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第1章 第1節『ドブの魔術師』と追放された俺、実家の最下層で「ゴミ」を「神素材」に変えて無双する 〜一方、俺を捨てた綺麗な王都は汚物まみれで崩壊寸前です〜

 王都、ホワイト・セレスティア。

 この国において、その名は「至高の潔白」を意味する。

 空を突く尖塔は純白の白亜で統一され、路地の一つに至るまで塵ひとつ落ちていない。街路樹の葉さえも、毎朝魔法で洗浄され、人工的な輝きを放っている。ここでは「汚れ」は罪であり、「美しさ」こそが法であった。


 その中心に位置する王城の最奥、「白水晶の謁見の間」。

 天井まで届く巨大なステンドグラスからは、計算され尽くした光が降り注ぎ、床に敷き詰められた大理石は鏡のように磨き上げられている。そこに集う貴族たちは、最高級のシルクと宝石で身を飾り、香水の雲を纏いながら優雅に扇を揺らしていた。


 そんな、目が眩むような光と香りの楽園に――異物が一つ、混ざり込んでいた。


「……臭い。あまりにも臭いぞ! 貴様、王の御前であるぞ!」


 怒号が響き渡る。

 声の主は、近衛騎士団長ヴォルフ。金糸で刺繍された純白のマントを羽織り、腰には装飾過多な儀礼用の剣を佩いた男だ。彼は今、ハンカチで鼻と口を覆いながら、目の前の人物を汚らわしいものでも見るかのように睨みつけていた。


 その視線の先に立っているのは、宮廷錬金術師、アルスである。

 いや、正確には「立たされている」と言うべきか。

 彼の周りだけ、貴族たちが半径五メートルほど距離を空け、遠巻きに囲んでいるのだ。まるで、彼が伝染病の発生源であるかのように。


「申し訳ありません、ヴォルフ団長。しかし、薬効成分を極限まで活性化させるためには、この発酵プロセスが不可欠なのです」


 アルスは淡々と答えた。

 彼の身なりは、この場にはあまりに不釣り合いだった。薬品の染みがついたローブ、あちこちが擦り切れた手袋。そして何より、彼が両手で恭しく捧げ持っている「それ」が、この場の空気を決定的に破壊していた。


 ガラスのフラスコの中で、ボコッ、ボコッ……と不気味な泡を立てる、深緑色のドロドロとした液体。

 それはまるで、沼の底からすくい上げたヘドロをさらに煮詰め、何十年も放置したかのような代物だった。

 そして、そこから漂う強烈な異臭。

 腐った卵と、蒸れた靴下と、発酵した魚をミキサーにかけたような、鼻腔を突き抜け脳髄を直接揺さぶるような激臭が、優雅な謁見の間を侵食していた。


 これこそが、アルスが心血を注いで完成させた秘薬、『50年熟成のヘドロポーション(The 50-Year Sludge Vintage)』である。


「言い訳など聞きたくない! 陛下は今、原因不明の奇病に伏せっておられるのだ。その尊い御身に、そのようなドブ水を飲ませようと言うのか!?」


 ヴォルフが剣の柄に手をかける。

 玉座には、痩せ衰えた国王が力なくもたれかかっていた。顔色は土色で、呼吸も浅い。王都の医師たちが匙を投げたこの病を治せるのは、もはや錬金術による奇跡しかないとされ、今日この場が設けられたのだ。


 アルスはフラスコを愛おしそうに見つめた。

「ドブ水ではありません。これは、地下深層の土壌に含まれる希少な微生物を培養し、半世紀分の栄養素を凝縮したものです。見た目は……ええ、確かに少々刺激的ですが、細胞の再生能力を爆発的に高める効果があります。陛下を救うには、これしかありません」


