兵営最後の夜
食事を終え、ファフニール隊の隊員は、各自兵営へ戻っていた。
空はすっかり群青色に染まり、遠くで夜鳥の声が響いている。
カリウスとアデーレはティーゲル号を整備場に戻し、将校用宿舎までの帰り道を歩いていた。いつも聞こえる新兵を行進させる掛け声も、今は止んでいた。
「……兄さん、今日は疲れたね」
「明日は出撃だ。寝れるだけ寝ておこう」
そんな他愛のない会話をしていた、その時だった。
――聞き覚えのある、耳障りなダミ声がどこかから飛んできた。
「神の御心に背く者よ! この地に足を踏み入れる資格はない!」
カリウスは反射的に足を止める。
昼間、兵営の入口で騒いでいた聖職者たちだ。
どうやって憲兵をすり抜けたのか知らないが、兵営の中にまで入り込んでいる。
「……ウソだろ、中にまで入ってきてるし」
人通りが少ないせいか、彼らの声が夜気にいやに響く。
アデーレが眉をひそめ、兄の袖をひく。
「兄さん、行こう。関わらないほうがいい」
「……そうだな」
カリウスは静かに歩き出そうとした。
昼間と同じように、無視して通り過ぎるつもりだった。
だが――その視界に、白い影が映った。
シャッフェンたちだ。
カリウスたちが引き上げてなお、夜間戦闘の訓練をすると言っていた。
それを終えて戻ってきたのだろう。
フユ、ウララ、ステラを先頭に、造命種の一団が兵営へ向かっていた。
そして、聖職者たちは彼らを見つけるや否や、香炉を振りかざして駆け寄った。
白い髪、陶器のような肌、均質な美貌。
その異様な存在感に、聖職者の顔が歪む。
「おお! 目を凝らし、しかと見よ! かの者らこそ呪われし造命の徒!
魂なき人造の肉! 神の摂理を冒涜する者どもぞ!」
香炉を振りかざし、白煙をシャッフェンたちへ浴びせる。
「汝らは神の御許に行く資格すらない!
その身を焼き、命返し、灰となって罪をあがなうのだぁ~!!」
「おいおい……本物のバカか?」
「造命種に面と向かって言うか、普通」
「やべぇぞ、あれ……」
聖職者たちの無謀な行動に、周囲の兵士たちがざわつく。
何人かは、この場から逃げるように立ち去っていった。
兵営の予備兵団の兵士は、その気になれば数秒もかからず目の前の侵入者を制圧できることを知っている。
いや、制圧どころではない。
彼らシャッフェンがその気になれば、命を刈り取るのも容易い。
道端の花を摘むより簡単に、目の前の阿呆の首を引っこ抜くだろう。
周囲の者が固唾をのんで成り行きを見守る。
が、動きはない。
フユは無表情のまま煙を浴びる。
顔に煙が吹きかけられるが、彼は払おうともしない
ウララはそれを見て、わずかに眉をひそめただけだ。
感情までは読み取れない。反射とでも言うべきわずかな反応。
ステラたち3人は、静かに聖職者の前を通り過ぎる。
誰も反論しない。
彼らは「造られた命」として、こうした扱いに慣れていた。
その沈黙が、逆に聖職者を増長させた。
「沈黙か! やはり魂なき器よ! 神の軍勢が貴様らを討ち滅ぼす――」
(……昼間は無視した。だが、これは――)
アデーレが見上げると、兄の横顔は何らかの決意を抱いていた。
「兄さん……?」
カリウスは短く息を吐き、静かに歩き出した。
小さな足音をさせて、兄は白い法衣の老人のもとに向かう。
白目の充血がわかるまでに聖職者に近寄った彼は、声を張り上げ続けている老人を制止するように、彼の前に手を横切らせた。
「偽物の命であるお前らが――なっ……貴様、また……!」」
「やめろ」
聖職者の説教が、カリウスに鋭くさえぎられる。
彼の声は昼間よりも低く、冷たかった。
「また貴様か! 魔族の血を引く者よ! 神の御心に背く者をかばう気か!」
「彼らは俺の中隊の兵士だ。彼らの邪魔をするな」
「兵士だと? 魂なき器が、兵士を名乗るなど――し、笑止……!」
「彼らは銃を取って戦っている。それが兵士でなくてなんだと言うんだ」
「――ぐっ……!」
「彼らには魂がないと言ったな。お前に魂があるなら、出してみろ」
そう言って彼は、ベリエの将校なら全員が持っている懐剣を抜いて、持ち手を聖職者に向けて差し出した。
「使ってもいいぞ」
夜の灯火が、カリウスの赤い瞳を照らす。
その光に、聖職者は一瞬たじろいだ。
「ひ、ひぃっ……! な、何を……何を言う……! 神の裁きが――」
「裁きなら戦場で受けるよ。それとも――お前も来るか? 野砲に迫撃砲に機関銃。神の裁きとやらを特等席で見れるぞ」
聖職者は口をぱくぱくさせ、信徒たちを連れて後ずさる。
「か、神の裁きが……! お、覚えておけ! か、神は……必ず……裁きを……!」
そう叫びながら、聖職者とその信徒は闇の中へ逃げていった。
だが、勢い余った。
足をもつれさせてテントに突っ込み、中にいた兵士の怒号が飛ぶ。
「ひぃぃ……!」
情けない声をあげて逃げるその背中に、兵士たちの失笑が刺さった。
後に残されたのは――
地面に落ちた香炉から漏れる白い煙と、静かに立つシャッフェンたちだけだった。
ステラが造命種たちの間から一歩前に出る。
その顔には柔らかい表情が浮かび、丘の上で見たときとはまったくの別物だった。
「中隊長、助かりました」
「いや。俺が勝手に口を出しただけだ」
「ありがとうございます」
シャッフェンたちは静かに頭を下げ、兵舎へと戻っていった。
笑みを浮かべるどころか、「よくやったと」ウインクするものまでいた。
ふと、彼女たちの表情がカリウスに引っかかった。
(訓練の時と様子が違う。……いや、違うんじゃない。
戦場に向かう彼女たちは兵器としての自分を前に出しているだけだ。
今みせた柔らかい表情は――普段は奥に押し込められている?)
カリウスに胸騒ぎがする。
(造られた命は、状況によって人格を切り替えるのか?
それとも……切り替えざるを得ないのか?)
胸の奥に、説明のつかないざらつきが残った。
騒ぎが収まり、夜の静けさが戻る。
アデーレが兄の横に立ち、少しだけ意地悪そうに言った。
「……兄さんって、本当に優しいね」
「優しくなんかないさ。ただ、あれは……見てられなかった」
「昼間は無視したのに?」
「昼間は……俺の問題だった。でも、今のは違う。
大佐に押し付けられたって、彼らは俺の部下だもの」
アデーレはふっと笑った。
「兄さん、すこし変わったかも」
「そうか?」
「うん。」
カリウスは照れ隠しに肩をすくめる。
だが、それが無駄な努力なのは、誰の目から見ても明らかだ。
彼の耳が、紅に染まっている。
「……さ、戻ろう。明日は出撃だ」
爽やかな夜風が、二人の間を静かに通り抜けていった。




