怪物と怪物
鋼鉄の箱の中は、いつもと同じ匂いがした。
油と金属と、わずかな焦げの匂い。
親衛隊重戦車の戦車長、ハルトマン大尉は、
その匂いを深く吸い込み、薄く笑った。
「良い。帝国の敵が焼ける前触れの匂いほど、心が落ち着くものはない」
砲手が緊張した声で応じる。
「大尉、目標は……例の新型戦車かと」
「見ればわかる。『Y』が仕損じたなら、我々が仕上げる。
――しょせんは外様か。臆しおって」
マムートの主砲塔には短砲身75mm砲。
その同軸には37mm副砲が据え付けられている。
だが、ハルトマンは副砲に目もくれなかった。
「37mmでは抜けん。ベリエの標準型ならともかく、あれは違う」
砲手が息を呑む。
「では……新型砲弾を?」
「当然だ」
装填手は砲弾ラックに手を伸ばし、黒い帯の入った砲弾を取り出した。
通常の徹甲弾がしている流線型の先端とは違う。
まるでお椀を逆さにしたような曲線の中央に、ぽんと信管が飛び出ている。
この特徴は――対戦車榴弾・HEAT弾のもの。
HEAT弾とは、モンロー・ノイマン効果で金属ライナーを崩壊させて超高速の金属ジェットを形成し、純粋な運動エネルギーで装甲を流体的に押し流して貫通する化学エネルギー弾だ。
よくある誤解だが、HEAT弾による貫通は、熱ではなく圧力による。
榴弾として使えないこともないが、その効果は非常に限られる。
75mm級、大口径のHEAT弾の貫徹力は100mmを優に超える。
ティーゲル号の装甲をも貫きかねない、帝国最新の対戦車砲弾だ。
「原則通りだ。戦車には戦車を、劣等種には聖剣を」
砲手がハルトマンの指示を復唱する。
「主砲、HEAT装填……!」
マムートの砲塔がゆっくりと回転し、煙の向こうに見える巨大な影――ティーゲル号へと狙いを定めた。
「対戦車戦闘用意。信号旗で歩兵に隠れるよう指示しろ」
「はっ!」
「砲手、撃ち方用意。雑種の処分にかかれ」
鉄橋のたもとで、マムートの砲塔がゆっくりとこちらを向いた。
その巨体は、まるで鋼鉄の城塞が歩いてくるようだった。
カリウスは息を呑み、すぐに状況を整理した。
(前には重戦車。後ろには守るべき人々。こちらが〝負けない〟ためには――)
ハッチを開け、腹の底から叫んだ。
「ガルム、民警隊! 全員、橋の土手下に隠れろ!
マムートを倒すまで絶対に姿を見せるな!」
「おい坊主、冗談言うんじゃねぇ! 俺たちも戦うぞ!」
「ダメだ! あれは歩兵じゃ相手にならない!
