誤算
――「1936年」。
ベリエ王国の首都ゼレガルド。
カリウスは20歳になり、引き続き大学の史学科で学んでいた。アデーレは16歳。機工の才を伸ばしながら、兄の帰りを心待ちにする少女へと成長していた。
だが、カリウスの胸中は晴れなかった。
寮の自室。
壁に貼られた大陸地図を前に、カリウスは腕を組んでいた。
西の大西洋連盟。
東のゲルマニア帝国。
二つの巨大勢力が、ヨーロッパを真っ二つに割って睨み合っている。
そして――その境界線の北端に、ベリエ王国があった。
(……ここだ。ここが『切れ目』になっている)
連盟と帝国の国境には、両陣営が建設した巨大な要塞群が並んでいる。
だが、地図をよく見ると――ベリエ王国の領土だけ、要塞線が途切れていた。
(前の世界のマジノ線……フランスはドイツとの国境に要塞を築いたが、ベルギー側は手薄だった)
そしてドイツは、その手薄なベルギーを道路のように使ってフランスへ侵攻した。
(この世界でも……同じことが起きる)
いや、もっと悪い。
今世のゲルマニア帝国は、前世のドイツよりもはるかに巨大だ。
ロシアとイタリアを丸ごと飲み込んだ超国家。
その軍事力は、前世のドイツ第三帝国の比ではない。
(ベリエは……踏み台にされる)
カリウスは地図を睨みつけたまま、拳を握りしめた。
カリウスは軍学を志していた。
スタインドルフ将軍の養子として、将来は軍に入って国を守るつもりだった。
だが――ナイトメアは陸軍大学校に入れない。
角を持つ者は、魔王の末裔として差別されていた。どれほど優秀でも、どれほど努力しても、煤人と蔑まれ、軍の中枢には入れない。
(……将軍の養子でも、無理か)
カリウスは苦笑した。
自分がどれほど努力しても、種族が理由で門前払いされる。
(でも……だからといって、何もしないわけにはいかない)
世界は動いている。
戦争は近い。
そしてベリエは、最初に蹂躙される場所だ。
(僕が……アデーレを守らないといけない)
その焦燥が、毎日胸を焼いた。
夜。
カリウスは寮の窓からゼレガルドの街を見下ろしていた。眼下に広がる夜景は、前世で見慣れた黄色を基調とした灯りとはまるで異なっていた。
青白いエーテル灯が路地に沿って規則正しく連なり、その光の列が建物の影と交わるたびに、小さな光の玉が街の面に浮かび上がる。青が層を成し、街全体を静かに沈めているさまは、まるで街そのものが海底に沈んだようだった。
海と空の境目がほどけていくような青。
静謐で、どこか現実の輪郭を失わせるような美しさがあった。
だが、その青白さを見つめていると、胸の奥がわずかに強張った。
(エーテルが豊富な国は……戦争の標的になる)
幼き日、老人が言っていた言葉が蘇る。
『このベリエはエーテルが豊富でな。それが原因で、前の大戦が起きたんじゃよ』
資源がある国は、奪われる。
それは前世でも、今世でも変わらない。
(アデーレ……ミアさん……将軍……僕は、この国の人たちを守りたい)
だが、軍の中枢には入れない。
参謀にもなれない。
戦略を立てる立場にもなれない。
(どうすれば……僕は戦争を止められる? どうすれば、この国を守れる?)
答えは出ない。
ただ、焦りだけが募っていく。
カリウスは机に向かい、軍学書と地図を広げた。
陸軍大学校に入れなくても、独学で軍学を極めることはできる。
(僕は……諦めない)
その瞳には、少年時代から変わらぬ力が宿っていた。
世界は戦争へ向かっている。
ベリエは踏み台にされる。
ならば――僕が道を切り開くしかない。
カリウスは静かにページをめくった。
その手は震えていなかった。
その時、部屋の扉が軽くノックされた。
「よぉ、また地図とにらめっこか?」
リラックスした声とともに入ってきたのは、金髪の青年――
ルームメイトの レオン・ブラント だった。
軍人の家系で育った彼は、どこか余裕のある笑みを浮かべながらベッドに腰を下ろす。
「お前、最近ずっと難しい顔してるぞ。……まあ、気持ちは分かるけどな」
「……何かあったのか?」
カリウスが顔を上げると、レオンは肩をすくめて言った。
「戦争が始まりそうだって話だよ。教授連中もざわついてる」
級友の言葉に、カリウスの心臓が跳ねた。
「……まだ早い。歴史的には、あと三年は……」
「いや、そうでもないらしい」
レオンは部屋の隅に置かれたラジオのつまみをひねった。
ノイズが走り、やがてアナウンサーの声が流れ出す。
「——国境付近に集結したゲルマニア帝国軍ですが、なおも集結を続けています。帝国は軍事演習と説明していますが、ベリエ政府は、不測の事態に備えるよう警戒を呼びかけています。国民の皆さんは、冷静に行動を……」
カリウスの背筋に冷たいものが走った。
(……嘘だろ。1936年だぞ。まだ三年あるはずなのに……)
だが、すぐに思考が冷静さを取り戻す。
(いや……前の世界でも、1936年にはラインラント進駐があった。あれは大戦のための『準備行動』だった。でも、この世界では……)
ゲルマニア帝国は、前世のドイツよりもはるかに巨大だ。
前世のドイツが外交で係争していた領土も、すでに掌握している。
(面倒事がない分、行動が早くなる……当然だ)
レオンが不安げに言う。
「なあ、カリウス……お前、教授に軍略を教えてもらったんだろ? これ、本当に戦争になるのか?」
カリウスは答えられなかった。
ただ、歯を強く噛みしめる。
(ベリエは……踏み台にされる。このままじゃ……)
視界の端に、机の上の カメラが映った。
スタインドルフ将軍から譲り受けた古いエーテル式のカメラだ。
カリウスは迷いなくそれを掴んだ。
「お、おい! どこ行くんだよ!」
「……エマールだ。スタインドルフ家に戻る。アデーレを疎開させなきゃ」
「今からか!? もう夜だぞ!」
「時間がないんだ。レオン、自転車借りるよ!」
「……はぁ、わかったよ。教授に聞かれても、俺は知らんぷりするからな」
「ありがとう!」
カリウスは扉へ向かいながら、自分に言い聞かせるように言った。
「戦争が始まる。僕は……何かしなきゃいけない」
バタンと、扉が閉まる音が夜の寮の静けさに響く。
幼き日、雪の戦場で芽生えた小さな灯。
それが今や、彼の背中で鋼のような決意となって燃えていた。
アデーレを守るため、国を救うため――カリウスは、あらゆる人々の運命を呑み込み、押しつぶしていく歯車に挑む道を歩み始めた。
◆◆◆
ここまでお読みいただきありがとうございます。
おまたせしました。次話から本当の意味での本編が始まります。
銀魔女の弟子となった彼が、妹の心までも守れるのか
どうか見守ってやってください。
あとあれです
ここからしばらく評価ポイントくれ! ブクマくれ! って言える雰囲気の話が
まっっっっっっったく続かないので、ここで言わせてください。
ポイントくれえええええええええええええ!!(




