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ジャッカス

 巣穴道(バロウズ)の保管庫を見終え、地上へ戻ると、村長の家の前には、さらに多くのジャッカスたちが集まってカリウスたちを待ち構えていた。


 欠け耳の隊長――チップスが腕を組んで、若き指揮官を見据える。


「で、あんたらはどうするつもりだ、人間?」


 声色は挑発的だが、どこか急かすような勢いがあった。

 チップスが放った言葉の奥には、確かな焦りがにじんでいる。


 帝国軍はいつ現れてもおかしくない。


 兵士たちが通りぬけた後、彼らウサギ獣人たちの集落で何が起きるのか。

 それを知っているのだ。


 カリウスは深く息を吸い、横の村長へ向き直った。


「イヤーロップの避難民は、バロウズを使って森の外へ出す。出口は……俺たちの本隊が陣地を作っている地点の後方だ」


「本隊……?」


 村長が耳を傾ける。


「ベリエ軍特務戦術中隊、ファフニール隊だ。本隊は今ごろ塹壕を掘って、阻止線を作っているはずだ。そこにはトラックがある。あれを使えば、子どもや老人を後方のフロレンヌまで運べる」


 村長の瞳に希望が灯る。

 だが、チップスはカリウスの話を鼻で笑った。


「そんな都合よくいくかよ。帝国軍が本気で攻めてきたら、あんたらの『阻止線』とやらは一日もせずに押し潰される。全滅だ、トラックもろとも。」


 彼の推測は、論理的かつ現実的で、斬新さは欠片もない。

 予定調和のように破滅を語るチップスに、アデーレが息を呑んだ。


 メリナも不安げにカリウスを見る。

 カリウスは、確かめる必要のない地図を広げながら静かに言った。


「……その通りだ。帝国軍が一気に押してきたら、ファフニール隊は撤退できない。避難民を乗せる前に、全滅する可能性もある」


 頼りにしていた指揮官のあまりの言葉に、村長の耳がしゅんと垂れた。


「ほら見ろ。無理なんだよ、逃げるなんざ」


 チップスは勝ち誇ったように顎を上げる。

 だが、カリウスはその言葉を遮った。


「だが、望みがないわけじゃない。帝国軍は、アルデナの入り組んだ地形に阻まれ、細い道路で渋滞するか、森の中を薄く展開せざるを得ない」


「……言いやがれ、何がいいたいか」


「チップス、お前たちの足なら、奴らの視界から消えたまま、その脆弱な脇腹まで回り込めるはずだ。巣穴道(バロウズ)を熟知しているお前たちならな」


 いつの間にか、カリウスの目が変わっていた。


 その瞳に宿っているのは、思考。単なる避難の相談ではなく、ジャッカスを「軍事ユニット」として品定めする軍師のそれに変わっていた。


「――だから、お前たちジャッカスに頼みたいことがある」


「……なんだと?」


 空気が変わった。チップスの耳がぴくりと動く。


「巣穴道のネットワークを使って、帝国軍の後背を突いてほしい」


 その場にいた全員が息を呑んだ。


「後背……?」


 アデーレが震える声で繰り返す。


「そうだ。帝国軍が阻止線に取りつく前に、背後から奇襲をかける。それで時間を稼げれば、トラックは避難民を乗せて後方の街――フロレンヌまで撤退できる」


 チップスは目を細めた。


「……それはつまり、俺たちに死ねって言ってるのか?」


「死ねとは言っていない。盾になるのは俺たちの仕事だ。だが、盾だけでは勝てない。剣が必要なんだ」


 カリウスは一歩踏み出し、チップスの射抜くような視線を真っ向から受け止めた。


「お前たちはこれまで、森を汚す人間を影から排除してきたんだろ? その『狩り』の技術を、今度は帝国の背後に叩きつけてほしい。……全滅を待つか、勝機に賭けて牙を剥くか。選ぶのはお前たちだ」


 そこでカリウスは言葉を区切り、静かに首を振った。


「だが、危険な任務だ。成功すれば、森の民は助かる。失敗すれば……俺たちも、お前たちも終わりだ」


 家の前に集まったジャッカスたちが互いに顔を見合わせざわめく。

 村長は胸の前で手を組み、祈るように目を閉じた。


 チップスはしばらく黙っていたが、やがて、ゆっくりとカリウスに歩み寄った。


「……その作戦をやるかどうか、決めさせるってわけか、俺たちに」


「そうだ。これは、お前たちの森の問題だ。俺が命令できることじゃない」


 その言葉に、チップスの瞳が揺れた。

 怒りでも、軽蔑でもない。

 もっと複雑な、言葉にできない感情。


 チップスの手には、同胞の命と、よそ者の命が乗せられた。

 信頼というにはあまりにも打算的なそれ。


 彼は空の拳をぐっと握りしめた。


「……いいだろう。俺たちの問題だ。俺たちで決める、森を守る方法は。」


 チップスは仲間たちに目配せし、短く頷いた。

 ジャッカスたちは散っていく。

 決断のための話し合いに向かったのだ。


 その背中を見送りながら、カリウスは小さく息を吐いた。


(……俺は、彼らに《《選ばせた》》んじゃない。《《押しつけた》》んだ)


(ジャッカスの機動力を使えば、ファフニール隊の生存率は三割上がる。……だが、彼らの生存率は五割を切るだろう)


 カリウスは頭の中で弾き出した数字を、決して口には出さなかった。言葉巧みに彼らを死地へ誘っている自分を、心のどこかで軽蔑しながら、軍人としての自分は「最も効率的な駒の配置」を完遂しようとしていた。


 胸の奥に、泥のような自己嫌悪が広がる。


 スタインドルフ将軍の家に生まれ、幼少期から兵法書を頭に叩き込み、そしてシャルロッテ教授から、酷薄な戦術論を預かった。


 最善の戦術、効率的な駒の配置、許容すべき損害率――。


 カリウスの頭脳は、ジャッカスという「手駒」をどう使えば、妹や仲間たちの生存率を数パーセント引き上げられるかを、瞬時に、かつ正確に弾き出してしまう。


 だが、その数字の裏側に積もる「死」の重みに、彼の心はいまだ慣れることができずにいた。


「兄さん……」


 アデーレがそっと近づき、兄の横顔を見上げた。その瞳には、不安と、それ以上の痛ましさが滲んでいる。


「そんな顔、しないで。兄さんは、みんなを助けるために……」


「アデーレ」


 カリウスは、妹の言葉を静かに、だが拒絶するように遮った。

 彼は努めて冷ややかな、指揮官としての表情を作る。


「これは取引だ。彼らには森を守る理由があり、俺にはお前たちを守る義務がある。そのために、利用できるものはすべて使う。……たとえ、卑怯者と蔑まれてもだ」


 妹の視線を避けるように、カリウスは再び地図に目を落とした。

 その横顔は、自分の心を削って薪にしている、孤独な一人の青年のものだった。




さすがにちょっと分かりづらいかと思ったので、補足です。

なんで確かめる必要のない地図をカリウスが開いたのか?

それは考える「間」がほしかったからです。

この時、彼は指揮官として、「正しい言葉を選ぶ」「部下を落ち着かせる」「敵意を煽らない」これらを同時に満たす必要があった。

つまり、心理的な防御反応としての行動です。

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