空を這う地蜂
森の奥で、風とは違う振動が生まれた。
葉擦れの音に混じって、かすかな機械音が紛れ込む。
ティーゲル号の偽装を確認していたカリウスはその音に顔を上げた。
「……アデーレ、今の聞こえたか?」
「え?」
妹が耳を澄ませる。
最初は誰も気づかなかった。だが、次第にその音ははっきりしていく。
ブゥゥゥゥン……
ハチの羽音を巨大にしたような、しかしどこか規則的な回転音。
「帝国軍の偵察か?」
「オートバイのエンジンじゃないな……何だ?」
兵士たちがざわつく中、カリウスだけが凍りついた。
木々の間を、何かが飛んでいた。
影は小さく、鳥よりも小型。
だが、羽ばたいていない。
回転するローターが、木漏れ日の中で銀色に光った。
――飛行機械だ。
しかし、ありえない。
あのサイズでは、人間は乗れない。操縦席もない。
なにより、その飛び方が異質だった。
機体の上部には、不釣り合いなほど大きな回転翼が鎮座している。
それはエンジンで回っているのではない。風を孕み、自律的な空転によって「ヒュンヒュン」と空を切り裂く高い音を立てていた。
対して、機体後部にある小さなプロペラは、蜂の羽音に似た執拗な駆動音を響かせ、その小さな塊を前方へと押し出している。
揚力を生む静かな大翼と、推進を担う小うるさい小翼。
二つの回転が組み合わさった奇妙な機械は、まるで透明な糸に引かれるかのように、木漏れ日の間を蛇のように滑らかに進む。
ただの小さな塊が、意思を持っているかのようにこちらへ近づいてきた。
「……無人、なのか?」
カリウスの呟きに応えるように、銀色に光るローターが傾いた。機械は重力に逆らうように、滑らかな曲線を描いて飛び去った。
「なんだ、あれ……?」
「鳥か? いや、違う……」
「新手のモンスターか?」
兵士たちが訝しむ声を上げる。
だが、カリウスの背筋を走ったのは、疑問ではなく――戦慄だった。
(……知っている。俺は、あれを知っている)
前世。
自衛隊の演習場で見た記憶がある。
形はまるで違う。だが――
あの動き。
あの音。
――ドローンだ。
呼吸が止まった。
胸の奥で、何かがひっくり返る。
(まさか……この世界で?)
ペガサスが空を駆け、グリフォンが制空権を握る世界。
そのせいで航空機の発達は遅れ、戦略爆撃など夢のまた夢。
だからこそ、カリウスの中の狩生は、「この世界の航空戦力は未熟だ」と高を括って、その対策は何一つ取っていなかった。
だが――。
(……それは違う。違うんだ。《《飛行生物》》の弱点を補うための《《無人機》》なら、航空機より先に発達してもおかしくない)
生物兵器は疲れる。
死ねば再生産に時間がかかる。
毒や病気にも弱い。
そして何より――消耗を前提とした現代戦には向かない。
その穴を埋める兵器があるとしたら?
グリフォンよりも軽便で、安く、使い捨てができる兵器があるとしたら?
(……この世界では、有人航空機より先に、無人航空機《ドローンやUAV》が戦場を支配する)
思考が一気につながった。
血の気が引く。
視界が揺れる。
木々の間を飛ぶ小さな飛行機械は、まさにその象徴だった。
「中隊長、どうしますか!?」
「撃ち落としますか!?」
「狙撃銃ならまだ届く距離です!」
兵士たちの声が焦りを帯びる。
しかし、カリウスは声を失っていた。
――これはただの偵察ではない。
――帝国軍は、すでに「次の戦争」を始めている。
森の奥深くで、小さな影が旋回している。
そのレンズのような黒い目が、まっすぐこちらを見ている気がした。
カリウスは、乾いた喉を無理やり動かし、かすれた声を絞り出した。
「……全員、動くな。隠れろ。あれに見られたら終わりだと思え」
兵士たちが一斉に身を伏せる。
カリウスの心臓は、戦車のエンジンのように激しく脈打っていた。
(帝国軍は……もう、ドローンを実戦投入している)
その事実が、森の静寂よりも重く、冷たくのしかかった。
◆
木々の間を飛び去った小さな影が見えなくなると、森は再び静寂を取り戻した。
だが、カリウスの胸の内だけは、まだ恐怖の余韻を残して震えていた。
「……兄さん?」
背後から声がした。
振り返ると、妹のアデーレが心配そうに眉を寄せていた。
その隣には、報告に来ていたフユが、無表情のまま首を傾げている。
「さっきの……あれ、なんですか? 鳥じゃないですよね」
アデーレの問いに、カリウスは喉がひりつくのを感じた。
言葉が出ない。
だが、言わなければならない。
彼らは知らない。
あれが何を意味するのかを。
「……ドローンだ」
「ドローン?」
「〝雄バチ〟……ですか? 聞いたことのない兵器名です。実験兵器ですか?」
フユが淡々と問い返す。
カリウスは深く息を吸い、肺の奥に湿った森の空気を押し込んだ。
それでも震えは止まらない。
「……あれは戦争の形を変える兵器だ」
アデーレが目を丸くして、フユの眉が、わずかに動いた。
「戦争の……形?」
「そうだ。あれは、ただの偵察機じゃない。――戦場の『目』であり、『牙』だ」
カリウスの脳裏に、前世の記憶が閃光のように蘇る。
遠く、海を離れたウクライナの地で起きたことを写した映像。
モニター越しに映る、静かな殺戮。
羽虫のような音で戦車を追い立て、そして狩る群れ。
塹壕に爆薬を落とし、逃げ場を奪う影。
安価で、使い捨てで、恐怖も疲労も知らない無人の兵士。
「あれは、戦場の空を支配する機械だ」
「でも……この世界にはグリフォン騎兵がいます。空は彼らの――」
「だからこそ、だ」
カリウスは妹の声を遮ったが、その声は静かに震えていた。
「グリフォンは貴重だ。育成に時間がかかる。死ねば替えがきかない。疲れるし、恐怖も感じる。――だが、ドローンは違う」
「……機械は、命を持たない」
「そうだ。一頭のグリフォンを育てる時間で、帝国は何千という『機械』を作れる。そして、あれらは飽和攻撃ができる。生物では対処しきれない」
アデーレの顔から血の気が引いた。
「じゃあ……掩体壕も、隠れている意味が……?」
「ない。あれに来られたら、完全に上から丸見えだ。俺たちが必死に掘った塹壕は……そのまま墓穴になる」
言葉にした瞬間、胸の奥が冷たく沈んだ。
フユが珍しく表情を動かした。
わずかに目を見開き、低く呟く。
「……そんな兵器が、この世界に生まれたと?」
「あぁ。」
(本来なら、航空機の発達が遅れているこの世界では、まだ出てこないはずだった。
だが……生物兵器の弱点を補うためなら、航空機より先に「無人機」が発達する。
その可能性を……俺は見落としていた)
カリウスは拳を握りしめた。
イラクサに刺された指先が、じんわりと熱を帯びる。
「帝国は……もう次の戦争を始めている。俺たちが知らない未来の戦い方を、すでに手にしているんだ」
アデーレが震える声で問う。
「……どうすれば、勝てるんですか?」
カリウスは答えられなかった。
森の奥で、またあの不気味な羽音が聞こえた気がした。
それは、静かで、冷たく、容赦のない――
未来の戦争の到来を告げる音だった。




