待ち伏せ
夜が開けたばかりの森は、まだ鳥も虫も息を潜めていた。
霧が亡霊のように薄く地面の上を這い、朝露で湿った土の匂いがまとわりつく。
カリウスたちは、道路が大きく弧を描くカーブの外側に陣取っていた。
兵が粛々と配置される中、傍らの分隊長が、納得のいかない面持ちで口を開く。
「中隊長、あまり効率の良い配置とは思えません。直線の突き当たりに機関銃を据えて、正面から縦射を浴びせるのがセオリーでしょう。ここだと敵の横っ面を叩くだけで、森の中に逃げ込む隙を与えます」
分隊長の言い分は、正当なものだ。
直線の正面から撃てば、弾丸は敵の隊列を串刺しにするように貫通し、一気に壊滅させられる。対して、カーブの外側からの射撃は「横射」になり、敵に散開する余裕を与えかねない。
だが、銀魔女の弟子――カリウスはそれを承知の上だった。
「確かに正面から撃つのが定石だ。だが、そうすると敵はすぐに伏せるか、道端の溝に飛び込むだろう。練度の高い連中ならなおさらだ」
カリウスは指先で、道が描く大きな弧をなぞった。
「ここはカーブだ。撃たれた人間は、無意識に射線から遠ざかろうと、道の向こう側へ逃げる。それが本能だ」
「……?」
「考えても見ろ。カーブの外側から撃たれた帝国兵が、遮蔽物を求めて内側の森へ逃げようとすれば、その足はどこに向く?」
分隊長がハッとしたように、カーブの内側の空白地点を見つめた。
「……逃げれば逃げるほど、奴らの足は一点に、中央へと集まっていくのか」
「そうだ。直線の道を正面から攻撃すれば、逃げる方向は左右バラバラとなる。だがこの地形なら、逃げようとする本能そのものが、敵を勝手に一箇所へ『収束』させてくれるんだ。あとは重なった射線の中に、獲物を追い込むだけでいい」
カリウスは、カーブの外側に沿って伏せる歩兵たちを見回した。
彼らの銃口は、すでに「敵の集結地点」を正確に捉えている。
「俺たちは、勝手に集まるカモを撃ち抜くだけと?」
「そういうことだ。納得できたか?」
「はい。失礼しました。中隊長。さすが銀魔女の弟子ですね」
「いいよ。俺だって間違える。俺の指揮に違和感があったら遠慮なく言ってくれ」
彼の中には、確かに銀魔女の薫陶が息づいていた。
戦いを思考すると、その端々に彼女の言葉の破片が浮かぶ。
ーーーーーー
「カリウス。不意打ちの利点はなんだと思う?」
「先手を打って、一方的に攻撃できること……でしょうか」
「間違ってはないが、浅い。それは因果ではなく、結果の話だ」
「というと?」
「不意打ちの真の利点は、〝敵の心〟を支配できることにある」
シャルロッテは銀の義手の指先で、カチ、カチと規則正しく机を叩いた。
メトロノームのようなその音が、部屋の空気を侵食していく。
「人間は、不意の危機に直面すると『思考』を奪われる。熱い鉄板に触れた瞬間、熱いと考える前に手を引くのと同じだ。脳が命じるより先に、生存本能が肉体を突き動かす」
「……反射、ということですか」
「そうだ。不意打ちを受けた兵士は、訓練された兵器から、ただの〝肉の塊〟にまで引きずり降ろされる。そうなれば、あとはお前の手の内だ。どこへ逃げるか、どこに隠れようとするか――すべて誘導できる」
カリウスは教本を思い返しながら、慎重に言葉を選んだ。
「……しかし、不意打ちを食らった敵が四方八方に散れば、制御は難しいのでは? L字型陣地で十字砲火を浴びせ、その場で殲滅するのが定石だと習いました」
「それは敵が『案山子』なら満点の回答だな」
シャルロッテの口角が、皮肉げに吊り上がった。
「だが、人は撃たれれば叫び、伏せ、泥を這って逃げる。教本の記述は『こうなったら良いな』という理想だけだ。私の教えは、実際に流された血で書かかれた『記録』だ。……いいか、不意打ちを食らわすなら、カーブを曲がる途中の隊列を狙え」
「カーブ、ですか」
「外側から一撃見舞ってやれば、奴らは反射的に内側の斜面へ逃げ込む。そこには、いかにも隠れてくれと言わんばかりの立派な岩場や窪みを用意してやるんだ。……ただし、その裏側には対人地雷を隙間なく埋めておく」
