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狩りの時間


 指揮戦車――「ラスプ指揮型」の砲塔上で、マインラート中佐は雨に濡れた双眼鏡を乱暴に拭った。


 前方の街道は、もはや戦車の墓場と化している。


 ペッカードが10両、ラスプが5両、泥の上でうずくまり、動きを止めていた。


(戦車一個中隊が、全滅だと……?)


「落ち着け! 散開しろ、散開だ! 隊列を乱すな!」


 中佐の怒号にもかかわらず、部隊は半ばパニックに陥っていた。

 突然の待ち伏せ、そして森の奥から吹き荒れた〝白い奔流〟。


 誰もが理解できない現象に、兵士たちは銃を握ったまま硬直している。


「くそ……何をしている、動けと言っているだろう!」


 マインラートは舌打ちし、無線手に怒鳴った。


「後方に伝えろ! 野砲で森を吹き飛ばせ! あの霜だか煙だか知らんが、根こそぎ焼き払え!」


「はっ、ただちに!」


 無線手が送信機に手を伸ばす。だが、返答は――ない。


「……おかしいな。もう一度送ります」


「急げ!」


 マインラートは苛立ちを隠さず、前のシートを蹴った。舌打ちをひとつすると、砲塔のハッチから身を乗り出して部隊を見渡す。


 戦車は残骸に足止めされて前に進めず、歩兵は凍りついた仲間を見て恐慌に陥って、地面に伏せたまま動けずにいる。


 その光景に、彼の胸に黒い怒りが湧き上がった。


(なぜだ。なぜ我々が、こんな無様な姿を晒している……)


 原因はわかっている。

 ――あの少佐だ。


 ベリエの陣地から帰還した愛国連隊の少佐。


 彼は胸を張ってマインラートに報告した。


ーーーーーー


「ベリエ軍は抵抗を諦め、北のメース川方面へ退避すると、私に偽情報を渡しました。ですが――私は奴らの真意を見抜いています。本当の撤退先は、西のフロレンヌです」


「ベリエの撤退は間違いないのだな?」


「左様です。一個装甲師団の戦力を前に、奴らは恐れおののいています。おそらく、フロレンヌの街に陣地を築き、そこで迎え撃つつもりでしょう。ですが……」


「急ぎ進軍すれば、防衛態勢が整う前に一撃を加えられる、か」


ーーーーーー


その言葉を信じた。

だからこそ、随伴歩兵を展開させず、強行軍で進軍した。


敵は逃げている――そう判断したからだ。


だが現実はどうだ。


「なぜベリエがここにいる……! なぜだ、あの馬鹿者め!」


 マインラートは歯噛みし、拳で砲塔を叩いた。

 その衝撃で雨粒が跳ねる。


「無線はどうした!」


「……応答がありません、中佐。後方の砲兵隊、どこも沈黙しています」


「沈黙だと? 何をしている、あいつらは!」


 怒鳴り声が雨に吸い込まれる。

 だが、無線手は青ざめた顔で首を振るだけだった。


 マインラートは胸の奥に、嫌な予感が広がるのを感じた。


 戦場の前線が混乱するのはまだ理解できる。


 だが、後方の砲兵隊まで沈黙する理由があるとすれば――


「まさか、前の連中は……囮か?」





 マインラート中佐が無線を飛ばした、その少し前。


 帝国軍の師団後方、105mm野砲を牽引する車列が泥道で足を止めていた。


 トラックに引きずられる火砲を見た時、カリウスならきっとこう思うだろう。

 これは本当に「野砲なのか?」と。


 この世界の火砲は、前世のそれと異なるスタイルだった。

 まず、砲架の構造が顕著に変わっていた。


 現実の野砲が主に低角度射撃を前提とした安定重視の設計であるのに対し、ここでは対空射撃を考慮した高仰角機構が標準装備されていた。


 砲身と駐退機を乗せた架台(クレードル)は、通常の水平旋回に加え、迅速な俯仰運動を可能にするために、非常に長く太い油圧式の補助装置が組み込まれている。この油圧のお陰で、素早く仰角を最大80度まで調整できるようになっていた。


