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巣穴巡り

「まずは村長に会うのだよ!」


 カリウスが訪ねた村長の家は、他の塚よりもひときわ大きく、入口には乾燥させた黄色や白色をした薬草の束がいくつも吊るされていた。


 ティーゲル号のクルーが中へ入ると、土壁の奥からほのかな暖かさと、煮込み料理の匂いが漂ってくる。


 部屋の中は、湿った(こけ)と薬草の香りが混ざり合っていた。

 どこか心当たりのあるような懐かしさが、カリウスの鼻をくすぐった。


 丸い卓の向こう側に、白い長耳を垂らした老イヤーロップが座っていた。

 目元にシワを浮かべた顔は穏やかだが、その瞳には長い年月の重みが宿っている。


「よく来てくださったのだよ、遠いところを……」


 柔らかな声だった。だが、その奥に潜む疲労は隠せていない。


 カリウスは軽く頭を下げ、椅子代わりの丸太に腰を下ろした。

 アデーレとメリナ、フリンもそれぞれ箱や椅子に腰を下ろす。


「わしはミルクレーだよ。何という、軍人さんは?」


「僕はカリウス。フランツ・カリウスです。

――まずは避難民の状況を聞かせてください」


 カリウスが切り出すと、村長は耳を伏せ、胸の前で両手を組んだ。


「子ども、老人、病人……歩いて森を抜けるのは難しいのだよ」


 言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。


「帝国軍は森に入ってくる。見つかれば、撃たれるのだよ、目撃者は……」


 村長の言葉に、アデーレが胸の前で拳を握りしめ、息を小さく絞った。

 メリナも唇を噛み、フリンは椅子代わりの丸太から腰を浮かせる。


「そんな……森の中でまで……」


「だからこそ、森の外へ出したいのだよ」


 村長は静かに首を振った。


「だが、我らには彼らを森の外へ運ぶ力がない。荷車も、馬も……」


 カリウスは地図を広げ、卓の上に置いた。

 その紙の上に、村長の長い耳が影を落とす。


「俺たちは、帝国軍の進撃を遅らせるために来ました。ティーゲルと自走砲で陣地を作り、敵を足止めする。その間に、トラックで避難民を遠くまで送れるはずだ」


 村長の耳がわずかに動いた。小さく、震えるように。


 その震えは、希望か、これから戦いに巻き込まれるという恐れか。

 カリウスには判断できなかった。


「……助けてくれるのだね、本当に?」


「できる限りのことはする」


 その言葉に、村長は深く頷いた。

 長い耳が揺れ、瞳の奥にわずかな光が戻る。


「ならば――〝バロウズ〟を使うといいのだよ」


「バロウズ……それは?」


 カリウスが耳慣れない単語に眉をひそめた、その瞬間だった。


 ――ドンッ!


 丸い扉が乱暴に開き、冷たい風とともに数人の影が飛び込んできた。

 室内に濃い緑の香りが吹き込み、薬草の束が揺れる。


「勝手に人間と話を進めるな、村長!」


 鋭い目つきで部屋に踏み込んできたのは、黒と茶色の毛並みを持つジャッカスたちだ。腰には古い軍用拳銃、背中には長いライフル。


 ピンと立った耳、毛の下にある筋肉を感じさせるしなやかさ。

 その姿は、イヤーロップの柔らかい雰囲気とはまるで違う。

 部屋の空気が一瞬で冷えた。


 カリウスが立ち上がろうとすると、先頭のジャッカスが牙を見せて制止した。


「座っていろ、人間」


「――っ!」


「笑わせるな、村長。逃げる?」


「チップス、いま客人と――」


「昨夜のパトロールから戻ってこなかった。3人の仲間が。死体を見つけたのは、国境近くの湿地の中だ。殴り殺されてた」


 耳の先を欠けさせたジャッカスは、泥に汚れた拳銃をテーブルの上に投げた。


 カリウスの置いた地図の上に、どん、と鉄の塊が落ちる。

 テーブルを囲んでいたカリウスたちの腹に、重苦しい黒鉄の音が落ちた。


「戦うべきだろう、俺たちは!」


「チップス……」


 村長は静かにジャッカスの名を呼んだが、彼の憤りは止まらない。


「信用するな、人間を。どうせまた裏切るのだよ、奴らは!」


 アデーレは思わずカリウスの袖を掴んだ。

 メリナは身構え、フリンはジャッカスたちを睨み返す。


 村長は静かに立ち上がり、長い耳を揺らしながら彼らを見つめた。


「……やめるのだよ。今は争っている場合ではない」


「だが村長――!」


「バロウズの、ネットワークの話を、まだしていないのだよ」


 村長の言葉に、ジャッカスたちは一瞬だけ動きを止めた。

 しかし、その瞳には、明らかに強い怒りと不信が渦巻いている。


(まただ……。『バロウズ』って何なんだ?)


