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ミル・バロウ

 ティーゲル号のエンジンが、森の静寂を破るように唸りを上げた。

 軸流式のエーテル機関が甲高い音を立てて、その動力がシャフトに伝わっていく。


 カリウスは太腿を挟んで両側にあるレバーを前に倒し、加速した。


 ――グンッ!


 重戦車の巨体が前へ押し出され、彼の身体が慣性でシートに押し付けられた。


 ティーゲルは猛然と前に進み、その前に立ちはだかる梢がばきばきと折れた。人の腕ほどもある枝が簡単に手折られ、倒木がキャタピラの下で粉々にされていく。


 戦車の腹の高さまでの※灌木(かんぼく)は根こそぎひっくり返され、土と苔が空中に舞う。


※灌木:樹高が低く、太い幹を持たない木のこと。ツツジやアジサイなど。


 エマールの実家で初めてハンドルを握ったときも、そのパワーに驚かされた。

 だが今のティーゲル号は、あの頃の比ではない。


(やっぱり……これも妖精の力か?)


 家つ神が住み着いたことで、ティーゲル号は明らかに〝規格外〟になっていた。

 エンジンの回転は滑らかで、トルクは常識外れ。

 まるで森そのものを押しのけるように、巨体が進む。


「兄さん。今日のティーゲルはすごい機嫌がいいですね」


 アデーレが車長ハッチから顔を出し、森の風を浴びながら金髪をなびかせる。


「うん。主砲の機構を使ってから、まるで全身に油をさされたみたいになってる」


「兄ちゃん。俺、仕事がなくってさびしい!!」


「壊れてないなら、別に良いじゃない」


 砲座でレンズを覗いていたメリナが、ぽろっと言う。

 すると、砲弾ラックで体を支えていたフリンが、わなわなと拳を震わせた。


「メリナ姉ちゃん、それは違うぜ! 整備は戦車とのコミュニケーションなんだ。俺はもっとティーゲルとおしゃべりしたいんだ!!」


「えー、なにそれ?」


「私はフリンさんの気持ちがわかります。手間がかかるほど可愛いんですよね」


「そう! そうなんだよ!! さすがアデーレ姉ちゃん!」


「よくわかんないなぁ……」


「スパナを持つ人種にとって、壊れない機械より、壊れる機械のほうが楽しいのさ」


「そんなこと言って、勝手に転輪が取れるようになってもしらないわよ」


「確かに。ティーゲルに取りついてる子ならやりかねないな……」


 ふぅ、と息を吐いてカリウスは運転席の監視窓――

 鋼鉄製のクラッペと監視窓の基部にある、30センチほどの隙間から前を見た。


「ついてくるのだよーっ!」


 先頭を走るタルトが、木々の間を軽やかに跳ねていく。

 そのたびに白い垂れ耳が揺れ、尻尾がふわふわと弾んでいた。


「ティーゲルもすごいんだけど、あのウサギさんも大概よね」


「森の中じゃ、イヤーロップに追いつける気がしませんね」


 やがて、森の密度がわずかに薄くなり、視界が開けてきた。

 カリウスは太腿横のレバーを起こし、速度を落とす。


「……見えてきたぞ」


 ティーゲル号が最後の倒木を踏み潰すと、そこには奇妙な光景が広がっていた。


 苔むした塚がいくつも並び、丸い木の扉がその側面に埋め込まれている。

 窓はガラスがなく、木の格子だけがはめられていた。


 まるで森そのものが家になったような、丸く柔らかな景観が広がっていた。


 静かで温かな集落。

 だが、その前には緊張した空気が漂っていた。


 森の塚の前面、丸い扉の前に避難民が列をなしている。


 彼はイヤーロップたちは、持てるだけの荷物を抱えて集まっている。

 背嚢、布袋、薬草の束、端から干し肉がこぼれた包み。


 子どもを抱えた母親、杖をつく老人、武装した若者たち。彼らはティーゲル号の轟音に驚き、しかしすぐにタルトを見つけて安堵の声を上げた。


「帰ってきたのだよ、タルトが!」

「人間の兵隊を連れてきたのだよ!」

「助けてくれるのか……?」


 たくさんの不安げな瞳がカリウスの駆るティーゲル号を見つめている。


 彼はティーゲル号をゆっくりと停止させると、運転席の上部ハッチを開けて操縦席から身を乗り出した。


(……これが、イヤーロップの集落か)


 胸の奥で立ち上った、言葉にならないざわめき。それを吹き消すように、カリウスは深く息を吐いた。


(アルデナの森の奥深くに、こんな生活が息づいているとは思わなかったな。)


 苔むした塚の家々は、まるで森そのものが住居になっているようだ。


 薬草やキノコ、根菜が束ねられて入口に吊るされている様子は、彼らがこの森に住み着き始めた時代と、さほど変わらないだろう。


 深く、ゆっくりと呼吸する。湿った土の匂いに薬草独特の香りが混ざり、どこか懐かしいような、しかし異国めいた情緒のある香りが鼻をくすぐった。


 しかし、イヤーロップは文明と無縁というわけではない。彼らの住居の玄関先には、エーテル式のランプがぶら下がり、青白い光を揺らしている。


 また、木枠だけの窓からは、コンロ付きストーブの排気管が突き出し、白い煙が細く立ちのぼっていた。


 だが、その生活の匂いのすぐ横で、まったく別の剣呑な匂いが漂っていた。


 塚の屋根の上――そこでは、黒や茶色の毛並みを持つジャッカスたちが武装して、立膝の姿勢で周囲を警戒していた。


 ぬいぐるみのようなタルトとは真反対の、精悍な顔つきの野ウサギ獣人。

 イヤーロップとは違い、目つきが鋭く、ぴんと立った耳にも緊張が宿っていた。


 彼らの手には、第一次ヨーロッパ大戦のころの装備。


 旧式のM1889ライフルに、銀色の長い狙撃スコープを載せたもの。


 さらには、単発式の巨大な対戦車ライフル――〝象撃ち銃(タンクゲベール)〟と呼ばれた骨董品まであった。


 その銃口が、森の奥へ、あるいは空へと向けられていた。


(軍用銃じゃないか。いったいどうやって手に入れたんだ?)


 塚の入口では、避難民たちが荷物を抱えて列をなし、家の中からは見たことのない外国語のラベルが貼られた缶詰や酒瓶が運び出されている。


 ベリエでは見たこともないブランドだ。

 どこから流れてきたのか、想像もつかない。


(……密輸の話は、やっぱり本当だったのか)


 大学の講義で聞いた話が、森の暗さをまとって、現実として立ち上がる。

 その瞬間、胸の奥にひやりとしたものが落ちた。


 生活の匂いと、戦争の匂い。

 生きるための道具と、殺すための道具。


 それらが全く互いを気兼ねすることなく、同じ場所にある。

 その光景が、どうにも言葉にできない重さとなって彼の胸に沈んだ。


(……ここは、森の民の村なんだよな? 完全に武装ゲリラの村だぞ)


 ティーゲル号のエンジン音が、急に場違いのものに思えてきた。


 戦場と生活圏が、無理やり一枚の絵に押し込められたような――

 そんな奇妙な感覚だった。


 タルトが振り返り、胸を張って叫んだ。


「ここなのだよ! イヤーロップの巣穴村、『ミル・バロウ』なのだよ!」


 カリウスは深く息を吸い、避難民たちの前へ歩み出た。


「……よし。状況を聞かせてくれ。できる限りのことはする」


 森の民たちの視線が、一斉にカリウスへ向けられた。

 その瞳には、不安と、わずかな希望が宿っていた。



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