ラビットフット
「よし、撤収だ! 敵の装備を回収して拠点に戻るぞ!」
「隊長さんよ、装甲車に載ってる機関銃の片方は、うちが引っこ抜いていいよな?」
「あぁ。そっちも火力を増強してくれ」
「了解。全隊、バラけてもどれ。回収に4名続け、俺の後ろに」
「へい!」
チップスとカリウスが号令を放つ。
ジャッカスたちは、現われた時と同じように、音もなく森の巣穴へ消えていった。
ようやく森に静寂が戻ったかに見えた。
だが、その静寂を切り裂いて、乾いた銃声が数発、間をおいて響いた。
(襲撃? いや、応射がない。もしかして――)
カリウスの背筋を冷たいものが駆け抜ける。
彼が装甲車の影へと駆け込んだとき、そこにはすでに、物言わぬ死体と化した囚人兵たちが道路の上に転がっていた。
装甲車には血しぶきが広がり、弾痕のへこみを中心に灰色の塗料が剥げている。
捕虜とした囚人兵を、装甲車の横に並べて撃ったのだ。
「――誰だ。誰がこれをやった」
「俺たちです、やったのは」
地面に座り込んでいたジャッカスの兵士が名乗り出た。彼は膝に置かれた小銃の引き金に指をかけたまま、落ち着きのない様子で膝を揺らしている。
その殺気立った様子に、カリウスは片眉をあげた。
「誰も止めなかったのか?」
カリウスが兵士たちを見回す。だが、誰もが目をそらすばかりだ。
しばらく沈黙が続く。
すると、耐え難い沈黙を破るように一人のジャッカスが歩み出た。
彼は一切の表情を浮かべず、装甲車の前に倒れた囚人兵の上にかがみ込んだ。
「中隊長。――これです。」
ジャッカスの戦士が、射殺された囚人兵の首から、紐で吊るされた「何か」を引きちぎり、カリウスの足元へ投げ捨てた。
真新しい血に汚れた、白く小さな塊。
それは、つい先程まで生きていたであろう、ウサギ獣人の幼い手首だった。
「――ッ!」
カリウスは、吐き気をこらえるように口を閉じた。
史学科の古い文献に記された、帝国の暗部が脳裏をよぎる。
かつて辺境征伐において、自らが異端でないことを証明するために、殺した異民族の部位を持ち帰ったというおぞましいトロフィー。
それは、消耗品として戦場に放り出された囚人兵たちが、死の淵で「自分はまだ帝国の人間だ」と確かめるための、狂った幸運の象徴「ラビットフット」だった。
「帝国兵は、俺たちの家族を殺した。切り落としていたんだ、手首を!」
「隊長、あんたもこれを見れば分かるだろう! クズ共だ、殺されて当然の!」
ジャッカスたちの瞳には、同胞を惨殺されたことへの正当な怒りと、復讐を完遂したことへの昏い充足感が宿っている用に見えた。
カリウスは、彼らの怒りを否定できなかった。
だが、それ以上に、足元に転がった「手」と、物言わぬ囚人兵たちの死顔から目を逸らせない。
(俺は、自分が何をしているのか、忘れたわけじゃない。でも、これは――)
カリウスは、自分の指先が微かに震えているのに気づいた。
有能な指揮官として振る舞うほど、死を数として処理する術を覚えていく。
いや、覚えざるを得ない。
だが、この血の臭い、泥にまみれた手首、そして引き鉄を引いた味方の歓喜。
それらを「仕方のないこと」として受け入れてしまうのか。
彼は何よりもそうした「慣れ」を恐れていた。
(どんなことがあろうと、「死」に慣れるなんてことが、あってはいけないと思っていた。でも……彼らは俺がそれを飲み込む前に、平然と横を通り過ぎていく。それがさも、当然であることのように)
「……埋葬しろ」
カリウスの声は、自分でも驚くほど冷たく、乾いていた。
「囚人兵の死体は、まとめて穴を掘れ。彼らが持っていた『それ』も、一緒にだ」
カリウスは動けなかった。背後で兵士たちが動き出し、スコップが土を割く音が響き始めても、ただ足元の「ウサギの手」を凝視し続けている。
将校としての命令を下しながらも、心はどろりとした場所に沈んでいた。
そんな彼の視界を、無造作に歩み寄る軍靴が遮った。
「……随分と、熱心に眺めるもんだな、隊長さん」
喉の奥で鳴る、低い笑い声。
カリウスがゆっくりと顔を上げると、そこには黒と茶の混じった精悍な毛並みを持つ戦士――チップスが、瞳に浮かべた嘲りの意志を隠そうともせず立っていた。
カリウスは視線を上げず、静かに問い返した。
「私刑は軍規違反だ、チップス。彼らには情報の価値もあった。……それ以上に、無抵抗の者を撃つのは、君たちの大義を汚すことにならないか」
「大義、か。そいつは腹の足しになるのか?」
チップスは、カリウスの視界を遮るように立った。
その瞳は、獲物を狙う獣特有の冷徹な光を放っている。
「あんたは頭がいい。戦場をチェス盤みたいに眺めて、駒を動かす才能がある。だが、その指先が血で汚れるのを、ひどく嫌がっているようだ」
チップスは一歩踏み込み、カリウスの耳元で囁くように続けた。
「死に慣れるのが怖いか? 人間でなくなるのが恐ろしいか? ……贅沢な悩みだ。俺たちに言わせりゃ、それは『覚悟が足りない』って言うんだよ」
カリウスの手が、無意識に腰の拳銃に触れた。
だが、チップスはそれすらも鼻で笑う。
「あんたのその『良心』が、いつか俺たちの仲間を殺すことになるかもしれん。だが、今はいい。帝国軍をこのアルデナから追い出すためなら、あんたの知恵を、絞れるだけ絞り尽くしてやるさ」
チップスの言葉は、毒のように鋭く、そして残酷なまでに正論だった。
(……俺は有能な指揮官として振る舞いながら、その実、返り血を浴びない安全な場所に妹と留まろうとしているのか?)
心が一瞬、握りつぶされたように痛む。
(――いや、できることならそうするだろう。俺にとっての「世界」は、俺とアデーレだけだ。そのためなら……)
「隊長さんよ、ずっと黙ってちゃわかんねぇよ。文句でもあるのか?」
「……いや、必要なだけ、使い倒せばいい。それがこの同盟の条件だ」
「ああ、そうさせてもらう。だが、覚えておけ」
チップスは背を向け、去り際にカリウスを一瞥した。
「あんたが『人間』でいることを望んでも、《《あっち》》はそうじゃない。次に転がるのは、あの囚人兵じゃなく、あんたか俺たちの誰かになるぞ」
風を切る背中を見送りながら、カリウスは再び、土の中に消えていく「白い手」を見つめた。
カリウスとチップスの間には、友情はもちろん、信頼もなかった。
あるのは、共通の敵を排除するための、血塗られた打算だけだった。
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