フラッシュバーン
同じものを見ていても、撃つ側と撃たれる側では、その意味がまったく違った。
105mm砲の弾幕は、まるで巨大な熊手が地面をゆっくり掻きむしるように、陣地の上を進んでいた。
カリウスはファフニール隊の将校らと泥を蹴り、手近な掩体壕へと滑り込む。
振り返った視界の端で、百年は年経たであろう巨木と同じ肩の高さまで、土が跳ね上がっていた。
大地が抉られ、痘痕のような穴が連なっていく中、チカチカと青い清潔な光の色が混じる。エーテル火薬の閃光だ。
砲弾が炸裂するその度に、内部に充填されていたエーテルが発光し、木々の影を地面に焼き付けていった。
群生したシダが、まるで巨大な手に薙ぎ払われたかのように吹き飛ぶ。青い閃光に焼かれた灌木は、枝だけを残して葉は緑の霧となって舞った。
「ほいほい! 入った入った!」
一足先に掩体壕に入ったガストンが、中から手招きする。
掩体壕は、塹壕の途中に掘られた退避用の横穴だ。
砲撃が来たら、露天の持ち場から離れて、逃げ込むように作られている。
「ただの穴じゃん、大丈夫なの~?」
後から飛び込んできたレオンが、肩の泥を払いながら疑わしげな声を上げた。
「不満なら出ていけ。ここは上に岩場がある、直撃したってびくともしねえよ」
ガストンはにべもなく言い放つ。
砲撃が始まれば、露天の持ち場は死地だ。
この狭い横穴だけが、今の彼らにとって唯一の寄る辺だった。
カリウスは、ガストンの言葉を信じるように土の壁に背を預けた。
(……みんな不安そうだな。)
逃げこんだ者の不安を拭い去る力があるわけでもない。
単なる土の壁に、それは期待し過ぎというものだ。
皆一様に押し黙り、砲弾の雨が過ぎ去るのを待っていた。何一つ明かりの無い壕の中で、隣あった者の体温と息遣いだけが確かなものとして感じられた。
そんななかでも、カリウスは思考を止めなかった。
或いは、そうでもしないと、無様に叫んでしまいそうだったからかもしれない。
(たしか10榴なら……殺傷半径は30から20メートル、破片の飛散距離は175メートルのはず。見た目よりは危険じゃない)
知識の上では「たいしたことじゃない」かもしれない。
だが、それがなんだというのか。
本の中の知識は、気まぐれな砲弾一発で命が吹き飛ばされる現実の前では、何の慰めにもなりはしない。
カリウスはふと、違和感に眉をひそめた。
あれほど激しかった弾幕の音が、潮が引くように遠ざかっていく。
「あれ、もう終わり?」
レオンが緊張を解き、壕の入り口へ足を向けた。
壕の入り口にうずくまった彼の肩越しに、カリウスも外を覗き見る。
硝煙の向こうでは、なぎ倒された木々が青い火を上げていた。
耳に痛みを感じさせるほどの静寂。
いや、無音ではない。
小さいが、確かに仲間の呻き声が聞こえ始める。
「よし、今のうちに負傷者を助けに行こうぜ」
レオンが弾かれたように立ち上がり、壕の入り口へ足を向けた。
その手には、救急キットが握られている。
「ダメだ、まだ出るな!」
カリウスの鋭い制止に、レオンが「え?」と足を止めた。
「何言ってるんだよ! 第二小隊の連中は外に展開してたんだぜ!」
「それが罠だ! 伏せろッ!!」
その直後、空が割れた。
先ほどまでの砲撃を「静かな雨」と思わせるほどの、暴力的な連射。
(やっぱりだ。ロシアがウクライナでやったのと同じ、最悪の手法……!)
