魔女の講義
翌週。
大学の裏庭にある古い温室――
普段は誰も使わないその場所に、カリウスは呼び出されていた。
シャルロッテは、草花の枯れ果てた温室の中央で待っていた。
銀の義手が、光を吸い込むように華やかに輝いている。
「来たか、カリウス」
「……あの、ここで何を?」
「お前の魔法を叩き起こす。このまま眠りこけたままでは死ぬだけだ」
シャルロッテは、指を鳴らした。
ぱん、と乾いた音が響く。
次の瞬間、温室の空気が震え、カリウスの胸の奥が熱くなる。
「っ……!」
「感じるか? それがお前の魔法の核となる部分だ。魔法とは、世に言われているような才能で使うものではない。世界の歪みを手に取る手段で、技術だ」
「歪み……?」
「理解しなくていい。いや、お前に理解できるはずがないからな」
彼女の言葉は厳しいのに、声色にはどこか優しさのようなものが混じっていた。
「まずは風から行こう。風は理のなかでも単純な形態だからな。初心者がエーテルの感覚を掴むのに適している」
「……つまり?」
「空気に乗ったエーテルを見ろ。風を自在に扱うことができれば、その応用――
呪文を使った統制も腑に落ちるだろう」
シャルロッテは、銀の義手を軽く振った。
温室の空気が渦を巻き、カリウスの頬を切り裂くように吹き抜けた。
「避けろ」
「えっ――」
言われた瞬間、カリウスの身体が勝手に動いた。
風の流れが『見えた』のだ。
「……できたな」
シャルロッテは満足げに頷いた。
「お前は、まだ伸びる。他でもない――〝カリウス〟だからだ」
◆
熱のこもった《《授業》》の後、シャルロッテはカリウスを呼び止めた。
「お前は軍略も使えるな?」
「はい。将来は軍に……」
「なら教える。戦争とは、躊躇いなく理の外側を突けるものほど強い」
「……え?」
シャルロッテは指折り数えるように続ける。
だが、その内容は剣呑そのものだ。
「敵の補給線を断つ? 遅い。補給線など、いくらでも張り替えられる。焼くべきは線ではなく点。『補給源』だ。後方の都市を焼けば、前線は勝手に飢える」
シャルロッテはまるで世間話のように酷薄な戦術論を語る。
言葉は滑らかだが、その光景を見てきた者の〝重み〟が乗っている。
「敵の士気を削る? 甘い。士気など、酒や女を与えれば、いくらでも回復できる。削るべきは士気ではなく『信頼』だ。不満を煽り、指揮官と兵を疑心暗鬼にさせれば、軍は勝手にほどけていく」
カリウスは息を呑んだ。
(……そうか。この人は、千年の戦争を実際に体験してきた。まさに怪物だ)
シャルロッテは続ける。
「例えばだ、カリウス」
シャルロッテは銀の義手で彼の胸を軽く突いた。
「敵の補給路を攻撃するとして――実際はどうするのか、考えたことはあるか?」
「はい。偵察を出し、補給隊の位置を把握し、夜間に奇襲を――」
「模範解答だな。だが、これは試験ではない」
シャルロッテは冷たく言い放つ。
「補給路は敵にとって安全な場所が選ばれる。すなわち、味方にとっては危険極まりない場所というわけだ。しかも、自分たち以外に味方はいない。」
「ですので、偵察を厳に――」
「何故自分たちの兵を使う? 現地民を金を出して雇えばいい。戦争中は金に困っていて安く買えるし、土地勘もある。家族を人質にとるのも良いな。必死になって情報を持ち帰ってくるぞ」
「それは……」
メチャクチャだ。そう言おうとしてカリウスの唇が震えた。
シャルロッテの提案はあまりにも非人道的過ぎる。だが――合理的だ。
「おっと、基本に立ち返って考えよう。補給部隊を攻撃する必要はそもそもあるのだろうか? 現地の村を焼けば、その補給部隊は、現地民の救済や避難のために使われるだろう。より安全に敵の補給部隊に負荷をかけられると思わないか?」
「そんなことは――してはいけないと思います」
「正々堂々と戦いたいか? ならば言わせてもらう。お前が送り込んだ補給破壊部隊は〝死兵〟だ。彼らの血か、敵の血か。どちらが多いかで作戦の成否が決まる。成功にせよ、失敗にせよ、どちらの方法が、彼らの家族が喜ぶと思う?」
