ぐっと下がって
ティーゲル号は予備陣地に向かって後退していた。
帝国軍は先頭に立っていた軽戦車中隊が全滅。さらにティーゲル号が放った《魔砲》の一撃を喰らい、歩兵が完全に統制を喪失。後退を始めていた。
その隙をついて、ファフニール隊は陣地転換に取り掛かった。
1両を失い、7両になった対戦車自走砲チームは、第二阻止線まで後退。
歩兵は巣穴道を使って、トラックとの合流地点まで地下を移動中だった。
「……ふう」
次第に緊張の糸がほぐれ、カリウスは深呼吸をした。
魔砲を放ったティーゲルの車内は、エーテル特有の甘い香りが漂っている。
エーテルの香りと温度に肺が満たされると、どこか懐かしく感じた。
自分はこれを知っている。そんな気がした。
「兄さん、そっちにいっていいですか?」
「うん。少し速度を落とすよ。頭をぶつけないように気をつけて」
運転席のシートの後ろ、車長席にいた妹が、隣の無線席に腰掛けた。
その小さな手には、メモをしたためた紙片が乗っている。
「兄さん、戦果報告です」
カリウスはそれを受け取り、書かれていた数字に眉をひそめた。
「うん? 敵の損害は――軽戦車15両に、105mm砲が12門? これは……」
「ちょっとやりすぎましたね」
「そうだね。戦車はともかく、105mm砲は大隊が丸ごと吹き飛んでる」
「雄バチでしたっけ? 兄さんが言った通り、すごい威力ですね……」
「まだ兵器としては未完成だけど、恐さが分かっただろう?」
「えぇ。兄さんはあの兵器のことを大学で教えてもらったんですか?」
「ん、それはえっと――」
カリウス――狩生は言い淀んだ。
前世の記憶だよ、と言うわけにはいかない。
そんなことを口走れば、彼の肉体はどこの誰が使っているのか。それを明かすことになってしまうからだ。
「シャルロッテ教授が推測してたんだ。いずれそういう兵器が現れるって」
狩生は恩師である「銀魔女」に全てを押し付けることにした。
千年の歴史を持つ〝怪物〟なら、何を思いついても可怪しくないだろう。
教授としては心外だろうが、この場にいない彼女が文句を言えるわけもない。
ここは甘んじて、彼女の威名を盾にさせてもらうことにした。
「さすがは〝銀魔女〟ですね……戦場に居ずして、未来を見通すなんて」
「うん。こんど果物でも買っていかないと」
「そんなこといって、トラックいっぱいのおみやげになっちゃいますよ」
「違いない」
カリウスは、不在の恩師に、心の中でそっと手を合わせた。
「兄さん。第二阻止線についたら、そのまま第三阻止線まで移動しますか?」
「さすがアデーレだね。その通りだ。僕たちは勝ちすぎた」
「え、兄ちゃん! 勝ったらそれで良いんじゃないの!?」
「そうよ。なんで第二阻止線を通り過ぎちゃうのよ。せっかく作ったのに」
「危険だからさ」
「「???」」
カリウスがそう言うと、フリンとメリナは、ぽかんとした顔で彼を見つめた。
「危険って……兄ちゃん、敵は後退してるんだよ?」
「そうよ。第二阻止線なら、もう塹壕も防衛計画も整ってるじゃない」
メリナは頬をふくらませる。
まるで自分の作った料理を残された子どものように不満げだ。
この場でアデーレだけが、兄の真意を理解していた。
「……いえ、メリナさん。私たちは勝ちすぎたんです」
「え~? アデーレ姉ちゃん、勝ちすぎたら、なんで危険なの?」
「そうよ。普通は逆でしょ。勝ったら前に出るんじゃないの?」
「遅滞戦闘は普通と違うんだ。勝つための戦いじゃない。敵の攻勢のテンポを乱すための戦いなんだ。勝ちすぎると、敵は必ず本気になる」
「はい。次の戦いでは、帝国軍の動きが変わるはずです」
「その通り」
カリウスはパチンと指を鳴らしてみせた。
「軽戦車中隊が全滅し、砲兵大隊が吹き飛んだ。これだけの被害を受けて、帝国軍が何もしないはずはない。次は準備を整えて、戦闘隊形で進んでくるだろう」
「はい。事前に斥候を出し、戦車には随伴歩兵を散開。また、工兵による進路の拡張をして、別働隊での包囲を行うはずです」
「えっ……じゃあ、第二阻止線で待ってたら……?」
「正面からの殴り合いになる。野砲の弾が雨のように降り注いで、戦車の横列が全力で殴り込んでくるだろうね」
「ひぇっ……」
「僕たちの目的は時間稼ぎであって、決戦じゃない。第二阻止線で待ち構えたら、準備を整えた帝国軍と、真正面からぶつかることになる」
「でも、せっかく作った陣地なのに……」
メリナが口を尖らせるが、カリウスはふふっと笑った。
「もちろん使うさ。最初の想定とは違う使い方だけどね」
「それじゃあ兄さん、早めに食事の準備をさせたのは……」
「あぁ。食事の痕跡を残し、敵にここが本命の陣地だったと思わせるためだ。そして急に撤退を決めたと誤認させるためでもある」
「あ、ギソーテッタイ? 兄ちゃんが子供の頃やったやつだ!」
「そう。敵は第二阻止線を警戒して慎重に前進する。でも、そこに僕たちはいない。警戒が空振りになれば、焦りが生まれる。焦りは判断を鈍らせる。そして――」
カリウスは前方の森を指差した。
「第三阻止線で、もう一度待ち伏せの形を作れる」
「……なるほどね。第二阻止線は、敵の警戒が一番強くなる山場。だから、そこにいるのは危ないってわけ?」
「そういうこと。遅滞戦闘は、ひたすら撃って逃げることって教えたろ?」
「たしか最初の訓示の時、そんなこといってたっけ」
「戦う準備ができた敵に付き合う必要なんかない。さっと下がって、必要な時にまた一撃。これが敵にとって、一番やられたくないやり口だ」
「兄さんらしい判断です」
「……それって褒めてる?」
「もちろん褒めてますよ」
「よーし! じゃあ第三阻止線で、もう一発かましてやろうぜ!」
「うん! 次はもっと派手にやってやるんだから!」
「だから、やりすぎちゃ駄目なんだって……」
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