お前たちは避難民の最後の盾だ! いま死なれちゃ困るんだよ!」
ガルムは一瞬だけ目を見開き、次の瞬間にはニヤリと牙を見せた。
「……へっ、言うようになったじゃねぇか。わかったよ、指揮官殿」
ガルムたちは煙幕を投げ、民警隊と一緒に煙に紛れて土手に隠れる。
カリウスは深く息を吸い、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
(死ぬかもしれない。でも――だからこそ、今やるべきだ)
シャルロッテの声が脳裏に蘇る。
『死を想定し、受け入れさせることだ。死を避けようとする者は動けなくなる。死ぬ可能性を理解し、受け入れた者だけが普段通り動ける』
(教授……俺は動く。動いてみせる)
アデーレが車長席から叫ぶ。
「兄さん、マムートが照準を合わせてきます!」
「わかってる! アデーレ、射撃準備!」
咆哮を上げる、ティーゲル号のエーテル機関。
ターレットリングに乗った重い砲塔がじりじりと回る。
前方には鋼鉄の怪物。後方には守るべき命。
カリウスは叫んだ。
「避難民が渡り切るまで――絶対に突破させない!」
マムートの砲塔がこちらを向き、黒い点が重なった。
瞬間、カリウスは胸の奥にざらつく違和感を覚えた。
(……動きが重い。いや、違う。狙いを急いでいない)
まるで、こちらの出方を試すような、緩慢な動き。
嫌な予感が背筋を走る。
「兄さん、どうします!」
「土嚢の壁にダックイン! 車体を沈める!」
カリウスは太腿の左右に並んだレバーを引き、ティーゲル号を土嚢の陰へ滑り込ませた。巨体が沈み込み、キャタピラと車体下半分が完全に隠れる。
アデーレが叫ぶ。
「目標、敵戦車――「撃てッ!」
ティーゲル号の90mm砲が火を噴いた。
轟音とともに砲弾が飛び、マムートの正面装甲に直撃する。
爆炎がマムートを包んだ。
「やったぁ!!」
メリナが歓声を上げる。
だがカリウスは、砲煙の向こうを睨みつけたまま動かない。
「――!! ……違う。まだだ!」
爆炎の中で、影が動いた。
煙を押しのけるように、マムートの巨体がゆっくりと前へ踏み出す。
「うそ……生きてるの!?」
メリナの声が震える。
カリウスは即座に装填を指示した。
「メリナさん、今撃ったのは榴弾です!! 次弾装填! 急いで!」
「は、はいっ!」
暗い車内で、メリナは砲弾ラックに手を伸ばす。
だが、焦りで手元が狂った。
彼女が掴んだ砲弾の先端は――黄緑。
「メリナさん、それは榴弾です! 先端が黒の徹甲弾を――!」
その瞬間だった。
マムートの主砲が閃光を放つ。
短砲身75mm砲――だが、その砲口から吐き出されたのは
帝国最新の成形炸薬弾(HEAT)。
鋼鉄を突き破る『聖剣』が、ティーゲル号へ向かって飛ぶ。
「来るぞッ!!」
パウッ、と光が走った。
次の瞬間、ティーゲル号全体が殴られたような衝撃に揺れる。監視窓のすぐ先――車体の下半分を覆っていた土嚢が、まるで内側から破裂したように吹き飛んだ。
砂と土が雨のように降り注ぎ、視界が茶色に染まる。
「爆発……してる?」
メリナの声が震える。
(違う……これは榴弾の爆発じゃない)
カリウスは土嚢の焦げ跡に目を凝らした。
爆発は小さい。
破片も飛んでいない。
榴弾ならもっと派手に吹き飛ぶ。
徹甲弾なら土嚢を貫通して装甲に当たるはずだ。
(じゃあ……なんだ?)
胸の奥で、前世の記憶が閃光のように蘇る。
――普通科の総合火力演習で撃った無反動砲。
――土嚢が〝内側からえぐられる〟ように吹き飛んだ、あの光景。
(まさか……)
喉がひりつく。
「成形炸薬弾だ……!」
自分でも驚くほど低くかすれた声が出た。
(1936年に……?!)
