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初陣

 カリウスが馬蹄状のハンドルを握りしめ、アクセルを踏み込んだ。


 瞬間、納屋にその巨体を沈めていたティーゲル号が震えるように身を起こした。


 エーテル機関の咆哮が納屋の薄暗い空間を震わせ、鋼鉄の履帯が地面を(えぐ)る。


 戦車はまるで長い眠りから覚めた獣のように、ゆっくりと、しかし確実に動き出した。自分たちに迫ってくる巨体を認めた帝国兵たちは、一瞬にして凍りついた。


「う……うごいたぁ!!」


 誰かの叫びがきっかけだった。次の瞬間、悲鳴が連鎖し、銃を投げ捨てて兵士たちが轟音を立てるティーゲルの前から逃げ出した。


 なかには恐怖のあまり木に飛びつき、必死に枝にしがみついて登ろうとする者までいた。果樹の足元で彼らの影が左右に揺さぶられる。


 だが、カリウスは勢い余った。ティーゲル号は、彼が動かしていた訓練用戦車とはまったく比べ物にならないパワーを持っていた。


 勢いよく駆け出した車体は彼らの実家の壁に突っ込み、鈍い衝撃音が響いた。

 屋根から古びたタイルが降り注ぎ、砲塔の上でガチャガチャと割れる。


「しまった……。」


 カリウスは唇を噛んだ。だが同時に、胸の奥で熱いものが込み上げた。


「なんてトルクと加速力だ……!」


 カリウスは大学の上級軍事コースで、機甲科の講義を受けていた。

 ティーゲルは、その時の訓練で乗った旧式戦車とはまるで別物。


 エーテル機関の吐き出す大出力が、履帯を通じて地面を震わせ、車体を押し出す。

 伝説の魔獣、ベヒーモスのように獰猛で、恐ろしく速い。


「兄さん、このまま道に出てください。家には構わないで! 脱出を最優先にします。私たちの前にあるものはすべて潰しても構いません!」


「ああ!」


 兄に檄を飛ばすアデーレの声は冷徹でさえあった。車長席から外を見据える彼女の視線は、すでに次の行動を計算し尽くしている。


 カリウスはレバーを押し込み、ギアを戻した。クラッチを繋げ、アクセルを深く踏み込む。機関の咆哮が一段と高まり、変速機を通じて膨大なトルクが車体全体に伝播する。


 唸りを上げたティーゲル号は家を離れると庭を抜け、その先にあった瀟洒な塀を粉々に砕き、道へと飛び出した。


 道の中央に停まっていたトラックがティーゲルの巨体に押し倒され、略奪品を山積みにしたまま横転した。荷台の(ほろ)が破れ、その間からみるからに高そうな肖像画や壺が顔を出した。


 想像だにしていなかった光景に腰を抜かした帝国兵が尻餅をつき、鶏を抱えていた兵士は生け垣に突っ込んだ。囚われの身から自由になった鶏たちはパニックで羽ばたき、飛び散った白い羽根が空に舞った。


「戦車だぁ!!」


「メリナさん、砲塔を9時に向けてください! 敵に指向して!」


「了解!」


 メリナは興奮で頰を紅潮させながら、フットペダルを踏み込んだ。電動モーターがターレットリングに動力を伝え、重い砲塔が軋むような音を立てて旋回する。鋼鉄の巨体が獲物を睨む獣のように、不気味な唸りを上げた。


「ひぇ! こっち向いた!」


「逃げろ!!!」


 戦車砲の黒々とした砲口が帝国兵たちを捉えると、彼らは我を忘れて散り散りに逃げ出した。銃を放り投げ、ヘルメットを落とし、転がるように退散する姿は、どこか滑稽ですらあった。


 だが――


「ちょっと、逃げちゃうわよ! なんで撃たないの?!」


「弾、ありませんから」


「はぁ?!」


 操縦席のカリウスが振り返って、残酷な事実を告げた。

 実弾が――無い?


「ウソ! 弾ならここにあるじゃない」


 メリナは慌てて砲塔内の弾薬ラックを指差した。

 ラックにはきちんと真鍮の金色を輝かせた砲弾の尾部が並んでいる。


 だが、弾丸を引き出してみると明らかにおかしいとわかった。

 重厚な見た目をする砲弾が、子供でも持てる軽さなのだ。


「……!」


 別の砲弾を引き出してみるが、それも同じだ。

 もうひとつ、またひとつ、引き出してみるが、どれも変わらない。

 弾薬ラックに整然と並んでいる砲弾は、見た目だけのダミーカートリッジだ。


「なんで実弾がないのよ!」


「当たり前です。あったら大問題です」


 メリナの頭上から響くアデーレの声は淡々と、しかしきっぱりしていた。


「この戦車、父が個人的に開発していた試作機なんです。軍の正式なリストに載っていない機材に実弾は支給できません。横領になっちゃいますから」


「そ、それはそうだけど……」


 メリナは肩を落とし、砲尾に寄りかかった。

 興奮の熱が一気に冷め、がっかりした表情が丸見えだ。


「……この戦車が張り子の虎だってこと、気づかれないといいんですけどね」


 アデーレは苦笑しながら前を向いていた。


 ティーゲル号は、戦利品を満載したトラックを無慈悲に踏み潰し、中心街へと突き進んだ。街の外へ出るには、中央通りを西へ抜け、鉄橋を渡らなければならない。


 だが、この巨体にはエマールを縦断する川を渡るほどの渡河能力はなかった。

 帝国に制圧される前に、橋を渡るしかない。


 中心街に差し掛かると、激しい銃声と爆音が響いていた。避難民を追い詰める帝国兵と、その背後で煙を上げる戦車。そして、それを必死に食い止めようとする民警隊。だが、バリケードに隠れ、ただ耐えるのが精一杯の状況だった。


