【前編】火走 呉奈
薄暗い路地裏が、激しい光と轟音に包まれた――。
暗闇に映える桜色の髪と、赤い襟巻きを棚引かせながら、私は空中に跳ね上がり、大きく脚を振り上げた。
辺りに散らばるのは「怨魔」の破片。
ブーツの踵から爆炎と轟音を散らしながら、私は残っていた大きな一塊を踏み砕いた。
やがて、辺りに散らばった赤黒い肉片は、鉄板の上に乗った水滴のように、ほの暗い蒸気を霧散させていき、消えた。
「これが……、『浄忍御三家』の実力――」
私の闘いを見分していた巫術師のおねえさんは、ただただ呆然としていた。……まあ、無理もないよね。私、まだ「小学生」だし。
忍者の家系って言っても、十一歳で怨魔退治の任務に関わるなんて、ほとんど聞いたことない。分家の親戚だって、ほとんど大人の忍者だしさ。
「……ふむ、やはり問題なかったようだね」
路地の入口から、静かな足音と、聞き馴染みのある声が聞こえた。……ばあちゃんだ。
「……ばあちゃん、今日は多分出ないって……現場を視るだけでいいって言ってたじゃん」
「悪かったね。どうにも私の勘はあてにならないみたいだよ」
婆ちゃんは苦笑いを浮かべる。……一人前と見てもらえるのはいいけど、それでも孫娘が危険な魔物と戦ってるんだから、少しぐらい心配して欲しいもんだよ。
「まっ、いいや。それより、約束通り新しい服買ってよ?欲しいのもう選んでるんだから。黒とピンクのフリルのやつでね……」
「わかってるよ。子供と言えども、働きには対価を与えないとね」
ばあちゃんは私の頭を撫でた。ご褒美がなきゃ、こんな大変なことやってられないよね。
――ばあちゃんは、私に優しい。けど、修行や任務に関してはすごく厳しい。
最初の内は、何度も怪我をしたし、その度ボロ泣きした。けど、体の動かし方がわかってきてからは、あまりお小言を言われることも無くなった。
それで、ようやくわかった。ばあちゃんだって、好き好んで孫娘をいじめたいわけじゃなかったこと。そこでようやく、私はばあちゃんが「家族」に戻ってくれたようで安心できた。
私には、お父さんもお母さんも居ない。……なんでかは大体想像つく。怨魔との闘いの中で死んだんだと思う。物心のつく前のことだから、よく知らないし、悲しいとかってことはないんだけど。
ばあちゃんには、歳の近い友達とかもいない。修行をしていない時は、ぼんやりと縁側に座り、考え事をしてばかりいる。時々、ボケたんじゃないかと心配になるけど、第一線で闘う現役忍者なので、まだまだ心配はなさそうだ。
……ただ、「メチャクチャ強い」ってことは、ばあちゃんにとって幸せなことなのかは、わからない。
ばあちゃんは一人生き残り、私のお母さんも、一緒に戦ってきた戦友も、大切な人を沢山失ってきた。今、ばあちゃんに残った家族は私だけ。私の家族もばあちゃんだけだ。
そう思うと、これまでばあちゃんには、沢山つらい目にも合わされたけど、それでもやっぱり、元気で長生きして欲しいと思う。
「まだまだ、夜は長い……行くよ、呉奈――」
「うん!」
私は、大きな声で返事をして、ばあちゃんの後を追った。
これからも仲良くやって行こうね、ばあちゃん。……あと、服とアクセもいっぱい買ってね。
* * *
――これが、初めての闘いの夜の記憶。この時の気持ちは今でも変わらない。けれど、それでも大きくなるにつれて、ままならない現実とぶつかることは多い。
そんなわけで月日は流れ、あの夜からだいたい五年後の現在。今年の春から、私はお嬢様女子高である門森学園女子高等学校に通い始めた。
……「ご入学おめでとう」?