「あ……」
「『一番安全に見える場所』を、『一番危険な処刑場』に作り変えてやるのさ。恐怖に支配された兵士は、そこが死地だと気づくことさえできない。逃げれば逃げるほど、自ら死地へ飛び込んでいく。面白いぞ」
銀魔女は微笑んだ。その笑みは、導き手というより、獲物が罠にかかるのを待つ老練な狩人のそれだった。
「覚えておけ。戦とは、敵の心を先に折った者が勝つ。不意打ちは、単に命を奪う手段じゃない。敵の指揮官から指揮棒を取り上げ、殺す技術だ」
シャルロッテはそう言って、義手の指で机の上の地図を払った。
まるで、盤上の駒を掃除するように。
ーーーーーー
カリウスは背後の樹上を見上げる。ここからではよく見えないが、木々の高みに、銀の髪と白磁の肌を持つ造命種の狙撃手たちが潜んでいる。
彼らは木に登って幹に体を寄せ、枝と枝の間に身を溶かしていた。
丁度、カーブの内側へ逃げ込む敵兵を頭上から見下ろす配置だ。
「狙撃班。射界の重なりはどうだ?」
カリウスが見上げて問うと、ステラは視線をスコープから外さずに答えた。
「問題ありません、中隊長。カーブの内側に向かって逃げる限り、どの方向からでも、必ず誰かの射線に入ります。……完璧な、死の袋小路です」
「よし。将校は見逃せ。できるだけ生きたまま捕まえたい」
ステラは短く「了解」とだけ答え、再びスコープに目を戻した。
カーブを囲うように主力として配置されたのは、人間の歩兵たちだ。
彼らは土嚢を積み、道路脇の窪地に伏せて射撃位置を固めていた。
緊張の色が濃い。彼らの多くにとって、これが始めての実戦だからだ。
カリウスは、森の奥へ視線を向けた。
――ジャッカスたちが動いている。
黒と茶の毛並みを持つ精悍なウサギ獣人たちは、地面のところどころに黒く口を開けた巣穴道へ次々と潜り込んでいく。
イヤーロップの祖先たちが作った巣穴道だ。
地中を走るその道は、彼らの祖先が何世代もかけてアルデナの森の下に掘り広げたもう森のもう一つの姿だ。
欠け耳のチップスが、入る前にカリウスに振り返った。
「中隊長、後方への回り込みは任せときな。俺たちの仕事だ、あいつらのケツに噛みつくのは」
「頼んだ。帝国の偵察兵が逃げようとしたら、容赦するな」
「へっ、逃がすもんかよ」
「聞け。ジャッカスたち。俺たちが敵国兵のケツを叩いて、獲物をカーブの内側へ追いこむ。仕上げとして袋の口を閉じるのは、お前たちの役目だ」
「キュッと締め上げてやるよ」
「それと――いざとなったら巣穴道は俺たちの退避路にもなる。 穴の入り口を塞ぐような真似はするなよ」
「へいへい」
カリウスの言葉に、新兵たちがわずかに肩の力を抜いた。
逃げ場があるという事実は、死地に置かれた人間にとって何よりの救いだ。
「んじゃ、いってくらぁ」
チップスは、ダブルバレルのショットガンを肩に担ぎ、
ひょいと巣穴に飛び込んだ。
土がぱらぱらと落ち、穴はすぐに闇へと閉ざされる。
大半のジャッカスたちは、すでに地中へ潜り、カーブの先――
帝国兵が逃げ込もうとする「先の先」へと回り込んでいる。
――地上からは狙撃、地底からは奇襲。
逃げ道は、最初から存在しない。
遠く、森の向こうから、低く唸るエーテル機関の音が聞こえ始めた。
それに混じって、甲高い回転音――
魔導ジャイロのローターが風を噛む音が、かすかに重なる。
カリウスは深く息を吸い、森の匂いを肺に満たした。
そして、静かに息を吐く。
「全隊、戦闘準備」
空から響くジャイロの羽音を睨み据え、カリウスは「最初の獲物」がカーブを曲がってくるのを待った。
◆
カリウスの待ち伏せ戦術は、現実の戦史にも似た例があります。
ベトナム戦争期、米軍の特殊偵察部隊 MACV-SOG は、少人数で大部隊に対抗するため、カーブのような地形が敵を勝手に集める場所を選んで待ち伏せを仕掛けました。
正面から撃ち合うのではなく、敵が本能的に逃げ込む方向を読み、その逃走経路をあらかじめ火線で塞ぐ。
逃げれば逃げるほど死地へ誘導される。
そんな構造を作り出すのが彼らの常套手段でした。




