地に潜む牙
カリウスが歩兵たちに塹壕の指示を終えて少しのこと。
歩兵たちが作る火線から少し離れた後ろ――
丘の反射面になる場所でドワーフたちがすでに動き始めていた。
彼らは自走砲の停車位置をざっと見渡し、地面に目印となる木杭を打ち込んでヒモを渡し、四角形の枠を作っていた。
「よし、ここだ。幅は車体より両側に一メートルずつ余裕を取れ!」
ガストンが腹の底から声を張る。ドワーフたちは返事もそこそこに、ツルハシを肩に担いで草と灌木に覆われた地面の上に散開した。
最初に行うのは、表土の切り開きだ。
アルデナの森の地面は砂岩質で、砂岩の層と粘土質、あるいは泥岩が交互に折り重なる格好になっている。
それ自体は掘りやすいのだが、新旧の樹木の根が絡み合っている。
深くほろうとすると、スコップだけではまるで歯が立たない。
ガストンがツルハシを振り下ろすと、倒木の古い根がバリッと裂け、湿った土の匂いが一気に立ち上った。
「根が深ぇな……こりゃ時間がかかるぞ」
「文句言うな、ガストン。お前さんの腕が鈍っただけだ」
「なんじゃとコラァ!」
そんな軽口を叩きながらも、ドワーフたちの動きは驚くほど正確だった。
ツルハシを振り下ろす者、切り開かれた根を手斧で断ち切る者、掘り返された土を一輪の手押し車で後方へ運ぶ者。10人がひとつの巨大な生き物のように動く。
カリウスはその様子を見ながら、自走砲の車体を指して説明を加えた。
「深さは車体の半分まで。後ろ面は斜面にして、すぐに出られるようにしてくれ。土は左右に盛って、掘り起こした草は迷彩に使うから、バラバラにしないように」
「了解した!」
ガストンが叫び、再びツルハシを振るう。
森の静寂の中に、金属が根を断ち切る乾いた音が響く。
掘り進むにつれ、土の色が変わり、湿度が増し、地中の匂いが濃くなる。
ところが、ドワーフの一人が、古く太い樹木の根を見つけて唸った。
「こいつは厄介だな……」
「よし、わしに任せろ」
別のドワーフが手斧を抜き、根に沿って丁寧に刻み込み、最後にツルハシで一気に断ち切った。
バキン、と乾いた音が響く。
「よし、通ったぞ!」
その瞬間、穴の輪郭が一気に広がり、自走砲がすっぽり隠れられる形が見えてきた。
カリウスは深く頷いた。
「指示しておいてなんだけど……こんな難しいところで、よく掘ったなぁ」
「当たり前じゃ。ドワーフに掘れん土地など、この世に存在せんわい!」
ガストンが胸を張ると、周囲のドワーフたちが誇らしげに笑った。
穴が形になった頃、森の奥から低いエンジン音が響き始めた。
空気を震わせる軽妙な唸りは、ベリエの標準型戦車のもの。
しかし、現われた車両には標準型のような砲塔がない。そのかわり、後ろの空いた簡素な砲塔が載せられ、そこから投げやり気味に長い砲身が飛び出ていた。
標準型戦車を対戦車自走砲として改装した「T-47」だ。
戦車を示す「Tank」の頭文字と、車両が装備する47mm砲の口径をつなげただけの、無味乾燥なネーミング。
とても華々しい英雄譚には向かない名前。
だが、この無骨で見栄えの悪い鉄の塊こそが、歩兵たちの唯一の希望だった。
「よーし来たぞ。道を空けろ!」
ガストンが手を振ると、ドワーフたちが左右に散っていく。
木々の間から姿を現したT-47の砲塔は車体後方に向けられたままだ。
車体前部のパネル状の装甲板を倒した操縦手が、顔を出して声を上げる。
「ガストンさん! 誘導をお願いします!」
「任された! 1速でバックだ。慌てるな。ゆっくり入れ!」
ガストンが車両の横に駆け寄り、両手で「来い」とジェスチャーする。
砲塔を真後ろに向けているT-47は、掩体壕にバックで入らないといけない。後ろを向いた砲塔の装甲板が壁になり、運転席から後方は全く見えないのだ。
