表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

45/90

遅滞戦闘

「本来なら、この情報はもっと上の階級の者に伝える話だが……状況が状況だ」


 整備場に重い沈黙が降りる中、大佐は淡々と続ける。

 一刻を争う今、お前たちの気持ちにまで、構っていられないということだろう。


「今一度、確認する。以上の情勢を鑑みて、帝国軍がアルデナの森を突破し、連盟国境までベリエ南部の打通を目指す可能性は、もはや必然に近くなった」


「はい。我々はそれを遅滞戦闘によって妨害します」


「うむ。帝国軍の進軍を妨害し、時間を稼ぐ。具体的には――机を借りるぞ」


 エーリッヒは作業机の一つに、アルデナの周辺地図を広げた。


「遅滞戦闘とは、ただ後退しながら撃つことではない。敵に〝戦闘準備〟を何度も強制し、進軍速度を奪い続ける戦いだ――」


 カリウスが大佐が言わんとする言葉を継いだ。


「軍隊の移動速度は、行軍している間は早い。ですが、戦闘に入るとなれば、話は別。まるで巨人が靴紐を結び直すように動きが止まります。戦車が前に出て、歩兵が塹壕を掘り、砲兵が展開し、補給が追いつくまで――全てが止まる」


「その通りだ。カリウス少尉」


 メリナが口に指をやって、小首を傾げた。


「つまり……ちょっかいを出して、敵が銃を構えたら下がる。

また追ってきたら、別の場所でちょっかいを出す……みたいな?」


「そうだ。戦闘準備のやり直しが積み重なれば、進軍速度は劇的に落ちる」


「……前のヨーロッパ大戦で、父がやった戦法ですね」


 大佐はうなずいた。


「スタインドルフ将軍の得意技だ。あれは敵の進軍を一ヶ月以上遅らせた。敵は前進するたびに、必ず戦闘準備を強いられた」


「……そういえば、父は言っていました。

『勝つ必要はない。ただ、敵に〝勝つ準備〟を何度もさせればいい』と」


「帝国軍は、将軍の敷いた防衛線に接触するたびに、半日、一日と時間を失った。

遅滞戦闘とは、敵の時間を奪う戦いだ。――話をアルデナの森に戻そう」


「はい。」


 カリウスの返事に、大佐が小さく頭を振った。


「アルデナの森は、地帯戦闘に最適の地形だ。一本道に見えて、実際は複数の戦闘地帯に区切れる。敵が一つ突破するたびに、次の地帯でまた足を止められる」


 エーリッヒ大佐は、机に広げたアルデナの地図を指で叩いた。


「魔女の弟子には今さら説明するまでもないが、まずは地帯の区切り方だ。谷川、尾根、湿地、切り通し……自然の地形そのものが区切りになる」


 メリナが地図を覗き込む。森を横切る小川に色が塗られている。


「ここが……第一地帯?」


「そうだ。敵がここを突破したら、次はこの尾根で足を止める。さらに突破されたら、次はこの谷。地帯ごとに〝敵が必ず減速する地形〟を選んでおく」


 大佐は指を滑らせ、細い線を示した。

 曲がりくねった川、険しい丘陵、深い谷。


 どれも足止めをするには最適の場所だ。


「次に阻止線だ。地帯ごとに敵の先頭車両を止めるためのキルゾーンを設定する。倒木、地雷、壕、狙撃位置――そうして敵が必ず速度を落とす場所を作る」


 ガルムがうなずく。


「つまり、敵の足を止める『罠』を地帯ごとに仕掛けるわけですな」


「その通りだ。そして阻止線の背後には、必ず『撤退路』を確保する。遅滞戦闘で一番重要なのは、こちらの部隊が次の戦いに参加できることだ」


 カリウスが地図を見つめながら言う。


「……『撤退路』がなければ、遅滞戦闘は成立しない。基本です」


「そうだ。だからその――君たちの設計している自走砲が役に立つ。後ろ向きの砲は、素早く撤退しながら撃つための構造だろう?」


 大佐はアデーレの書いた青図面を指さした。

