ファフニール隊、集合! (1)
ゼレガルド郊外の兵営。
その入口は、軍の規律と外界の混沌がぶつかり合う、奇妙な渦の中心だった。
門前には、召集された家族の姿を探して入り込もうとする者、今から入営する兵士にすがりついて泣き崩れる者、商売の機会を狙って押し寄せる行商人まで入り乱れ、歓声と怒号のいり混じったざわめきが、絶え間なく立ち上っていた。
その喧噪の中に、ひときわ異様な一団がいた。
木箱を積み上げた即席の台に、白い法衣をまとった聖職者が立ち、香炉を振りかざしている。香の白煙が風に流れ、顔をしかめた兵士たちの顔前を通り過ぎる。
足元では、平服の女性たちが兵営に出入りする兵士の胸に、白い羽根を次々と挿していく。誰かに羽が差されるたびに、聖職者は耳障りな胴間声を張り上げた。
「祖国のために歩め! 羽根に相応しい勇気を見せるのだ!」
カリウスとアデーレの二人がそこを通りがかったのは、ちょうど女性の一人が羽をとり、獲物を探していた瞬間だった。
「何……えっ?」
怪訝そうに眉をひそめたカリウスの胸元に、白い羽が無造作に突き刺さる。
驚く間もなく、聖職者が彼を指差し、甲高い声で叫んだ。
「そこな臆病者! 兵営に籠もり、前線に出ず、飲み食いして無為な日々を過ごす者どもよ! その羽根は貴様らの怠惰と※怯懦を示す印だ!」
※怯懦:おくびょうで気の弱いこと。
周囲の視線が一斉にカリウスへ向けられる。
アデーレが反射的に一歩前へ出た。
「……何のつもりですか?」
問いかける声は冷えていたが、聖職者は意に介さない。
むしろ、犬が狩りの獲物を見つけたように、すっと目を細める。
「何をだと? 小娘、お前の言葉、そのままお前に返そうではないか!
この危急の時に、汝らは何をしているというのだ!!」
カリウスは困惑し、アデーレは怒りを押し殺すように拳を握った。
しかし、聖職者の言葉はさらに続く。
「おお、見よ! 緋色の髪に、小さき角……呪われし魔族の血! ナイトメア!
これ正に、卑劣で臆病な悪鬼の写し身たる姿!」
その声には、宗教的狂信と偏見が混じり合っていた。周囲の兵士たちは、気まずそうに目をそらす者、面白半分に眺める者、眉をひそめる者と反応が割れた。
ヘルメットに白線を描いた憲兵が遠巻きに様子を見ているが、すぐに止める気配はない。愉快ではないが、警棒を使うまでもないと言った様子だ。
カリウスは胸の羽をつまみ、静かに引き抜いた。
「……俺たちは、命令に従ってここにいるだけだ」
その声は低く、怒りよりも疲れがにじんでいた。だが聖職者は、まるで聞こえていないかのように香炉を振り上げ、さらに声を張り上げる。
「言い訳をするな! 祖国のために血を流す覚悟なき者は、戦士ではない!」
「あなた達は――」
カリウスは、そっと妹の肩に手を置き、首を横に振る。
「行こう。たいした理由も持ってなさそうだ。付き合う理由もない」
その言葉に、アデーレは唇を噛みしめながらも従った。
戦場の恐怖とは別の不快さ。
粘ついた人間の醜さに対する嫌悪がまとわりついてくる。
カリウスは聖職者の罵声に肩をすくめるだけだった。
転生前、自衛官として市民団体の抗議や街宣車が騒ぐ姿を何度も見てきた。
彼にとって、こうした類の騒ぎは珍しくもない。
「気にしても無駄だよ。明日になったら、誰にやったかも忘れてるような連中だ」
淡々とした兄の声に、アデーレはむっと頬を膨らませた。
「けど兄さん、あんな言われ方をして黙っているなんて……」
「言い返したところで、余計に面倒になるだけだよ」
そう言って歩き出したその時だった。
「おーおー、また妙な連中が湧いてるな」
楽しげに「ぬはは」と、低く笑う声が背後から聞こえた。振り返ると、狼獣人のガルムと、女狼獣人のスカーが入口の雑踏をかき分けていた。
どちらも筋骨隆々で、毛並みは荒々しい。
兵たちから、尊敬と恐れを込めて「ケダモノ」と言われる彼ら。
「おぉ! 神の恩寵を授かり損ないし異種よ!!
その歪んだな命を戦に捧げ燃やし尽くし、贖罪の道へと進むのだ!!
さもなくば、神の軍勢がそなたらの魂を討ち滅ぼすであろう!!」
聖職者たちは、さも当然の権利であるかのように、彼らを罵る。
――が、当の本人たちは、そんな声など気にも留めていなかった。
ガルムは耳をほじり、聖職者の方へ顎をしゃくった。
「どうしようかと思ったんだけどよ。
靴紐も結べそうにねぇ奴に怒ったところで、弱いものいじめになっちまう」
相棒の言葉を聞いて、スカーも喉の奥でくつくつと笑う。
「〝神の軍勢〟だってさ。
で、その神の軍勢ってのは……何台の戦車を持ってるんだい?」
その一言で、周囲の兵士たちが吹き出した。
聖職者の顔がみるみる赤くなる。
「貴様ら、神を侮辱する気か! 神の裁きは――」
「裁きねぇ」
ガルムがずいと一歩踏み出し、聖職者の目の前に立った。
聖職者は台の上にいるのに、頭の位置はガルムのほうが高い。
巨体に圧され、聖職者は思わず箱から落ちそうになっていた。
「じゃあ聞くがよ。お前は戦場で何両の戦車を壊した?」
「な、何を……!」
「この坊っちゃんはな」
ガルムは後ろのカリウスを親指で指し示す。
「初陣で帝国の『マムート』を一台ぶっ壊したんだ。で、お前は?」
「マムートを……?」「マジかよ」
「あのナイトメア、すげぇヤツじゃん」
兵営入口の喧噪が、一瞬だけ静まり返った。
聖職者は口をぱくぱくさせ、言葉にならない声を漏らす。
そして次の瞬間、顔を真っ赤にしたまま、香炉を抱えて逃げ出した。
スカーが肩を揺らして笑う。
「逃げ足だけは速いじゃないか。神の軍勢も大したことないね」
カリウスはため息をついた。
「……そこまでしなくてもよかったのに」
「なーに言ってんだ」
ガルムはあっけらかんとした声で言った。
「これも部下の務めだろ。上官が侮辱されて黙ってるわけにゃいかねぇ」
そういってガルムは指でカリウスの胸をつついた。
兄にかけられたその言葉に、アデーレはふっと笑った。
鉈の無いガルムの背中は、いつもより大きく見えた。
「さーて、時間を無駄にしてないでいこうぜ」
「えぇ。中隊の皆さんを待たせるわけにはいきませんから。ね、兄さん」
「――あぁ。」
カリウスは丘の上を見やった。
そこにはティーゲルを始め、出来上がったばかりの車両がいくつも並んでいた。




