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地下野戦病院


 一方、アルデナの森の地下。巣穴道(バロウズ)では、次々と負傷者が運び込まれ、イヤーロップたちがその手当に当たっていた。


「ならべるんだよ、負傷の重さの順番で!」


「仰向けに寝かせちゃ駄目だよ、顔を怪我したら」


 イヤーロップは顔を撃たれた兵士をうつ伏せにして、頭を担架の外に出して下に向けた。彼が自分の血で窒息しないようにするためだ。


「タルト、負傷者の数は?」


「全部で14人。顔が2人。あとは胸が3、急ぎだよ、この5人は」


「わかった。まずは怪我から土を落とすよ」


「うん。急ごう」


 怒鳴り声が反響し、低い天井にぶつかっては揺れ返る。湿った土壁が震え、吊るされた薬草の束がカサカサと擦れ合った。


 道にできた「こぶ」の奥からは、もうもうと蒸気が流れ出ている。みると、ドラム缶が焚き火にかけられ、中の湯がぼこっ、ぼこっと不穏な呼吸を続けていた。


 ドラム缶から伸びたホースの先では、イヤーロップの一人が負傷兵の腕を掴み、ためらいなくお湯を浴びせかけていた。


 自転車の空気入れのようなポンプを押すたびに、ゴムホースからお湯が流れだす。

 兵士はたまらず悲鳴を上げていた。


「熱っ……! やめ、やめろって!」


「ダメダメ、やめないよ! 腕がなくなるよ、泥をつけたままだと!」


 もこもこしたイヤーロップのシルエットが、お湯に濡れてしぼんでいる。


 そうまでしても、彼らが負傷兵を洗い流すのは、《これ》が治療において、重要な意味を持つことを理解していたからだった。


 負傷部位の土を洗い流すのは、非常に重要なことだった。


 アルデナの森。その土は豊かに肥えていて、生命に満ちている。

 その生命の意味するところは、鹿や小鳥たちだけではない。


 土の中に潜み、目には見えない存在――細菌だ。


 耕作に適した豊かな土壌は、破傷風やガス壊疽、敗血症を引き起こす致死的な細菌の住処でもあった。


 細菌が詰まった傷を縫合してしまえば、後から消毒包帯をあてがったとしても、深く根を張った感染症にはほとんど役に立たない。


 アルデナの地に長く住むイヤーロップたちは、傷を十分に洗浄せず、性急に手当してしまうと、患者の状態をさらに悪化させてしまうだけだと理解していた。


 だからこそ――


「ほら、見てごらん。ここ、もう黒くなりかけてるよ」


 イヤーロップの一人が、負傷兵の肩に指を当てた。指先の毛がぺたりと濡れ、土と血の混じった泥が糸を引く。


 その下の皮膚は、わずかに紫がかっていた。


「これ、放っておいたら腐るよ。森の土に食べられてる」


「う……」


「肩の傷、腕の根本。ちょん切られたくなかったら、じっとする」


 彼はそう言いながら、再びホースのポンプを動かすよう、助手に合図した。

 温水が勢いよく噴き出し、負傷兵が悲鳴を上げる。


「やめろって言ってるだろ!」


「やめたら死ぬの! ほら、しっかりして!」


 立ち上る蒸気で蒸らされた地下は、むっとした血の匂いに満ちていた。


 天井にたちこめる白い蒸気。

 その間で、乾燥させた薬草の束がヒモに通されて揺れている。


 別のイヤーロップが、立ち上がって天井に手をやり、吊るされていた薬草の束を取る。彼はドラム缶の前で薬草の端を揃えると、手に持った束をさっとくぐらせた。


 熱湯で葉が一瞬で柔らかく戻り、指先にぬるりと粘りが絡みついた。

 これはイヤーロップの用いる、天然の湿布薬だった。


「はい、動かないでね。少し楽になるから、これ貼るとね」


「アチチ……!」


 イヤーロップたちは、素早い手つきで、薬草を重ね、布で固定していく。

 負傷兵が呻き声を漏らすたび、イヤーロップの耳がぴくりと動いた。


 そのとき――。


「止まったね」


「うん。止まった」


 処置台の端で作業していた若いイヤーロップが、耳をぴんと立てたまま動きを止めた。周囲の喧騒の中、彼だけが聞き取った、小さな音の途切れ――。


 奥の担架に寝かされていた兵士の呼吸が止まっていた。

 顔を撃たれていた兵士が、失血のショックで事切れたのだ。


 イヤーロップは頭にまいた白い布をとり、そっと兵士の顔を覆った。


「……。」


 一瞬だけ、空気が沈んだ。だがその静寂は、すぐに地面を震わせる足音に破られる。巣穴道の入口から、また新たな担架が運び込まれてきたのだ。


 若いイヤーロップは、悲しむ暇もなく、足裏に伝わる振動の方向へと駆け出した。


「次、来るよ! 場所あけて!」


 タルトは担架の脇に膝をつき、傷口を一瞥した。

 洗浄は済んでいる。だが、まだじくじくと傷の内側から血があふれていた。


(ここ、傷ついてるね、動脈が)


鉗子(かんし)ちょうだい」


 差し出された止血鉗子で、赤く噴く一点を挟む。

 すると血の勢いがすっと弱まり、助手が安堵の息を漏らした。


結紮(けっさつ)して縫い留めて……よし、これで止まった)


「まだ終わらないよ。汚れたところは落とすからね」


 タルトは黒ずんだ肉片をつまみ、先の細い(はさみ)で静かに切り落とした。


 麻酔は使えない。

 下手に使えば、呼吸まで止まってしまうからだ。


(……反射してる。きっと※プロカインが切れてるんだ。)


「痛いけど我慢してね」


※プロカイン:局所麻酔薬の一つ。 麻薬であるコカイン代用薬で、1905年に開発された。


 兵士が痛みにうめくたび、タルトの耳がわずかに揺れる。


「よし、縫うよ。全部は閉じない。(うみ)が逃げる道を残すからね」


 傷の奥にガーゼの切れ端をドレーンとして差し込み、その上から太い縫合糸を針に通し、皮膚を大きくすくって縫い合わせる。


 ざく、ざく、と繊細な作業に不釣り合いな音が響いた。


「はい、終わり。次の人、こっちに」


 蒸気が揺れ、薬草の匂いが濃くなる。

 野戦病院に姿を替えた巣穴道(バロウズ)の喧騒は、まだまだ終わりそうになかった。

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