 アルスの言葉に嘘はない。

 彼は幼い頃から、「美しさ」よりも「生命の本質」に魅せられてきた。花よりもその根を育む泥に、宝石よりもそれが埋まる土塊に、命の源を感じる特異な感性の持ち主だった。

 だからこそ、彼は王都の主流である「宝石のように美しいポーション」という美学に背を向け、効果のみを追求した「ドブ錬金術」を極めてきたのだ。


「ふふっ……相変わらずだね、アルス。君のその、美的センスの欠落した思考回路には、ある種の感動すら覚えるよ」


 鈴を転がすような、甘く、嘲笑を含んだ声が響いた。

 貴族たちの人垣が割れ、一人の男が優雅に歩み出てくる。

 筆頭錬金術師、クラウス・ヴァン・アイゼン。

 輝くような金髪、陶器のように滑らかな肌。純白のローブには魔法石が散りばめられ、歩くたびに薔薇の香りが漂う。アルスとは正反対の、「王都の美」を体現した男だ。


「クラウス……」


「陛下、そして皆様。どうかご安心ください。あのような汚物を陛下に近づける必要はありません。この私が、真の錬金術をお見せしましょう」


 クラウスは、手にしたクリスタルの小瓶を高く掲げた。

 中に入っているのは、透き通るような真紅の液体。光を受けると内側からキラキラと金色の粒子が輝き、栓を開けた瞬間、甘美な花々の香りが謁見の間に満ちた。

 さっきまでの悪臭が一掃され、貴族たちから感嘆の溜息が漏れる。


「おお……なんと美しい!」

「これぞ、王家の薬にふさわしい輝きだわ」

「ドブ臭いポーションとは雲泥の差だな」


 クラウスは勝ち誇った笑みを浮かべ、アルスを一瞥した。

「これが私の最高傑作、『天使の美薬アンジェリック・ルージュ』です。希少なルビーを触媒に、聖なる泉の水で精製しました。病を癒やすだけでなく、飲む者に永遠の美と若さを与える奇跡の霊薬です」


 アルスは眉をひそめた。

 そのポーションからは、確かに甘い香りがする。だが、アルスの鼻は誤魔化せない。その香りの奥底に、微かだが、決定的な「死」の匂いを感じ取っていた。

 鉱物由来の強すぎる固定化作用。あれは、生きた細胞を癒やすのではなく、その瞬間の状態を「永遠に保存」してしまう劇薬に近い。


「待て、クラウス。その薬は危険だ。成分の結合が強すぎる。人間が飲めば、代謝機能が停止するぞ」


 アルスは警告した。

 しかし、その声は嘲笑にかき消された。


「黙れ、ドブの魔術師!」

 ヴォルフ団長が一喝する。

「貴様の嫉妬など見苦しいだけだ。見ろ、あの美しさを。あれこそが正義だ。貴様のその汚い泥水とは違うのだ!」


 ヴォルフはアルスの手から乱暴にフラスコを叩き落とそうとした。アルスはとっさにそれを庇い、身を引く。


「陛下! どうかご決断を!」

 クラウスが玉座の前に進み出る。

 国王は、混濁した意識の中で、二つの薬を見比べた。

 片や、吐き気を催すような異臭を放つ、ドロドロの緑色の液体。

 片や、芳しい香りを放ち、宝石のように美しく輝く深紅の液体。


 選択の余地など、この「美」を至上とする王都の主にはなかった。


「……うぅ……美しい……ほうを……」


 王の震える手が、クラウスの小瓶へと伸びた。


「賢明なご判断です、陛下」

 クラウスは恭しく瓶の蓋を開け、王の口元へ運ぶ。

 アルスは叫んだ。

「飲んではいけません! それは薬じゃない、ただの防腐剤だ!」


 だが、遅かった。

 王は一息に『天使の美薬』を飲み干した。


 その瞬間。

 カッ!と、王の身体が内側から発光した。

 土色だった肌からシミやシワが消え失せ、まるで最高級のダイヤモンドのように透き通り、硬質な輝きを帯びていく。

 垂れ下がっていた頬は引き締まり、白髪はプラチナの輝きを取り戻した。

 それは確かに、人間離れした美しさだった。

 だが同時に、王の胸の上下動は止まった。瞬きもしない。指一本動かない。

 完全に、静止した。


 シーン……と、静寂が落ちる。

 そして、爆発的な歓声が上がった。


「おお! 見ろ、陛下が若返られた!」

「なんて神々しいお姿だ!」

「まるで生きる宝石だわ!」


 貴族たちは口々に称賛した。

 アルスだけが、絶望的な顔でその光景を見ていた。

 あれは治ったのではない。

 生命活動が極限まで凍結され、細胞が結晶化してしまったのだ。いわば、生きたままの剥製。美しい彫像になったに過ぎない。

 植物状態どころか、鉱物状態と言ってもいい。


「陛下? ……陛下?」

 側近が声をかけるが、王は答えない。ただ、虚空を見つめ、美しく微笑んだまま固まっている。

 だが、クラウスは高らかに宣言した。

「ご覧ください! 陛下は俗世の苦しみから解き放たれ、高次の存在へと昇華されたのです! あまりの美しさに、言葉を発することさえ無粋とお考えなのでしょう!」


「さすがクラウス様!」

「天才だ!」

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