ゲイリーが持ってきた
「ベアリングが摩耗するから、止めてほしいんだけどなぁ……」
ティーゲル号の砲塔が尻尾を振る犬のように揺れていた、ちょうどその時だった。
「ファフニール隊、いるか!」
鋭い声が整備場に響く。振り返ると、声の主はエーリッヒ大佐だった。
彼は軍帽を片手に、迷いのない足取りでこちらへ向かってきていた。
「うわ、大佐……」
メリナが慌てて姿勢を正す。
カリウスも背筋を伸ばし、大佐に敬礼した。
「エーリッヒ大佐、どうされましたか」
「打ち合わせだ。む……」
大佐の視線が製図板の前に座っているアデーレに吸い寄せられる。
しわの寄った目元に、どこか複雑な感情が浮かんでいた。
「アデーレ少尉、もういいのか?」
「はい。私ならもう大丈夫です。」
「そうか。ならば……とやかくは言うまい」
次に大佐の視線は、整備場のすみに置かれた〝例の戦車〟に止まった。
外見だけ見れば、新品同様の標準型戦車。
本来なら、この場にないはずのそれがある。
「……カリウス中尉」
「はい」
「この戦車はどうした。盗んだのか?」
大佐の「盗んだのか」という低い声に、整備場の空気が一瞬で固まった。
メリナが「きょっ」と変な声を上げ、
フリンは持っていた工具を落とし、
アデーレの手が、製図板の上で固まる。
するとカリウスは短く息を吸い、答えた。
「ゲイリーが持ってきたんです」
「――ならよし」
それで話は終わった。
大佐は「ふむ」と、うなずいただけだ。
メリナがぽかんと口を開ける。
その横でガルムは「ほう」と、何かに感心したような声を上げていた。
「え、いいの? 今ので終わりなの?」
「ん? 〝ゲイリーが持ってきた〟ってのはな……『言えない方法で確保した』って意味だよ。他にも『壊れたトラックの中で見つけた』なんてのもあるな」
「いいの……? ほとんど説明になってないじゃん」
「いいんだよ。正式な補給ルートが死んでる前線じゃ、こういうグレーな調達が命綱になる。上も見て見ぬふりせざるを得ない」
大佐は灰色の髪をなで付けて、制帽を被り直した。
「実は、少し心配だった」
「心配、ですか?」
「机上では優秀でも、現場の〝空気を読む〟のは別の才能だ。
ふむ……銀魔女の弟子は、やはり肝が据わっているな」
「うちの師匠は、檻の向こうで背中を見せていないと安心できない人でして。……弟子も自然と肝が据わるんですよ」
「なるほど。その胆力を活かす時が来たかもしれん」
「というと?」
大佐は周囲を一瞥し、声を落とした。
「帝国軍はベリエの防衛線を突破し、首都目前まで押し込んできている。前線と首都との距離は一時間ごとに縮んでいる状態だ」
ベリエの厳しい現実を再認識して、整備場の誰もが静まりかえって息を呑んだ。
「大西洋連盟の援軍は、まだ動かん。理由は……政治だ。連盟は、ベリエ南部州の〝共同統治〟を条件にしている。名目は協力だが、実質は割譲だ」
アデーレは製図板の上にペンを置き、顔を上げた。
「エーテル地脈が狙いですか……」
「そうだ。連盟は、対ベリエ貿易の赤字を埋めるために領土を欲している。
そして今、連盟は南部国境に一個連隊を貼り付けている。名目は〝援軍の待機〟だが――実際は違う」
「……違うとは?」
妹の疑問に、カリウスが答えた。
「ベリエがどこまで戦えるか? 連盟は、それを見定めているのさ。援軍といってるけど、状況次第では、そのまま南部州を押さえるための先遣隊にする気だ」
カリウスが連盟の意図を語ると、整備場の空気が凍りついた。
連盟はこの期に及んでも、友邦を助けるよりも自身の利益を追求している。
連盟の外交官が、信頼を切り売りすることがどういう意味を持つか、わからないはずがない。つまり――ベリエは完全に舐められている。
「待ってください。連盟はベリエの独立保障を――」
アデーレが声を上げると、エーリッヒ大佐が短く息を吐いた。
「アデーレ少尉。独立保障は〝助ける〟という約束ではない。
『あなたの独立を尊重しますよ』という、政治的な挨拶にすぎん」
メリナが目を丸くする。
「え、それ……じゃあ、攻められても――」
「助ける義務はない。独立保障は軍事同盟とは違う。軍事同盟なら〝攻撃されたら必ず参戦する〟という義務が発生するが、独立保障にはそれがない」
アデーレは言葉を失った。
大佐は続ける。
「つまりは――連盟の外交官はこう言っているのだ。
『我々はあなたを守るとは言ったが、戦うとは一言も言っていない』とな」
「連盟は最初から……ベリエを〝切り捨ててもいい〟と考えていたわけですか」
「そういうことだ。
だからこそ、南部国境の一個連隊は援軍ではなく監視だ。
ベリエが踏ん張れるなら助ける。
踏ん張れないなら――南部州をそのまま取る」
「……なんてこと」
アデーレは、信じられないと言ったように息を呑んだ。
カリウスは深い溜息をついた。
連盟のやり口には、嫌でも心当たりがあった。
彼は《《これ》》を前世で見た。
味方の顔をしながら、裏では別の天秤を計り動かす頭。
必要とあらば、平然と友邦を切り捨てる冷たい手。
――あの国だ。
大英帝国。
二枚――いや、三枚舌を芸術にまで昇華した、あの老獪な島国。
連盟の姿に、前世のそれが重なって見えた瞬間。
胸の奥に、ひどく冷たい予感が落ちた。