 そこには砲塔を後ろに向ける、精緻な自走砲の設計図が描かれていた。


「自走砲は主力側面に配置するのがよかろう。正面に置くと真っ先に潰される。側面から敵の先頭車両を撃ち抜き、阻止線を発動させる」


 うーんと唸っていたメリナの動きが、ふと止まった。

 視線が地図の一点に吸い寄せられ、瞳に小さな光が灯る。

 ほつれた思考が、ひとつに結びついた。


「側面……つまり、敵の進行方向に対して斜めに置くんですね。

そして攻撃の後、左右に分かれて逃げる。

正面に側面をさらすから、帝国軍は自走砲を追撃できない」


「そうだ。そして敵が止まったら、すぐに次の阻止線へ移動する。

ひたすらにこれを繰り返す」


 大佐は地図の端に書かれた数字を、指先で軽く叩いた。

 数字は、敵が最初に失う進軍速度であり、カリウスたちが得る猶予でもあった。


「これは敵の進軍速度の計算だ。帝国軍の装甲師団は、平地なら一日30キロ進む。だが、遅滞戦闘を仕掛ければ――5キロまで落とせる」


「……六分の一ですか」


「そうだ、中尉。敵の進軍速度を六分の一に落とせれば、連盟の判断が変わる。

援軍を〝本当に送る〟可能性が出てくる」


「あの……なぜ、時間を稼ぐと連盟は動くんです?」


 メリナの質問に、エーリッヒ大佐は淡々と答えた。


「連盟は、勝てる側につく。

ベリエがすぐ総崩れになら助ける価値はないと判断する」


「下手をすれば、援軍が何もせずに包囲殲滅される恐れがあるからですね」


 魔女の弟子に、我が意を得たりと大佐が頷いた。


「そうだ。しかし、ベリエが遅滞戦闘で踏ん張れるなら――」


「彼らは『援軍を送れば勝てる』と判断する」


「つまり……私たちが持ちこたえれば、連盟は戦いに乗ってくる?」


「そうだ。南部州の共同統治を条件に、な」


 アデーレが痛みを抑えるような面持ちで、静かに言った。


「……そうまでしても、交渉材料として、領土が必要なんですね」


「根拠はそれだけではない」


 大佐は机の地図を指で叩く。


「ベリエが崩れれば、帝国軍は連盟国境に直接接する。そうなれば、連盟は自国領土で戦うことになる。大国は、自分の土地で大量破壊兵器を使いたくはない」


 整備場が静まり返った。

 その沈黙の中で、カリウスの胸に、ひやりとしたものが落ちた。


 ――連盟はベリエを守るために動くのではない。

 ただ、自分たちの都合のために、ベリエが〝まだ生きている〟必要があるだけだ。


 その事実が、ゆっくりと胸の奥に沈んでいった。


「だからこそ――ベリエが〝緩衝地帯〟として生き残ることが、連盟の国益になる。

そのためには、お前たちが時間を稼ぐ必要がある」


 大佐の言葉が途切れると、整備場の空気がわずかに動いた。

 メリナもガルムも、それぞれの胸に覚悟を宿したような顔をしている。


 だが――カリウスだけは違った。

 その顔には、他の誰にもない硬さがあった。


(大佐の指示は正しい。だが……あまりにも“まとも”すぎる)



 理屈は整っている。

 戦略も、政治判断も、どれも正しい。


 だが――戦争は、こんなふうに綺麗に進んだ試しがない。


 前世の記憶が、胸の奥でざわりと揺れた。


 大国の指導者が、我欲と思い込みだけで世界を混乱へ押し流した時代。

 合理も戦略も、たった一人の狂気の前では無力だった。


 その記憶が、銀魔女シャルロッテの言葉を呼び起こす。


 『――戦争とは、躊躇(ためらい)なく理の外側を突けるものほど強い。』



(……ならば、やるべきことは一つだ。

帝国軍を誘い込み、連盟を動かし、その狭間(はざま)で帝国軍の首を刈る。

アルデナの森は、そのための舞台になる。)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