幼き日の戦友と
カリウスは彼を確かめるように、ゆっくりと視線を結んだ。
赤い髪、小さな角。
そしてどこか人懐っこい瞳。
「……フリン?」
カリウスが呟く。
缶を抱えていた整備兵が、まるで雷に打たれたように固まった。
「兄ちゃん!? うそ、ほんとに兄ちゃんだ!!」
気が急くあまり、脛をエーテル缶にぶつけたフリンは、「うおお」と悶絶しながら駆け寄ってきて、カリウスの肩に飛びついた。
「お、おいフリン、落ち着けって……!」
「だって兄ちゃん! 兄ちゃんなんだぜ!」
「まるで意味がわからないぞ!」
「エマールから避難民がいっぱい来たって聞いてたけど……兄ちゃんも?」
「うん。俺たちはエマールが落ちて、それで首都まで逃げてきたんだ」
アデーレが微笑む。
その柔かさは、フリンの記憶の中の少女と寸分も変わっていなかった。
「フリンさん……お久しぶりです。元気そうでよかった」
「アデーレちゃんも! うわ、なんか……綺麗になって……
いや、前から綺麗だったけど……その……」
フリンがしどろもどろになると、メリナがターレの上から身を乗り出す。
「彼、二人の知り合い?」
「えぇ。フリンは家の近所に住んでて。確か僕が高校の時くらいに――」
「うん。俺、中等学校出てすぐトラクター工場に行ったんだ。
ナイトメアの俺が働けるところって、油っぽいところしかないし」
「へぇ~。カリウスお兄ちゃんよりずーっとしっかりしてるんじゃん」
「えっ」
メリナが笑い、アデーレもくすっと肩を揺らす。
「トラクター工場ってことは、フリンは整備兵なのか?」
「もちろん! 戦車の面倒なら任せてよ。あ――そうだ!
兄ちゃん家の戦車ってどうなったの?! あのでっかいヤツ!」
「フリンが引っ越してからしばらくして完成したよ。確かフリンが居たときには、もう車体は完成してたよね」
「うおー! すげー!!! 持ってきた?! ていうか動くの!?」
「おう、めっちゃ動いてたぞ。俺も乗ったぞ」
腕を組んだガルムがそう言うと、フリンはわなわなと両手を震わせた。
「マジ?! あのティーゲル号が……うぉぉぉ!!」
「アデーレ、ティーゲルはたしか、別棟においてもらってるんだっけ?」
「はい兄さん。ティーゲル号は大きすぎて標準型戦車のピットに入らないので、クレーン車用のピットを借りてるはずです」
「見てみていい?!」
「それは構わないけど――」
「やったぁ!」
フリンは跳ねるように走り出した。
カリウスたちもその勢いに押されるように整備場の奥へと向かう。
「なんか子犬みたいな子ね」
「おい、なんで俺を見る」
カリウスたちは、標準型戦車が並んでいる戦車整備区画を抜ける。
機械油とグラインダーで削られる鉄の臭いが鼻を刺激する。
「うぇー……こっちは暑いね」
「まぁ、鉄の獣を何十台も動かしてりゃ、こうもなるさ」
メリナが額の汗を拭いながら顔をしかめる。
標準型戦車の列を抜けると、空気が変わった。
整備場の奥、巨大なクレーン車用のピット。
周囲だけ、まるで別世界のように静まり返っていた。
そして――いた。
「……でっっっっっか!!」
フリンの叫びが、整備場の天井に反響した。
鋼鉄の城塞のように、どっしりと鎮座したティーゲル号。
その車体は標準型戦車の何倍もある。
厚い装甲板が幾重にも重なり、砲塔は鈍い光を放ちながら静かに構えている。
ピットの縁に立つと、まるで恐竜に見下されているような錯覚すら覚えた。
「これが……スタインドルフ将軍の……」
「えぇ。父たちが作った戦車です」
アデーレは静かに答えた。その声には、誇りと痛みが入り混じっていた。
フリンはもう、言葉にならないらしい。
口をぱくぱくさせながら、ティーゲル号を見上げて震えていた。
「兄ちゃん、これ本当に動くの? こんな化け物みたいな大きさで?」
「もちろん動くよ。アデーレのおかげだけどね」
「アデーレちゃんの?」
「あぁ。ずっとエーテル機関の出力不足で動かせなかったんだけど、ついこの間、アデーレが新型機関で問題を解決したんだ」
「マジ? すっげー!!」
「なんか3人、家族みたいだね」
「家族で戦車に乗るやつがあるかよ。いや、目の前にいたわ」
「もう! ガルムさんったら」
「入ってみてもいい?」
「あぁ」
フリンは、ティーゲル号の運転席のハッチへと駆け寄った。
まるで宝箱を開ける子どものように中を覗くと、感嘆の声が漏れた。
「うわっ……中、広っ……! いや広くはないけど……?