 村長は、乱入してきたジャッカスたちを一瞥すると、長い耳を静かに伏せ、カリウスへ向き直った。


「……バロウズとは、我らの祖先が掘った『巣穴道』なのだよ。巣穴と巣穴をつなぎ、森の民が互いを訪ねるための――」


「そんな昔話、コイツらに言っても無駄だ」


 欠けた右耳を持つジャッカスの隊長――チップスが、床に唾を吐いた。


 その仕草は、タルトのふわふわした雰囲気とはあまりにも違い、アデーレは思わず眉をひそめた。


「人間はどうせ、俺たちを密輸者(スマグラー)としか見ない。巣穴道のことだって、勝手に密輸のための地下道だと決めつけたんだ」


「わかる、わかるとも。お前がそういうのも」


 カリウスは慎重に言葉を選んで話を進めた。


 自分たち人間と、彼らイヤーロップたちとの間に、自分の預かり知らぬ「幾層にも重なった認識の断層」が横たわっていると感じたからだ。


「……村長。その『道』を、避難に使えるんだな?」


 村長はカリウスとチップスを見比べるように視線を送り、そして頷いた。


「うむ。地上より安全なのだよ。帝国軍は、森の下までは覗けぬからね」


 村長は卓の下に手を伸ばし、床板の一部を押し込んだ。

 鈍い音とともに、丸いトラップドアが開く。


 すると床の下から、湿った土の匂いがふわりと立ち上がった。


「案内するのだよ。見れば、わかるはずだ」


 カリウスたちは順に梯子を降りていった。


 最後に降りたアデーレが足をつける。

 すると、そこは柔らかな土と木の根に囲まれた、丸いトンネルだった。


 土を通して、ティーゲル号のエンジン音が遠くに聞こえる。

 地上の世界が、まるで別の国の出来事のように思えた。


「……すごい」


 アデーレが思わず声を漏らした。


 通路は人が二人並んで歩けるほどの広さで、壁には光る苔が点々と生えている。

 その淡い光が、まるで星空のように足元を照らしていた。


「ここが……巣穴道(バロウズ)?」


 カリウスが呟くと、村長はゆっくりと頷いた。


「祖先が掘った道なのだよ。巣穴と巣穴をつなぎ、森の民が互いの氏族を訪ねるための道。巣巡りの儀礼も、この道を通って行われる」


「巣巡り? 儀礼……?」


「成人の証なのだよ。若者が森に広がる親族の巣穴を巡り、祝福と贈り物を受け取る。それを持ち帰り、巣返しの宴を開くのだよ」


 村長は横穴のひとつを指し示した。


「見てみるといいのだよ。そこに去年の巣返しの品がある」


 カリウスが覗き込むと、そこは小さな保管庫になっていた。


 棚には色とりどりの木彫りの玩具、

 ブリキの戦車のオモチャ、

 チーズの塊、果実酒の瓶。


 さらに、どこから持ってきたのか、

 北アフリカ産のサフランやミックススパイスまで並んでいた。


「なるほど。……これは、密輸品なんかじゃない」


「そうなのだよ」


 村長は静かに言った。


「これは、巣巡りの贈り物。若者が大人になるために受け取る、祝福の品なのだよ」


 カリウスは棚の前で立ち尽くした。


 木彫りの玩具を手に取ると、それは驚くほど丁寧に磨かれていた。


(これが……密輸? 僕たちの国は――こんなささやかな品のやり取りを、犯罪扱いしていたのか?)


 胸の奥が、じわりと重くなる。

 自分たちの国――ベリエは、帝国に攻められている弱者だと思っていた。


 だが、弱者であることと、誰かを虐げていないことは話が別だ。


(俺たちも……誰かの生活を壊していたのか)


 その事実が、ゆっくりと胸に沈んでいく。

 村長は、カリウスの横顔を見つめながら言った。


「人の国は、これを『密輸』と呼んだ。だが我らにとっては、子が大人になるための道なのだよ。巣穴道(バロウズ)は、森の民の絆を確かめる、大切な巡礼路なのだよ」


 アデーレは唇を噛み、カリウスは拳を握った。


 数フィート上の地面の上では、ベリエという国家の存亡を賭けた戦いが今まさに幕を開けようとしている。


 だが、このほのかに明るい地下道の中には、何百年も変わらず受け継がれてきた、慎ましき「生」の営みがあった。


 守るべきは、地図の上の領土か。

 それともこの小さな木彫りの玩具に込められた祈りか。


 自分たちは一体、何者から何を救おうとしているのだろう。


 カリウスは、逃れようのない刃を突きつけられた気がした。



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