いや、全然めでたくない。今の私は、ばあちゃんに対して、だいぶんブチキレ中だ。
* * *
「ねえ、知ってる?九組ってさ……」
廊下の向こうで話し声が聞こえる。女子生徒が数人でたむろしている。
私と同じ門森学園女子高等学校のブレザーの学生服。襟には「1」と書かれた学年章。私と同じ年度に入学した同級生だ。
「……九組?そういえば、あそこのクラスだけなんか人数少ないよね」
「入学から今日まで特別補講ってことで、夜まで帰らず残ってるんだって」
「えぇ~っ?かわいそーっ……」
半笑いでかわいそうと言われては、全然同情されてないのがよく伝わってくる。むしろ楽しんでるな。
「それがさぁ、実はあのクラスの生徒って『特別』らしいよ?」
……ん?
まさか、とは思ったが、聞き捨てならない展開だ。
杞憂と分かっていても、万が一にも「知っている」可能性を考えると、一応確認する必要はある。
「なんでもね……あのクラス……」
私は、改めて彼女たちの話す一言一句を聞き漏らさないよう、聞き耳を立てた。
「入学前に問題行動を起こした不良生徒を集めた、問題児矯正クラスなんだって……」
「ええっ!?本当?」
「だから、他の一年と教室が離れてるって聞いたよ」
「他の生徒から隔離までされるなんて、いくらなんでもヤバいでしょ!!」
「それが、入学前に九組の金髪の子が、夜の街で問題起こしてたって話もあってさぁ……」
「……ちょっとぉ、やめなさいよ。イジメみたいで悪趣味よ」
杞憂だったようだ。彼女たちは、私たちのことは、何も知らない。本当に何も知らない。
……だから、腹が立つんだよなぁ。誰が好き好んで、こんな扱い受けたいって言うのか。私の気持ちも知らないで。
「呉奈ちゃん?」
後ろから声をかけられた。青みがかったおかっぱ頭の、こけし……もとい、お人形のような少女が私の顔を見上げていた。
「そんなところで立ち止まって……移動教室遅れちゃうよ?何してるの?」
「……盗み聞き」
私はため息をつきながら返答した。……陰口を叩いてた相手の前なんて通りたくないんだよなぁ。
「……そういう悪さに使っちゃだめだよ」
「あーハイハイ。わかってる、わかってるって、葵。遅れちゃうから、早く行くよ」
私は、百メートルほど先でゴシップに花を咲かせる、キラキラのJKどもが、さっさと解散してくれることを願いながら、のそのそと歩みを進めていった。
私の名前は火走 呉奈。家の意向で望まぬ進路に進み、「落ちこぼれクラス」のレッテルを負うことになった、くのいちJKだ。
* * *
「えぇ……ばあちゃん……。わたし、宝徳高校行きたかったんだけど……制服もあっちの方がかわいいし……」
ばあちゃんは茶をすすりながら、私の文句に耳を傾けている。傾けてるはず。……本当に聞いてるのか?このババア。
「火走家の使命より、やりたいことがあるのかえ……?」
……聞いてたようだ。むしろ、しっかり答え辛い所を突いてきた。やりたいこと……ね。中学生でそんなハッキリしてるかよ。
「いや、まあね。私も一応、世間的にはお嬢様ってことになるけどさぁ。割と世俗的じゃん。門森なんて絶対合わないって……。校舎も古臭いし」
「……どうせ、顔立ちのいい殿方のケツを追いかけたいんだろう」
「男子のケツなんか興味ないっての」
……ケツには興味ないけど、そろそろ私もメイクや髪も気合入れて高校デビューしたいとは思ってる。あわよくば、イケメンとラブコメもしたい。
「……きょうび、恋愛も職業選択も、自由な時代だよ?行く高校ぐらい好きに選ばせてよ」
私は正座を崩して湯飲みを持ち上げた。
瞬間、湯飲みは縦にふたつに割れ、淹れたての緑茶は不定形に散らばりながら、私の眼前に降り注いだ。
私は、半身を捻って熱湯の雫を回避し、湯飲みを貫通し飛来したクナイを素手でつかんで止めた。ばあちゃんの手元から延びた鎖は、私の掴んだクナイに繋がり、二人の間で水平にぴんと張っている。
「死にたいのかい?」
ばあちゃんはドスの効いた声で問いかけた。
「……孫を脅迫するの?」
「そういうことじゃないよ」
ばあちゃんは、鎖の持ち手をパッと離した。私は、クナイを掴んだ腕を旋回させて鎖を巻き取り、畳の上に置いた。
「今の生半可な実力のままじゃ、『怨魔』に殺される……そう言ってるのさ」
ばあちゃんは立ち上がり、縁側から庭を眺めた。私も、片膝立ちから立ち上がり、ばあちゃんの方を向いた。
「ばあちゃん……、私はまだ、『浄忍』になるって決めたわけじゃ……」
「……他の道を選ぶなら、なおのことさ」
ばあちゃんは、懐から麩を取り出し、握り砕いて庭の池にばらまいた。……湿気ってないのかそれ?