本来なら1940年代に実用化されるはずの兵器。
鋼鉄を突き破る金属ジェットを生み出す化学エネルギー弾頭。
それが、今、目の前の重戦車から撃たれた。
カリウスの心が、氷のように冷たくなる。
(不味い。マムートは――ティーゲル号を撃破できる)
その事実が、彼を取り囲む戦場の空気を一瞬で変えた。
確かにティーゲル号の装甲は厚い。
だが、成形炸薬弾は〝厚さ〟や〝硬さ〟では防げないのだ。
角度も関係ない。
当たれば終わり。
カリウスは歯を食いしばった。
(あいつら……最初からティーゲルを狩り殺すつもりで来ている)
爆炎の向こうで、マムートの砲塔が再びこちらを向いた。
その動きは、まるで処刑人が斧を振り上げるように、ゆっくりと、確実だった。
土嚢が吹き飛んだ衝撃の余韻がまだ残る中、アデーレが鋭く叫んだ。
「兄さん、撃ち返します! メリナさん、徹甲弾を装填!」
「は、はいっ!」
メリナは震える手で砲弾ラックに手を伸ばす。
暗い車内、揺れる照明、焦りで汗ばむ手。
彼女はもう一度、緑の先端――榴弾を掴んでしまう。
「違う、それは榴弾! 先端が黒の徹甲弾を!」
「ご、ごめんなさい!」
アデーレの叱責にメリナは砲弾を取り替え、重い徹甲弾を砲尾へ押し込んだ。
ガコン、と砲弾が薬室に送られる音が響き、砲尾側面のランプが緑色に光った。
「装填完了!」
「今すぐ撃つな! まず同軸機銃で距離を測る!」
「り、了解!」
メリナは同軸機銃のトリガーを引いた。
ティーゲル号が放った無数の弾丸が、マムートの正面装甲に当たって跳ね返る。
野放図に散る曳光弾の筋を見て、アデーレは即座に判断した。
「距離600! 主砲、撃て!」
「撃ちます!」
メリナが昇降ハンドルの右にあるレバーに指を掛けた。
轟音。
砲塔が震え、車内の空気が焼け、一瞬で熱を帯びる。
90mm徹甲弾が一直線に飛び、マムートの主砲塔基部に命中した。
何を壊したのかわからないが、大きな破片が飛び、鋼鉄が悲鳴を上げる。
衝撃がマムートの内部を揺らした。
ハルトマン大尉は歯を食いしばり、砲塔の計器を睨む。
「……リングに直撃だと?」
砲塔内部の照明が消え、非常灯が赤く点滅している。
旋回機構が死んだ。
「大尉、砲塔が回りません……!」
「エーテル機関停止! かかりません!」
「落ち着け、帝国軍人は慌てない。脱出を――」
――次の瞬間、二度目の衝撃とともにマムートの車体が大きく傾いた。
視界が揺れる。砲塔の下部が、まるで抉られたように沈んでいた。
ティーゲル号の徹甲弾は、砲塔基部の弱点――弾薬庫を正確に貫いていた。
「忌々しい……!」
ハルトマンの言葉は、次の爆発音にかき消された。
マムートの内部で火花が散り、弾薬庫が誘爆を起こす。
鋼鉄の怪物は、噴火する火山のように炎を吹き上げ、街路にうずくまった。
「……倒した、のか?」
ガルムは機関銃を構えたまま、煙の向こうの巨影を見つめた。
やがて、マムートの砲塔が地面に落ちる鈍い音が響く。
「やった……やったぞ!!」
「おっしゃぁ!!」
ガルムたちが雄叫びを上げ、民警隊も、橋の下から歓声とともに拳を突き上げた。
「ティーゲル号が……勝ったぞ!」
ガルムは笑いながら、鉄橋の橋脚を鉈でガンガンとぶっ叩く。
「坊主……いや、指揮官殿! やるじゃねぇか!!」
ガルム達は土手から這い出し、機関銃にとりつくと、マムートの背後にいた随伴歩兵に向かって火線を作った。
空気を切り裂く音が街路を行き来し、短い悲鳴が風に乗って届いた。
砲声が途切れた瞬間、車内の時間がぴたりと止まる。
さっきまで怒号と金属音で満ちていた空間には、誰も息をするのを忘れたかのような沈黙が落ちていた。
だが、一つだけ残ったものがある。音。
天井の換気扇と、ティーゲルが背中に抱えるエーテル機関が唸りをあげている。
発砲とともに逆流してきた発砲煙を、天井についた吸い口が外へ押し出していく。
閉鎖機の口から細く伸びる煙が吸い込まれ、エーテルの甘い香気だけが残った。
メリナは砲弾ラックに添えた手を離せず、指先が震えている。
アデーレは前方を見据えたまま、肩で荒く呼吸していた。
苛立たしげに回るファンの音だけが
確かに自分たちがまだ戦い最中にいたことを思い出させた。
(……勝った。後は避難民が渡りきるまで時間を稼ぐんだ……!)