そのため、陣地への移動は慎重に行う必要があった。
自走砲はギアを落とし、金属の軋む音とともに、じわりと後退を始める。
履帯が湿った土を噛み、掘り返された地面がぐしゃりと沈んだ。
ドワーフたちが掘った斜面に、車体後部の誘導輪が乗りかかると、車体がわずかに傾き、重心がゆっくりと穴へ沈んでいく。
「いいぞ、そのまま……そのまま……!」
ガストンが両手を広げて誘導する。
自走砲は地面を確かめるように、慎重に後退を続けた。
20トンの鉄の塊が、まるで巨大な獣が巣穴に潜り込むように、穴へと吸い込まれていく。
履帯が穴の底に触れた瞬間、車体がふっと安定し、揺れが止まった。
「よし、ストップ!」
手を上げ、静止を促すガストンの声が森に響く。
操縦手がブレーキを踏み込み、エンジンをアイドリングに落とす。
自走砲は穴の中にすっぽりと収まり、地表からは砲塔の縁とアンテナがわずかに覗くだけになった。
「……見事だな」
「当たり前じゃ。ドワーフが掘った穴に入れん戦車などおらんわい」
感心するカリウスに、ガストンが誇らしげに胸を張った。
ドワーフたちはすでに次の作業に移っていた。掘り上げた土を左右に盛り、枝葉を切って迷彩を施し、穴の縁を踏み固めて崩落を防ぐ。
自走砲の砲手が戦闘室から身を乗り出して顔を出し、カリウスに親指を立てた。
「中隊長、これなら敵の偵察には見えませんよ」
「よし。――これで、待ち伏せの準備が整ったな」
森の匂い、湿った土の重さ、鉄の獣が穴に沈む音。
すべてが、これから始まる戦いの〝現実〟を確かに形づくっていた。
そして、作られた掩体壕はひとつではない。
1号車が身を沈めた後、それに続き7台の対戦車自走砲「T-47」が、その低く身構えた車体を揺らして巣穴に潜り込んだ。
カリウスの指示で掘られた巨大な掩体壕へ、自走砲がゆっくりと後退しながら「ダックイン」していく。履帯が湿った土を噛み、ゆっくりと身を沈めると、周囲に積み上げられた土の影に砲塔がすっぽりと隠れた。
「つぎはシルエットを隠せ。砲身の先端まで偽装網とシダで覆え。帝国軍の偵察に、ただの盛り土だと思わせるんだ」
カリウスの号令とともに、兵士たちが大量の偽装網を被せていく。それは、獲物を待ち伏せするために地中に潜む、巨大な蜘蛛のようだった。
鉄の塊が土の下へ消え、殺意を隠していく光景には、奇妙な安堵感と、それ以上の不吉さが漂っている。
その、自走砲が沈んでいくすぐ傍らを――。
巣穴道の出口から這い出してきた、避難民の列が通り過ぎていく。
泥に汚れた服を着たウサギ獣人の老人たちが、幼い子供の手を引き、家財道具を詰め込んだ風呂敷を背負って、よろよろとトラックの待つ後方へ歩いていく。
土の下へ隠れようとする「鉄」と、土の中から逃れてきた「肉」。
自走砲の冷たい鋼鉄のすぐ横を、一人の少女が抱えたボロボロのぬいぐるみが掠めていった。
「お兄ちゃん、これ、なあに?」
幼いイヤーロップの少女が、偽装網の間からのぞく砲身を指さして、不思議そうにカリウスを見上げた。
カリウスは答えられなかった。
それは彼女たちを守るための盾であり、同時に、これからこの森を地獄に変えるための「牙」そのものだったからだ。
どうしてこの少女に「これから僕たちは人を殺すんだよ」なんて伝えられようか。
「……前を見て歩くんだ。もうすぐ迎えのトラックが来るから」
カリウスは少女の視線を遮るように、冷たく、だが急かすように言った。
避難民が踏みしめていく地面の下には、自分たちが掘ったばかりの死線が広がっている。
生きて逃がそうとする者と、殺して止めようとする者。
その境界線に立ち、カリウスはイラクサに刺された指先の痺れを、もう一度強く噛みしめた。