一度目の砲撃は、奇襲効果を狙った突然のものだった。
煙幕を使って事前に標定をしないが故、狙いは甘い。
効果は限られるが、《《それでいい》》のだ。
彼らが重きをおいているのは「二度目」なのだから。
最初の一撃は「撒き餌」に過ぎない。
攻撃をあえて中断し、救護のために這い出してきた生存者を、修正を加えた本命の大火力で確実に仕留める。
「ダブルタップ」――仲間を助けようとする慈悲の心さえ、効率的な殺戮に利用する時間差攻撃だ。
「伏せろ! 頭を上げるな!」
カリウスの怒号は、爆風にかき消された。
ドワーフの作った強固な掩体壕でさえ、今度は悲鳴を上げている。パラパラと天井から土がこぼれ、カリウスの視界を「清潔な青い閃光」が何度も、何度も塗りつぶしていった。
「…………」
今度こそようやく音がやんだのを確認して、カリウスは退避壕から顔を出す。
さっきまで湿った土の匂いと草の香りが混じっていた空気は、いまや焦げた木の匂いと、むき出しの土の生臭さに変わっていた。
「……うっ」
掘り起こされた地面のいたるところに、赤いものが広がっている。
木々にぶら下がっているのは、人間の中身だ。
レオンが助けに行こうとした第2小隊の兵たちは、最初の砲撃で倒れた仲間を引きずり出そうとした、その位置のまま動かなくなっていた。
その配置は、まるで「そこを狙って撃たれた」と言わんばかりだった。
「……やっぱりそうだ。救護を狙った瞬間に追い打ちを仕掛けてる」
「帝国の畜生どもめ……これが人間のやることかよ」
「……何だこれは?」
地面に倒れ伏す兵士の中に、奇妙な焼死体がある。
兵士たちの軍服は何とも無い。しかし、その襟元から覗く首筋や、銃を握っていた手先だけが、まるでローストビーフのように炭化して、どす黒く変色していた。
ステラがカリウスの横を通って死体の前にかがみ込み、小さく言葉を漏らす。
「中隊長。これは、閃光火傷です」
「閃光火傷?」
「はい。前のヨーロッパ大戦の折、砲弾の威力強化を狙って、エーテル火薬を多く充填することが試されたのですが……爆発の威力が増すと、かえって形成される破片が小さくなって、殺傷力が減ることが判明したのです。ですが――」
ステラが死んだ兵士の手を取って、バッと袖をまくる。
すると、服の下は驚くほど真っ白だった。
「服の下は焼けてない……?」
「はい。このように、〝生物だけを灼く〟ことが発見されたのです。エーテル火薬の配合比を変えた、新式の高輻射弾でしょう。爆風で殺すのではなく、瞬間的な光の熱で瞬時に灼き尽くす。そして生物は、何も人間に限った話ではない」
そう言ってステラは、炭化した兵士の手首から視線を外した。
カリウスも彼女に続いて周りを見渡す。
樹勢豊かだった森の木々は、梢から全ての葉を剥ぎ取られていた。
完全な裸となって立ち尽くし、無惨な様子を晒している。
「……森か」
「そうです。木々の葉が落とされたのは、爆風のせいだけではありません。これでは以前のように木を使った高所からの狙撃戦ができません」
「クソッ、やってくれるな……」
カリウスの背筋を冷たいものが駆け抜けた。
以前の森は、深緑の海だった。数メートル先を見通すことすら拒む、柔らかくも強固な壁が帝国軍の前に立ちはだかっていた。
しかし、今となってはそれはもうどこにも存在しない。
すべての葉を毟り取られた木々は、墓標のように立ち尽くし、焼け焦げたその身を風に軋ませていた。
(これはひどいな……とはいえ、対岸も焼き尽くされていて、こっちからしても、敵をよく見通せるようになったけど)
視線を巡らせた先、数百メートル後方の窪地。
木々の隙間から、見覚えのある輪郭が、あまりにも無防備に晒されていた。
(不味いぞ。あれじゃ帝国の観測班から、丸見えじゃないか!)
はたして帝国軍の「ダブルタップ」は、それだけが目的だったのか。
砲に随伴して移動する「即応弾薬」は、1門あたり20発から30発程度であることが一般的だ。
もちろん、師団が保有する総数はもっと多いが、前線で「今すぐ撃てる」数は限られている。
陣地の偽装をすべて焼き払い、獲物の姿を白日の下に曝け出すための「露払い」。
だとすれば、次に来るのは――。
「……アデーレ!」
妹の名を叫ぶのと、彼女が守る戦車へ向かって走り出すのは同時だった。
(帝国の砲兵は、ここで弾を使い切っても構わないと判断している。それはつまり、次の一撃で、僕たちの陣地を、兵士を、そして隠れている戦車を――根こそぎ『掃除』できるという確信があるからだ!)
登場人物と一緒に作者もコロナで死にかけてました
まだゴホゴホします
さて、エーテルの光が生じるのは、閃光やけどを狙ったものです。
第一次大戦のユトランド沖海戦で、コルダイト火薬の閃光が起こした「フラッシュバーン」と言われる現象が元ネタです。




