃袋は通じ合う。

 それは人間も魔物も変わらない真理だった。


 やがて、霧が深くなり、周囲の景色が一変した。

 木々がさらに巨大化し、地面には発光する苔が群生している。

 空気中の魔素濃度が桁違いに高い。

 ここから先は、『深淵部』。

 人間の領域ではない。


「……ここだな」

 アルスは足を止めた。

 目の前に、巨大な結界石のような岩が立ちはだかっていた。

 ここが境界線だ。


 その時。

 岩の陰から、小さな影が現れた。

 ドワーフだ。

 髭を蓄え、ずんぐりとした体型。手にはピッケルを持っている。

 彼らは森の地下に住み、鉱石を掘って暮らしている種族だ。


「……人間か?」

 ドワーフが低い声で問いかけた。

「珍しいな。こんな奥まで生きてたどり着くとは」


 アルスは笑顔で答えた。

「商談に来たんだ」


 ドワーフの目が光った。

 これが、次なる交渉の始まりだった。

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