なんだこれ、配置が全然違う……!」
興奮のあまり、フリンは足を滑らせてハッチの縁に脛をぶつけた。
「いってぇぇぇ!!」
「お前、さっきから脛ばっかりだな……」
カリウスが呆れたように言う。
フリンは痛みに涙目になりながらも、這うようにして内部へ潜り込んだ。
ティーゲル号の内部は、標準型戦車とはまるで別物だった。
複雑に入り組みながらも、スペースを計算し尽くした機構は無駄がない。
整然とした様子は、どこか数学的な機能美を見せている。
無線やインターコムなどの最新のエーテル機器の配線。
そして巨大な砲尾。
そのすべてが、アデーレの異常なまでの技術力を物語っていた。
フリンは「がばっ」と運転席を出ると、背面のエンジンメンテナンス用のパネルを開く。エンジンルームを見て、彼は戦慄した表情を浮かべていた。
「え……軸流式? これって艦船用のじゃ……?」
フリンの声が震えた。恐怖ではなく、純粋な感動で。
アデーレが静かに答える。
「旧来のシリンダー式は、エンジンそのものの重量が過大でロスになってしまうんですよ。そこで燃料を中央の圧縮機で混合して点火する、軸流式に換装しました」
「アデーレちゃんが……? これを……?」
フリンは呆然としたまま、次は砲塔の基部のシーリングを指でなぞった。
「これってまさか……渡河用?」
「はい。それは渡河のときに使う、密閉のためのシーリングです」
「え? 確かティーゲルって、渡河機能は無かったはず……」
目を丸くする兄に、アデーレは苦笑しながら説明した。
「無かったんですけど、ティーゲル号は最大戦闘重量が50トンに達します。なので、橋が渡れないときのために、渡河機能を追加中だったんです」
「なるほど。たしかに合理的だ……ティーゲル号の重さだと、ベリエにある半分以上の橋を渡れない。なら、川を押し通ってしまえということか」
「はい。そんなところです」
「これの設計って、アデーレちゃんが?」
「とんでもない。兄さんの父のゲオルクさんです。私は続きをしただけです」
「〝だけ〟ってレベルじゃないよー!」
フリンは完全に打ちのめされたように、パネルにもたれかかった。
「兄ちゃん……俺、正直言うとさ、戦車の整備、そこそこ自信あったんだよ。でも、こんなの見せられたら……」
フリンは拳を握りしめた。
「うぉぉ! もっと上手くなりてぇ!」
「フリンさん。あなたならできますよ。ティーゲル号の装填手兼整備士として、十分すぎる素質があります」
「えっ、俺が……?」
「実は今、中隊の指揮権と編制権をもらってね。人探しのまっ最中なんだ」
「えー!? 兄ちゃんが中隊長ぉ?!」
「ハッハッハ! ずいぶん出世したもんじゃないか!」
「ついさっき辞令をもらったばかりで、形だけですけどね」
フリンは信じられないという顔でアデーレを見た。
カリウスは、そんな二人を見て、ふっと笑った。
「アデーレが推すまでもないよ。頼めるか、フリン?」
「……え?」
「昔からそうだろ。俺が考えて、お前が横で『兄ちゃん!』って動いてくれる。あの雪の日から、何も変わってない。」
つい「主にうるささとか」と言いそうになったが、カリウスは何とか飲み込んだ。
すると、彼を見るフリンの目が、じわりと潤んだ。
「兄ちゃん……俺……本当に……?」
「ティーゲル号の専属整備士として、装填手として、頼むぞ、フリン」
フリンは唇を噛みしめ、震える声で答えた。
「……おし、任せろよ兄ちゃん!! んぎょぇ!」
気合を入れた瞬間、フリンはパネルに脛をぶつけていた。
本日3度目である。
「この子、さっきから脛ぶつけすぎじゃない? 大丈夫?」
「うーん……まぁ大丈夫でしょう」
◆◆◆
作者「よし、行け」
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