断章 青の鼓動
アデーレは兄の胸に頬を寄せた。
その瞬間、視界の奥で〝色〟が揺れた。
兄のエーテル。
9歳のあの日を境に変わってしまった色。
ずっと怖かった。
ずっと言えなかった。
ずっと確かめられなかった。
けれど今、
兄の体温が頬に触れ、
兄の鼓動が背中に伝わる。
その色は――たしかに〝変わったまま〟だった。
だが。
その震えは、
その温度は、
その息遣いは、
紛れもなく〝兄のもの〟だった。
アデーレは静かに目を閉じた。
温かい雫が頬を伝い、兄の胸に落ちる。
言葉はいらなかった。
ただ、兄の鼓動を聞いていた。
兄は変わった。
でも、兄は兄のままだ。
その事実だけが、
アデーレの心を静かに救った。
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アデーレの視界の奥で〝色〟が揺れた。
――エーテル。
人の体の奥を流れる、魂の光。
色と呼ぶにはあまりに複雑で、
温度や流れ、揺らぎまでも含んだ〝存在の質〟そのもの。
アデーレには、それが見える。
生まれつきのものだ。
誰にも言ったことはない。
言っても理解されないと知っていたから。
エーテル機関が放つ青い光とはちがう。
あれはただの〝漏れ〟だ。
本当のエーテルは、もっと静かで、もっと深い。
色は、その人の形を映し出す。
兄の色も、ずっと見てきた。
――それが変わるまでは。
彼が9歳になったあの日。
兄が事故に遭ったあの瞬間を境に、
兄のエーテルは別の色になった。
父と見舞いに駆けつけた時。
温度も、流れも、揺らぎも――
すべてが兄ではない誰かのものだった。
その事実を、アデーレは誰にも言えなかった。
言えば、兄が兄でなくなったと認めることになるから。
だから、ずっと怖かった。
兄の優しさが、時々〝別の誰か〟のものに見える瞬間があった。
兄の言葉が、兄の記憶と噛み合わない瞬間があった。
兄の目が、知らない誰かの目に見える瞬間があった。
――兄さんは、本当に兄さんなの?
その問いを胸に押し込めたまま、
アデーレは十年近く生きてきた。
だからこそ、彼が自分を守ろうとするたびに、
兄と一緒に逝くのが怖かった。
彼が自分のために死ぬ未来を想像するたび、
アデーレの心は壊れそうになった。
――でも。
今、彼の胸に頬を寄せていると、
その〝変わった色〟の奥に、
かすかに、昔の兄の揺らぎが見えた。
9歳の頃、手をつないで歩いたときに見えた、
あの優しい流れ。
あの時、彼が病院から帰ってきた時
抱きしめた時もそうだった。
兄は完全に消えたわけではなかった。
深いところに沈んで、
静かに息をしていた。
アデーレは目を閉じた。
兄の鼓動が、背中に伝わる。
その鼓動は、
たしかに兄のものだった。
色は変わった。
でも、兄は兄のままだ。
その事実が、
アデーレの胸の奥に静かに落ちていった。
言葉はいらなかった。
ただ、〝兄〟の体温と鼓動だけが、
魂の色を抱いて、
アデーレの心をそっと繋ぎ止めた。