「望む望まないとに関わらず、アンタは火走の家に産まれた。そして、『怨霊』をはっきりと視認し、戦う事の出来る力も持って産まれてきた」
「その責任を、果たせってこと?」
「……実際のところはね、『責任』なんてないのさ。産まれは選べないんだからね。やめたって誰もアンタを責められはしないよ」
……これまた意外な返答。古風で因習の多い家だと思ってたけど、ばあちゃんの考え方、結構現代的かも。
「呉奈。アンタは人並みに正義感をもって生きてきた。私たちがそう育てたからね。世俗も知った上で、生き方を選んで欲しい、そう思ったのさね」
荒々しく水しぶきを上げながら、池の鯉は口をぱくぱくと開閉しながら麩を奪い合っている。なんかこう、ペットとしての可愛さというか、悪趣味さを感じる光景だ。
「けどね、それは家ではなく、アンタ自身が進むべき道を選択しなくてはならない、その責任を持つということなんだよ」
ばあちゃんは、麩を片手で器用に割りながら、私に視線を送った。
「呉奈は産まれながら非凡な才を持っている。そんなアンタが『力なき市井の人』が怨魔に襲われているのを知りながら、素知らぬ顔で生きていくことはできるのか」
「………………」
鯉は、一通り腹を満たして、また池でゆったりと泳ぎ始めた。奪い合いの喧嘩など、まるで無かったみたいに。
「呉奈が、これから世俗的な進路を望んだとしよう。その上で、親しい人が強力な怨魔に襲われた時、十分な浄忍としての鍛錬を積んでいなかった場合どうなるか」
ばあちゃんは、手元に残した麩をつまみながら、こちらを見る。麩は逆光を透かして、うっすらと黄色がかったシルエットを見せた。
「アンタは、正義感にかられ無謀な戦いを挑むだろう。けれど、今のままでは『助ける』ことだって満足にできやしない」
ばあちゃんは麩の欠片を口に放り込み、噛み砕いた。
「……『死ぬ』のさ」
ばあちゃんは、ザクザクと音を立てながら麩を噛み砕き、飲み込んだ。
……一瞬、ばあちゃんの口元がマズそうに歪んだ。味ついてない麩なんだから、そりゃそうだよ。
言いたいことはよく伝わってくるけど、演出に力入れ過ぎというか、側仕えの人もちょっと引いてるじゃん。
「……わかったよ。それで、特務訓練課程のある門森高校に進んで、技術を磨けってことね」
「物わかりのいい孫はかわいいね。小遣いやろか?」
わざとらしく懐からがま口財布を取り出した。……さっきまで麩と一緒に入ってたんだろうな。
「十分もらってるから、もう要らないよ。それより、共学行って彼氏作って、青春したかったなぁ……」
「こんなヤクザの屋敷みたいな家に、彼氏を呼んで『おうちデヱト』でもするのかい?」
「……自分で言う?」
実際ヤクザと思われて引かれたことあったから、滅多に友達呼べなかったんだよ。知ってんだろこのババア。
「……でも実際、ウチが暴力集団なのは否定できないんだよなぁ。あ~あ、産まれを嘆いて良い?」
「婆やで良ければ、存分に聞いてやるさ。けどね……」
ばあちゃんは「門森学園女子高等学校」と書かれたパンフレットと願書を手に持って続けた。
「恋人を作るのは難しいだろうがね、面倒な産まれの不満を共有する友人ぐらいは作れるだろう。私もかつてはそれで救われたもんさ。華やかさだけが青春のすべてではないんだよ」
「ばあちゃんの青春時代ねぇ……どのあたりの地層から出てくるの?」
飛んできた湯飲みの欠片が、私の額で割れた。
――老いてなお、手の早い暴力ババアだよ、まったく。
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