カリウスは言葉を失った。
だが同時に――理解してしまった。
(……これが、戦争の本質……)
シャルロッテの言葉は狂気じみている。
1000年の戦いが、シャルロッテを冷徹な戦争機械にしていた。
背筋が冷たくなる。
だが同時に、胸の奥が熱くなる。
(分かる……分かってしまう……これが戦争の本質なんだ)
シャルロッテは狂っている。それは間違いない。
だが、戦争そのものが狂っているのだ。
彼女は狂った世界の中で、唯一通用する〝正しさ〟を拾い上げているにすぎない。
カリウスはそれに気付いた。気づいてしまった。
(僕は……この人からもっと《《学べる》》)
その瞬間、彼の中で何かが静かに、しかし確実に変わり始めた。
「良い顔だ。もっと具体的な方法を知りたいという顔をしている」
シャルロッテは微笑んだ。
「安心しろ。お前は優しい。だからこそ、私の戦いを学べる。
――優しい者ほど、冷酷になれる」
◆◆◆
――数日後。
大学の多目的室の中央に、立体地形模型が据えられていた。
典型的なベリエの農村――中央に小さな村落、その周囲に緩やかな丘陵。
机上演習としては定番の地形だ。
今日は特別講義として、陸軍大学校から将校団が派遣されてきている。
現役の佐官が一人、そして歴戦の大尉と中尉たちが数名。
彼らは余裕の笑みを浮かべていた。
佐官が腕を組み、学生たちを見下ろすように言う。
「諸君には二個歩兵小隊を与える。任務は単純だ。帝国に奪われた中央の村落を奪還せよ。我々は君たちを帝国軍の三個小隊で迎え撃つ」
その指示に、カリウスの隣のレオンが小声でつぶやく。
「三対二か……まあ、普通にやれば負けるよな」
カリウスは頷いたが、視線は模型から離れなかった。
彼の目は、地形をすみずみまで読み取るように運ばれる。
将校団の大尉が、学生たちに向けて軽く笑う。
「去年は20分で学生諸君の敗北で終わった。今年はどうだろうな。15分以内に終わると私は踏んでいる」
学生たちが苦笑する中、カリウスだけが手を挙げた。
「質問があります」
将校たちは「お、やる気のある学生だな」と軽く受け止めた。
だが、次の瞬間、その表情がわずかに固まる。
「この村落の井戸は、使用可能ですか? あるいは、すでに我が軍によって毒が投げ込まれている前提でしょうか」
「……毒?」
佐官が眉をひそめる。
「村落は、拠点として利用できる可能性が高い。ですが、味方が撤退時に井戸を汚染していれば価値は下がり、帝国軍が村落の外部に展開している可能性が高い」
レオンが思わず振り返る。
(おい……何言ってんだよカリウス……)
将校団の中尉が、どこか引きつった苦笑いを浮かべた。
「……井戸の汚染までは想定していない。そこまで考える必要は――」
「では、村落の住民は残っていますか? 避難済みですか? それとも、帝国軍によって『人間の盾』として残されているのでしょうか?」
将校団の空気が変わった。
佐官が、わずかに真顔になる。
「……住民は避難済みという設定だ」
「何時間前ですか?」
「……2時間前としよう」
「了解しました。では、直接村落を制圧するより、村落周辺の地形を利用して敵を誘導する方が合理的でしょう」
カリウスは淡々と続ける。
「村落を奪還するために、村落に突撃する必要はありません。まずは防衛についている敵の主力を、戦場に引きずり出すことが肝要です」
将校団の大尉が、思わず佐官に目を向けた。
佐官は喉の奥から呻くような唸り声を上げて、隣の大尉に訪ねた。
「……この学生、何者だ? 知っているか?」
「いえ、自分は……おい、名簿を取ってこい」
「は、はい!」
他の学生たちはぽかんとしていた。
レオンだけが、背筋に冷たいものを感じていた。
(マジかよ……これって、シャルロッテ教授の個人授業の影響……かぁ?)
将校団はまだ余裕を崩していない。
だが、胸の奥に小さな違和感が芽生えていた。
――この学生、他の学生とは〝性質〟が違う。
その違和感が、後に額に浮かぶ脂汗へと変わることを、彼らはまだ知らない。
◆




