断章 向けるもの、向けられるもの。
6000万人もの人間が「全ての争いを終わらせるための戦争」に参加した。
僕もその戦いに従軍した兵士の一人だ。
そこには帝国中の人間がいた。
北は雪と氷のルーシから、南は砂漠のアラビィまで。
僕らは戦争を成人の儀式か何かのようにとらえていた。
列車に揺られている時でさえ、偉大な冒険が始まるのを待ちかねていた。
偉大な冒険の旅に加わる事を夢見ていた。
だが、そこに冒険はなかった。
戦場にあったのは恐怖、そして誰にも等しく死の機会があった。
教会で聖餅を配られるのを待つように、誰もが列に並び、
かならず訪れるその瞬間を待っていた。
僕たちが突入した市街地は、もはや街ではなかった。
あらゆる建物が骨と皮だけになり、中身をこぼしている。
野砲が地面を穿つたびに、黒土と礫が雨のように降った。
荒く掘り返された地面から、薄い煙とともに焦げた肉の匂いがほんのりと香る。
僕は自軍の戦車の後ろにぴったりと張り付いて進んだ。
戦車の履帯が瓦礫を噛むたび、地面が震え、胸の奥まで響いた。
エーテル機関から吹き上がる排気ガスが僕らに吹きつけ、甘い匂いに息が詰まる。
喉が焼け、肺が息を拒絶するように痙攣し、僕はむせた。
だが、戦車から離れることはできなかった。
離れた瞬間、街のどこかに潜む見えない銃口が僕に向く。
戦車の背中だけが、唯一の壁だった。
その壁が動くたび、僕は影のように追いすがった。
戦車のような新顔の殺戮機械は戦争の常識をひっくり返す。
多くは味方だったが、そうでない場合もあった。
戦車は、戦場における〝意思〟そのものだった。
人間の歩幅では届かない場所へ、鉄の塊は無感情に踏み込んでいく。
砲塔がゆっくりと回転するたび、街の空気が怯えたように震えた。
その進み方は、まるで巨大な獣が森を散歩しているかのようだった。
怒りも、迷いも、祈りも持たない。
ただ、命じられた方向へ進み、命じられた対象を砕く。
戦車の砲撃は、世界の形そのものを変えてしまう『音』だった。
これに比べれば、人間が撃つ銃弾は、風に紛れる砂粒のようなものだ。
僕らはその音にすがりつき、同時に、その音に怯えていた。
僕が参加した戦争は「全ての争いを終わらせるための戦争」と言われていた。
だが実際には、この戦争は何ひとつ終わらせることが出来なかった。
いやむしろ……始まりだった。
◆
僕らが守っているエマールは、ベリエの地図の端にある。
あとはそう、港がある。魚がうまい。
ただそれだけ。それ以上の特徴がない。
帝国の旗が近づくたび、街の人々は家財を抱えて逃げ惑う。
その背中を押し返すようにして、僕らは銃を握った。
徴兵ではない。
誰かに命じられたわけでもない。
ただ、ここで生まれ、ここで暮らし、ここで死ぬしかない人間。
そんな連中が、逃げ場のないまま銃を持っただけだ。
僕らは軍隊ではなかった。
ベリエという故郷の名を借りた、寄せ集めの民兵だった。
戦線というものは奇妙な引力を持っていた。
どこか深い水の中に潜って、遥か遠くの世界にいたとしても。
僕には、その力が感じられる。
僕らの抵抗を許さず、二度と逃れないように引きよせてしまう。
そんな引力を持っている。
最初に砲弾の音を聞いたときのことを思い出す。
その時、僕の中で何かが弾けた気がした。
ずっと昔、きっと、言葉が意味を持つ前からそこにあったようなもの。
それがぱちんと弾けて僕を前に押し出したのだ。
それは自覚できるようなものではない。
そんなものよりはるかに速くて、確実なもの。
その身で弾けなければわからない。
一度でも味わったものなら頷いてくれるだろう。
何も考えないで歩いていながら、急にその場に突っ伏してしまう。
そんな僕の頭の上を銃弾が飛んでいく。
けれどそんな時に、どうしてそんな事をしようとしたのか
目の前の硬い地面に膝を打つだろうとか
あそこの稜線からきっと弾が飛んでくるだろうとか
そんなことを考えたことはない。
もしそんな考えを当てにしているなら、僕はとうに粉々にされて、そこらの土と見分けがつかなくなっていたはずだ。
こうして僕らを地面に引き倒し、僕らを救ってくれるものが何なのか?
僕には見当もつかない。
ただひとつ言えるのは、そう。
これは、僕だけが持つ特別な力じゃない、ということだ。
そうでなければ、前線には、たった一人の人間もいなくなっているはずだから。
また、空が割れたように鳴る。
そのたびに僕らは笛を吹かれた犬のように地面に腹ばう。
僕らは人の形をした獣になった。
そんな気がした。




