ふたりぼっち
書斎の机を挟んで、カリウスとスタインドルフ将軍は椅子に深く腰掛けていた。
「カリウス。なぜ君の父ゲオルクと私が、莫大な私財を投じてたった一両の戦車を作り始めたのか。その理由を話そう」
将軍の声は、どこか遠い記憶を辿るようだった。
「ヨーロッパ大戦のことは、知っているな」
「……教科書で少しだけ」
「教科書には書かれていないことがある」
将軍は目を伏せた。
「『銀魔女』のことだ」
「銀魔女……?」
「大戦中、メッシーヌの帝国陣地を丸ごと吹き飛ばした魔女だ。守備についていた一万人以上が、一瞬で『消えた』。遺体すら残らなかった」
カリウスの背筋に冷たいものが走る。
「……そんなことが」
「そして、問題はその後だ」
将軍はコーヒーを置き、指先で机を叩いた。
「魔女が使った魔法は強すぎた。世界の常識をねじ曲げてしまうほどに」
「常識……?」
「メッシーヌの地形は変質し、空気は歪み、物理法則が乱れ、人が近づけば、何が起きるか分からないそんな場所になった」
将軍は言葉を選びながら続けた。
「場所そのものが〝災害〟になった。だが、原因は魔法ではない。魔法は切っ掛けにすぎず、原因は別にあったんだ」
「まさか――」
「私たちはこの変化を『エーテル災害』と呼んだ」
カリウスは息を呑む。
「……エーテル災害、ですか」
「そうだ」
「エーテルは、いまや生活のあらゆる場所に使われている。照明、暖房、通信、車、工場……文明の血液だ。使うのをやめれば、災害と同じほどの死を振りまくだろう」
将軍は苦い顔をした。
「だが、誰も言わない。〝エーテルは安全だ〟と信じたいからだ。だが実際には――」
「強すぎる魔法と結びつけば、世界そのものを壊す」
カリウスは震える声で言った。
将軍は静かに頷いた。
「そうだ。そしてエーテルの使用量は年々増えている。もし次の戦争が起きれば……魔女の魔法がなくとも、エーテル災害が起きる可能性さえある」
カリウスの胸がざわつく。
(……そんな世界で、僕たちは生きているのか)
将軍は立ち上がり、棚から一枚の設計図を取り出した。
「だからこそ、ゲオルクと私はティーゲル号を作った」
設計図には、巨大な砲塔と、その中心に埋め込まれた機構が描かれていた。
「ティーゲル号は、ただの重戦車ではない。純粋なエーテルを射出し、エーテル災害を中和するための装置だ」
「……災害を、元に戻せると?」
「全てを元に戻すことは無理だ。だが、物理法則の歪んだ空間を安定させ、人が近づけるようにすることはできる」
「父さんは……そのために……?」
「そうだ。ゲオルクはエーテル工学に通じていたが、魔法は使えなかった。関係者の中で唯一魔法が使えた君が、ティーゲル号の最後のピースだった」
カリウスは杖を見つめた。
(僕の中に、本当に魔法を使えた、あの頃の僕がいるのか……?)
将軍はコーヒーを一口飲み、湯気の向こうで静かに目を伏せた。
「……カリウス。君の魔法のことを、なぜ今まで黙っていたのか……その理由を話さねばならないな」
カリウスは膝の上に拳を置いたまま、じっと言葉を待つ。
将軍はゆっくりと続けた。
「君が事故で記憶を失った時、魔法の力も同時に消えた。
――まるで〝最初からなかった〟かのように」
「……はい」
「そのとき私は思ったのだ。消えてしまったのなら、それはそれで君のためになるのではないか、とな」
カリウスは目を見開く。
将軍は、彼に優しい笑みを向けていた。
「魔法は危険だ。扱える者は少なく、理解できる者はもっと少ない。そして、恐れられる。君がナイトメアであることも相まって……魔法の才能まで知られれば、君は『危険な異物』として扱われるだろう」
その声には、確かに父としての痛みがにじんでいた。
「だから私は、君が普通の少年として生きられるなら、それが一番だと思った。魔法など、忘れてしまった方がいいと」
カリウスの口元が言葉の形を作りかけて止まる。
(……将軍は、僕を守ろうとしてくれていたんだ)
だが、将軍はそこで言葉を切り、深く息を吸った。
「しかし……それではいけないような〝予感〟がした」
「予感……?」
「そうだ。世界は変わりつつある。エーテルの使用量は増え、銀魔女のような存在が他にも現れてもおかしくない。次の戦争は、きっと、ただの戦争では済まない」
将軍の瞳は、遠い未来を見据えていた。
「君の力が必要になる。そう思ったのだ。君が魔法を失ったままでは……いずれ、取り返しのつかないことになると」
将軍は静かに言った。
「だから、確かめたかった。君の中に、まだ『あの力』が残っているのかどうか」
そして翌年。
スタインドルフ将軍は、先祖と同じ墓に入った。
死因は肺炎。
あまりにあっけなく、あまりに静かな最期だった。
葬儀の日。
冷たい風がエマールの丘を吹き抜ける中、カリウスは墓前に立ち尽くしていた。
隣には、喪服に身を包んだアデーレがいた。
14歳の少女には、あまりに大きな喪失だった。
彼女はずっと俯いたまま、震える指でハンカチを握りしめている。
(……将軍はあの時、自分の死も予感していたのかもしれない)
カリウスはそう思わずにはいられなかった。
魔法の話をしたあの日の、あの静かな目。
未来を見据えながら、どこか遠くへ旅立つ人のような目。
アデーレが小さく呟いた。
「……お父さまは、もう帰ってこないんですね」
彼女の細い声は、いまにも風に消え入りそうだった。
カリウスの握りしめられた拳の内側が紅くなる。
(僕は……あなたの遺したものを、必ず継ぐ)
ティーゲル号。
魔法。
エーテル災害の真実。
そして、ベリエの未来。
すべてが、彼の肩に静かに降り積もっていく。
アデーレがそっと兄の袖を掴んだ。
「兄さま……わたしたち、これから……どうなるんでしょう」
その問いの答えは、今の二人が一番怖れていることだった。
カリウスはゆっくりと妹の手を握り返した。
「……大丈夫だよ。僕たちは、ふたりで生きていける」
アデーレは涙をこぼしながら、それでも小さく頷いた。
丘の上には、ふたりの影だけが寄り添う。
――その日、彼らの世界は色を失い、もう、甘えられない子どもではなくなった。