 105mm砲は、地上の敵陣地を砲撃するだけでなく、上空から襲来する飛竜やグリフォンを追尾・撃墜する柔軟性が生まれていた。


 これは単なる野砲ではなく、大地と空をにらむ「万能の牙」だったのだ。


 雨に打たれる砲兵は、トラックの荷台の端に腰掛け、ぶらぶらと足を投げ出しながら、後ろに続く野砲を眺めていた。


 前線の砲声に耳を澄ませながらも、どこか油断した空気を漂わせている。


 その足元――地面の下で、別の気配が蠢いていた。


 黒と茶の毛並みをしたウサギ獣人、ジャッカスたち。


 彼らは巣穴道(バロウズ)と呼ばれる地下の隧道網(ネットワーク)を使い、帝国軍の背後へと忍び込んでいた。


「……ここだ。地上に出るぞ」


 右耳の先が欠けたジャッカスの一人、チップスが囁く。

 すると、彼の後ろの仲間たちは頷き、湿った土を押しのけて地上へと顔を出した。


 姿勢を低くし、シダの茂みの中を進む彼らの腕には、真鍮製の金色の機体が抱かれていた。カリウスたちが愛国連隊から奪った魔導ジャイロだ。


 ジャッカスは見晴らしの良い丘の斜面の裏側に取り付くと、雄バチ(ドローン)のローターと背面のプロペラをチェックする。


「チップス隊長。どいつも壊れてません。大丈夫そうです」


「よし……オモチャを飛ばすぞ」


 チップスがスイッチを入れると、魔導ジャイロは ブゥゥン…… と耳障りな音を立てて浮かび上がった。


 金色の胴体、銀色のローター、背部のエーテル機関が青白い光を放つ。

 帝国砲兵たちは、それを見ても疑いもしない。


「おい、魔導ジャイロだぞ。こんな後方で偵察か?」


「知らん。上の連中の考えることはわからん」


 彼らは、まさかそれが敵に操られているとは思いもしなかった。


 だが――


 次の瞬間、魔導ジャイロのエーテル機関が 逆流 を起こした。

 金色の機体に灯った青い光が、危険なほど強く脈打つ。


「……げっ」


 野砲に手をかけていた砲兵が小さく呟いた時には、もう遅かった。


 六機の魔導ジャイロが手分けして、一斉にトラックの荷台へと突っ込んだ。


 牽引トラックの荷台、積み上げられた105mm砲弾の間へ――。


 そして。


 轟音。

 閃光。

 爆風。


 最初のトラックの爆発に並走していた弾薬車が巻き込まれ、誘爆。

 その爆発の火球に前後のトラックが呑み込まれ――といった具合に連鎖的に爆発が広がり、帝国砲兵隊の車列は、一瞬で吹き飛んでしまった。


 黒焦げになったトラックはシャーシだけを残し、タイヤも何も無くなっている。


 それに牽引されていた105mm砲も、車輪を失った砲架だけを残し、砲身もどこかに飛んでしまっていた。


 残ったのは焼け焦げた残骸と、黒煙、燻りだけだった。

 それを運んでいたはずの人の影は、もはやどこにもなかった。


「おっしゃぁぁぁぁ!!」

「ひゃっはあああ! 見たかよ、これ!」


 ジャッカスたちとチップスは、両手を叩いて喜んだ。

 耳がピンと立ち、尻尾が震えるほどの上機嫌だ。


「借りは返したぞ、帝国さんよ!」


 満足げに笑うと、彼らは再び巣穴道へと潜り込んだ。


 地面の下へ、影のように消えていく。


 その直後――前線でマインラート中佐が叫んだ無線は、

 誰にも届くことなく、虚しく雨に溶けていった。



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