「見て、ガルムたちよ!」


 照準器を覗いていたメリナが叫ぶ。街の中心、半ば崩れ落ちた時計塔が見下ろす広場で、獣人たちの部隊が帝国兵に切り込んでいた。


 特製の霊力甲冑――パワーアーマーに身を包んだ彼らは、まるで鋼からなる狼の群れのようだった。身を低くして獣と変わらぬ四つん這いで疾走する彼らは、背中の装甲板で浴びせられる銃弾を弾き、隊伍を組んだ帝国兵の列に吶喊(とっかん)していく。


「「「ウォォォォーーーーン!!!!」」」


「ひ、ひぃ!!」


「オラオラ! 勝てる戦しかできねぇのか?! 根性見せろや!!」


 ガルムの咆哮が焦げた空に響きわたった。

 大鉈が弧を描き、眼の前の帝国兵を両断する。血飛沫が舞い、断末魔が重なる。

 血なまぐさい戦いが鋼鉄の板一枚を隔てた向こうで繰り広げられる。


「グルァァァァ!!!」


「た、たすけ――」


 戦意を失って命乞いをするも、大鉈が真正面から振り下ろされる。

 歴史書に載る中世の戦いの実際とは、こういうものだったのだろうか。

 ガルムの戦いぶりを見て、カリウスはそんなことを思った。


 あまりにも純粋で、圧倒的な暴力に踏みしだかれた帝国兵たち。

 彼らは負傷兵もそのままに広場から引き上げていった。


「バケツ頭どもめ。死人が出るとすぐ逃げやがる」


 付いた血も拭わず、武器を掲げて歓声を上げる獣人たち。それは士気旺盛というより、戦いそのものに狂乱しているとしか言いようがなかった。


 ガルムの部隊はすでに結束手榴弾と火炎瓶で二両の装甲車を炎上させていた。

 燃え盛る残骸を盾に、帝国兵の進撃を押し留めている。


(今なら彼らを回収できるかも……)


 カリウスがシートを振り返ると、アデーレも同じ光の宿った眼差しを向けていた。


「兄さん、装甲車の影、あそこにティーゲルを寄せましょう」


「わかった!」


 カリウスは慎重にハンドルを操作して、燃え盛る装甲車の残骸の間を縫うようにティーゲル号を進めた。装甲車の近くに寄ると、車体をなでる熱風が機関の排気を混乱させ、甘いエーテルの香りを車内に漂わせた。


「よし、止めます」


 巨体が前後に揺れ、装甲車の残骸とスクラムを組んでガルムたちの盾となった。


「なんだこりゃ? こんな戦車ウチにあったか?」


「援軍なんて聞いてねぇぞ」


 珍奇な動物でも見るような様子でガルムがティーゲル号を見上げた。

 獣人たちの瞳に、驚きとわずかな期待の光が宿る。


 するとハッチが開き、中からアデーレが顔を出した。


「嬢ちゃんじゃねぇか! こいつぁいってぇ……」


「私たちは街から撤退します。援護してください!」


 彼女は「一緒に逃げよう」とは言わなかった。


 獣人たち、とくに狼獣人(ライカン)はプライドの塊だ。直接「逃げろ」と命じれば拒絶する。だから、援護という形で彼らの戦意を尊重しつつ、脱出の道筋を導こうとしたのだ。


 彼女の瞳には父の面影が重なっている。

 指揮官としての才能が機を得て、芽吹き始めていた。


「……どうするぅ、ガルムの旦那ぁ」


 荒々しい息遣いの合間に、戦頭(いくさがしら)の意志を問う胴間声が響いた。


 問いかける彼の瞳には戦いの余熱がまだくすぶっていた。

 ガルムは血塗れた大鉈(メッサー)を手放そうとはしない。


 炎上する街を背に、肩で息をしながら獣人たちはティーゲル号を見上げる。


 この怪物がいれば、まだ戦えるのでは?


 しかし、遠雷のように聞こえる帝国軍の増援――

 キャタピラの音が、それは楽観に過ぎると現実を突きつけた。


 次第に戦いの興奮は冷めていく。

 疲労と痛みが、足元から死の予感とともに忍び寄ってきた。


 ガルムは大鉈を下げ、一度だけ喉の奥で低く唸った。

 戦頭が部下たちを一(べつ)する。

 皆の目が徐々に納得の色を帯びていった。


「……良し、任せとけ!」


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